Order.13 Get Ride
「――――なん、だって?」
携帯電話のスピーカー越しに瑠梨から告げられた言葉に、アールグレイは目を見開き、半分無意識にそう返してしまう。
――マーシャが、拉致されただって?
冗談にしてはあまりにも笑えない。エレメンタリー・スクールのクソガキだってもうちょいマシな嘘を吐く。アールグレイにとってはその言葉、到底信じられるモノでは無かった。いや、マーシャをよく知るアールグレイ・ハウンドだからこそであろう。この現実を受け入れがたく感じるのは。
指折りの実力を持つ私兵を幾つも抱えている彼のマーシャ・アナスタシアが、こんな極東の辺境の地でみすみす拉致されるなど、どうしたってアールグレイには信じられなかった。しかし――瑠梨の声色に嘘や冗談の類が混ざっていないのは、電話越しにだって分かる。
「……へぇ。成程。そいで、だ。マーシャに手ぇ出した大馬鹿野郎はドイツだ?」
言葉こそ比較的穏やかなものの、内心では腸が煮えくり返る思いのアールグレイの声色は、熱せられた金属棒の如き深い怒りの感情が露わになっていた。それは、彼の周囲に居たリン、そしてキッドでさえ軽率な言葉を発することを躊躇う程に。
≪今アンタ達が居る市内から南西に大体20km。埠頭の倉庫群の何処かってことまでは分かってる≫
「ああそうか。だが俺が聞いてるのはマーシャを連れ去った畜生以下の名前だ」
≪確かな裏付けも無い。けど私達の総意として敵と確信しているのは……≫
瑠梨は少し、躊躇するように口ごもりながらも、アールグレイの問いに答えるようにその名を告げる。
≪――浅倉 悟史。アンタも多分、聞いたことぐらいあるんじゃないかしら≫
……ああ。
呟き頷いたアールグレイは、知らず知らずの間に自身の携帯を強く、軋むほどに握り締めていた。
――”人喰い蛇”
浅倉という男の名は、無論アールグレイとて聞き及んでいる。嘗ては傭兵として生き、そして自身が引き起こした数々の凶行の末にその資格を剥奪された末に国際指名手配犯にまで指名された、正真正銘イカれた野郎……。
しかし、奴は二年前に死んだはずだ。他でもない”黒の執行者”――後輩君こと戦部 戒斗の手によって。だが、奴は生きている。それはどうしようもない、考え得る最悪の事実だったが、アールグレイは不思議と、合点がいった気分だった。
『――――それが! それが分かっていて尚、何故お前は戦い続けられる!? 復讐に囚われていることを自覚しても、お前はまだ戦い続けるって言うのかッ!?』
あの時、アイツが言ったあの言葉の意味が、今になって漸く分かった気がする。
「分かった。だが……戒斗は連れてくるな。絶対にだ」
だからこそ、アールグレイ・ハウンドは自身の手で以てケリを付けることを決意した。
アイツを……後輩君、いや戒斗を、俺の二の舞いにはさせたくない。
それが、アールグレイ・ハウンド、いや、グレイ・バレット――――しかしそのどちらでも無い、グレイの答えだった。
「えっ!? ちょっ、ちょっと何言ってんだ先輩ッ!?」
あまりに斜め上なアールグレイの言葉にそう口を挟んだのは、リンだった。しかしアールグレイはそれを意に介すことなく、ただその唇に人差し指をそっと押し当てることで強引に遮った。
≪……悪いけど、それは聞けないわ。これはお願いなんかじゃない。貴方達『なんでも屋アールグレイ』への、正式な依頼。その意味――アンタなら言わずもがな、でしょう≫
「ふーん。私達はれっきとした依頼人だから、内容にまでは首突っ込むなってか。成程ね。確かに合理的な答えだ。それも百点満点のな。だが――――あんま俺を舐めんじゃねェぞ、クソガキ共が」
こんな言葉、言いたくは無かった。しかし言うしかなかった。これぐらいのコトを言っておけば、怖気付いて自分から退いてくれるだろうと、アールグレイはそう考えたから。
奇妙な縁で出逢った、唯一無二の後輩が道を踏み外させないでいられるのなら。自分が悪役であれば済むのなら、幾らでも演じ切ってやろう。
内心にてそう決意していたアールグレイを、遠くより俯瞰するように眺めていたリサは怪訝そうな表情のまま、しかしその双眸は逸らすことなく彼の姿を捉え続ける。
気付かれたか……?
そんなリサの様子をチラリと見たアールグレイは一瞬戸惑うものの、同時に構わないとも思った。他でもないリサならば、俺より近い場所でアイツを見守ってやれるだろうから。確信し、再びスピーカーの方へと意識を戻す。
瑠梨からの諦めの言葉を期待し、携帯電話を握りしめるアールグレイであったが――漸くにして聞こえてきたのは、余りに唐突にして意外、そして素っ頓狂な一言だった。
≪ああもううるっさい! アンタと馬鹿みたいな押し問答してる暇なんて無いってのよ! こっちは一分一秒を争う状況なの、分かる!? えぇ!? 死の芳香だかゲロの芳香だか何だか知りゃしないけどねぇ、老化現象始まったオッサンの役に立たない説教聞いてる暇無いのよ! 私達はクライアントで、アンタは雇われの身! 分かった!? えぇ!? ちょっと、聞いてんのオッサン!? 聞いてんのかって言ってんのよゲロの芳香!!≫
電話のスピーカーが割れんばかりの勢いで飛び込んで来た、銃弾の雨あられのような罵倒の大津波。それは標的であるアールグレイは元より、漏れ聞こえた音声を耳にしたリン、レニアス、そしてキッドすらも唖然とさせる程だった。唯一人ニヤニヤとほくそ笑んでいるのは、勿論リサである。
「――――くくくっ」
そんな瑠梨の言葉に、アールグレイは思わず口角を吊り上げ笑いだしてしまう。
――そうだ、コイツらはこういう奴らだったな。すっかり忘れちまってた。
手段は選ばず、他人の言うことは聞き入れず。ただ突っ走っていく、あまりにも手の掛かる後輩君とその周辺だということを。コイツらの面倒さはあの時、シカゴでの一件で嫌ってほど思い知らされたはずなのに、どうして忘れていたのだろうか。
改めてアールグレイは認識した。コイツら可愛い可愛い後輩君と周囲はどうしようもなく手の掛かる連中で――そして、そんな彼らを自身が妙に気に入ってしまっていたことを。
「あーあーあー、負けたよ。俺の負けだ。良いだろう。契約成立だ、可愛い依頼主さん?」
≪ったく……手間のかかる。アンタら毎度毎度こんなんなわけぇ?≫
「ああそうだ。物分かりのどうしようもなく悪い連中ばっかで嫌になっちまう」
≪その言葉、そっくりそのままお返しするわ≫
「はいはい。にしたってゲロの芳香は無ぇだろうが」
最早表情はそれまでの険しいモノから一転して緩まり、普段のアールグレイ・ハウンドに戻った彼はそんな軽口すら叩いてみせる。瑠梨は適当にあしらいつつ、話題を切り替えるように一度咳払いすると、本題に入る。
≪まずは概要からサラッと説明するわ。依頼内容は簡単に言ってしまえば、あるモノの奪還、ないしは破壊よ≫
「あるモノ?」
≪そう。光川重機械工業の負の遺産たる戦闘歩兵アーマージャケットスーツ試作機”雷光”。奪われたジャケットの奪還か破壊が主目標になるわ≫
電話越しの瑠梨の言葉に耳を傾けるアールグレイの脳内に浮かんだのは、先日の『インペリアル・アーム』本社ビル戦でキッドが奪取し使用した、妙にゴツいパワードスーツ。どうやらアレが、マーシャを攫った連中の手の中にあるらしい。何故そんなモノがマーシャに関係があるのかは全く不明瞭だが……今はとにかく、彼女の救出がアールグレイにとっては最優先。これ以上クライアントの事情に首を突っ込むのは無しとしよう。
≪人員、及び装備は貴方達に一任する。バックアップは私達が担当するわ。いつも通り、でしょう?≫
「ああ。いつも通りだ」
≪今から約三時間後に所定位置へと集結。場所は後で座標を送る。仕掛けるのは陽が落ちてからよ≫
「オーライ、任された。そいじゃあまた後で」
≪ええ、期待してるわアールグレイ・ハウンド≫
通話を切ると、アールグレイは未だに呆けた表情のレニアスへと視線を向ける。すると漸く彼女は、二、三度首を横に振ると正気に戻ったように、座っていた椅子から立ち上がった。
「……オーダーは何じゃとて。今なら多少サービスするぞい」
「話が早くて助かる。物分かりが良い娘は好きだぜ――俺はKTR-03Sを貰おう。それとハニー・バジャーに、後はロニのキットを貰うとしようか」
「ふむ。少し待っておれ」
手元の紙切れにアールグレイの注文を手早く走り書きしたレニアスは、ショーケースの中からKTR-03Sを取り出す。米国クレブス・カスタム社が販売している、旧ソ連の名銃AK-47のモダナイズド・カスタム仕様だ。黒一色で配色されたこの銃は各部に流行りのピカティニー・レイルを備え、銃床も米軍のM4と同タイプのクレーン・ストックに改めているのが特徴的だ。
KTRをカウンターの上に置いたレニアスが次に取り出したのは、M16とほぼ同一形状のレシーバーを持つAACの自動小銃、ハニー・バジャー。7.62mm×35弾。別名.300AACブラック・アウト弾という奇妙な弾種を用いる特殊小銃だった。
ちなみに、銃身の根元付近まで減音器で覆われたハニー・バジャーは減音器一体式――所謂『インテグラル・サプレッサー』と勘違いされがちだが、実際のところは着脱式なのだ。
「後は……ロニじゃな」
最後にレニアスが棚から取り出したのは、今度は銃ではなく、単なるキット。イスラエル・CAAタクティカルから発売されている、自動拳銃をカービン銃化させるピストルコンパ―ジョン・キットだった。
「キッドはどうする」
振り向いたアールグレイの問いに、キッドは数秒の間思案すると、
「……適当に、UMP-45でも買っとくとするかァ。後はそこにあるMk.23もだァ」
「UMPじゃな」
キッドの注文通り、棚からH&Kの.45口径短機関銃のUMP-45を取り出したレニアスは、カウンターと一体化したショーケースの鍵を開け、中から同社製の大型自動拳銃を引っ張り出した。
「にしてもMk23とは……なんというか、相当物好きなチョイスじゃの」
H&K社のMk.23。日本では『ソーコム・ピストル』の名で知られる、その名の通りUS SOCOM――アメリカ特殊作戦軍の要請を受け、当時開発中だったUSPをベースに製作された特殊任務向け.45口径自動拳銃である。現在ではUSPの様々なバリエーション、そして同社のHK45に押される形で市場から消えていく一方の本銃は、一部のガンマニアにウケるのみであった。言葉を口にしたレニアスとて、正直売れるとは思っていなかった品なのだから。
「レズはどーすんだァ?」
振り向いたキッドの言葉に、リンは頬を膨らませながら、
「レズって呼ぶんじゃねーよヤク中――あたしはドラグノフを頼むぜ」
「ん、それなら幾らでも在庫があるの」
少し奥にあるガンロッカーを開いたレニアスは、オーダー通り、旧ソ連の半自動狙撃銃であるSVDドラグノフを取り出した。木製合板の銃床とハンドガードの通常型だ。
「リサは? なんか買うモンでもあんのか」
「私はもう済んでるんでね。ホラ」
リンのそんな問いに、リサは手に持っていたガンケースの中身――先程購入したばかりのシャイ・タックM200狙撃銃を見せると、ニヤリと少し口角を緩ませ微笑む。
「ヒューッ……チョイス渋いぜ」
口笛混ざりのリンの驚嘆の言葉が店内に響くと、時を同じくして大量の弾薬を抱えたレニアスが店の奥から戻ってくる。積み上げられた銃火器の手前に次々置かれていく弾は.45ACP、7.62mm、ドラグノフ用の7.62mm×54Rやら、アールグレイご用達の.357マグナム、ハニー・バジャー専用の.300AACブラック・アウト弾や9mmルガー弾など多岐に渡っていた。
「弾はこれだけ分、妾からサービスじゃ。存分に景気よくブッ放してくるといいぞい」
「こりゃいいぜ。で、全部で幾らだ?」
「六十七万と五千。端数は切っても構わんか」
満面の笑みでレニアスから告げられた金額に、アールグレイは全力で顔面を引き攣らせつつも、震える手でクレジットカードを彼女へと手渡す。
「…………ヘイヘイ、キッドにリン。後で自分の分は払えよな」
「あァ? ツケだ」
「右に同じく」
「ウッソだろお前ら……」
結局支払いを全部担当する羽目になったアールグレイは、自身の毛根がストレスマッハで次々死滅していくのを何処かで実感していた。