Order.05 Hound Dog
場所は戻り、『インペリアル・アーム』本社ビル。表面上は平静を装いつつ、有澤 達也こと戒斗は社内の廊下を足早に進む。時折すれ違う一般社員は見慣れぬ彼の顔に若干の違和感を抱きつつも、特に気にする様子も無く自らの仕事へと向かっていく。良い兆候だ。大して怪しまれることも無く、首尾よく潜入出来ている。
さりげなく周囲に気を張りつつ、戒斗は敢えて階段にて上階を目指す。極力人目を避ける為だ。最悪誰かとすれ違ったとして、健康の為だとか適当に口から出まかせを言えば誤魔化せるだろう――尤も、勘の良い奴だとしたら、その場合は不本意だが黙らせる他ない。どれもこれも、イレギュラーが重なりすぎた故の弊害だった。
瑠梨が事前にネットワークに潜り込み手に入れた情報、そしてビルの図面とで照らし合わせた結果、機密情報管理のローカル・ネットワークへと接続できるコンピュータは二十五階の社長室の常備品と彼の私品、及び一つ下の二十四階の研究フロアにある物のみ。社長室へと潜り込むのは些かリスクが高すぎると判断した戒斗は、とりあえずの目標として研究フロアを目指すこととした。
「リサ、二十四階の人気はどうだ」
≪そこそこ、ってとこだな。確実に徹夜明けのモヤシが、此処から見える限りで十何人≫
階段を登りながら無線機に問えば、帰ってきたリサの回答はあまり聞きたくは無いモノだった。其処に居る人間の数が多ければ多いほど、発覚のリスクは大きくなる。現在時刻は午前八時十分。出勤時刻より少し早く、それ故の人気の少なさを狙ったのだが……少々迂闊だったか。研究者という生き物、どうやら夜を徹した作業が随分お好みらしい。
戒斗は軽く舌打ちしつつ、足早に階段を駆け上がる。彼が昇り始めたのは二十階。たかだか四階分程度なら、そう息が上がることも無い。
ドアノブを軽く開け、周囲を見渡す――人気は無い。隙を突いて戒斗は素早くフロアへと足を踏み入れる。後ろ手に階段へと続く鉄扉をゆっくり閉め、一息間を空けると、あくまでも平然を装い歩き出す。
(チッ……)
顔に出すことは無かったが、大きく舌打ちでもしたい気分だった。
情報には聞いていたが、研究室入り口はIDカードで管理されたセキュリティ・ゲートで守られている。全面ガラス張りの扉だが、どう見ても強化ガラスだ。仮に派手に突っ込むとして、手持ちの.357マグナム・ホローポイント弾では到底ブチ抜けそうにない。警備員こそ居ないものの、厄介な状況に変わりは無かった。
「ベクター・アルファよりベクター・マム。研究室の例の扉前へ到達した。一応聞くが、セキュリティは破れるか?」
≪出来ないとは言わない。でも警報作動まで時間を稼げて、精々十五分ってとこ。それだけの間にデータを吸い出して脱出は事実上不可能ね。例えアンタだとしても≫
コールサイン『ベクター・マム』こと、上空の無人偵察機、MQ-1プレデターを経由した遠隔にて作戦行動の支援に当たっている瑠梨の言葉に、戒斗は歯噛みをした。
「なら、やはり」
≪ええ。当初のプラン通りにやって頂戴。監視カメラの映像ぐらいなら騙せるから≫
瑠梨の言葉に戒斗は頷くと、ある程度警戒しつつも、一応平静を装いながらゲート付近へと歩いていく。そして、
「おや、営業の方?」
白衣を羽織った、三十代程度の研究員にそう話し掛けられた。
「え、ええ」
内心では毒づきつつも、彼の話に合わせる戒斗。
「こんな所まで。何か用事でも」
「あー……はい。先程上司から書類を預かりまして。こちらまで持って行くようにと」
完全に口から出まかせな言葉を吐きつつ、戒斗は素早く周囲の様子を探る。周りに人気は無い。自分と研究員の二人きりだ。精々問題とすれば監視カメラだが……
≪――監視カメラ、オールクリアよ。好きなようにやっちゃいなさい。但し、静かにね≫
耳のインカムから聞こえる、瑠梨の声。監視カメラをダウン。同時に回線へと偽の映像を流し込むことに成功したようだ。
(流石の手際の速さだぜ)
「私ではゲートは通れないので。よろしければこちらをお願いできますか?」
心の内で彼女の腕の良さに感謝しつつ、半ば押し付けるように持っていた鞄を研究員に押し付ける戒斗。
「べ、別に構わないけど……鞄ごとかい?」
「はい。それごと渡されたので。中身は見るなとのことですが」
不審がりつつも、戒斗の言葉を了承し、彼に背中を向けた研究員。それが――命取りだった。
「ガ――ッ!?」
「……安心しな。命までは取るつもりねーよ」
彼が視線を外した、その隙を突き戒斗は瞬く間に背後から研究員の身体を拘束。呟きながら、研究員の首元へと回した腕で頸動脈を圧迫。数十秒の後に研究員の意識は陥落した。
「悪いねぇ。騙したりなんかしてよ」
気絶した研究員の身体を手早く引きずりながらそんなことを呟きつつ、目立ちにくい物陰に隠す戒斗。
「あったあった。貰ってくぜ」
彼が首から下げていたIDカードを剥ぎ取り、鞄を拾い上げると戒斗はセキュリティ・ゲートの前へ。たった今盗み取ったIDカードをリーダーに通す。後はコイツが有効かどうか、祈る他に無いが……。
「オーライ。どうやら今日はツイてるみてぇだ」
ピーッ、と高いピープ音を鳴らし、開くセキュリティ・ゲート。用済みのIDカードを投げ捨てつつ、戒斗は研究室へと急ぐ。ここからは時間と腕の勝負だ。今までと違い、見つかったら速攻でアウトなのだから。
手近な部屋へと入り、中腰姿勢で物陰から物陰へと縫うように速く、しかし足音を極力立てないようにして奥へと進んでいく。ここまで人影は無し。しかし、
「チッ」
戒斗が隠れる部屋の一つ向こう。丁度目的としたコンピュータが置かれている大広間のような研究室。机の上に大量の資料や実験器具の置かれ雑多とした印象のその部屋には、多数の研究員が詰めていた。その数、見えるだけで十二人。
「やるしか無ぇってか」
軽く溜息を吐き、戒斗は進む。幸いなことに研究員達は皆徹夜明けのようで、何処か眠たげで注意が散漫だった。これなら何とか潜り込むことも可能ではあるだろう。
狙うのはリスクの最も低い、一番手前にある机のパソコン。距離にして十mと少し。その間に研究員は――たったの一人。
(問題にはならんか)
足音を殺し、足早に忍び寄る戒斗。障害となる、椅子に座ったその研究員。どうやら殆ど眠っているような状況で、椅子の背もたれにだらしなく身体を預ける彼は、今にも意識が飛びそうになっていた。
彼の背後へと素早く忍び寄り、一度周囲に人の目が無いことを確認してから、先程と同じ方法で戒斗は研究員の意識を堕とす。
(良い夢見るんだぜ、科学者さんよ)
元々意識朦朧としていたからか、堕ちるまで十秒も掛からなかった。意識喪失した彼を自然な形で椅子に預け、戒斗は素早く机の前へと駆け寄る。
「これはこれは……」
物だらけで雑多とした机の中央に置かれた、恐らくは社からの支給品であるデスクトップPC。そのディスプレイに映し出されていた画面は、だらしのないことに未だローカル・ネットワークへとログインしっ放しだった。よっぽど眠かったのだろう。本来なら咎められることなのだが、今の戒斗からしてみればありがたいことこの上ない。ログインのセキュリティを破る手間が省けるだけ、瑠梨が情報を持ち去る時間は短くなるのだから。
タワー型のコンピュータ本体、そのUSBポートへと、戒斗は鞄から取り出した少々大きめな機器を接続する。
≪――ベクター・マムよりアルファ。ローカル・ネットワーク接続コンピュータとのリンク確立を確認したわ。これから介入に入るから、暫く待ってて≫
瑠梨の方で既に把握したらしく、インカムからその言葉が聞こえると同時にディスプレイに現れる幾つもの謎めいたアプリケーション。彼女がネットワークへの本格的な介入を開始したことの表れだった。それらのウィンドウは十秒ほど映し出されていたが、偽装の為かすぐに消え失せる。
(暫く待て、ったってよ……)
とりあえずは机の下へと隠れ、気絶した研究員の座る椅子を軽く引き寄せて壁代わりにした戒斗は、内心で呟く。
(…………この状況で、普通ンなこと言えるか?)
正直な話、冷や汗ダラダラだった。
周囲には徹夜明けで精細さを欠いているといえ、今の戒斗にとっては『敵』である研究員が十数人。自分が隠れるのは机の下と、小学生レベルの頼りない場所。しかしトンズラは許されず、瑠梨の情報工作が終わり次第機器を回収せねばならない。いつどんなイレギュラーが起こるか分かったもんじゃないこの状況。さっさと帰りたい。
そうして、五分ぐらいが経過しただろうか。半分ほど終わったと瑠梨の報告が聞こえた直後ぐらいのタイミングで、こちらへと近づいて来る足音を戒斗の耳はハッキリと捉えていた。
(――ッ!)
「なんだ相沢、寝ちまったのか?」
研究員の一人が、先程戒斗が黙らせた研究員――相沢という名前らしい彼に語り掛けていた。微かに見える足先から距離を目測で図る限り、隠れる戒斗との距離は僅か二mにも満たない超至近距離。
「ったく、仕方ねえ奴だ」
半分笑いながら言うと、研究員は立ち去ろうとする。とりあえずの危機が去っていくことに、戒斗はホッと胸を撫で下ろす気持ちだった。だが、
「あっ」
カラン、と何かが落ちる音。それはボールペン。戒斗からもハッキリと見える。研究員が落としたのだろう。と、いうことは即ち――
(冗談だろ……んの野郎、クソッタレッ!!)
拾い上げる動作を見せた研究員に、目撃される可能性が高いということ。
戒斗は内心にて毒づきながら、背中のホルスターから素早く回転式拳銃のM686を抜き放つ。万が一の場合は、大変不本意だが……プランBに変更するしか方法は無いッ!
「あーあ、落としちゃったよ」
独り言をブツブツと呟きながら、自らの落としたボールペンを床に跪き拾い上げる研究員。その横顔を戒斗はハッキリと、M686の照門越しに見てしまう。
(……ッ!!)
無骨なステンレス・フレームから生える引き金に掛けた人差し指へと、自然に力が籠もる。
「ったく……」
しかし、それは取り越し苦労に終わった。どうやら相沢と同じく寝不足らしい彼は戒斗の姿に気付く素振りも無く、ただボールペンを拾い上げるだけ拾い上げると、そのまま何処かへと歩いていってしまった。
(はっ、はははっ……)
最悪の危機を乗り越えた安堵と共に、ドッと全身から脂汗が滲む。バックマイヤー製のラバーグリップを握り込んだ手の力が緩み、思わずM686を取り落しそうになった。
≪吸い出し完了。撤収していいわよ≫
緊張の糸が完全に途切れた手でM686を背中のホルスターに戻すのと時をほぼ同じくして、瑠梨のそんな声が聞こえた。
周囲を警戒しつつ、戒斗は机の下から這い出るとタワー型の本体から機器を回収。スーツジャケット左側の内ポケットへと収めると、さっさと出ていきたいと言わんばかりの早足で研究室から一目散に退散していった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
セキュリティ・ゲートを潜り抜け、一応の安全地帯である階段出入り口付近に辿り着いた途端、緊張から漸く解き放たれた彼の肺が空気を求めるかのように喘ぐ。
「はぁ……ベクター・アルファからベクター・マム。撤収完了だ」
≪はいはい、お疲れ様。流石に慣れてるだけあるわね≫
「もう……二度と……やってやるかってんだ、畜生……!」
≪? 何かあったの?≫
「何でもねえよ、馬鹿野郎……今から帰る。どうやらドンパチは無しで済みそうだ」
漸く呼吸のリズムが整ってきた戒斗は閉店気分でそう言うが、対して瑠梨の言葉は未だ一抹の緊張感に包まれていた。
≪……いや、そうでもないわよ≫
「何?」
≪少し前、丁度私が吸い出しを終わらせる少し前ぐらいね。妙な連中の来客があったみたい≫
「……詳しく聞かせろ」
≪彼らは『アームズ・セル』を名乗ってる。アンタでも聞いたことあるわよね≫
ああ、と戒斗は神妙な面持ちで瑠梨に肯定する。
『アームズ・セル』――その名にはL.A.時代に聞き覚えがあった。主に兵器関連の血生臭い商取引を行う、まあ代理店のような連中だったと記憶している。尤も、軍需産業なんて大層なモノではなく、単なる仲介業者……正しく武器商人なんて言葉が丁度良い連中だが。一応表向きには海運業を営んでいることになってはいるが、連中が武器商人というのは戒斗を含め傭兵連中の間では周知の事実だった。
≪訪問者の名前はデータベースの記録だとウィリアム・デリット、そしてハリー・メイソン。両方アメリカ国籍ね。一応監視カメラの画像送っておいたから≫
瑠梨の言葉に従い、戒斗はスマートフォンを取り出し、送られて来たメールに添付してあった画像ファイルを開く。
そこに映し出されていたのは二人の白人。片方は金髪に灰色のスーツ、もう片方は茶髪に眼鏡という出で立ちであった。
「……コイツら」
≪ええ、アンタの思う通り。どう見ても堅気じゃないわよ、ソイツら。私から見ても分かるもの≫
その画像を見て戒斗が思ったことは、どうやら瑠梨とて気付いていたらしい。
雰囲気が、似ていた。戒斗がL.A.に居た頃何度も遭遇しては命のやり取りを交わした、彼のような傭兵――灰色の住人とは違う、正真正銘骨の髄までドス黒い裏側の、暗闇の住人のソレと。
「茶髪の方、こっちは相当にヤベぇな」
≪そうかしら。私にはそこまで分からないけど≫
「ああ。顔付きから滲み出てる雰囲気がヤツそっくりだ」
≪……浅倉のこと?≫
「正解だ瑠梨。コイツの雰囲気は……殺しを愉しむ節がある、正真正銘のイカれ野郎だ。それに」
≪それに、何よ≫
「眼鏡が異様に似合ってねえ」
≪……ぷっ≫
割と真面目に言ったつもりなのだが、戒斗の言葉を聞いた途端何故か笑い出す瑠梨。「何か俺、気の狂ったでも言ったか?」と戒斗。
≪いやいや……ぷぷっ、そんなことないわよ……アンタの言葉、妙に共感できたってだけ。はーおっかし≫
いや、実際全く似合ってないというか、不自然だっただけなのだが……。
≪まあいいわ。話を戻しましょう――その妙な連中はエレベータで社長室に上がって、丁度会ったとこみたい≫
「楠のヤローにか?」
ええ、と瑠梨は戒斗の言葉を肯定する。
向こうの武器商人である『アームズ・セル』の奴が、市場参入を目論む『インペリアル・アーム』の社長である楠と直に接触を行う。その事実から戒斗の脳裏に思い浮かんだのは、最悪の二択。
『アームズ・セル』が本気で『インペリアル・アーム』と手を組むつもりか、そうでないとしたら――――
「奴ら……早速火薬庫に火を放つ気かッ!?」
――『インペリアル・アーム』を現段階で始末してしまうか。
≪その可能性は限りなく高いわね。今現在『アームズ・セル』が『インペリアル・アーム』と手を組むメリットは、あまりにも薄すぎる≫
「クソッタレ……なんてこった! こうなったら今すぐに連中を――」
≪待ちなさい馬鹿。今アンタが行ったら逆に事態がややこしくなるわ≫
「だったらどうしろってんだ! このまま指を咥えて傍観者を決め込めってのか!?」
≪そうじゃない。アンタにはこのまま一旦情報を持ち帰って――いや、ちょっと待って!≫
唐突に瑠梨は驚愕の色が滲み出た声で会話を切ってしまう。「何かイレギュラーでもあったのか!?」と戒斗。
≪……ええ。イレギュラーもイレギュラーよ。第三者の介入だわ≫
「何だって?」
≪黒いSUVが三台地下駐車場に。そこからスーツ姿のまま完全武装した連中が、約一個小隊ぐらいの人数が出てきたわ。屋上にもヘリが一匹。こっちからも同じね≫
「冗談だろ――!?」
戒斗の全身に、稲妻のような戦慄が駆け巡る。
ここの、このタイミングに来ての武装集団の介入。まさか、別の武器商人がもう仕掛けて来やがったのか……ッ!?
≪あー、あー。ベクター・チャーリーからも一応報告。こっちでも見えた。ヤベェぞアイツら。素人じゃねえ≫
狙撃支援チームであるリサの言葉が、それを決定付けた。彼女が只者じゃないとまで言うとなると、恐らくは軍人崩れか何かなのか?
≪ベクター・ブラボー小隊。こちらでも確認出来た。アレは……屋上のヘリから出て来た奴らの部隊章、見覚えがある≫
遥と共に近くにて待機している西園寺グループ民間軍事部門のオペレータ――確か、ダニーとかいう黒人の男だったか――の声は、微かにだが震えていた。「何だ!? 何処の部隊だッ!?」と戒斗は声を荒げる。
≪ああ……ありゃ十中八九、『ブラック・ウィドウ』の連中だ≫
……益々状況は最悪になってきた。
『ブラック・ウィドウ』。その名は戒斗とて聞いたことがある。比較的古くから存在している民間軍事企業――PMSCsの一つであり、元軍人や、少数の元特殊部隊員などを多数抱えている、数多のPMSCsの中でも指折りの実力と実績を持つ連中だ。そんな物騒極まりない連中が、どうやって日本国内に潜り込んだかは知らないが……少なくとも、今このビルは国内最大の危険地帯、グラウンド・ゼロと化しているのは間違いない事実であった。
「クソッ……! なんてこった!!」
≪待って――奴らの動きがおかしい≫
「何だ! 一体何がおかしいってんだ瑠梨!!」
≪奴ら、半分以上が社長室の方に向かってる……?≫
「当たり前だろうが! 奴らの狙いは楠の命なんだからよッ!」
≪違う違う! 近辺を制圧する気配も無いのよ。それっておかしくない!?≫
――冷静に考えてみれば、確かに何かおかしい。
『インペリアル・アーム』を武力を以て壊滅させるのであれば、本当に極端な話ビルごと爆発四散させればいいのだ。そうでなくスマートな手段を取るとしても、再起不可能な程に痛めつける――重役の暗殺、及び企業機密の奪取もしくは破壊を行うはずだ。しかし、瑠梨の言葉によればその気配も無い。一体どういうことだ?
≪ちょっと……一体何の冗談よ、これ!?≫
「何があった!?」
≪『ブラック・ウィドウ』の連中……取り囲んだわ、『アームズ・セル』の社員を≫
……何だって?
「つまり、連中は『インペリアル・アーム』の飼い犬だってことか……?」
≪多分、ね……って、えぇぇ!?!?≫
「オイコラ瑠梨! 今度は一体何だってんだ!?」
素っ頓狂な声を上げた瑠梨に怒鳴りつけつつ、既に戒斗は階段を駆け上がり始めていた。
≪『アームズ・セル』の連中……なんかドンパチ始めたわ……≫
「もう訳分かんねえよ、ああクソッ!!」
そして、戒斗は社長室の扉を蹴り破る。
狼狽える社長の楠と、黒いスーツを身に纏い、楠の身を護るように周囲を取り囲んだPMSC『ブラック・ウィドウ』のオペレータ達。その手に握られているのはベルギー製PDWのP90や、ドイツ製短機関銃のMP5A5。その他数多くのヨーロッパ製高級銃器達の銃口全てが、『アームズ・セル』の社員と思われる二人を捉えていた。
しかしその二人、先程の画像で見た外見とは大きく異なっている。彼らの手には無骨な回転式拳銃S&W M586、そして6インチモデルのコルト・パイソンがそれぞれ握られており、
「……おいおいおいおい、こんなとこまで来て、死んでくれるか? だってよ」
「ハッ、笑えるなァ。そのクソ面白くねぇジョーク」
「ま、バレちゃしょうがねぇか」
翻したジャケットの後ろから戒斗の抜き放った、銀色の回転式拳銃、S&W M686。その銃口が捉えたのは――
「あっ、あ……アールグレイ・ハウンドに……き、キッド・マーキュリーだとッ!?」
「Shall we dance, baby?」
彼らの姿を見た途端、顔を青ざめる楠へと突き突けたM586の撃鉄を、不敵な笑みを浮かべて立てる彼の男の名は”死の芳香”、『なんでも屋アールグレイ』ことアールグレイ・ハウンド。
「なんてこった……! よりにもよってテメェか、アールグレイ・ハウンド……ッ!」
その名は戒斗にとって最も想定してはならない、いや想定したくもない、ある意味で最悪の男の名だった。