Order.15 Don't Look Behind.
「彼女の右腕は――――二度と、銃把を握ることは叶わないんだ」
彼の”蒼弾”の異名で知られたヘルガ・サンドリアが――銃を握れない。二度と。
正対したシノ・フェイロンから告げられた、あまりに衝撃的なその言葉に戒斗はおろか、他の面々も一様に表情を凍らせていた。しかし対照的に、『なんでも屋アールグレイ』とその関係者面々には特に驚いた様子は見られない。既に知っていたのだろう。当たり前の話だ。
「……すまない。伝えるのが遅れて」
噛み締めるような苦い表情でそう言うシノ。彼のすぐ後ろでは、俯き気味な様子のヘルガの姿が窺える。そのすぐ近くでは、苦虫を噛み潰したような顔のアールグレイが。
「――あ、ああ」
そんな彼らの姿を見ていると、戒斗はこれ以上事情を詮索する気にもなれなかった。自分はとても、そんな無遠慮な人間では無いと、無意識化の内に彼はセーブしてしまうのだった。
ただ一つ、明確な事実――それは至極簡単で、”蒼弾”ヘルガ・サンドリアが戦えない。それだけの話だった。
「……分かった。それならそれで、組み直せばいいだけの話だわ」
「すまない、瑠梨……」
「良いのよ、別に――話を戻しましょう。私達には、そう時間が残されているわけでも無しだし」
そう言った瑠梨は手を叩き、場の空気を一度切り替えてから話を続ける。
「琴音とリサ、それにリンディスは狙撃支援で良いわね。ヘルガはリンディスの観測手をお願いしたいわ」
再びスクリーンに映し出された地図に目を移した瑠梨の言葉に「ああ」と頷くのはリサ。そして黙ったまま、同じように頷く琴音の隣で「上等だ、やっちゃるぜ!」なんて無駄に空元気を振りまいて答えるのはリンディス・ミラフェリアことリンだった。ヘルガも口を噤んだままで頷く。
「正面の陽動チームは遥にシノ・フェイロン。後はそこのヤク中にお願いするわ。出来るだけ敵の目を引く必要があるから、好きなだけ暴れて頂戴。派手にね」
「任された」
真っ直ぐな瞳で瑠梨を見据えつつ、了承の意を告げるシノ。
「……御意。こちらは任せて貰って構わない」
いつも通りの冷静な声色で遥は言う。そして当のヤク中ことキッド・マーキュリーはといえば、
「ヒャアッ、我慢できねェ。さっさと行こうぜェ」
なんて風に、完全にキメてるとしか思えない言葉を放つと「ヒャハハハハハアアア、あったかい血のシャワールームだァ」なんて奇声を発しながら一人飛び出して行こうとしたところをアールグレイに抑えつけられる。
「はぁ。誰よこんなの連れて来たヤツ……」
「残念だったな瑠梨。今から助けに行こうっつーマーシャ様ご本人だ――オイコラキッド、大人しくしろッ。バラ撒くぞこの野郎!!」
間髪入れず答えたアールグレイの一言に、瑠梨は再び大きく溜息を吐く。ちなみに、当のアールグレイご本人に組み伏せられたキッドは「やめろォ放せェ、っつーか何をバラ撒くってんだゲロ野郎!」なんて半分意味不明な暴言を吐き捨てていた。
「あー……まあいいや。んでもって目標の奪還ないし破壊を担当して貰う本隊は、いつも通り戒斗にアールグレイ、それとソフィア・エヴァンスにやって貰うわ。プラス、バックアップに香華から借りた小隊を付ける」
「お、やっぱ俺は後輩君と一緒かぁ」
「テメーみてえな更年期間近のオッサンとデートなんざ、誰が好き好んで」
「そう言うなって、なぁ?」
「……あのー、一応私も居るんですけど」
妙に馴れ馴れしいアールグレイと、肩を竦める戒斗。そんな二人の、見慣れたいつものやり取りに独り、取り残されたソフィアは頬を膨らませながら不満げに呟く。
「今割り振った部隊は以後、コールサインで呼称することにするわ。本隊をベクター・アルファ。琴音とリサの狙撃第一班をブラボー。リンディスとヘルガの第二班をチャーリー。そして陽動班がデルタ。借りるPMSCオペレータ達の小隊はエコーとでも呼ぶことにするわ。私とキエラの管制チームはベクター・マムとでも呼びましょうか」
慣れた口調でチームのコールサインを割り振る瑠梨に、アールグレイは「この前と似たような感じだが、なんか意味でもあんのか?」と問う。すると瑠梨は、
「そうね……強いて言うなら、ノリよ」
と真顔で言い放った。
「あっはい」
肩を竦めながらも相槌を打つアールグレイ。
「アルファ・リーダーを戒斗、ブラボーはリサに、チャーリーをヘルガ。デルタをシノに担当して貰うわ」
「オイオイ冗談キッツイぜ。そこは先輩たる俺がリーダーを任せられるパターンだろ」
「テメーじゃ役不足だってこった。残念だったな大先輩」
「……また始まった」
戒斗とアールグレイの、本日二度目の応酬を眺めながら呟く遥と、それに対し頷きながら大きく肩を竦める瑠梨。
「はいはいはい。その辺にしといて頂戴」
流石に辟易してきた瑠梨は今一度手を二、三回叩き注目を集めると、手元のラップトップを操作しつつ説明を続ける。
「最後に一つだけ。恐らくは連中、サイバネティクス兵士を投入して来ると予測できるわ」
「サイバネティクス兵士?」
アールグレイの言葉に、ええ、と頷く瑠梨。「ここからは俺が説明する」と彼女に代わって口を開いたのは戒斗だった。彼は言葉を続ける。
「サイバネティクス兵士――所謂サイボーグ、だとちょいと語弊があるが……ま、身体の一部を機械化した人間ってとこだ」
「なぁなぁ後輩君よ、つまりなんだ、ターミネーターみたいなもんか?」
「ちょいと違う。要は義手やらその他人工部品で身体の一部を置き換え、強化してるって感じだな。大体が戦闘用の強化義肢、ないしは義眼で構成されていることが多い」
「……厄介だな」
そんなシノの何気ない呟きに遥は頷くと、
「私も幾度か交戦したけど、相当に厄介なのには間違いない。特に……日本刀を携えた、長身の男には注意して」
「ヒューッ……に、忍者ガールにここまで言わせるたぁ……後輩よ、お前は随分厄介な連中を敵に回してるみてーだなぁ」
「おっと、今更文句は無しだぜ大先輩様。この仕事、請けたなァそっちだ」
「いや、文句じゃねえよ。ただただ同情しただけさね」
「余計なお世話だ」
やれやれ、といった様子で身振り手振りを合わせながら戒斗は肩を竦める。
「状況開始は二時間後。陽が落ちてからよ。時間が来たらここから移動。それぞれ所定のポイントにて待機。実質的には三時間後ってとこかしら」
そして二時間と少し後。西園寺の屋敷を出た一同は、マーシャ・アナスタシアの捕らえられていると予測される埠頭へと車を走らせていた。戒斗は遥にリサ、そして琴音を載せていつも通り自前のスバル・WRX S4。アールグレイはソフィアにリンとキッドを載せてアウディA6。シノはヘルガと共にBMW・M3にて現場へと向かう。その後ろを追走するハイエースに乗り込んでいるのは、香華から借り受けた、西園寺家の経営する民間軍事企業に所属する戦闘要員のオペレータ達だ。
人気のほぼ無い、がらんどうとした駐車スペースに颯爽と停まる四台。流石にこの量となれば、目立つ排気音――特に戒斗のWRXからは重厚なボクサー・サウンドが響いていることは最早今更であろう。隠密を徹底するのなら、静粛性に優れたハイブリッド車に乗ってくるのがベストなのだろうが、戒斗となっては今更なことだ。第一、この程度で気取られるとも考えにくい。何せ目的の倉庫とその付近までは結構な距離が離れているのだから。
「そいじゃあカイト、先に行ってるぜ」
琴音と共に、先行して狙撃ポイントへと向かうリサが後ろ手に振りながら言った言葉に戒斗は「ああ」と素っ気なく返しつつ、開け放たれたままのトランクに放り込まれていたガンケースを解放。ブルパップ式のボルト・アクション式狙撃銃、DSR-1を負い紐で肩に掛けると、上着の下、Tシャツの上から身に付けた防弾プレートキャリアのポーチへと予備の箱型弾倉を詰め込む。
下はジーンズ、上はTシャツの上にプレートキャリアを身に着け、その上から上着を羽織るという比較的ラフなスタイルの戒斗。彼が今回持ち込むDSR-1以外の装備といえば、右太腿のレッグ・ホルスターに差した愛用の自動拳銃ミネベア・シグ(シグ・ザウエルP220の自衛隊向けライセンス生産品)と、背中のSOBホルスターに突っ込んだ短機関銃のキャリコM950A。左腰に吊るす大柄のサバイバル・ナイフであるHIBBENⅢに、後は”緊急用”の.338ラプア・マグナム弾仕様の特注品単発拳銃トンプソン・コンテンダーが右腰といった感じだった。
「アタシ達も行ってくるぜ、先輩」
「あいよ。くれぐれも道中見つかるんじゃねーぞ」
「んなドジは踏まねーっスよ」
「リンの言うことは当てにならねえからなぁ」
もう一方の狙撃チームであるリンとそんな風に交わし見送りつつ、アールグレイもアウディのトランクから突撃銃AK-47――もとい、KTR-03Sを取り出すと簡易的な点検を行う。
「……気を付けろよ、ヘルガ」
そんなアールグレイの背後で、日本刀を携えたシノは、リンの狙撃第二班に観測手として同行するヘルガを、悲痛な面持ちで見送っていた。「大丈夫。私は死なない」とヘルガ。
「しかし……今からでも遅くない。やはり後方に――」
「そんな心配性なとこ、嫌いじゃないけど……でも。私は大丈夫。撃てなくはなったけど、せめて何かの形で……。うん、それに……」
「それに、なんだ?」
「もし、私が危なくなっても。必ずシノが助けに来てくれる」
背を向けながらも、一度振り返りそう言うと、儚げな笑みを浮かべるヘルガ。
「……! ああ。任せろ」
「それじゃあ、そろそろ」
告げて、先に歩いていってしまったリンを追いかけるように小走りでヘルガは遠ざかっていく。そんな彼女の背中が見えなくなるまで、シノは立ち尽くし見送った。
「ヒューッ、妬かせることで」
「お前は毎度毎度一言多いぞグレイ」
「へいへい。ホラよ」
ニヤニヤと笑みを零しながら、グロック17が組み込み済のCAA・ロニをシノへと投げ渡し、「忘れ物だ。ヒトが折角くれてやったモンだろうが」とアールグレイ。
「おっと。うっかりしていた、俺としたことが。有難く使わせて貰うとしよう」
「下手な鉄砲がある程度マシになりゃ良いがね」
「だからグレイ、一言余計だと――まあいい。俺はそろそろ」
「あーはいはい。さっさと行ってこい」
呑気に煙草を吹かしながら装備をチェックするアールグレイに見送られながら、シノは背を向け歩き出す。
「……難儀なこったな」
「そう言ってやるなよ後輩君。アレが御二人様のスタイルなんだ――それに」
真紅の車体にもたれ掛かりながら『なんでも屋アールグレイ』の面々を眺めていた戒斗の呟きにアールグレイはそう返すと、ニヤニヤと妙に鬱陶しい表情と視線でこちらを眺めてくる。「んだよ、気色悪い」と戒斗が問うてみれば、
「いやぁ~? アイツらのことに関しては後輩君が言えた立場じゃないなァ~? なァ~んて」
そんなアールグレイの視線の先。その方向を目で追ってみれば……。
「……? 戒斗、どうかした?」
誰も居なかったはずの戒斗の隣には、いつの間にやら遥の姿が。きょとんとした顔で見上げる彼女は普段の私服で無く、恐らくは戒斗自身が一番見慣れているであろう彼女の仕事着――和服めいた忍者装束を纏っていた。
「なっ……!? はっ、遥。いつの間に」
「いつの間に、って……大分前から居たのに」
何故かしょんぼりとする遥に「わ、悪い悪いっ! ……ちなみに、どの辺からだ?」と謝罪を織り交ぜた問いを投げると、
「シノ・フェイロンが見送っていた辺りから」
「オゥ……マジか。そりゃ悪い」
見れば、彼女の後ろ腰にはいつも通りの短刀型の高周波ブレード『十二式超振動刀・甲”不知火”』、左腰には日本刀型の高周波ブレード『十二式超振動刀”陽炎”』が差さっていた。ちなみに右腰には、BLACKHAWKのシェルパ・ホルスターに収められたXDM-40自動拳銃。一見するとアンバランスな出で立ちだが、その実力は折り紙付きだ。
そして、左腰の刀へ更に重ねるように差さった、もう一本の日本刀。陽炎よりか幾分刀身が長い、太刀であるこちらも高周波ブレード。賜ってからそう日の経っていない、彼女の新たな力である太刀型高周波ブレード『十五式超振動太刀・丙”雪風”』の姿もあった。
「雪風……持ってきたのか」
「うん。きっと、この子じゃないと勝てない」
至極真剣な眼差しで答えた遥に、戒斗はそれ以上追及することなく「そうか」とだけ言い、フリーだった左手をポン、と彼女の頭の上へと乗せる。
「ひゃうっ!?」
「おいおい、これぐらいでどうしちまったよ。らしくない」
「う、うぅ……不意打ちは卑怯ぅ……」
「不意打ち上等の忍者ちゃんに言われたかねーな」
「そっ、それとこれとは話が別……ぁう」
乗せられた彼の掌に何故か頬を赤らめ、しどろもどろと落ち着かない遥をニヤニヤ笑いながら、戒斗は更に追い立てる。
そんな二人を遠巻きに眺めていたアールグレイは、唖然とし開いたままの口を漸く動かし、
「……お前ら、雰囲気変わった?」
などと素っ頓狂な言葉を紡ぎ出す。「そうか?」と戒斗は呑気に返しつつ、いい加減に遥から手を退けた。
「オイィ、まだかよォ」
遠くから聞こえたキッド・マーキュリーの苛立った声で我に返った遥は数歩踏み出し、戒斗の前へ正対する。そして彼の瞳を真っ直ぐに見据えると、
「……では、戒斗。お気を付けて」
「ああ、お前もな」
たったそれだけの、短すぎる言葉。しかし、二人の間にそれ以上の言葉は不要だった。互いに背を向け、戒斗、そして遥はそれぞれの戦地へと赴く。風に靡く黒と銀の髪は行く先は違えど、その契りが切れることはない。
「……気は済んだか、後輩」
「ああ。俺も死なない、遥も死なない。それだけだ」
歩き出した戒斗の隣を、煙草を吹かしながら並び歩くアールグレイ。
「っと。もうヤニが切れちまった」
投げ捨てた吸殻を投げ捨て踏み潰しながら、胸ポケットから新たな一本を口に咥え、愛用のジッポー・オイルライターで火を点そうとしたアールグレイであったが、
「……へぇ。意外に粋なコトすんじゃねーの」
「アンタの要らんお節介と似たようなもんだ」
横から伸びた戒斗の手に握られていた、古びたいぶし銀のジッポーが先に火を点してしまう。嫌って程に見覚えのあるソイツに思わず口角を緩ませながら、紫煙を吹かすアールグレイ。見れば、戒斗も同様に不敵な笑みを浮かべていた。
カキン、と小気味良い音を立てて閉じられたジッポーをポケットに放り込み、戒斗は行く先を見据える。その双眸には嘗ての曇りなど無く。何処か、覚悟すら垣間見える――――少なくとも、彼の間近でその姿を眺めるアールグレイには、そう見えた。
「さてと。楽しい楽しいデートと洒落込もうぜ後輩君」
「誰がナニの萎びたオッサンと好き好んで。ちなみにご自慢のデートプランとやらはどんな感じだ」
「ブリット飛び交うデッドウッドの酒場でダンス・パーティとでも洒落込もうや」
「そりゃいい。俺達にゃおあつらえ向きだ」
「アーメン・ハレルヤ。好きなだけお祈りは済ませておけ」
「生憎だ。先輩様と違い、俺にゃ信じる神は居ねーさ」
「あらら、そりゃ残念。俺の方も丁度留守なもんで、後輩君の方にお祈りしといて貰おう思ったんだが」
”黒の執行者”戦部 戒斗。そして”死の芳香”アールグレイ・ハウンド。二人が一歩踏み出し、一言交わす度、確実に撃鉄は起きていく。
「楽しい楽しいブリット・ダンスの幕開けだ。行くぜ戒斗。ケツまで腐り切った野郎共を、いっちょ月まで吹っ飛ばしてやるとしようぜ」
「そりゃ良い。アンタにしちゃあ、中々の提案だぜグレイ。God's in his heaven, All's right with the world。溜まりに溜まった糞溜めの大掃除だ。今日ぐらい神様だって許してくれるさ」
「神は天にいまし、世は全てこともなし――ね。お前にゃ信じる神なんぞ居ねーんじゃなかったか」
「さあな。俺は俺に都合のいい奴を、都合の良いように解釈するだけさね」
夜闇へと消えていく、二つの孤影。彼らの進む道を阻むことは誰であろうと叶わない。例えそれが――――だとしても。