Order.19 奪い取れ、目覚める本能のままに
「ヒャア!!」
手にした大柄なドイツ製短機関銃、UMP-45の引き金を引き絞りフルオートにて9mm弾をバラ撒きながら、キッドは横っ飛びに走り出した。
「おっと、そう簡単には」
対する麻生は一度両腰の古式めいた黒染めのガンベルトに自前の大口径回転式拳銃のタウラス・レイジングブルを戻すと、その両腕を身体の前でクロスさせ防御姿勢。それと同時に、彼の両眼を置き換える形で仕込まれた義眼を起動。虹彩を模ったカバーが開かれ、迫り来る数多の弾道を予測。その中で実害のあるモノだけを瞬時にピックアップし、両腕の装甲で以て弾き返す。
「慌てんなよォ……お楽しみはこれからだァ」
防御に専念せざるを得ない麻生が動けないのをいいことに、キッドは弾倉を素早く交換。景気よく9mmルガーのホローポイント弾をバラ撒きながら、倉庫上層キャットウォークへと通ずる錆びついた階段を駆け上がっていく。
「お楽しみ、ですか」
しかし麻生は呟きニヤリと口角を吊り上げると、弾切れによって弾幕の途切れたキッドの隙を突いて、弾痕だらけでボロボロになったロングコートを脱ぎ捨てた。
「精々楽しませてくださいよ、キッド・マーキュリー」
その下に身に着けていた黒いタンクトップ。そこから垣間見える彼の両腕は幾多の着弾の代償として人工皮膚の大半が剥がれ落ち、彼の義肢の本来あるべき姿である、白銀の地金がその煌めきを覗かせていた。
「でなければ――」
そして、膝立ちになって一度床に片腕を突き立てると、麻生は飛び上がった。
「あの男を僕が譲ってやった意味、無くなってしまうじゃないですか」
麻生は突き立てた腕――いや、義腕に施された強化型人工筋肉の驚異的な出力を以て、床に当てた掌を起点とし文字通り飛び上がったのだ。
その行動はもとより、彼の飛ぶ高さすらも常識では考えられない。階段を漸く昇り切り、やっとのことでキャットウォークに片足を踏み出したキッドのすぐ目の前へと、麻生はひとっ飛びにて着地を果たす。
あまりに常識外れなフィジカル。幾多の死線を潜り抜けてきたキッドとて、これほどまでに常識の通用しない相手は見たことが無い。
「そうは思いませんか? キッド・マーキュリー」
「ヘッヘッヘッ……テメー何て奴だ。出来の悪いムービー・ショーじゃねェんだぜ」
「その減らず口、いつまで持つか見物ですね」
着地し、すぐさま麻生は両腰のガンベルトよりタウラス・レイジングブルを抜き放つ。黒染め革のホルスターから巨大な得物を抜き放ちながら、クイック・ドロウの要領で左右両方の撃鉄を起こし麻生は発砲。
麻生の手にした一対の肉厚すぎる銃身より放たれた、.500S&W――あの.44マグナムや.454カスール弾すら凌ぐ、規格外な二発の超・大口径マグナム弾は真っ直ぐにキッドの元へと駆け抜けていく。
仕留めた――ッ!
これだけの近距離だ。まず僕が外すことなぞ、まず無い。
重い感触の引き金を両の人差し指が引き切った瞬間に、既に麻生は早々にして己の銃弾が目の前の敵を屠ったことを確信していた。
だが、しかし。
「ヒャアッ」
麻生の手にしたタウラス・レイジングブル。その銃口より花火と見紛う程に派手すぎる発砲炎が瞬くと同時。いや、ほんのコンマ数秒前――。キッドは思い切ってその身を大きく捩った。
彼の眼前を通り過ぎていく、超・大口径のマグナム弾。最早野生動物と同等か、或いはそれ以上にまで研ぎ澄まされたキッドの五感と、幾多の鉄火場を潜り抜け培った野生の勘。それらが、音の壁を突き破って迫り来る、当たれば即、死に直結する最高クラスの拳銃弾を彼に躱させたのだ。
「冗談でしょう――ッ!?」
「おおっとォ。お胸がお留守のようだぜェ、クソガキッ!!」
身を大きく捩らせた体勢を戻しつつ、キッドは手にしたUMP-45を当てずっぽうに乱射。
麻生はチッ、と軽く舌打ちをし、レイジングブルを再びホルスターに戻すと防御姿勢へ。両腕の義手に施された装甲版を用い、迫り来る幾多の9mm弾を弾き飛ばす。
9mm弾の威力程度ならば、義肢にとって何ら問題にならない程度の豆鉄砲だ。しかし、どうしても防御の為の隙が生まれてしまう。麻生が大した身動きを取れなくなった隙を突く形で、キッドは再び体制を立て直したのだった。
(あの男――確実に、まずいッ)
どうやら、あの男――キッド・マーキュリーという男に対する認識を、改める必要がありそうだった。
音の壁すら突き抜ける速度で飛来する二発の銃弾を生身の分際で避けるなど、最早予知能力にも等しいレベルに常識外だ。人並み外れた機械の身体を持つ麻生にすら、そんな芸当は曲芸かそれ以上に見える。限りなく不可能に近い話だ。
しかし、信じられない話ではあるが今目の前に立つキッド・マーキュリーという男はそれを成し遂げてしまった。しかも、自分の目の前で、だ。
麻生の中の何かが、目の前に立つ狂気じみた眼差しの男へと向け、激しく警鐘を鳴らす。奴はマズい、相手にしてはいけないと。
「ヒャアハッ、いいねェ。いいぜェ、気に入ったぜクソガキィッ!」
最後の弾倉を牽制によって完全に撃ち尽くしたUMP-45を乱雑に投げ捨てたキッドは、心の底から這い出る歓喜の雄叫びを上げながら、ショルダーホルスターより黒染めの回転式拳銃、コルト・パイソンを片手にて連続で抜き撃ち。
自らへと向かい来る.357マグナム・ホローポイント弾を義手の装甲にて麻生はなんとか受け流していくものの、その顔から先程までの余裕の色は、完全に消え失せていた。
「たまんねェ……たまんねェぜ、なァ!?」
「黙ってなさい!」
片手にて、その下卑た様相にはとても似つかわしくない高貴なる回転式拳銃を撃ち放ちながら、キッドは真っ直ぐに走り抜けて麻生との距離を一気に詰める。
「フッ――」
六発――たった今ので、キッドが撃った弾の数は六発。そして、コルト・パイソンの装填数もまた……六発。
今ので弾が尽きた筈だ。しかし当のキッド本人は再装填の為に一旦身を隠す素振りすら見せず、尚もこちらへと向かって来ている。残弾管理すら出来ない程に興奮しているのか……?
だが、それはそれで好都合だ。奴の攻勢が途切れた今が、仕掛ける最大のチャンス――!!
「馬鹿ですねぇッ!! 死に晒しなさいッ、キッド・マーキュリー!!」
麻生は自分に向け撃たれた.357マグナム最後の一発を左腕で受け止めながら、右腕を腰のガンベルトへと伸ばす。
これで終わりだ――黒いラバーの銃把へ自身の手が確かに触れた時、麻生は今度こそ自らの勝利を確信する。
「これで、チェック・メイトですよォ!!」
「あァ!? なんだってェ!?」
瞬間、たった今抜き放とうとした右側のタウラス・レイジングブルが唐突にホルスターから抜けなくなってしまった。
「一体、何が……ッ!?」
チラリと視線を移してみれば、麻生は自身のガンベルトに異変が起きていることに気付く。
刺さっていたのだ――何処からか飛来した、鋭いダガー・ナイフが。それも単なるダガーじゃない。投擲に特化した、軽量で重量バランスに優れた専用のスローイング・ナイフ。
しかも刺さった場所が悪く、上手い具合にレイジングブルのシリンダーやらに刺さったブレードが引っ掛かり、上手く抜けなくなってしまっているのだ。
「ヒャアッ、上手いもんだろォ」
「なんてことを……!」
こうなれば一旦体制を立て直すまで、右側のレイジングブルは使えない――。麻生はすぐさま左手をもう一挺のレイジングブルへと伸ばし、抜き放ちながら撃鉄を起こすが、
「遅せェ遅せェ遅せェ遅せェッッッ!!!」
気付いた時には、既に数mの至近距離に迫ったキッドの姿が視界に映っていた。手首のスナップを効かせ片手でシリンダーを戻し、左手で何か……恐らくはスピード・ローダーの類を投げ捨てている辺り、奴のコルト・パイソンは既に再装填を終えていると見て間違いない。
ナイフ一本投げただけで生じた僅かな隙の間に、ここまでの芸当をやってのけるとは……只者では無い、確実に。
「死に晒すのはテメェの方だったなァッ!!!」
「世迷言をッ!!!」
キッドと麻生。双方ほぼ同時にそれぞれの回転式拳銃を構える。
(奴の方が、僅かに速いッ……!!)
しかし、そこにはほんの僅かだが差が生じていた。
抜き撃ち同然の状況を強いられた麻生と、最初からほぼ構えは出来上がっていたであろうキッド。幾ら生身と比較にならないパワーとスピードをもたらす義手という絶対的なアドバンテージがあるにせよ、この状況差を埋められるモノではない。
この窮地を脱するべく、麻生は再び義眼を稼動させ、自身の意識と思考を加速した世界へと誘う。
両者、ほぼ同時に銃口を向け合う。だが確実にキッドの方が速かった。
麻生が引き金に掛けた指に力を籠めた時、既にキッドはシアが解放されるポジションにまで引き絞っていた。機械仕掛けで全てのロックが解除され、コルト・パイソンの撃鉄がバネの張力を以て起き上がっていくのが見える。
(この至近距離、防御も間に合わない)
麻生は意を決し、引き金を引き続けながらも少しだけ照準を逸らす。
(ならば……一か八か、賭ける他に勝機はッ!)
銃身に刻まれたライフリングに身を削られながら.357マグナム弾が飛び出そうとした時、麻生が左手に握り締めたタウラス・レイジングブルもまた、その五連発シリンダーに収めた一発を撃発した。
銃口より迸る|発砲炎に見送られながら飛び立つ、両者の放った銃弾。しかしキッドの.357マグナムの方がほんの僅かに速い。
両者の射線は確実に交錯し、麻生の.500S&W弾、そしてキッドの.357マグナムは徐々にその身を近寄らせ――。
「ッ!!」
「アァァッ!?」
その瞬間、何も無い空中にて、唐突に強烈な火花と衝撃音が迸った。
(成功した……我ながら、無茶をするものですね)
コンマ数秒。しかし体感的には永遠に等しいほどに引き伸ばされた攻防戦の末に麻生が見出した、起死回生の一撃――それは、相手の弾に自分の弾を激突させること。
唐突に空中で生じた甲高い衝撃音と火花の正体は、まさしくその成果だったのだ。麻生の放った.500S&W弾はギリギリのところでキッドの.357マグナム弾の横っ腹へと殴り掛かり、結果的に質量で勝る.500S&W弾が.357マグナムを粉砕しながら吹き飛ばしたということになる。
その芸当は最早、曲芸という域を軽く超えていた。意図的に相手の弾へと自分の弾を直撃させるなど、およそ人間の成せる業ですらない。いや――厳密に言えば人間でない、人の身に在りながら人を超越した存在たる麻生だからこそ成せた業といえよう。
とはいえ、これを成した麻生本人も表面上こそは冷ややかなものの、内心では冷や汗がダラダラであった。もし仮に同じことをもう一度やってみせろと言われたとして、二度も成せるとは、彼自身とても思っていない。
これは、ほんのコンマ数ミリの照準がズレていただけでも成功しない。例え職人技の超高精度の銃身とスコープを持ち、適切な零点補正の成された狙撃銃と、究極に時間の引き伸ばされた世界へと思考を誘う麻生の義眼を以てしても厳しいだろう。飛来する銃弾の横っ腹に銃弾を叩き付けるとは、考える以上に無茶苦茶な芸当なのだ。
故に、麻生にとっては一世一代の大博打にも等しい芸当。土壇場で賭けに勝ったのだ、彼は。
「テメェ、一体何を――」
「余所見をしている場合ではッ!!」
流石に理解が及ばず、唖然とした表情のキッドの言葉を遮って麻生は再びレイジングブルの引き金に掛けた指へと力を籠める。
リスクを冒してまで手に入れた最大級のチャンス、ここで逃す訳にはいかない――!
左手でレイジングブルを確かに構えつつ、右腕はいつでも防御に回せる体勢へとシフト。
「次は外しませんッ!!」
「アギャギャギャ!!! 甘めェんだよッ!!!」
シアが解放され、起きる撃鉄が二発目の.500S&W弾に火を灯す。
太すぎる銃弾が銃身を潜り抜け、それを見送るかのように銃口にて瞬く強烈な発砲炎。
今度こそ確実に仕留めたと、麻生は確信していた。
「――アヒャッ」
だが、放たれた.500S&W弾がキッド・マーキュリーを屠ることは無く。
「なんて、ことを」
キッドの左手は銃身ごと、麻生の手にしたタウラス・レイジングブルを握り締めていた。
確かに狙いは殆ど完璧だった。多少の誤差があったとして、.500S&Wなら何処に当たろうと確実に致命傷を負わせられるはずなのだ。
しかし、キッドはあろうことか発砲の直前にレイジングブルを引っ掴み、強引にその銃身が向く方向を真上へと逸らせたのである。銃身の半ば付近、根本寄りを握り締める彼の手は当然、発砲時に加熱した銃身と、高温・高圧のガス噴射――もう一つの発砲炎とも言える、ある種回転式拳銃の最大の欠点であるシリンダー間の隙間『シリンダー・ギャップ』より噴き出したガスによって焼け爛れていた。寧ろ、.500S&Wの威力で指が吹き飛ばなかった辺り、運が良いと言えよう。
「仮にも回転式拳銃に熟知しているのなら、当然シリンダー・ギャップは分かっているはず……正気ですか、キッド・マーキュリー」
「さァなァ。俺にゃどーでも良いことだァ!」
キッドは火傷を負っても尚、左手をレイジングブルより離すことは無く。そのまま自分の方へと引っ張り、関節技の要領で麻生の左手首を極めてレイジングブルを彼の手より取り上げた。
「何を……!」
「余所見が、何だってェ!?」
取り上げたレイジングブルをそのままの勢いでキャットウォークの下へと投げ捨てつつ、キッドは右手の中に未だ存在する自身の愛銃、コルト・パイソンを片手にて構える。
だが麻生も、やられっぱなしでいる程に甘くは無い。キッドが発砲する数瞬前に咄嗟のハイキックで照準を逸らすと共に、彼の手からそのまま滑らせ吹っ飛ばす。
上方へと虚しく飛翔する.357マグナムの無駄弾に見送られつつ、主の手より離れ宙を舞うコルト・パイソンは何度か壁に激突しながら、キッドより遙か後方のキャットウォーク階段付近へと落下した。
「やるじゃねェかァ、クソガキ」
「これで……」
「条件はァ」
「「対等だッ!!」」
キッドは唯一のサイドアームたるコルト・パイソンを失い、麻生も麻生で二挺のタウラス・レイジングブルの内一挺を喪失。残る一挺もホルスターに刺さったスローイング・ダガーに引っ掛かり抜くことが出来ず、かといって今の状況ではそれを処理する隙も無い。
両者共に武器は無く、二人に残された手段は素手――拳と拳の格闘戦のみ。
(対等ねェ。冗談じゃねェぜ)
互いに間合いを測り合う一時の静寂の中、その狂気じみた表情とは裏腹に、キッドは冷静な思考にて相対する敵の戦力を推し量る。
(アイツの両腕は間違いなく義肢……話にゃ聞いてたがァ、まさか.357も弾かれるとあっちゃチィと厳しいかァ)
表面の人工皮膚が半分以上剥がれ、いぶし銀の地金が露出した麻生の両腕――いや、戦闘用義肢を眺め、軽く舌打ちするキッド。
(おまけにあの跳躍力。ありゃ確実にドギツいストレートで一発ノックダウンって感じだぜェ)
あの義肢に組み込まれた人工筋肉のパワーは確かにキッドの予想通り、人間の常識を遙かに超えたモノだ。仮にアレの殴打をモロに喰らったとすれば、まず一撃でお陀仏だろう。
(となりゃァ、やることは一つ)
――クソガキにブン殴られる前に、クソガキをブッ飛ばす。
「ショウタイムだァ、踊ろうぜ坊ちゃんよォッ!!!」
最大級の歓喜に満ちた雄叫びを上げ、キッドは地を蹴り麻生へと突っ込む。
「ほぉらよォ!」
自慢の脚力を以て一気に間合いを詰め、麻生の懐へと飛び込んだキッドは全身の筋肉をフルに収縮させ、強烈な右ストレートを顔面向けて繰り出す。
「この状況ならば、僕が負ける可能性など」
しかし麻生は少しだけ足を運ぶのみで腕を振るい、手首に自身の手首を激突させてキッドの一撃を外側へと受け流す。
「万に一つも――有り得ないッ!!」
そのまま手首を捻ってキッドの手首を掴み、麻生は自身の方へと強く引っ張る。
唐突にバランスを崩されたキッドはたたらを踏み、力なく麻生の方へと引き寄せられていく。
(奴の左手はもう使えまい……これで、決める!)
そして麻生は完全にフリーだった右手を力強く握り締め、下から振り上げる強烈な一撃をキッドの鳩尾向けて放つ。
この体勢、避け切れる筈もない……!!
「ヒャアッ」
しかし麻生がその一撃を放とうとした瞬間、キッドが右手首を掴み、関節を極めたことによってそれは封じられてしまった――あろうことか、先程の防御行動で使い物にならなくなったはずの、左手で。
「ヒヒヒヒ……まんまと引っかかったなァ、間抜け」
「貴方……イカれてるとしか思えないッ」
奇怪すぎるキッドの在り方に畏怖を覚え、思わず麻生はそんなことを口走ってしまう。
これまで麻生は、様々な人種や性格、信仰と信条の人間達と相対し、そして葬ってきた。そんな麻生の眼から見ても、今自身の眼前に立つキッド・マーキュリーという男の異常さに畏怖すら覚えてしまう。
血走った眼と狂気の笑み。重度の火傷を負った左手はそこかしこの皮膚が裂け、紅い血がポタポタと滴り落ちている。
想像を絶する激痛のはずだ。しかし彼は手を離すことなく、寧ろ籠める力はより一層大きくなっている。激痛の中でも嗤い続けるその姿は、最早人間と呼んで良いモノなのか。
「そんな手で……ッ。貴方は狂っているッ、キッド・マーキュリー!!」
「ハハハハァ!! ありがとよクソガキ、俺にとっちゃ褒め言葉だぜェ!」
「ッ……!!」
何とかして右手を解放しようともがく麻生だったが、キッドによる関節の極め方が想像以上に巧く、抜け出そうにも抜け出せない。かといってキッドの右手首を掴む左手を離してしまえば、それこそどんな反撃が来るか分かったもんじゃない。
「たまらねェ……たまらねェぜ……!!」
恍惚の表情で、キッドはうわ言のように呟く。
「何がおかしいッ!?」
「痛みだァ」
「い、痛み!?」
「アアァァ!!! そうさァ! 痛みだ、これが俺の求めていた戦い! この痛みだけが俺に生の実感を与えるッ! この鉄火場が……この痛みだけがッ、本物の戦いって奴よォォォッ!!!」
野生を生きる獣を彷彿とさせる、血と腐敗臭漂わせるキッド・マーキュリーが魂の咆哮。
――正直に言えば、この瞬間だけは確実に、この男に恐怖の感情を覚えていた。
「ヒャアアアアアアアアアアアアア!!!!」
涎が垂れるのを気にも留めず、犬歯を剥き出しに絶叫するキッドの顔面が、唐突に麻生へと迫る。
「――!?!?」
瞬間、麻生の視界に星が瞬いた。
遅れてやって来る、顔面に走る激痛。思わず両腕に籠めた力が弛緩し、後ろにたたらを踏んだ時――漸く、その痛みの原因に気付いた。
「ず、頭突きなんて……ッ!?」
「どうだァ? 機械まみれのお前にも分かりやすい痛みだろォ?」
この男は、初めからこれが狙いだったのか……!!
そんな麻生の予測は、全くの正解だった。
キッド・マーキュリーが真の狙い。それは最大の脅威たる麻生の両腕義肢を何とかして無力化し、自分の何ら変わりない生身の部分――即ち顔面へと強烈なヘッドパッドを叩き込むこと。
事実、頭蓋への強烈過ぎる衝撃で平衡感覚を半ば失いかけた麻生の現状は、殆ど無防備と言っていい程隙だらけだ。
(まずい……!)
せめて、威嚇だけでも。
そう思い、右手をガンベルトのホルスターへと伸ばし、タウラス・レイジングブルの銃把を握り締める麻生であったが。
(ぬけ、ない……しまったッ!!!)
なけなしの力を籠めて抜き放とうとしても、レイジングブルは一向にホルスターからその銀色の銃身を露出させる気配は無かった。それもそのはず。何せ彼の右腰ホルスターには――先程キッドが放ったスローイング・ダガーが未だ刺さったままなのだから。
「残念だったなァ、クソガキッ! 楽しいダンス・パーティもお開きと洒落込もうぜェ!!」
その隙にキッドは後方へと大きく転がり、床に落ちていた回転式拳銃――愛銃コルト・パイソンを起き上がりざまに拾い上げ、膝立ちにて構える。
「こんな……僕が、こんなことでぇぇぇぇっ!!!」
「Good-Bye, Holy Sucker!!」
響き渡る四度の銃声は、一つの死闘の終幕を告げる聖なる鐘の音のように。