中ノ国
「おう、坊主。久しぶりだな」
マイマザーの呼び出しを受けて部屋に向かう途中、やけにデカイ魔力の持ち主がいるなと思えば、ここ数年の内ですっかりと見慣れた顔があった。
「この前会ったばかりだろうが」
儂は呆れたとばかりにこれ見よがしの溜息をついて見せる。相手はサイエニアスの父であり、魔将第四位エルディオン。
一応エルディオンも儂の女の親であるので、どう接するか悩んだのじゃが、有角鬼族が細かいことを気にしない実力主義の種族であるのと同時に、スペンサルドとは違いエルディオンは同格の同僚ということで遠慮するのは止めておいた。
「ふん。互いに戦場に生きる身、数日会わねば今生の別れを覚悟せい」
「その年まで生きていて良く言う」
「確かに。儂もこの年までよく生き残れたと思わんでもないな」
どこか遠くを見るように髭を撫でるエルディオン。うーむ。この容姿に髭が似合わんのは分かっておるが、あんなダンディーな魅力を振り撒かれると何か羨ましくなるの。…今なら弟子のもおらんし。……髭、伸ばしてみようか?
「それよりも王が坊主にまた会いたがっておったぞ」
儂の脳裏に己の欲望に正直すぎる男の顔が浮かんだ。
「言っておくが俺の女は貸さんぞ」
サイエニアス達に頼まれて、初めて会った時のことを思い出す。
スペンサルドに比べると応対は気楽でいいんじゃが、別の意味でとても疲れる奴なんじゃよな、あの王。
「別に構うまい。儂らの王は強者が大好きだからな。純粋に坊主と話すのが楽しいんだろうよ」
「それなら、まぁいいが」
王と会うのは疲れるが、完全な味方であるスペンサルドとは違い、あの王はマイマザーを狙っておる不届き者じゃからな。余程のことをせん限り関係の悪化にビビる必要がないので、その点だけは気が楽じゃわい。何よりもサイエニアス達の手前蔑ろにする訳にもいかんしの。
やれやれ。近い内に顔を出しておくかの。
「リバークロス様」
背後からの声に振り返る。少し前から巨大な魔力が近づいて来ているのは気付いておったので驚きはない。相手が誰かも既に分かっておった。
「シャールエルナール。お前も今から向かうのか?」
「その通りであります。ご一緒してもよろしいでありますか?」
軍帽に軍服。腰にまで届く黒髪の美女が敬礼しながら聞いて来た。
「構わない。最近はあまり会えなかったしな。どうだ? 時間があればこの後食事でも。俺が今作っている魔力石だが、天然物と殆ど変わらない出来映えだ。シャールエルナールの意見も聞いておきたい」
「喜んでご一緒するであります」
「ほう、坊主が作った魔力石か。儂も食べてみたいの」
「別に良いぞ。ただ天然物と比べると味は落ちるからな」
「構わん。構わん。どこまで近づけているのか。噂のお主の手腕、楽しみにしておこう」
そこまで言われては唸らせてやりたくなるのが人情じゃろう。この間スペンサルドに出したのと同じのがまだ何個かあったはずじゃから、それを振る舞うかの。
儂は儂の自信作に目を見開くエルディオンを想像しながら、表面上はどうでも良いことのように肩をすくめて見せた。
「そうか。それなら好きにしてくれ」
「うむ。この後の楽しみにしておこう。時に『殲滅』よ。お主今回の呼び出しについて何か知っているのか?」
「本官風情が偉大なる魔王様のお考えを知りようもないのであります。そもそも余計なことは考えず、本官達はただ魔王様が仰られたことに『はい』と言えばそれで良いのであります」
いや、それはどうかと思うのじゃが。マイマザーのことは好きじゃし尊敬してはおるが、そこまで盲信する気のない儂としてはシャールエルナールのこう言うところはちょっとどうかと思う。
そしてそう思ったのはどうやら儂だけではないようで、
「お主は相変わらずだな。確かに魔王の能力は凄まじいが、決して万能ではなかろう。主が道を間違えそうな時、諫めるのも臣下の役目だろうに」
「魔王様がお決めになったことが唯一無二の正義であります。例え魔王様の目論見が失敗しようが、それが魔王様の決定であるならば喜んで甘受すべきでありましょう。逆らう者にはただ死あるのみであります」
うわー。相変わらずマイマザーのことになると融通が利かなくなる奴じゃの。こう言うときのシャールエルナールは面倒なので儂は黙って二人の会話に耳を傾けることにする。
じゃと言うのに、何故かそこでエルディオンが儂を見おった。
「坊主はどう考える?」
いや、儂に話を振らんで良いからの。ほれ見い。シャールエルナールがメッチャこっちをガン見しておるではないか。
儂は面倒事を避けるために話を最初に戻すことにした。
「天領第四等区、中ノ国を落とす気だろうな」
「やはり坊主もそう思うか」
恐らく本当はシャールエルナールの考え方についてどう思うかの質問だったのじゃろうが、こっちの話題も気になっておったのじゃろう。エルディオンの奴は特に文句を言っては来なかった。
これ幸いと儂はそのまま話を続ける。
「この時期に俺達を招集したんだ。それしかないだろ」
盾の王国が儂等が居るこの世界の丁度中心に位置しておるように、それぞれの区内にはその区の中心となる国家が存在する。
それが中ノ国。この中ノ国は区内における地脈の集合地点に作られてれており、中ノ国を押さえることで地脈を応用した様々な利点が生まれる。
ちなみに中ノ国の他に前ノ国と後ノ国というのがあり、前ノ国はその区を守る、いわば区内における盾の王国的な役割をしておるのじゃが、すでに天領第四等区の前ノ国は数年前に落としてある。
そこで儂はふと、以前から気になっていたことを思い出した。
「そういえばシャールエルナール。お前がいながら天領第四等区の前ノ国を落とすのに随分と時間が掛かっていたな。あれは何か理由でもあったのか?」
盾の王国を完全に支配下においてから既に十年近く経っておる。当然その間魔族は天族の本拠地、天界城を目指して着実に天族領を侵略しておるわけじゃが、その速度は決して早いとはいえん。
十年近い時間が経過していながらも、遅々として侵略が進んでいない大きな理由としては、天領第四等区の前ノ国を落とすのに三年以上もの時間が掛かったことが上げられるじゃろうな。
儂は当時マイマザーから前ノ国攻略における全権を与えられていたシャールエルナールを見た。
シャールエルナールはそんな儂にいつものように敬礼してから答えた。
「申し訳ありません。全ては本官の不徳の致すところ。かくなる上はこの身をお好きに罰してしてください」
そしていきなり軍服を脱ぎ出すシャールエルナール。放っておけば素っ裸になることを知っている儂は、呆れつつもシャールエルナールの手を取って止める。
「ああ。分かった。分かった。なら今度俺の部屋に来い。罰はそこで与える」
「ハッ! 了解であります。未熟な本官の性根を叩き直すような強烈なのをお願いするであります」
普段はシャープな目付きを期待に見開きながら敬礼するシャールエルナール。その顔は赤く、鼻息がやけに荒かった。
黙っていれば、黙ってさえいれば物凄い美人さんなんじゃが。
シャールアクセリーナなんか、この変態を物凄く尊敬しておるようじゃが、あやつ、自分の姉のこういう性癖を知っておるんじゃろうか? 儂からは怖くてとても聞けんのじゃよな。
「それで? 何でそんなに時間が掛かったんだ?」
シャールエルナールの変態ぶりは今更考えてもどうしようもないので、儂は再び話を元に戻した。儂の質問に二人の年長の魔将がそれぞれ答える。
「ひとえに魔法障壁の強靭さと転移を妨害するのが困難な状況だったからであります」
「国を落とす場合、転移の妨害は必須だからな。転移を封じておかんと次から次に敵が来る。しかし中ノ国を押さえられておる以上、どうしても大規模干渉魔法は敵の後塵を拝してしまうことになる。そんな中いかに敵の転移を上手く妨害するかが国落としの重大な鍵となる。坊主も覚えておけ」
当たり前の話なのじゃが、国の重要拠点には魔法攻撃に備えて結界が張られておる。結界の強度は国によってまちまちじゃが、それでも強い者が魔法を一つ撃って「はい。国家終了のお知らせ」とはいかんのじゃよな。
ふーむ。そう考えると、どうやら攻城戦において攻めて側が不利になりやすいのはこちらの世界でも一緒のようじゃな。
魔法のお陰で向こうの世界でのセオリーなんて通じ無さそうに見えて、意外とそういうわけでもない。無論それは守る方も魔法を使うからなんじゃが……。まだまだこの世界で学ぶことは多そうじゃな。
「だとしてもシャールエルナールが居ながらそこまで破壊にてこずるとは。そんなに強力な結界だったのか?」
シャールエルナールの力は王に匹敵する……と儂は見ておるんじゃが、そんなシャールエルナールの攻撃を持っても破壊できんとは。魔術師としてどんな結界が張られておるのか気になる。気になるぞぉー!!
「いえ、確かに堅固な結界ではありましたが、本官単独でも破壊は十分に可能でありました」
「なら、……ああ。修復速度か」
答えに気付いた儂はまたも肩透かしを食らった気分になった。やれやれ。今日はよく期待を裏切られる日じゃの。
「その通りであります。基本的に攻城戦の場合、敵は練金関連のスキルを保有する『職者』を多く保有しているので、壊しても敵と戦っている間に直されているであります。それでも兵を瞬時に掃討できれば問題ないのでありますが、敵も侵略されてなるものかと、その意気や凄まじく。結局は補給路を完全に絶つまでかなり粘られたであります」
ふーむ。以前の戦いで何となく分かってはおったが、やはり優れた一魔のみで容易く無双…という訳にはいきそうもないの。
千の軍勢くらいなら儂一人でもどうにかできる自信はあるが、それも相手の装備や兵の実力次第ではどうなるか分からんしの。しかしそれにしてもーー
「なんで俺に召集が掛からなかったんだ?」
お陰で魔人国建国や運営に力を入れられたから別にいいんじゃが、それでも儂とシャールエルナールが初めから手を組んでいれば、とっくの昔に前ノ国どころか中ノ国を落としていたのではなかろうか?
「坊主は若く力もまだあまり見せていないからな。天族共に無駄に分析されるのを魔王が嫌がったんだろ」
「なるほど。魔王様らしいな」
大胆不敵を地で行くマイマザーじゃが、実はああ見えてかなり慎重なところがある。
いかに勢力図で魔族が天族を上回ったとはいえ、まだまだ先は長い。戦場に出て力を見せれば見せるほど対策を取られていくのは当然のこと。出来る限り手の内を隠そうとするのは戦略の基本じゃな。
儂がマイマザーに関心しておると、何故かエルディオンがそんな儂をジッと見てきた。
「なんだよ?」
「坊主なら大丈夫そうだが、一応言っておくぞ。坊主の力は完全武装した万の兵に匹敵するだろう。だがそれは万の兵を集めさえすれば坊主に勝てるということでもある。間違っても己を無敵などと考えるなよ」
「わかってる。向こうにも俺と同格や、百や千に匹敵する個が居るんだ。調子に乗って馬鹿なことはしない」
実際、天軍と戦ったときも危ない場面は何度もあった。得点制のスポーツをやっておるわけではないのじゃ。一秒前までは余裕でも次の瞬間に首を落とされたらそれで終わる。できれば前のような無茶はもうやりたくはないの。
儂の返事に気をよくした様子のエルディオンが大きく頷いた。
「ならよい。お主の力は以前の戦いで知れ渡っておるじゃろうからな。次に戦場に出るときは対策を取られているものと思い、単独行動は控えろ」
「分かってはいるが……どうした? 俺のことをそんなに心配するなんて。らしくないんじゃないか?」
元々口うるさい奴ではあったが、ここまで露骨に儂の心配をするとは……何かあるんじゃろうか?
「ふん。娘のためだ」
「サイエニアスの?」
「貴様のような小僧でも娘は大層気に入ったようだからな。死に場所を選ぶ難しさは理解しているが、それでもせめて坊主の『その時』が儂並みに遅くなることを娘のために祈ってもいいだろう。仕えるべき主を失った忠臣の末路など、出来れば見たくはないからな」
「それは……まぁ、好きにしろよ」
うーむ。儂も実戦経験はそれなりに多いとは思っておったが、やはり千年以上戦いの世界に生きてきた者の言葉は儂にとっても重いの。
シャールエルナールもエルディオンの言葉に何か思うところがあったのか、マイマザーが待つ部屋に辿り着くまでの僅かな時間、沈黙が儂等の間に訪れた。
「皆の者、良く集まってくれた」
マイマザーが謁見によく使う無駄に広い部屋、そこで儂らは揃ってマイマザーへと跪いた。部屋の隅の方でよく書類仕事をしている魔族達は今日はおらず、部屋には儂等三人とマイマザー、そしてマイマザーの後ろに控えるエラノロカの五人だけじゃった。
「それで、魔王よ。攻めるのは四等区中ノ国でいいのか?」
マイマザーが本題を切り出す前にエルディオンがさっさと話を切り出した。無礼ともとれる態度じゃが、それを咎める者はこの場にはいなかった。
マイマザーは玉座で足を組み、フフンと不敵に笑った。
「なんじゃエルディオン。妾の楽しみを取るではない。じゃが分かっているなら話は早いな。狭間ノ国の制圧も残すところ後わずか。いい加減中ノ国を押さえて天領第四等区を手中に収め、三等区侵略のための準備を始めたい。故にお主等の出番じゃ。お主等は兵を引き残りの狭間ノ国を一気に落とせ。そしてその勢いのまま中ノ国を侵略してくるのじゃ」
ちなみに狭間ノ国とは、前ノ国と中ノ国、中ノ国と後ノ国の間にある国々のことで、数年前に天領第四等区の前ノ国を落として以降、魔王軍は天領第四等区中ノ国を目指して、その間にある狭間ノ国々を次々と落としていた。
「それは構わんが、何故儂等三魔なのだ?」
「それが最良と妾が判断したからじゃ」
「ふん。なるほど。ならば良い」
おや? この反応。マイマザーのスキルについて知っておるのかの。まぁ儂より遙かにマイマザーとの付き合いが長いのじゃから、別に驚きはしないがの。
儂がマイマザーの反則的なスキルについて考えているとーー
「さて、妾の可愛いリバークロスには今回別の重要な仕事がある」
いきなりそんなことを言われた。
「何でしょうか?」
人間を好き勝手に抱え込んでいる以上、そろそろ新たな功績を立てておきたいと思っていたところじゃ。少々危険な任務でも今なら歓迎じゃな。
「うむ。実はな、エイナリンのことじゃ」
「アイツが何か?」
まさかとは思うが、儂の知らん所でマイマザーを怒らせた訳ではあるまいな?
「どうも今回あやつを連れて行くと厄介なことになりそうじゃ。だからなんとかしてエイナリンを魔王城に留めておくように。よいな?」
「…………は?」
「どうも今回あやつを連れて行くと厄介なことになりそうじゃ。だから…」
「あっ、いえ。別に聞こえなかった訳ではありませんから」
慌ててリプレイを止める。たまにマイマザーは素なのかボケなのか分からんことをするんじゃよな。
「そうか。では引き受けてくれるな? 妾の可愛いリバークロスよ」
「了解致しました。しかし情けないことですが、エイナリンが俺のいうことを聞くかどうかは半分賭けになってしまうのですが」
本来なら部下に命令一つまともにできないのかと叱責を受けても可笑しくない台詞じゃが、エイナリンをよく知っているこの場の誰もが、儂を非難することはなかった。
「どうしても駄目な場合はお目付役をこちらから一魔つけるが、できればリバークロスが説得する形が一番望ましいのじゃ」
「では、もしもの場合は俺が残るというのは?」
いくらエイナリンでも儂を残して呼ばれもしない戦場にはいかんじゃろう。連れて行くことで厄介事が起きるというのであるならば、そうするのが一番のような気がする。
無論手柄を立てる機会が減ってしまうが、今現在の儂の評判を考えると別に焦って武勲を上げる必要もないので、人間と戦ってストレスを増やすよりは自宅待機の方がマシかもしれんの。
そう考えると気持ちがどんどん戦わない方に流れ出し始めおった。しかしそこでマイマザーが、
「それはそれで面倒な事態になりそうなのじゃ。故に残念ながらその案は却下じゃな」
などと言いおった。
ふーむ。シャールエルナールとエルディオンだけでは対処しきれない事態が待っておると言うことかの? そしてエイナリンを連れて行くと厄介な事態と言えばーー
儂の脳裏に銀の槍を手にした男の顔が浮かんだ。
そういうことなんじゃろうか? ならば確かに連れていかん方が良いじゃろうな。
「分かりました。魔王様のため、全力でエイナリンを置いていきます」
「おお、やってくれるか」
「はい。任せてください」
ドン! と胸を叩いてみせる儂。マイマザーは嬉しそうに笑った。
「さすがは妾の可愛いリバークロスじゃ。期待しておるぞ」
「必ずや期待に応えて見せましょう」
などと強く宣言したのは良いが。さてはて、あのフリーダム女が儂の言うことを果たして素直に聞くじゃろうか? ………不安じゃ。