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Order.01 FAITH

「――――で? 今回はまたどんな厄介事を持ち込んで頂いたのかね」

 日本、愛知県某所のとあるマンションの一室。そのリビングに据えられたソファへ、妙に尊大な態度で背中を預けながらそう言った青年。四方八方に吹っ飛んだ整合性の欠片も無い黒髪の彼の名は、戦部いくさべ 戒斗かいと。特S級ライセンスを持ち、十代という若さにして”黒の執行者”の異名を持つ、正真正銘腕利きの傭兵であった。

「そう言うなって坊主。今回のはおかみからの特命だ」

 そんな尊大極まる態度の戒斗へ、何とも気怠げな口調で告げた壮年の男。その顔立ちは『不幸面』という形容が最も適しているほどに薄幸。口元に目立つ無精髭や、妙によろよろっとくたびれたスーツがその印象を更に加速させている。これでも一応、一介の刑事だというのだから世界ってのは分からない。

 彼の名は高岩たかいわ 慎太郎しんたろう。何度か戒斗の元へと依頼を持ちかけて来た、彼とも顔馴染みの県警刑事であった。

「……警視庁から?」

 戒斗の言葉に、高岩はああ、と頷き肯定の意を示す。

「悪いが高岩さん。アンタの雇用先にゃ、俺みてえなしがない傭兵風情よりかよっぽど便利なドンパチの専門家を抱えてるだろ。生憎俺だって命は惜しい。今回はパスだ、パス」

「残念だが坊主、今回SATは動けない」

「何だって?」

「だからこそ、お前に白羽の矢が立った」

 いつもそうだ。この全身不幸まみれの刑事が持ち込む依頼は厄介極まりないのがいつものこと。どうやら今回も……そんな雰囲気だ。

「ハァ……で? さっさと本題に入ってくれ」

 大きく溜息をきながら組んだ脚を組み替える戒斗。

「今回お前に依頼するのは――――潜入捜査だ」

 ……どうやら、相当に骨の折れる大仕事になりそうな予感だ。





「そういう訳で、一週間後から俺が駆り出されることになった」

 高岩との会合から数時間後。戒斗は場所を変え、今回の依頼における彼の支援を担当するメンバーを全員、馴染みの銃砲店『ストラーフ・アーモリー』の二階空き部屋へと集めていた。

「……潜入、捜査?」

 集まった中の一人。短く切り揃えたショートカットに端正なものの何処か幼さの残る顔立ち。しかしその瞳に確かな眼光を宿す小柄な体格の少女、長月ながつき はるかが疑問の声を漏らす。それに対し戒斗はああ、と肯定する。

「まずはコイツを見てくれ」

 告げると、戒斗は部屋の電気を落とす。暗くなった部屋の中、灯すのはプロジェクタ。壁から吊り下げた大きなスクリーンへと、部屋中央付近へ適当に置いた長机の上に鎮座するプロジェクタより映写。青一色の画面が映し出された。

 戒斗が手元のノートパソコンを二、三度操作すれば画面は入れ替わり、とある企業のウェブサイトがそこに映し出される。

「潜入先は『インペリアル・アーム』。貿易系の中堅企業だ」

「確かそこ、所謂『天下り企業』って奴じゃないの確か」

 戒斗の言葉を遮り、少々棘の強い口調でそう言ったのは、これまた十代後半の少女であった。襟足をショート気味に切り揃え、頭の左右からは短めなツインテールで特徴的な桃色の髪を垂らしている彼女の名はあおい 瑠梨るり。こんなナリでも、戒斗が個人経営で営む戦部傭兵事務所のれっきとした社員なのだ。尤も、彼女はドンパチ戦闘要員でなく、専ら情報系の後方支援担当だが。

「その通り。ま、単なる天下りなら、よくある事例だったんだがな」

「結局、何だってのよ」

 瑠梨の問いに、戒斗は少しの間を空け、それに答える。

「政治屋との癒着や汚職。それに脱税。この辺は知っての通りだ」

 戒斗の言葉に「そうね」と頷く瑠梨。

「んで、ここからは未公開の不確定情報。なんとも浅ましいことに、奴ら武器商にまで手を伸ばしやがったと」

「……なんですって?」

 その言葉に反応したのは、戒斗にとっても意外な人物であった。

「何か引っかかるのか、香華?」

「そこ、前にウチの民間軍事部門と取引したところよ」

 香華、と呼ばれたその少女は神妙そうな面持ちでそう言った。

 彼女の名は西園寺さいおんじ 香華きょうか。数多の企業を抱える一大コンツェルン、西園寺グループのご令嬢である。前に彼女の護衛依頼を受けたことからズルズルと相互協力の関係を持ち、初対面では流れるように美しい腰までの金髪に、整った容姿の美貌。それと相反する妙な性格のキツさのギャップに随分驚かされたものだが…………今はどうでもいい。

「何だって?」

 思わず戒斗は訊き返してしまう。

 西園寺グループ。その巨大さから、トップの命が狙われることも少なくない。故に強力な私兵部隊を持っている。戒斗自身、何度か彼らの世話になった。その私兵部隊、強大な戦力故に各方面にて重宝され、片手間で民間軍事企業も営んでいるのだが……。

「ええ。何だったかは覚えてないけど、輸送貨物の護衛って契約だった筈よ」

「何処までだ?」

「東海岸からパナマ経由で横浜まで。別段襲撃とかは無かったけどね。今にして思えばアレ、密輸の片棒担がされてたのかも」

 その言葉に、ふむ、と戒斗は思案する。高岩から聞き及んだ時は随分荒唐無稽な話だと心の片隅で思っていたモノだが、香華の言葉によって情報の信憑性は一気に増す。

 通常、貿易企業の海運程度で民間軍事企業を雇うことなどまず有り得ない。海賊の頻繁する地域――ソマリアなどを通るのであれば話は別であるが。少なくとも聞いた限りでは、ルート上は非戦闘地域。そんな場所を通るのにPMSCを雇うなど、あまりに不審であると戒斗は感じていた。

「……まあいい。その件はまた別で調べを進めることとしよう。問題はその武器商に手を出したってことだ」

「ねぇ戒斗、こんなこと言っちゃ悪いけど、それの何が問題だってのよ?」

 次に彼へと飛んで来たのは、またも少女の声だった。尤も、今この場には戒斗以外、全員生物学的性別が女性の人間しか存在しないのだから、当たり前のことではあるが。

 髪を頭の後ろでポニーテールに結った、この中では比較的身長は高い方の彼女の名は折鶴おりづる 琴音ことね。戒斗の十年来の幼馴染にして、現在進行形で護衛任務を請け負っている対象でもあった。

「問題も問題だ。奴ら新参者の素人連中がウェポン・ディーラーなんかの真似事でいい気になってみろ。それこそ本業の連中がお抱えの私兵抱えて攻め込んで来かねん。それを未然に防ぐ為にも、奴らの違法取引の尻尾を掴んで来いという訳だ」

「……成程。要はこの日本を、極東の火薬庫。バルカン半島にしたくないって魂胆ね」

「そういうことだ。分かってるじゃないか瑠梨」

「私を誰だと思ってるわけ?」

「はいはい。そりゃすんませんでした」

「……戒斗。潜入は良いとしても、その方法はどうする気なの」

 次に疑問の声を口にしたのは、黙ったまま彼の言葉を聞いていた遥だった。彼女の問いに対し、戒斗はスクリーン上にPDFファイル。そして長机の上に幾つかの書類とIDカードを置くことによって答えた。「これは?」と遥。

「やったらと用意周到なようで。俺の偽造パスに履歴書、その他諸々の書類一式まで全部セットで寄越しやがった」

「警視庁の依頼の割に、随分と気前が良いことね」

「高岩さん曰く『どうやら知らなくていいこと』らしい。まあソッチの方は、瑠梨。調べたけりゃ勝手に調べてくれ」

 黙ったまま頷く瑠梨。これでも彼女、かつては義賊とまで崇められた天才スーパーハッカー。”ラビス・シエル”の二つ名すら持っていた、正真正銘情報戦のスペシャリストだ。比喩抜きで米国のNSAかCSSにスカウトされても不自然じゃないレベルの腕を、彼女は持っている。そんな彼女が、今回の案件に関する『裏』のデータベースを足を残さず片っ端から漁ることなど、片手間以下で出来るであろう。

「今回は相当にデカいヤマになりそうだ。下手をすればドンパチだって有り得る。潜入は俺が単独で。バックアップに遥と、後は香華のPMSCを何人か貸してくれ」

 戒斗の言葉に、遥、そして保有するPMSCの実質的統括者たる香華は頷く。

「最悪の事態――ドンパチが発生するような事態になった時には狙撃支援に琴音、後はリサをL.A.から急遽呼び寄せた。三日後には到着する手筈になっている」

「え、リサさん来るの!?」

「ああ。お前に会うの楽しみにしてたぞ」

 嬉しそうにそう言ったのは、無論琴音である。ウキウキ気分なのは良いのだが、生憎楽しい楽しいバカンスじゃ無いんだぜ? ――そう言いかけたが、彼女の気を今から落とすのもアレだと思いめた。

「情報管制にはいつも通り瑠梨。後は香華、プレデターを一機と、何だっけあの混血の可愛い娘ちゃん」

「キエラのこと?」

「ああそうだ。キエラちゃんも貸してくれ――そういう訳で、今回も頼めるか? 瑠梨」

「何言ってんのよ。私はアンタの社員。なら社員らしく、社長の命令には従うだけ」

 そう言い放つ瑠梨。彼女との関係はかなりドライでビジネスライクではあったが、それも悪くないと戒斗は思う。事実、彼女の腕は本物なのだから。

「今回は弾代も全部桜の代紋(ケーサツ)持ち。その上作戦行動用の車も何台か貸し出す大盤振る舞いだ。だが――それだけリスクの高い案件でもある。全員気を引き締めて当たってくれ」





 そして、翌日。琴音を学園へと送り出した戒斗は潜入任務の準備を行うべく、大量の荷物を抱え武家屋敷――遥の住まいたる、彼にとっても馴染み深いこの場所へと来ていた。

 門を開放すれば敷地内に車が立ち入れる構造の屋敷。その玄関先近くの砂利が敷かれた空間には、二台の車が置かれていた。黒塗りのバンである二代目マツダ・MPVに、空色の同社製セダンタイプの初代アクセラ。いずれも今回の行動用にと、依頼主から貸し出された車両だった。

 自身の車を停めたガレージより出た戒斗は、それら貸与車両を横目に、パンパンに膨れ上がったボストンバッグを幾つも抱えながら玄関へと歩く。

 両手が塞がっている故、鍵を開けることもままならない。仕方なしに無理矢理引き戸を二、三度小突きノックをする。するとそう間も無く扉は開き、中から出てきたのは案の定、遥だった。

「よう。邪魔するぜ」

「……どれか、持とうか?」

 戒斗の抱えるボストンバッグを一つ肩代わりしようとする遥であったが、それを戒斗は制す。

「気持ちだけ受け取っておく。ここで大人しく任せたんじゃあ、男の名折れってもんよ」

「そんなもんなんでしょうか」

「そんなもんだ」

 妙に間の抜けた会話を交わしつつ、両肩に抱えた三つのボストンバッグを玄関先に下ろす戒斗。凄まじく鈍い音が響き、床板が若干軋む。

 一息ついた後にそれらを敷地内に併設された道場へと運び込むと、戒斗は漸くにしてバッグの中身を解放することが出来た。

「……それにしても、凄まじい量」

「まあな。とりあえず現状確実に要りそうな奴は全部掻き集めて来たし」

 展開していく中身は多種多様。自動拳銃やライフルなどの小火器類や弾薬などは勿論のこと、大小様々なナイフに各工作機材、極め付けがスーツまでもが詰められていた。

「願わくば、一発も撃たないで済むことを祈りたいが」

 無理だろうな、とも戒斗は同時に思う。何せこの手の任務、未だ嘗て自分の経験上でスマートに事が運んだことなど一度たりとも覚えが無いのだから。大小に違いはあれど、ドンパチは必ず遭遇している。

「そういえば遥、お前は行かなくていいのか? 学園に」

「……構わない。それに、戒斗一人だと多分、日が暮れるまで終わらないだろうし」

「あー、なんか悪いな」

 後頭部を掻きながらバツの悪そうに言う戒斗と、特に気にしていない様子の遥。彼らにとって随分と見慣れたいつもの二人で、とりあえずは行動開始の準備を始めることとした。





「――悪い、そこの六角レンチ取ってくれ」

「これ?」

「そそ。助かる」

 そうして結局、早朝から始めたこの作業は正午少し前。つまり現時刻まで掛かっていた。今は取りあえず一通りの整理を終え、最後に武装類のチェックを行っている段階だが。

 遥から受け取った六角レンチを手に、戒斗はドイツ製突撃銃(アサルト・ライフル)、HK416の上面ピカティニー・レールにEOTech社の等倍率照準器、552ホロサイトを取り付ける。キツくレンチで締め、ガタツキが無いことを確認すると戒斗は座ったままの姿勢で一度構える――問題ない。後は実射しての微調整を行うだけだ。

「これで大体終わったか。後何か残ってるか?」

 道場の一角に敷いた広いブルーシート。幾つもの銃火器類が並べられているそこにHK416を置きながら戒斗は問う。

「……これで、ラスト」

 振り向けば、座ってボストンバッグを弄っていた遥の手には巨大な鉄の塊が握られていた。それを見た戒斗は「……げ」と思わず声を漏らす。

 彼女が手にしていたのは汎用機関銃、サコー・M60E4。帰国時に持ち込んだはいいが一度も使わず、今の今まで自宅武器庫の中で埃を被っていたモノだった。

「これバラして終わり、か……はぁ。憂鬱になる」

 遥の手からM60を受け取り座りつつ、戒斗は溜息交じりの一言を呟く。

「そんな大仰なの、必要?」

「ま、一応な。折角バンを借りられたんだ。コイツ積んどいても損は無いだろうさ」

 言いながら、戒斗は手にしたM60のハウジング・カバーを跳ね上げると、まずは銃身を引き抜く。次にハンドガードに当たる部位、フォアアーム・アセンブリを取り外した。

 次は銃床底部のパットプレートを跳ね上げ、小さなピンを押しロック解除。銃床ユニットを外し、ストッパーの役目を果たすバッファー・ヨークを引き抜いた。続いてバッファー・アセンブリとリコイル・スプリング一式を抜き取り、撃発の要たるボルト・アセンブリとオペレーティング・ロッドを外すと同時に、ボルトと切り離す。

 次はグリップ。フラット・スプリングと、それに保護されていたピンを解除。そしてシアや撃鉄(ハンマー)などの撃発機構が丸々内蔵されたグリップを取り外した。

 最後に取り掛かるのは、跳ね上げたままのハウジング・カバー。可動部のヒンジピンを抜き、そのカバーとスプリングも抜き取る。そしてハウジング・カバーを丸ごと抜き取り、給弾ガイドになるフレーム・アセンブリを取り外せば簡易分解フィールド・ストリッピングは完了だ。

 後は各部の汚れたガンオイルやらを入念に拭き取り、錆が無いかを確認しつつ新たなガンオイルを吹いては元のように組むの繰り返し。戒斗も慣れたもので、ものの二十分程度で作業を終わらせてしまった。

「これで……ラストっと」

 組み上げたM60のハウジング・カバーを叩き付けるように閉じ、一度動作確認も込めて右側面のボルトハンドルを引き、放す――問題ない。

「ん?」

 M60をブルーシートに置きに行こうと膝を立てれば、いつの間にか自分のすぐ傍に居たはずの遥かの姿が何処にもないことに気付く。

「遥?」

 呼びかけてみるが、反応は無い。本宅に帰ったのだろうか――そう考えつつ、M60をブルーシートの上に置いた戒斗は道場を後にしていく。

 本宅までの道すがらに通ることになる離れの洗面所でガンオイルまみれの手を洗い、渡りのような構造になっている廊下を通り本宅へ。

「……ん?」

 丁度、その渡り廊下に差し掛かった辺りだろうか。戒斗の鼻腔を微かにだが、香ばしい匂いが刺激する。

「何だ、一体」

 怪訝に思いつつも歩を進める戒斗。一歩進む度にその匂いは濃くなり、食用油のモノだということまでもが分かるほどにまでなる。そうして歩いていくと、当たり前だがその発生源はリビングに隣接された、板張りの床のカウンター式キッチンからだということに気付く。

「遥ー? 居るのかー?」

 呼びかけながらキッチンへと足を踏み入れる戒斗。そこには案の定というべきか、遥の姿があった。しかし……

「あっ、戒斗。もうすぐお昼出来るから、もう少し待ってて」

「――ぶほっ」

 フライパンを保持しながら振り向いた彼女の姿は、何故かエプロンであり。小窓から差し込む柔らかな光に照らされた、そんな妙に甘ったるい光景を疲労の中で見せられてしまった日には幾ら戒斗とて、卒倒せずにはいられなかった。





「いやー、死ぬかと思った」

「……そんなに、駄目だった?」

「いや逆。目の保養になりすぎて俺の意識が月まで吹っ飛んだだけの話さね」

 その後、畳張りのリビングで昼食と洒落込んだ戒斗と、若干頬を赤らめた遥の二人。ちなみに本日の昼食、珍しく遥のお手製である。これが意外と……と言っては彼女へ失礼に当たるが。兎に角中々に美味く、上手い具合に戒斗の好みを突っついていた。

「ま、偶にはこうしてのんびり過ごすのも悪かねえ」

 言いながら戒斗は、箸の先で卵焼きを突っつき掴み、少し醤油を付け口に運ぶ――うん、美味い。甘くは無く、それでいて焼き加減が柔らかすぎず、中々に好みな感じに仕上がっている。

「美味い。また一段と腕が上がったみたいだな、遥」

「……そう?」

「ああ。随分と」

「ふふっ、ありがと」

 柔らかな笑みを嬉しそうに浮かべる遥。彼女と出逢った当時と比べ、随分と表情豊かになったもんだと、ふとこういう瞬間に感じる。いや……ひょっとすると自分が彼女の微細な表情変化に機敏になっただけなのかも知れないが。何にせよ、見ていて飽きるもんじゃないのは確かだ。一見すると感情希薄に見えるのが遥だが、意外にもその起伏は大きい。

「最近は連中もナリを潜めている……ある意味、不気味だけど」

「”方舟”のことか」

 その言葉に、ええ、と遥は肯定の意を示す。

「きっと水面下でまた悪巧みでもしてんだろうよ。つっても情報がない限り、俺達には何にも出来ねえ。全く無力なモンだぜ、俺達傭兵ってなよ」

「……それでも、尻尾を出したら」

「徹底的に叩き潰す。奴の件もあるしな。ここまで来たら手は引けんさ」

「浅倉のこと?」

 ああ。そう言って戒斗は頷く。

 浅倉――浅倉あさくら 悟史さとし。彼の片親を殺した、復讐すべき相手。首から下げた特別製(・・・)の9mmルガーは、奴を殺す為の特別な一発。

「奴は……俺が、必ず」

 空の茶碗と共に箸を置き、呪いにも似たその名を呟く戒斗。そして、そんな彼の姿を眺める遥は……。

「……心配すんな」

 そして立ち上がると、長机の向こうに座る遥の元へと歩き、その頭に自身のてのひらをポンと置く。

 ――失念していた。自身で決意したのにも関わらず。復讐の為に生きるのは止めにする、と。

「戒斗……?」

「悪い悪い。あのヤローの事となると頭に血が登る癖、まだ治り切ってねえみてえだ」

「……分かってる。戒斗」

「俺は戦う、戦い続ける。キッチリ浅倉を始末して復讐も果たし、そして琴音も護り切る――だが、それは通過点に過ぎねえ。そうだろ?」

 黙ったまま頷く遥の隣へと腰を落とす戒斗。

「……俺達で決着を付ける。奴らに振り回されるのはもう、俺達だけで十分だ」

「大丈夫。戒斗なら出来る。私は……信じてるから」

「ヘヘッ、嬉しいこと言ってくれるじゃないの」

 再び笑い出す戒斗、そして遥の二人。血で薄汚れた茨の道を歩んで来た自分だが……漸く、一つの光明が見えた。彼女という、恐らく戒斗にとって二度と手にすることの出来ないであろう光が。

 だからこそ、俺は遥を護る為に銃を取る。その先に待ち受けるのが孤独な死でも――別に構わないと。いつしか彼女の存在は、戒斗の根本すら揺るがす大きなモノとなっていた。

「…………今の俺をアイツが見たら、なんて言うだろうか」

「アイツ?」

「覚えてるか? シカゴで一発やらかした時に矢鱈と絡んで来たアイツだよ。”死の芳香”、『なんでも屋アールグレイ』ことアールグレイ・ハウンド――いや、グレイ・バレットだったか」

 戒斗の脳裏に浮かぶのは、あの妙に人懐っこいフランクな笑みを浮かべるアールグレイ・ハウンド――そして、その裏に時折見え隠れする、煉獄のように濁った彼。かつての自分と何処か重ね合って見える、グレイ・バレットの姿。

「はてさて。おっ死んでなきゃいいがね」

「何なら戒斗、電話の一本でも掛けてみたら」

「遥、そりゃ冗談キツイぜ。俺のガラじゃねーよ」

 言いながらふと思い出し、戒斗は履いたジーンズの後ろポケットを弄る。そして彼の手に握られていたのは、いぶし銀の鈍い光沢を放つ、使い込まれた傷だらけの古ぼけたジッポー・オイルライター。その裏側に深く刻まれた、十三文字のアルファベット『EarlGrey Hound』――――アールグレイ・ハウンド。

「戒斗、それは?」

 物珍しそうに手の中にあるジッポーを見つめる遥。それもそうだ。基本的に煙草を吸わない戒斗とこのような品、本来無縁なのだから。

「別れ際にアイツから押し付けられた奴さ」

 ほれ、と戒斗は遥にそれを手渡す。渡されたジッポーをまじまじと眺める遥の姿を一度チラリと見、そして少し口元を緩めると、戒斗は開け放たれた襖の向こう。廊下のガラス戸に見える蒼穹の空を眺めながら、ふと呟く。

「アールグレイ・ハウンド――――いや、グレイ・バレット。お前は……」

 この何処までも続く空は、きっと遠く離れたあの場所にも。一時の出逢い、そして別れを刻んだシカゴの街にも続いているのだろうか。そして――そこで、奴もまた同じように、同じような空を眺めているのだろうか。

「――――お前は、戦いの果てに何を求め、銃を取ったんだ」

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