魔王様の親戚
「つまりお母様に大見得切っておきながら、エイナリンを説得できなかったと。それは何と言うか、情けない話ですわね」
エイナリン説得失敗から一夜が明け、儂は任務の合間に時間を作り、わざわざ会いに来てくれたマイシスターに部屋で自作の魔力茶を振る舞っていた。
「姉さん、その言い方は少し傷付くんだけど」
「あら、可笑しな話ですわ。私の弟はいつからそんなに繊細になったのかしら?」
クスクスと笑いながら、上品にお茶を飲むマイシスター。うーむ。子供の成長は早いと言うが、昔のヤンチャさがすっかりとなりをひそめたの。
完成された淑女のような品格がそこにはあった。
儂がマイシスターの成長ぶりに感慨深いもの感じておると、そんな儂の視線に気付いたマイシスターは、しかし訝しむことなく優しく微笑んだ。
それは姉弟でなければ思わず恋に落ちてしまいそうな素敵な笑みじゃった。マイシスター、マジエンジェルさん。
「……そこで相談なんだけど、姉さんがエイナリンに頼んでみるというのは?」
何だかんだでマイシスターとエイナリンは仲が良い。それがどの類いの仲の良さなのかは知らんし、知りとうもないが、以外と好きな者には甘いエイナリンのことじゃ。案外あっさりと前言を引っくり返すかもしれん。
しかしーー
「それ、リバークロスも無理と分かっているでしょ? エイナリンが一度決めれば私の言うことを聞いてくれるわけがありませんわ。それこそリバークロスのあの忌々しい従者にでも頼んだ方が良いのではなくて?」
「やらせてみたけど今回はダメみたい」
エイナリンにぶん殴られた後、一応アクエロを使った説得を試みたんじゃが、普通に断られてしもうた。
「あら、珍しいですわね」
「そうでもないよ。過保護に見えて以外とドライなところがあるからねエイナリンは」
昔、支配者の儀で儂を乗っ取りかけたアクエロを目の前でボコボコにした時も別段怒るでなく、むしろ微笑ましそうに見ておったくらいじゃからな。何と言うかあやつ、単純に見えて何を考えておるのか読めんところがあるんじゃよな。
そこでマイシスターが突然口元を手で隠し、肩を小さく揺らして笑いだした。
「何? 突然」
「やだ、ごめんなさい。別にリバークロスを笑った訳じゃないのですわよ。ただ『魔王の後継者』とまで呼ばれ飛ぶ鳥を落とす勢いの自慢の弟が、最も手を焼いているのが自分の従者だと言うのが何だか可笑しくて」
「勘弁してくれよ。姉さんは面白いかもしれないけど、当事者であるこっちは堪ったもんじゃないからね。エイナリンにぶん殴られた鼻、まだ少し痛むんだからな」
「ふふ。傍観者だからこその楽しみですわ。お兄様が秘密を暴くのが好きなのはこういう気持ちになるからなのかしら?」
「兄さんは……どうかな? あの人もよく分からない所があるからね」
「私にとってはリバークロスも十分に謎ですわよ」
「そう? 姉さんは……分かりやすいよね」
「あら、失礼ですわね。私にだって秘密の一つや二つくらいあるのですわよ」
「へー。例えば……いや、やっぱり知りたくないかも」
これで生々しい色恋沙汰の話でも出た日には反応に困るからの。そんな儂の内心を読み取ったかのように、マイシスターがまたクスクスと笑う。つられて儂も笑った。
「何はともあれ、今回はかなり重大な任務。お互いに十分に気を引き締めて事に望みましょう」
「ん? 姉さんも来るの?」
儂の言葉にマイシスターは持ち上げかけたカップをソーサーの上に戻すと小さく息を吐いた。
「私はシャールエルナールの軍団長ですわよ。行くに決まってますわ。ちなみにお兄様も動くかもしれませんわよ」
「兄さんが? でも兄さんはもう魔将だろ」
現在のマイブラザーは魔将第十位。直接的な戦闘能力よりも、隠密性や情報収集の能力を買われての抜擢じゃ。
「私も詳しくは知りませんが、今回の中ノ国攻略時に天将の上位が動くようなことがあれば、その隙をついて天領第二等区にある狭間ノ国の一つを滅ぼす予定みたいですわ」
「二等区? そこからじゃあ転移で魔族領に戻ることもできない。大体前ノ国も落としてないんだから危険すぎない?」
基本、中ノ国を中心に各国は周囲に転移を妨害する結界なり魔力なりを放っておる。故に仲間内で転移する場合はあらかじめ作っておいた空白地帯に跳ぶか、連絡を取って転移の時にだけ結界を解除するんじゃが、どちらも敵の領内で活動する者に出来ることではない。
じゃから敵の領内で転移を発動させるのは難しく、例え出来たとしてもごく短距離の移動に膨大な魔力を使うことになる。
ちなみにカエラ達の前から転移で消えたマーレリバー達もあの転移で魔族領に戻ってきたわけではなく、あらかじめ決めていた逃走ルートまで跳び、そこから魔物や魔法具を使った移動で魔族領まで戻ってきたのじゃ。
しかしそれも天族が相手でないから上手くいったことで、一国を攻撃すれば当然天族達も本腰を入れて動く。逃げ切るのは簡単なことではないじゃろう。
「私も心配ですけど、お兄様を初め隠密系統の技術が高い者で編成された部隊みたいなので、逃げるだけなら出来ないことは無い、とのことらしいですわ」
「まぁ、兄さんなら大抵のことは大丈夫だと思うけど」
なんせ戦闘中の隙をついたとはいえ、あのルシファの目を欺いたくらいじゃからな。それこそ天将が出てこない限りどうとでもするじゃろう。
「ええ。きっとお兄様なら大丈夫ですわ。それに以前アイギスを破壊されて懲りたのか、天将が一度に前線へ出ることはあれ以降ありませんの。天将が出てこなければお兄様の出番もありませんわ」
「それはそうだけど、今回こっちは魔将が三魔も動くし、天将もそれに合わせて動かない保証はないんじゃないかな」
そして何よりも気になるのはマイマザーの言葉じゃ。あまり楽観せず激戦を覚悟しておいた方が良いじゃろうな。
「言いたいことは分かりますわ。そしてその可能性はとても大きいとも思いますわよ。でもあのお兄様のことですもの。きっと何とかしますわ。それよりもリバークロスは他者のことにかまけてないで、お母様に早く謝ったほうが良いんじゃないかしら?」
急に話を戻されて、一瞬儂は言葉に詰まった。
「ぐっ! そ、それを言われると」
「フフ。不安ならお姉ちゃんが付いていってあげましょうか?」
「結構だよ」
そして儂らはまた笑いあった。
コンコンコン。
アクエロが食器を片付けるのを何とはなしに見ておると、部屋のドアがノックされた。
「ん? ……シャールエルナールか」
マイシスターとの楽しい一時が終わり、そろそろマイマザーの所に行こうかと思っていた矢先の訪問。はて、何かあったんじゃろうか?
ドア越しから伝わってくる魔力は普段より抑えられており、一瞬誰か分からなかったくらいじゃ。
「リバークロス様、入っても宜しいでしょうか?」
「いいぞ」
儂が入室を許すと、シャールエルナールは「失礼します」と言って入ってきた。何処と無くその姿は落ち着きがないように見えた。
「どうした? 何かあったのか?」
シャールエルナールは敬礼をすると、いつものキビキビとした声で答えた。
「魔王様が仰っていたお目付け役の方が来られましたのでお連れしたであります」
「え? 何でエイナリン説得の失敗を母さん……ではなく魔王様が知っているんだ?」
今からそれを報告に行くところじゃったのに。まさか儂に監視でもつけておるのではなかろうな?
「昨日食事の席でリバークロス様が仰られてましたので、僭越ながらあの後すぐ報告したであります」
ああ、そういえば確かに話したの。
しかしそれは別にシャールエルナールに取りなして貰おうとか考えていた訳ではなく、酒の席での愚痴のつもりだったんじゃが。
ちなみにエルディオンの奴も昔エイナリンにぶん殴られたことがあるらしく、殴られた話をすると珍しく腹を抱えて笑っておった。
「そうか、手間が省けて助かる。母さん怒ってなかったか?」
儂としては直接失敗を言いに行かずにすんでメッチャラッキーじゃが、マイマザーの反応が分からんのは分からんで恐いものがあった。
「いえ、魔王様はあやつらしいと笑っておられました。それよりもリバークロス様、早くこの方を紹介したいのですが」
「ん? ああ。悪い。入ってもらってくれ」
シャールエルナールがこういう風に儂に対して何かを急かしてくるのは非常に珍しい。あるとしたらそれはいつもマイマザーがらみなんじゃが、つまりはそれほどの重要人物と言うことじゃろうか?
…………まさかスペンサルドではあるまいの。
「ありがとうございます。ささ、こちらにどうぞ」
驚いたことにマイマザーやその血族である儂ら以外には他種族の王であろうが遠慮せず堂々と接するあのシャールエルナールが、今にも跪かんばかりの低姿勢で接しておる。
そうして部屋に入ってきたのはーー
「って、姉さん?」
肩の辺りで切り揃えられた赤茶色の髪と眼鏡で隠された紅い瞳を見た時、何故か一瞬マイシスターが戻ってきたのかと思ってしまったが、よく見るとよく見るまでもなく全然違った。
女は反射的に姉さん呼ばわりをした儂をジッと見つめておる。紅い瞳をまん丸い眼鏡で隠しておるが、かなりの美人さんじゃの。それにしてもその服、何か向こうの世界で言うところのセーラー服みたいじゃな。そのせいか初見の印象は華やかな委員長といった感じじゃ。
そしてその委員長は何を思ったのか、いきなり自分の額に手を当て、わざとらしくよろけて見せた。そして言うのだ。
「ああ! 何て私は罪深いの!! 初対面のこんな可愛い男の子を一瞬で魅了してしまうなんて。怖い。私は自分の魅力が怖いわ」
「ええっ!?」
なんじゃこのテンション? 委員長イメージが一瞬でブッ飛んだわ。
「でもごめんね、ボク。私は貴方のお姉さんじゃないの。何故なら私はプリティーデビルちゃん。泣く子も黙る悪魔界のアイドル。それが私よ。はい、プリティーデビルちゃんのスマイル一つ、お届けプリティー」
「ええっ!?」
ニッコリと笑いながら投げキスをしてくるプリティーデビルちゃん。アカン。完全に向こうのペースじゃ。しかしこのテンションについて行ける気がまったくせんのじゃが。…どうしよう?
「流石でありますプリティーデビルちゃん。可愛いでありますプリティーデビルちゃん」
シャールエルナールが小さく手を叩く。すると片付けを終えて戻ってきたアクエロも一緒になって「プリティ、プリティ」とか言いながら手を叩き出した。
「ええっ!?」
何? テンションに付いて行けないの儂だけ? 取り合えず儂も手を叩くべきなんじゃろうか? 迷う儂の視線を勘違いしたのか、シャールエルナールが説明を始めた。
「プリティーデビルちゃんは魔王様の遠縁にあたられるお方で、その実力も本官など及びもしないくらいで、とにかく色々と凄いお方なのであります」
「ええっ!?」
こんな綺麗なだけで痛い女がシャールエルナールより強い? 冗談じゃろ?
「あなたがリバークロスね。ヨロシクV」
舌をほんの少し出しながら可愛らしくピースをしてくるプリティーデビルちゃん。いや、確かに可愛いと言えば可愛いんじゃが、正直あざとすぎてドン引きなんじゃが。
とりあえず儂は一言、
「ええっ!?」
とだけ言った。と言うか儂、何気にさっきからこれしか言ってないんじゃが。まぁ『ええっ』か。