Order.16 Time to Rock'n Roll
「――ベクター・デルタより全チームへ。配置完了した、いつでも行ける」
≪ベクター・マムよりデルタ、了解。そのまま待機してて。チャーリーとエコーがまだだわ≫
「了解。デルタ・リーダー、アウト」
左耳の小型インカムから手を離し、倉庫の壁にもたれ掛かり腰を落としたシノ・フェイロンは、通信相手であったベクター・マムのコールサイン――即ち、統制役の瑠梨からの指示を頭の中で反芻しつつ、相棒たるアールグレイに持たされたCAA・ロニの動作確認を手早く行っていく。
「……予想以上に、数が多い」
彼のすぐ傍に控える、同じ陽動班、チーム・デルタを任された遥の言葉にシノは「ああ」と頷く。彼女の言葉通り、敵の数は想定外に多かった。ここから見えるだけでも三人、目標倉庫のすぐ前に立っている。パッと見こそ背広姿のリーマン風な奴らだが、立ち姿が素人のそれでは無い。剣術の心得のあるシノ、そして遥には一発で看破出来てしまうのだ。
連中もそう隠す気は無いのか、手の中には堂々と自動小銃が握られていた。一人は米国製突撃銃のレミントン・ACR。もう一人はM4カービンによく似たシルエットのコルト・CM901を保持。最後の一人に至ってはペルー・SIMAのFADなんて変わり種を携行していた。何れも弾倉の共有が可能であり、現状数的不利なこちらにとって、連中に固まって動かれれば厄介な事この上ない。一気にケリを付ける必要がある。
だが、その三人の羽織るスーツジャケットの下には見るからに防弾プレートキャリアか、それに準ずる何かを装備しているのはほぼ間違いない。胴体狙いで無力化が狙えない以上、頭部への一撃必殺が好ましいのだが……暗所という、お世辞にもベストと言えないコンディション下においてはそれも難しい。
≪チャーリーより全隊、待たせたな。準備完了だ≫
すると、聞こえてくるのはリンディス・ミラフェリア――通称リンの声。狙撃チーム・第二班のベクター・チャーリーが配置に着いたようだ。
≪遅すぎる。予定より五分近く遅れてるわよチャーリー≫
≪ヘヘッ、悪い悪い。ちょいと乙女の野暮用って奴でよ≫
若干苛立った瑠梨にも臆することなく、半ば口から出まかせであろう言葉でリンは返す。
≪ったく……はぁ、まあいいわ。エコーも配置に着いたと連絡があったわ。ベクター・マムより全チームへ通達――状況開始よ≫
≪アルファ・リーダー了解。さっさとおっ始めてくれ。こちとら暇で仕方ねえ≫
瑠梨の号令へ最初に言葉を返したのは目標の奪還、ないし破壊を担当する本隊アルファ・チームのリーダーである戒斗だった。
≪こちらブラボー、了解した≫
次に冷静な口調でそう答えるのは狙撃チーム・第一班のリサ。リンもそれに倣い≪チャーリーも了解っス≫と、こちらは対照的に意気揚々と答えるのであった。
「デルタ了解。状況開始――と行きたいところだが。狙撃チーム、正面の三人を頼む」
≪正面――ああ、背広のおっちゃん達か≫
どうやら向こうでも確認したらしいリサに「肯定だ」とシノは返す。
≪そいじゃあ、私は真ん中。琴音は左端のACR持ったヤツを狙ってくれ。リンディスは右端のFADぶらさげたカマ野郎だ≫
≪了解っス。タイミングは?≫
≪お前さんに合わせるさ≫
狙撃チーム双方が動く。これで第一関門は突破だ――少しだけ安堵の息を漏らすシノであったが、万が一彼女らが撃ち漏らす可能性に備え、ロニを足元に置くと負い紐で肩から下げていたバルメ・Rk62を両腕に保持し構える。
≪へっへっへ。夢みてぇだ≫
≪どうしたリンディス、お前までキメてきたなんて言わねーよな≫
≪私の腕を見せてやるっスよ≫
≪はいはい。ソイツぁ後にしな。これが終わった後で私に勝ったら何でも奢ってやる≫
≪ホントっスか!? あのシャルティラールから直々にタイマンの申し込みたぁ……かぁーっ、燃えてきたぁーっ!!≫
≪……別に、私はやりたいなんて言ったつもり無いんだがなぁ≫
インカムから聞こえてくるのは、何故か色々とおかしな思考回路の末に興奮気味になったリンの騒ぎ声と、若干呆れ気味なリサの呟き。
「……はぁ。全く。豪傑のシャルティラール女史をここまで呆れさせるとは、リンの奴め」
「ふふっ、随分と賑やかな助っ人」
リンの騒ぎように呆れ果てたシノの言葉に、遥は少し表情を綻ばせながらそう返した。尤も、彼女も彼女で、油断なくAKS-74をシノと同様の方向へと向けているのだが。
「賑やかすぎるのも考えモノだ――それより遥、お前はお前で、随分と変わったように見える」
そんな遥を、若干の驚きを織り交ぜながらも、しかし同様に顔を綻ばせながらシノは言う。
「変わった――確かに、変わったのかもしれない。でもそれは、きっとシノ・フェイロンも同じ」
「俺も、か?」
遥は頷いてシノの言葉を肯定し、
「全ては日々にて変わり往く。人も、世界も……変わらないモノなんて無い。だから、きっとそういうこと」
「……狩谷」
「えっ?」
「狩谷 紫乃――俺の本名だ」
シノ・フェイロン――いや、紫乃は正面に立つ敵の姿を見据えたまま、そう告げた。
「日本人……? てっきり」
「日系二世か、でなけりゃ中華系だとでも思ったのだろう。フェイロンなんて名乗るのは、そう思わせるが為だ。無理もない」
「……理由は訊かない」
「それが、お互いの為だ」
「……距離、550m。高低差12m、気温12℃」
シノ達陽動班、ベクター・デルタより離れた場所にある廃ビルの一室。既に窓ガラスが割れ、吹きっ晒しになっていたビルの一室にて、レーザー測距計とその他観測機器を携えた観測手、ヘルガ・サンドリアが呟く。
「了解っス、ヘルガさん。風向きはどんな感じっスか?」
部屋にあった大きなテーブルの上に身体を伏せ、二脚で立たせた自前の旧ソ連製半自動狙撃銃、ドラグノフSVDの無骨な木製銃床に括りつけたパットプレートに頬を付けながら、狙撃チーム第二班ベクター・チャーリーの狙撃手であるリンディス・ミラフェリアは言う。
「ちょっと待って……東向き6m/s。丁度追い風」
「そりゃ好都合――初弾装填」
少し口角を緩ませながら、リンは冷え切った鋼鉄のボルトを前後させ、薬室に7.62×54R弾の初弾を装填。
「初弾装填、了解。目標、右端歩哨。レディ」
「目標確認」
「ヘッドショット・レディ」
「了解。ヘッドショット・レディ」
東欧ベラルーシ共和国で製造されたSVD専用の狙撃用四倍率ライフル・スコープPOSPの独特な形状のレティクル越しに敵影を捉えたリンは、観測手のヘルガの言葉を復唱。細く、そして長い女性らしいスマートな人差し指が、SVDのあまりに無骨な引き金へと僅かに触れる。
射撃体勢に入ったリン、そしてヘルガのベクター・チャーリーの丁度対面。高く積み上げられたコンテナ群の上に、リサと琴音の狙撃チーム第一班――ベクター・ブラボーは陣取っていた。彼女らから然程遠くない場所は既に海で、頭上には紅白に塗装された、荷卸し用の大型クレーンの姿が。そのすぐ近くには大型貨物船が停泊していた。察しの通り、ここは港湾エリア。陽動班デルタに要請された敵歩哨までの距離はチャーリー・チームと大体変わらず500mと少しである。
「さぁてと、早速出番かい。琴音、イケるな?」
伏せ撃ち姿勢で大柄なボルト・アクション式対物狙撃銃のシャイ・タックM200を構え、口元には煙草を燻らせるリサが言うと、
「勿論。さっさと片付けて帰るとしましょうよ、師匠」
同じく伏せ撃ちの姿勢で、こちらは日本製のボルト・アクション式狙撃銃である豊和M1500の木製銃床を握り締めた琴音が、自信あり気な口調で返した。
琴音のM1500、リサのM200双方の銃口部には太い減音器が装着されており、それは約1kmの彼方に居るであろうリンディス・ミラフェリアのドラグノフSVDも同様である。比較的静かな夜の埠頭という性質上、音と発砲炎は極力抑えたいというリサの提案による装備であった。
「ヘヘッ、そりゃ良い提案だぜ琴音。帰ってカイトの奴に奢らせるとしようや」
笑いながら、リサは短くなった煙草を口から離すと、先端を床にしているコンテナに押し付け強引に火種を揉み消す。そしてM200の巨大なボルトを前後させ、薬室へ.408シャイ・タック弾を装填。琴音も彼女に倣ってM1500のボルトハンドルを動かし、.30-06フルメタル・ジャケット弾を叩き込んだ。
≪チャーリー・リーダーよりブラボー。準備完了っス≫
インカムから聞こえてきた狙撃チーム第二班リーダーであるリンの声に、「あいよ。カウントしてくれ。それに合わせる」とリサ。
≪そいじゃあ、ファイブ・カウントで≫
「あいよ」
M200の銃把を握り締め、リサは右眼で覗き込んだスコープ越しに、一点へと意識を集中させていく。
「Let's do this、琴音」
琴音は瞼を閉じ、今一度構え直したM1500の木製銃床を伝って銃全体に感覚を這わせていく。肩からパットプレートへ、そして銃床。握り締めた銃把と、指先に触れた引き金。そこから、徐々に神経の蔦を絡ませていくかのように。それはさながら、自身の身体と、握り締めた愛銃が同化していくように、甘美で、そして全てが無に帰して行くような。そんな不思議な感覚であった。
≪Five≫
カウントが始まる。ゆっくりと口を開いたリサが呟くは、一撃必中のワード。自身の全てを、一発の銃弾へと賭ける呪詛。
≪Four≫
「――――生者には祈りを」
≪Three≫
「死者には鎮魂のメロディを」
≪Two≫
迷いなど、初めからありはしない。この瞬間、彼女は俗世のあらゆるしがらみから解き放たれ、ただ唯一、スコープ越しに捉えた敵を屠る為の装置と化す。
≪One≫
「そして――」
「私の放つ”サジタリウスの矢”は――」
呟く琴音の、見敵必殺を誓う祈りの言葉と、リサの放つ必殺のワードが重なる。
二人の師弟が狙うは、互いにただ一点のみ。ワンショット・ワンキル。二発目など、元より考慮には入れない。
≪……Zero≫
「――決して、貴方を逃がしはしない」
「――――我が身には、無限の薬莢を」
重なる言葉、そして重なる引き金。闇夜の静寂を切り裂き、二つの銃口より放たれた.30-06、そして.408シャイ・タック弾は冷え切った大気を貫き飛翔した。