スマダって
スマダって、一体どういう人間なのだろう。
私のクラスには、同じクラスになってから一年以上は経つのに、今でも得体が知れない同級生がいる。
彼の名前はスマダ。去年の四月に入学した時から私と彼は同じクラスに所属していて、だけどお互い、ほとんど言葉を交わしたことが無い。ほとんどというか、所謂全うな会話というものはしたことが無いだろう。
とは言え、同じクラスだからと言って誰とでも仲良くなれるほどの社交性は元々無いし、このままスマダとは会話らしい会話をしないで卒業を迎える気がする。
それにスマダは、彼自身が人と関わろうとはしない奴だ。
一日中ずっと静かで、休み時間になっても誰とも喋らず、お昼ご飯も黙々と箸を動かし、授業が終われば人知れず下校していく。そんな生徒だ。
ただ、妙に感じる部分はある。
彼の毎日の学校生活は、休み時間に読書をしたりケータイで動画やゲームを楽しんだりしているが、それがとても楽しそうに見える。それに、授業で先生から問題を解くように言われてもハキハキと解答するので、先生からも評判が良い。基本的に勉強は何でも出来るし、体育もいつだって成績が良かった。
生活態度や言動からは、決して陰鬱な雰囲気など感じられない。むしろどうして友達がいないのかがよく分からない。嫌われたり避けられたりする要素が何も見当たらないのだ。
ただ、そんな不思議な点も、一年を過ぎれば気にならなくなってしまう。
では何故、今更になってスマダがどういう奴なのかを考えてしまうのか。
それは、ここ最近の放課後にスマダを何度か目撃してしまったからだ。それもただ目撃するのではない。複数回目撃したスマダの姿は、決まって同じ場所へと向かっていたのだ。
「んで、チサの目撃したスマダがどこに向かってたって?」
机を挟んだ対面で、購買から買ってきたパンを食べている友人、ジュンコが訊いてきた。
ジュンコの隣で同じようにジュースを飲んでいるアヤも、少し興味をそそられているように身を乗り出している。
私がスマダを目撃した場所。それは、
「神社なの。ほら、あの高台のところにある」
答えを聞いて、二人は場所を思い浮かべているようだ。
高台にある神社は、学校を出て十分ほど歩いたところにある。人通りの少ない細い道路の片隅に鳥居があり、そこから高台の上まで続く石段を登って行くとある神社で、その石段を登って行くスマダを私は何度か目撃したのだ。
「あの頑固神社?」
「え? 何、頑固って」
「高台の上にホームセンターが出来るってなった時、神社が立ち退きを拒否したって話。新しい立派な御社も建てるし、すんごいお金も払いますって申し出があったのに、どうしても立ち退いてくれなかったんだって」
「でも神社だからねー。バチとかあるんじゃないの?」
「んー、そういうのも気になっちゃったからか、結局神社はそのままで、ホームセンターは神社の裏に造られたんだって。だからあそこ駐車場とか変な形じゃん」
そんな事情があったのは知らなかった。アヤの話に、ジュンコもとぼけた声で「へぇー」と相槌を打っていた。
「話戻るけどさ、じゃあスマダはなんで神社に行ってたのかね?」
それが分からないから、私はスマダの行動が気になってしまったのだ。
弁当を食べながらスマダの席の方を見やると、今はスマダの姿が無かった。
本当に、スマダって一体どういう人間なのだろうか。
その日の放課後、彼氏と早々に帰ってしまったジュンコを除いて、私とアヤは教室でしばらくお喋りをしていた。
話すことと言ったら授業のこと、テストのこと、恋愛のこと。いつも他愛のない、わざわざ放課後に教室でしなくてもいいようなどうでもいいことばかりだ。ただ、もうすぐ夏休みということもあって、無駄にファミレスやコンビニに入ることはしたくない。三人で旅行に行く計画もあるから、なるべく節約をしたいところなのだ。
ふと、昼に話していたスマダのことを思い出し、話題が途切れたタイミングで再びその話の続きでもしようかと思った。
その時だった。
突然教室の引き戸が開いた。私もアヤも、反射的に入り口の方を向くと、私は思わず声が出そうになった。
スマダが入ってきたのだ。
タイミングが良すぎて私の胸は信じられないほどに高鳴っていた。
お互い声を発することもなく、スマダは僅かな間だけ私達を見た後、すぐに自分の机から筆箱を取り出した。どうやら忘れ物を取りに来ただけのようで、スマダはそのまま教室を出て行こうとする。
そこへ、アヤが思いもよらない行動に出た。
「ねえ、スマダ」
「え?」
「あんたさぁ、高台の神社に何しに行ってんの?」
その言葉を聞いた瞬間、私は思わずアヤの口を自分の手でふさいでしまった。間に合うわけでもないのに。
「放課後? 僕が神社に?」
私の手を払いのけ、アヤが続ける。
「そう。神社に向かって石段を上がって行く姿を何度か見てるんだよね」
何故アヤの口を塞ごうとしたのかはよく分からない。反射的に体が動いてしまったのは、何かまずいと思うようなことだったのだろうか。
慌てて動いた自分をスマダに見られたことが、更に私の緊張を高めた。
アヤ、それ以上は言わないで。
「…………僕は別に神社なんかに行ってないよ?」
「本当に?」
「たぶん、人違いだと思う」
そう言ってスマダは微笑んだ。暗さなんて微塵も感じられない、朗らかな笑顔だった。
スマダが教室を出て行った時、私の神経は一気に緊張状態から解放された。額に浮かぶ玉のような汗をハンカチで拭い、バッグに入れていたお茶を一気に飲み干す。
そんな私の様子を見て、アヤが不思議そうに聞いてきた。
「大丈夫?」
「もう! なんであんなこといきなり聞いたの!?」
「えー、だって気になるじゃん。ちょうど昼間の話を思い出した時にスマダが入ってきたからさ」
タイミングの良さは私と一緒だったみたいだ。
生きた心地がしない。何故かは分からないけれど、スマダが神社に向かっていた件については、真相を知りたいと思いつつも近寄りがたい何かを感じている自分がいた。
この件は、忘れた方が良いのだろうか。
終業式の日。
次の日から始まる夏休みに期待を寄せる一方で、生徒達に煙たがられているイベントが一つある。
それは、夏休み明けに提出を求められる“グループ研究”というものだ。簡単に言えば小学生時代の自由研究に置き換えられるもので、私のいるこの学校では一年生と二年生がこの課題の提出対象者で、一人でも良いし、複数人で共同でも構わないから何かしらをやったという成果物を出すことになっている。
真剣に取り組む者もいれば、どこかの本の内容を書き連ねただけで済ませる者もいる。生徒からすれば、力を入れても入れなくても良い適当に済ませられる宿題なので、それがかえって面倒くさいという認識を植え付けているのだと思う。
そんなグループ研究だが、私達のクラスでは思いもよらない人物に注目が集まった。
「おいスマダ! 夏休みのグループ研究、お前今年は何やるの!?」
教室に響く男子の声。スマダの机の周りには、数人の男子生徒が群がっていた。
何事かと思ったが、聞き耳を立ててみれば理由は簡単だった。
昨年の夏休み、一人でグループ研究を仕上げてきたスマダは、『あらゆる素材を利用して精巧な人体模型を製作する』という研究テーマで一時学校中を驚かせた。その完成度の高さに吐き気を催す生徒が続出するほどだった。
そんなスマダの研究にあやかろうと、今年は彼とグループを組みたがる生徒が現れた。
普段は一人でいるスマダの周りに、同じ目的の生徒が数人集まって彼を取り囲む。その輪の中に、ジュンコの姿があった。
ジュンコの隣には彼氏のフクハラがいたので、彼を含む男子連中の目論見に、ジュンコが乗っかったのだろう。
と、思っていたら、ジュンコが私とアヤの方に近づいてきた。
「ねえ、あんた達グループ研究どうするの?」
「どうって…………まだ何も」
そう答えると、ジュンコの表情が得意気な笑みを浮かべる。
「じゃあさ、あんた達もこっちのグループに加わらない?」
「え?」
「スマダの研究だよ! あいつ、今年もまた面白そうなの考えててさ!」
ジュンコの言葉にアヤも少し目を輝かせている。だけど私はと言うと、ちょっとためらってしまう。
「チサはどうする? 入るでしょ?」
「え、でも……それってスマダ一人に研究を任せちゃうようなもんじゃないかなって」
「そんなことないよ、あたし達も手伝うもん。全部やらせようなんて考えてないよ」
ジュンコが笑いながらそう言い、アヤも何度も頷いた。二人とも口ではそう言いつつも、面倒なグループ研究の手間が省けるだろうと、そんな期待を抱いているのが目に見えて分かる。
私だって本音を言えば、面倒なグループ研究も一から考える必要がなくなるわけだし、魅力的な話には聞こえるのだが。
本当は少しだけ怖かった。この間の放課後、スマダに神社の件を訪ねてしまったことがあってから、私は極力スマダのことを考えるのは止めようと思っていたからだ。
別に私自身、何か悪いことをしたわけではない。だが、前にも感じたとおり、スマダが神社に出向いているということは、なんだか触れてはいけなかったような気がしてならない。
プライベートに首を突っ込んだかもという罪悪感ではないし、何に怯えているのかは自分でもよく分からないが、でも、私が神社への道中で見たのは間違いなくスマダだったし、それを彼は「行っていない」と嘘をついたのだ。何かしらの理由があるに決まっている。
答えを出すことに躊躇している私を見かねたのか、ジュンコは眉を吊り上げて「旅行のためにバイトするって言ってたでしょ」と厳しく迫ってきた。確かに、グループ研究なんかに時間を割くのなら、その分バイトに充てたい。
弱気な表情を見せる私を確認すると、ジュンコは「よし!」とだけ言ってスマダのほうに戻っていった。
「ねえスマダ、アヤとチサも加えてよ」
「山口さんと早瀬さん?」
スマダの視線がこちらを向く。
「だめ?」
「…………ううん、構わないよ」
スマダが笑った。
私は、鳥肌が立つ自分の腕を握りしめた
スマダから指定されたグループ研究の実施日。それは、夏休みがちょうど半分を過ぎた頃の深夜の学校だった。
待ち合わせ場所は学校の裏門前。門を抜けると生徒専用の駐輪場がある場所で、日が出ている時ならば夏休み中であってもそこそこの自転車が停まっているはずなのだが、こんな時間では一台も見かけない。当然と言えば当然だが、見慣れないその景色は私の恐怖心を容赦なく煽り立てる。
スマダの研究内容が“学校の怪談”を取り上げるということから、深夜の学校での待ち合わせを指示された。
当然、生徒だけでの行動が許されるはずもなく、宿直の用務員さんとクラス担任の先生が宿直室に控えていてくれるということで、今回の夜間活動が許可された。それも他の生徒には内緒で、スマダの日頃の素行の良さと、昨年の研究成果からくる期待値の高さがあってのことだ。
それなのに、ジュンコ、アヤ、一緒に参加予定の男子達は、スマダが実施日を連絡してきた時に面倒そうな態度で「行かなきゃダメ?」ということを言っていた。スマダの成果に乗っかろうとしていたくせに、あんまりの態度だった。
それに対してもスマダは別段気にすることなく、面倒であれば来なくてよいと、爽やかに返していた。
そして私は正直、その言葉に甘えてしまいたかった。だが、他のみんなに対して抱いたとおり、それはさすがにあんまりだろうと思い、真面目に待ち合わせ場所までやってきたのだ。
一人で待っている時、ケータイにメッセージが届いた。それはアヤからのものだった。
『チサ、もう学校に着いたの?』
何を呑気なことを。私は早く来てほしい旨を返信すると、すぐに答えが返ってきた。
『ごめんいけないごめん』
その文面を見た途端、すぐにケータイをしまった。このタイミングでキャンセルなんてされたら、真面目に来た私が馬鹿みたいだ。今日は返信してやらない。
その時、ちょうど残りのメンバーが到着した。
ジュンコと、フクハラを含む男子が二人。もう一人の男子はやっぱり当日になってキャンセルを連絡してきたという。いい加減な奴だ。
ジュンコもアヤのキャンセルに口を尖らせてはいるが、「まあ仕方ないか」と、あっさり許した。
彼女は彼女で、なんだかんだでこのイベントを楽しみにしてきたみたいだ。だって連れてきた恋人と一緒にこんな肝試し的イベント。単なるデートにしか思っていないのだろう。
「じゃあ今日のメンバーは、スマダ以外これで全員?」
「そういうことだね。で、スマダは?」
一緒にいた男子が、あらかじめ交換していたスマダの携帯番号に電話を掛ける。
するとスマダはすぐに出た様子で、私達に学校の中へ入ってくるように指示してきた。
スマダから指示を受けた通りに、校舎と体育館を結ぶ連絡路に向かう。すると、電話で言っていた通り、校舎に入るドアの鍵が開いていた。
「なんかこわーい。ねえ、先に入ってよ」
ジュンコとフクハラのやりとりを横目で見ながら、私は最後尾について校舎へと入っていった。
今までありそうでなかった、初めて入る夜の校舎。こんな時間に学校へ来るなんて考えたこともなかった。
妙な言い方かもしれないが、学校という場所が同級生や他学年の生徒で賑わうということは、実はすごくありがたいことなんだと感じる。誰もいない学校はなんだか生気が感じられない。生徒や先生達の存在こそが学校の血流であるならば、深夜の学校は死体のようだ。
私は今、死体の中を歩いているのか。怖くて当然だ。怪談話などが生まれるのも納得のいく話だ。
スマダが指示した場所は三階の一番端にある教室。普段は二年一組、そう、私達の教室だ。
二年一組を目指して歩いていくと、途中でいくつもの教室を通り過ぎるのだが、どの教室もきれいに戸締りがされていて、小窓から中を覗いてみても真っ暗で何も見えない。
「中、真っ暗だね。何も見えない」
ジュンコが小声で言う。
「そりゃあね。むしろ見えたら困るんだけど」
私の言葉に、誰もが頷いた。
階段を上がって二階に差し掛かると、ジュンコが足を止めて前方を指差した。
「ねえ、あの教室だけ扉が開いてるんだけど」
「ちょっとやめてよ!」
思わず声を大きくしてしまったが、私も前方を確認したからジュンコが悪戯に言ったわけではないのだと知る。
確かに、一室だけ扉が開いている教室がある。
男子が面白がって中を覗くと言い出すので、私とジュンコは揃って止めた。
「どうしても行くならあんた達だけで見てきなよ!」
デートのつもりで来たはずのジュンコだったが、今ではすっかり怯えてしまっている。でもそれは、私だって一緒だ。
男子二人が恐る恐る教室を覗きこんだものの、二人は暗い中で薄笑いを浮かべながら何もなかったことを伝えてきた。
「だから! あったら困るんだってば!」
私達四人は、再び階段を上がっていくと、三階の一番端にある教室、二年一組から蛍光灯の光が漏れていることに気付いた。
こんな真っ暗な中で見る、唯一の明かり。これほどまでに照明を嬉しく感じたことはない。
光を見るなり、私達は自然と足を速めた。
教室の扉に手をかけ、あえて大きな音を立てて引き戸を開ける。聞き慣れた扉の開く音は、まるで別世界からいつもの場所に帰ってこられたみたいで安心感があった。
「あー怖かったぁ!」
ジュンコの第一声に、みんなも次々と言葉を続けた。
「もうなんかこれで充分かも。帰りたぁい!」
思わずそんなことを私も言っていた。
そして教室を見渡して、スマダの姿が無いことに気付く。
「あれ、スマダいないじゃん」
「…………トイレじゃないの?」
「でもさ、トイレって電気ついてた?」
そんなことを聞かれても、どうだったか分からない。ただ、階段のすぐそばにトイレはあるはずだから、電気が点いていれば分かるはずだ。
「ちょっともう変なこと言うの止めよう。ねえ、スマダに電話して早く終わらせようって言ってよ」
ジュンコの指示に男子が従おうとしたその時、突然教室の扉が開いたので、私とジュンコは思わず悲鳴を上げた。
開いた扉からは、スマダが一人で入ってきたところだった。
「ごめん、待たせた?」
「ちょっとスマダ! 驚かすなよぉ! どっか行くんだったら連絡ぐらいくれてもよかったじゃん!」
ジュンコの声は、少し本気で怒っているようだった。
「ちょっとトイレに行ってたからさ」
「トイレって…………こんな暗いのに全然怖くなかったの?」
私だったら絶対に無理だ。スマダは意外と度胸があるのだと感心する。
「暗いって言っても、明かりも点けないでってわけじゃないんだし」
「…………トイレ、明かり点けてた?」
「そりゃあね。何も見えないのに用はたせないから」
じゃあ、やっぱりトイレは電気が点いていたのだろう。私は自分が勘違いしていたのだと、無理やり納得した。
「ねえスマダ。さっさと研究やっちゃおう。私早く帰りたい」
ジュンコの自分勝手な発言も今は少し嬉しい。私も早く帰りたかったからだ。
「分かった。じゃあさっそくやろう」
そう言ってスマダは、教室の片隅を指差して言った。
「実はそこに、一人の女性が立っているんだけれど」
「…………え?」
私達はスマダの言葉が理解できずに固まった。
見たところ、私とジュンコと男子が二人とスマダ。この五人しかいない教室の片隅を指差して、もう一人いるという。
「今年の研究テーマは学校の怪談ってことなんだけれど、この学校にいる幽霊とかが一体どうやって学校の怪談となったのかを調べていこうかと」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 何今さらっと変なこと言ってんの!?」
ジュンコの絶叫が、スマダの解説を止めた。
私は、先ほどスマダが指差した方向に視線を向けたまま動けなくなっていた。彼が指差したところには、何かがあるようには見えない。
スマダには一体何が見えているというのか。
「ビビらせるつもりで言ってんの!?」
「え、っと…………いや、僕はそんなつもりじゃ」
「あんたの指差したところなんて何もいないじゃん!」
「みんなに見えるわけじゃないのは分かってるから、基本的には僕が」
「もういい!」
ジュンコが勢いよく歩いて教室を出ようとした。
「ジュンコ! どこ行くの!?」
「帰るの! 行くよ!」
ジュンコに続いて、男子二人も動き出した。
私も。置いて行かれたくない。
三人の後に続いて教室を出ようとした時、スマダの声が私に投げかけられた。
「教室を出ていくの?」
いい、止まってやる必要なんてない。こんな不気味な奴と二人っきりで教室に取り残されるなんてゴメンだ。
「気を付けてね。下の階の教室にもいるから」
この言葉を聞いて、どうして私は足を止めてしまったんだろう。構うことなく教室を出てしまえば良かったのに。
だけど瞬間的に思い出してしまったのだ。下の階でたった一室だけ、扉が開け放たれていた教室を。男子が覗いた時に何もなかったと言っていたのだから、私だって何も見えないはずなのに。ただ、あの教室だけ戸締りを忘れていただけかもしれないのに。
「ス、スマダ…………あんたって、そういうの見えるの?」
「…………みんな、グループ研究に手を貸してくれるんじゃなかったの? まあ、元々一人でやるつもりだったからいいんだけど」
私の質問に答えない代わりに、スマダは笑いながら私に近づいてきた。
「早瀬さんは手伝ってくれる?」
動け、私の体よ動け。
手伝う必要なんてない。手伝いたくない。元々一人でやるつもりだったのなら、一人でやってくれれば良い。
スマダの体が私の体から一メートルも離れていない距離まで近づいてきた。もはや、脳の指令に反して体が逃げることを諦めてしまったかのようだ。
私が逃げられないことを確信したのか、スマダは笑みを強めながらポケットからとんでもないものを取り出した。
それは手錠だった。
信じられない。そんなものはドラマでしか見たことないし、これから自分の身に何が起こるのかと考えると、心臓が張り裂けそうだった。
見えない幽霊なんかよりも、今はスマダの方が何倍も怖い。
「早瀬さん、協力してほしいんだ」
「…………い、いや」
絞り出したのはたったの一言。きっと先に逃げたジュンコ達が、先生に事情を報告に行ってくれるはず。
それを願うしかない。
後ろ手で手錠をかけられた私は、スマダに連れられて深夜の校舎内を歩いた。
そこは、あの扉が開いていた二階の教室。
「ス、スマダ、ここは別の幽霊がいるってところじゃ」
「ああ、あれ? あれはデタラメ。この階にはいないよ」
“この階には”? じゃあ、やっぱり二年一組の教室には間違いなく女性がいたというのか。
「ね、ねえ。冗談はやめてよ。どうしてこんなことするの?」
「研究だって言ったじゃないか」
「だって…………私を捕まえてなんの研究を」
「学校の怪談」
こいつ、わけが分からない。ただただ気持ち悪い。
スマダに何をされるのかが怖くて仕方がない。いつの間にか私の目からは涙が流れていた。だが、同時に怒りも湧いてきた。
もしかしたらとんでもない変態かもしれない。冗談じゃない。こんなやつに好き勝手させてたまるものか。
スマダは私の体を教室の椅子に座らせ、さらに手錠を取り出して椅子につないだ。
こいつ、こんな学校の中で変態行為なんてしたら、すぐに警察に突き出してやる。泣き寝入りなんてするものか。必ず突き出してやる。
私を椅子に繋いだ後、スマダは教室後方のロッカーから、あらかじめ閉まっておいたのであろうボストンバッグを持ってきた。ずいぶん重量がありそうだ。
「僕って、幽霊が見えるのは本当なんだよ」
突然の言葉に、私はなんて答えたら良いのかが分からないでいた。
「上の教室で女性が立ってるって言ったのも本当。まあ女性と言っても、僕たちと同い年だけれど」
精一杯の強がりのつもりで、私は言葉を発した。
「あ、あんた…………何をするつもりなのよぉ」
出た言葉は震えていた。強がりになんてならない、弱々しい声だ。
「研究」
スマダはバッグを開けた。
「気になっていたんだ。昔から僕は幽霊と呼ばれる存在が見えていたんだけれど、幽霊ってどうやって生まれるんだろうって。だっておかしいじゃないか。昔から原始人も、縄文人も侍も、たくさんの人が死んでいるのに、目撃される幽霊とかってほとんどが現代人だ。それに僕が見る幽霊には、致命傷となったであろう傷を負ったままの姿だったり、きれいな恰好でいたり。実に様々だ」
バッグに手を突っ込んだスマダが、ガチャガチャと道具を取り出し始めた。
ノコギリ、万力、ハンマー、釘箱、ペンチ、いろんなものが出てくる。
ああ、なんとなく分かった気がした。
「不思議だよね。死んだときの姿で幽霊になるのか、それとも記憶のイメージで固定してしまうのか。それをね、研究したいんだ」
私は分かってしまった。
私は、神社に向かって歩くスマダを今まで何度か目撃した。
でも、そうじゃなかったんだ。
こいつは神社に向かっていたんじゃない。
神社の脇を抜けて近道をしていたんだ。
行先は、神社の裏にあるホームセンター。
目の前に並べられた工具には、すべて同じロゴの入った値札が貼ってあった。
「…………なんで」
「ん?」
「なんで私なの? 私、あんたとそんなに仲良くないけど…………そんなに喋ったこともない」
「そうだね」
「こんなことされる理由なんてない」
スマダは相変わらずの笑顔だった。
「理由なんてない、その通りだ…………だからさ、理不尽な方が成仏せずに地縛霊になりやすいんじゃないかと思って。僕なりの仮定を確かめてみなくちゃ」
悲鳴を上げるよりも早く、ガムテープが私の口を塞いだ。
これで準備が整ったようだ。
この教室には幽霊なんていない、デタラメだとスマダは言っていた。
だがそのデタラメは、私によって現実となるのかもしれない。
それから二日後。
顔見知ったクラスメイトが、みんな暗い顔をしていた。泣いている子もたくさんいた。
私の机の上には花が置かれていた。
そして、アヤの机の上にも。
私はスマダのことを憎らしい表情で睨みつける。
すると、スマダが私に視線を向けて、こっそりと微笑むのだ。殺してやりたい。
次にスマダは、教室内の片隅に視線を送る。その視線の先には、全裸で立ち尽くしながら泣いているアヤがいた。
そう言えばアヤからは、最後にメッセージが届いたんだっけ。
あの晩の翌朝に見つかった状況はこうだ。
二階の教室には私の遺体。そして宿直室にはおぼろげな記憶しかない泥酔状態の担任教師と用務員がいて、二人の傍には裸にされたアヤの遺体があったという。担任教師と用務員はかけられた容疑を否認中。
あの時の男子達はというと、俯いた二人から話を聞き出そうと一人が傍に張り付いている。
私が知ることのできた情報はこれだけだ。
私はもう一度スマダと目を合わせた。
スマダ、一体どこまでがあんたの仕業なの? 全ては誰かの企みによるものなのか。それとも複数の事件が重なっているのか。
少なくとも分かったのは、ジュンコは逃げた後、教師のもとに駆けつけるでもなく、本当に一人で逃げたという事実だ。
自分の席で激しく泣いているジュンコを見て、私はついつい呟いてしまった。
“あんたもこっちにおいで”と。
<了>
夏のホラー2015 企画投稿作品




