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03 二人の出会い(1)

皆々様明けましておめでとうございます。本年は更新速度を上げられるよう頑張りたいと思います。


文意が通りにくい箇所の見直し並びに公式による〈スワの湖畔市〉の解説への対応に伴い、00~02を修正しています。

文章を細々と追加していたりしますが、"湖畔市"以外の設定や話の流れ自体はそのままです。


2014/01/03 初稿

「はあ~、予想通りと言うか、何と言うか……事情は帰って来たら説明して下さいね」


 宿屋〈希望の(ふくろう)亭〉の一室。トラクからの念話を終えたリュージュは、予想通りの兄貴分の行動に溜息を吐いた。


 "ゲート"の前で突然「フィールドを偵察して来る」と言い出したトラクが〈シブヤ〉を発ったのがお昼過ぎ。それ以降、日がとっぷりと暮れてしまった今に至るまで連絡一つ寄越さなかったのだ。その上、連絡してきた内容が「日が暮れてしまったので、適当に宿を取った。明日正午に合流しよう」だ。何か事情があっての行動であるのは明らかだったが、心配する方の身にもなって欲しい。


 そんな、トラクの行動に対する愚痴が存分に詰まった溜息であった。そして吐息と共に不満の水位が下がれば、愚痴の湖に沈んでいた感情――トラクの行動に対する疑問が顔を出す。それは、トラクと行動を別にして数時間、リュージュがずっと抱いていた感情でもあった。


 トラクが説明も無く飛び出す程の事情。明日には判ることであったが、リュージュはそれが気になって仕方が無かった。何か、大事なことを忘れている。そんな気がするのだ。


 ゲームなら兎も角、普段のトラクは世間体や費用対効果を念頭において行動するタイプの人間だ。それが感情優先で行動するとなると、それこそ家族や身内に関わること位しか思い付かない。


 しかし、トラクの妻(あねさん)は他界しており、彼の娘(ことちゃん)は〈エルダー・テイル〉をプレイしていない。昔馴染みだろうか?


 結局、葉衣(ようえ)の名前に行き着くことの無いまま、もやもやとした気持ちで夜を過ごすリュージュであった。


     ◇     ◇     ◇


 リュージュが思い悩んでいたその頃、〈スワの湖畔市〉。リュージュへの連絡を終えたトラクもまた、煩悶(はんもん)していた。脳裏に流れる念話の軽快な呼び出し音とは裏腹に、トラクのイライラは順調に蓄積されている。


 相手は大手ギルドの幹部、他の〈冒険者〉から頼られる存在である。この非常事態に多くの相談が寄せられているであろうことは想像に難しくない。だが、葉衣との再会直後から繰り返し念話を入れること実に十二回。その(ことごと)くが話し中であったのだ。自身もその相談者の一人とは言え、愚痴が苛立ちに変わるのも無理のない話であった。


「おや、トラク君。君から念話とは珍しいね」


「教授、すまないが力を借してほしい」


 十三回目にしてようやく繋がった念話。穏やかな中年男性の応答に対し、トラクは挨拶や安否確認もすっ飛ばして用件を切り出した。トラクの「相談事」とは、言うまでも無く葉衣の処遇についてである。


 わざわざ〈スワの湖畔市〉まで〈鷲獅子〉(グリフォン)を飛ばして迎えに行った相手は、弟分ではなく、稲荷神を名乗る少女。


 予想の斜め上を行く事態に困惑したトラクは、信頼できる相談相手として数年来の知己に白羽の矢を立てた。広範に及ぶ深い造詣と鋭い観察眼、落ち着いた物腰の紳士であり、仲間内からは敬意を込めて〈教授〉の二つ名で呼ばれている男である。


「ふむ、稲荷神を名乗る〈狐尾族〉の〈神祇官〉(カンナギ)ですか。彼も中々気合の入ったロールプレイをしますね」


「教授、笑い事じゃ――!」


 トラクから一通りの事情を聴いた教授の第一声がこれである。神妙に言葉を待っていたトラクも、教授の軽い口調に強い調子でツッコミを入れてしまう。だが彼の回答がここで終わるようであれば、トラクも〈シブヤ〉を含め何度も念話を掛けたりなどしない。


「葉衣君には会ったことがありませんが、容姿はリュージュ君とは全く異なっているのですね?」


「ああ。教授も知っている通り、リュージュの方は見た目は現実世界(リアル)のまんま。んで、葉衣の方は嫁が『萌え』を追求した結果だ。竜嗣(りゅうじ)とは共通項が1つもない」


 教授はトラクの言葉に頷くとそのまま黙り込んだ。そのまま数秒の時が流れ、教授が再び口を開く。


「結論から言いましょう。断言は出来ませんが、時間と共にそれぞれ別個の人格に変化すると予想されます」


 ここからは少々専門的な話になります――そう前置きして、教授が言葉を続ける。結論だけで十分と言うトラクの静止は残念ながら間に合わなかった。


「人格というものは、日常生活により日々更新が繰り返されるものです。そうですね……経験に伴う成長と言い換えても良いかもしれません。そして、ヒトという生き物は視覚上位の――」


 教授による「人格形成における視覚情報の重要性」の講義は20分以上に渡って開催されたが、トラクにはその半分も理解することは出来なかった。教授の数少ない欠点にして、教授が『先生』ではなく『教授』と呼ばれる所以、それがこの『講義好き』であった。


「つまり、根っこは同じでも時間経過と共に別人格を形成すると?」


「ええ、暫くは互いに認識させないようにして様子を見た方が確実ですが……恐らく、葉衣君はす「のう、トラク。リュージュ姉さまは来ておらぬのか?」」


 難解な説明を何とか要約したトラクの質問と教授の肯定。前準備も無く専門的な講義を聴かされて、曲がりなりにも結論を導いた辺りは大したものである。


 しかし、トラクの推論に対する首肯から続く教授の言葉は葉衣の言葉で遮られ、トラクの耳に届くことは無かった。服の裾を引き、トラクを見上げる葉衣。その瞳は「自分も構え」、そう言っている様に感じられた。トラクは教授に断りを入れ、葉衣に向き合うと穏やかに語り掛けた。


「リュージュはシブヤだ。悪いが私も大事な話し中でな、もう少しだけ待っててくれるか?」


 トラクの言葉に頷き、彼の膝に頭を乗せて甘える葉衣。そして、彼女の頭を撫でながら優しげな視線を向けるトラク。仕事の電話に対応している父親と、その父親に甘えている娘の図がそこにあった。三十路の男性に向けるには余りに不適切な態度であったが、トラク自身、葉衣を竜嗣(おとうと)と思うことが出来ないでいた。強いて言えば、彼の娘が妥当だろうか。また、当事者の片割れたる葉衣もトラクの行動を喜びこそすれ、非難することは無かった。


「中断させてすまない。で、さっきは何を言いかけたんだ、教授?」


「いえ、構いませんよ。それよりも、葉衣君は何と?」


「姉――リュージュは何処だと」


「ほう……リュージュ君は葉衣君の姉、ですか……ふむ、そう来ましたか。ですが、双方向の関係では……。いやはや、実に興味深い」


「それで、どう思う?」


「葉衣君がそう言っている以上、引き延ばすのは愚策でしょうね」


「だよなぁ」


 会話の中座を()びるトラクの言葉から続く一連の会話。リュージュと葉衣の二人に不信感を抱かせることなく、かつ月単位で面会を引き延ばす様な妙案がある筈も無く、翌日の対面が決定した瞬間である。


 方針を決めたのであれば、予想される問題への対策を考えねばならない。しかし、リュージュと葉衣の再会に関して今一つ乗り気でないトラクの動きは鈍い。煮え切らない態度のトラクの背を押すべく、言葉を選んだ教授であったがそれも長くは続かなかった。念話の向こう側、来客に応対する教授の言葉。それが、念話の終了を告げる合図となったのだ。


 「定期的に経過報告をお願いします」、教授のその言葉と共に終了した念話。中途半端に終わった再会への対策もトラクは気にしていなかった。むしろ、厄介な事柄から開放されてほっとしていた程である。考えるべき事柄から微妙に目を背けたまま、翌日の移動に備えてベッドに潜り込むトラクであった。


     ◇     ◇     ◇


 翌日の早朝。夜明けと共に〈スワの湖畔市〉を発ったトラクと葉衣は空の旅を満喫していた。


「見よ、トラク。馬があんなに小さいぞ! む、あれはフジの大霊峰かの?」


「はしゃぐな、葉衣。落っこちるぞ!」


 訂正。満喫しているのは一名。もう一名は子狐(ようえ)のお守りで絶景を楽しむ余裕は無かった。


 往路よりペースを落としたとは言え、吹き付ける風は体温を奪うに十分である。トラクも前日の皮鎧に代えて、厚手の服と外套(コート)を身に纏っている。葉衣は昨日と変わらぬ千早姿であったが、離陸して5分と経たずにトラクの外套に潜り込んでいる。


 前を合わせた外套の隙間から頭を出す葉衣の姿は、二人羽織と言うよりもカンガルーの親子を連想させた。事実、眼下の景色に心奪われた葉衣が、しばしば外套の隙間から身を乗り出しており、カンガルーっぽさに拍車をかけている。


 余談ではあるが、ゲーム時代、〈鷲獅子〉(グリフォン)の移動速度はおよそ時速40キロメートル弱で固定されている。『彼』の様に乗り手の意図を汲んで急いだり、吹き付ける風を考慮してペースを落とすなど有り得ないことであった。これもまたゲームとの差異であるのだが、トラクがその事実に気付くことは(つい)ぞ無かった。


「むぎゅっ! 何をするのじゃ!」


「だから、動くなって。手元が狂う」


 胸元で楽しげにピコピコと動くケモノ耳を押さえ付け、外套の中に戻すトラク。葉衣の抗議の声にも耳を貸さず、一言で斬って捨てている。その視線は油断無く周囲に向けられており、纏う気配にもピリピリしたものが混じっている。


 ここからは、〈フジ樹海〉や〈タカオ山〉と言った高レベルゾーンに隣接した区間が続く。仮にそれらのゾーンに迷い込んでも、飛行属性の難敵の登場までは幾らかの余裕がある。だからと言って、気を抜いて良い状況でないことは確かだ。万に一つの可能性に備え、気を引き締めるトラクであった。


「ねーえーさーまー!」


「葉衣、リュージュは工房には居ないぞ! ……って、聞いてないか」


 〈スワの湖畔市〉出発からおよそ3時間。着陸と同時に工房に駆け出した葉衣に声を掛けたトラクであったが、その声は届くことなく小さな背は門の向こうに消えてしまった。実に見た目通りの行動を執る葉衣に苦笑しつつ、トラクはグリフォンに向き直った。


 二日連続でおよそ100キロメートルの長距離を飛び続けたにも関わらず、その姿に疲労の色は無い。頼もしい相棒の姿に安堵するトラクであったが、今日中にもう一度、今度はアキバから工房まで飛んで貰わなくてはならない。


「今日中にもう一度召喚すると思う。すまないが協力してほしい」


 グリフォンの労を(ねぎら)い、言葉を掛けるトラク。言葉が通じるはずも無いが、何となく通じそうな気がしたのだ。当のグリフォンは、トラクが差し出したブロック肉を平らげるとあっさり飛び去っており、答えは分からず仕舞いである。


「トラク! リュージュ姉さまが居らぬのじゃ!」


 グリフォンを見送り、工房に足を踏み入れたトラクを出迎えたのは、血相を変えた葉衣の姿だった。リュージュの所在はトラクから聞いていたはずだが、この様子では完全に忘れて去っているようである。これは大事件だと力説する葉衣の頭をわしゃわしゃと撫でる。


(「馬鹿な子ほどかわいい」とはよく言ったものだ)


 不意に浮かんだフレーズに苦笑しつつも、再度リュージュの所在を告げたトラクの言葉が終わらぬ内に、今度は(リュージュ)を迎えに飛び出そうとする。全くもって落ち着きのない娘である。結局、彼女が今後の予定を話すトラクの言葉に大人しく耳を傾けたのは更に15分後のことであった。


「葉衣、リュージュを迎えに行ってくる。二時間ほどで戻ると思う。すまんが留守を頼めるか?」


「任せるのじゃ!」


「いいか、誰かに呼ばれても工房から出ないこと。それと、火は使わないようにな。それから……」


 工房の武器はロックしておけばいい。他に注意すべき箇所は無かったか、トラクは工房に潜む危険を捜し出すべく、思考を加速させた。


「妾を子供扱いするでないわ! 早よう行け!」


 葉衣の根拠の無い自信に一抹の不安を抱えつつも、トラクは〈シブヤ〉へと跳んだのであった。


 流石に昨日の今日で〈シブヤ〉の街に大きな変化がある筈もなく、道端では途方に暮れた〈冒険者〉たちが力なく座り込んでいる。トラクの足音に気付いた数人が投げて寄越す視線の中、大通りを"ゲート"に向かうトラク。その表情は項垂(うなだ)れている〈冒険者〉に負けず劣らず暗いものであった。リュージュに対する説明をどうするか、考えていなかったのだ。否、〈教授〉との会話で度々指摘されていたのだ。考えることを避けていたと言った方が正しい。


 昨夜の〈教授〉との会話、その中でトラクに授けられた「助言」は大きく分けて3つ。


 1つ目は、リュージュの居る〈シブヤ〉に葉衣を連れて行くのではなく、余計な外乱のない工房で二人を再会させること。


 2つ目は、いきなり二人を再会させるのではなく、リュージュに対して葉衣の存在をそれとなく匂わせておくこと。


 3つ目は、リュージュと葉衣、二人の言動が矛盾していても指摘しないこと。


 特に2つ目の「助言」については、リュージュが誰か重要な人物を忘れていることに思い至りつつも、葉衣の名前には行き着かない程度と言う絶妙なさじ加減が要求される。その難易度の高さから、〈教授〉が台詞に至るまで詳細に詰めようとした部分であり、トラクの仮初(かりそめ)な態度により対策案すら纏まらなかった部分である。


 葉衣の件をどう伝えるかだけでも、もう少し詰めておけば良かったと後悔しても後の祭り。刻限は直ぐそこに迫っており、今更〈教授〉に相談するだけの時間は無い。


(このままコイツらの横で頭を抱えていられたら……楽になれ――ないな)


 思わず他の〈冒険者〉と並んで頭を抱える自分を想像したトラクであったが、自嘲と共にあっさりと否定した。


 自分が〈シブヤ〉に到着していることは、フレンド・リストのお知らせ機能によってリュージュの知るところとなっている筈である。約束の時間に現れなければ、草の根を分けても探し出そうとするだろう。自分には、彼らの様に存分に思い悩む時間は残されていないのだ。


 現在進行形で絶望を突き付けられ、葛藤を繰り返している彼らが聞けば噴飯(ふんぱん)ものの言い種であるが、紛れも無いトラクの本心であった。


 実際、ゲームの現実化以降のアレコレは、トラクの対処能力(キャパシティ)を完全に越えてしまっていた。彼が捨て鉢にならずに居られるのは、竜嗣に対する兄貴分としての意地に過ぎない。そして、己を貫き通せる程の信念も、在るがままを受け容れるだけの度量も持ち合わせてはいないトラクにとってはそれが精一杯だったのである。未だ自分の心に折り合いを付けることもできず、状況に流されるまま"ゲート"に向かうトラクであった。


     ◇     ◇     ◇


 トラクが煮え切らぬまま、重い足を引き摺っていた頃、リュージュは既に"ゲート"に到着していた。トラクの推測通り、彼が〈シブヤ〉に到着していることは既に把握している。あと十数分の後にはその姿を捉えることが出来る筈である。


(さて、兄貴はどんな言い訳を聞かせてくれるのでしょうね)


 間近に迫ったトラクとの再会、そしてその場で繰り広げられるであろう弁解に思いを馳せ、微かに笑みを浮かべるリュージュ。瞑目しつつも、口元が緩む姿は人待ちに見えなくもない。


 だが、その身に纏う空気に想い人を待つ乙女心や身内に寄せる友愛の情の様な暖かな成分は微塵たりとも含まれてはいない。ただ、抜き身の刀の如き殺気が漏れ出すのみである。人待ちは人待ちでも、巌流島で宮本武蔵を待つ佐々木小次郎、あるいは冬の城で過去の己を待つ錬鉄の英霊、はたまた練気闘座で正統伝承者を待つ世紀末覇者といった風情である。


 正に死闘(あらし)の前の静けさ。周囲の〈冒険者〉が固唾を呑んで見守る中、トラクを待つリュージュであった。


「で、兄貴。事情は説明してくれるんでしょうね?」


 "ゲート"前の広場に到着したトラクを待ち受けていたのは、腕を組み仁王立ちする義弟(リュージュ)の姿であった。切れ長の目は涼やかを通り越して絶対零度の視線を放っている。背筋を伸ばし、開口一番に状況の説明を求める辺り、なあなあで誤魔化されてくれる気は無いらしい。


 対するトラクは、広場に足を踏み入れると同時に表情を引き締めただけで、特に臆した風もなくリュージュに歩み寄った。その場を支配する殺気も、射抜かんばかりの視線も気にせず、無言で歩を進めるその姿に周囲の緊張感も否応なく高まる。


 一歩……無造作にトラクが間合いを詰める。


 二歩……足付きにブレはなく、視線はリュージュを捉えて放さない。


 三歩……両手剣の間合い。柄にも手を掛けず、その足取りに迷いはない。


 四歩……既に手を伸ばせば届く距離であるにも関わらず、その歩みは止まらない。


 予想外の行動に周囲がざわめく中、トラクはゼロ距離、抱擁すらも可能な位置に至った。そして、リュージュの耳元に顔を寄せ――。


「リュージュ。済まんが説明は後だ。工房に戻るぞ!」


 リュージュの答えを待たず、その手を取って歩き始める。彼らしからぬ行動に虚を突かれ、トラクの成すが侭に連れ去られて行くリュージュ。そして、二人を見送る〈冒険者〉たちの拍手と歓声の渦。


 何処からともなく流れてくるリュートの音色。降り注ぐ色とりどりの花弁。そして、広場に集まった〈冒険者〉たちの笑顔。


 街全体を覆う沈んだ空気とは裏腹に、ゲーム時代と変わらぬ盛り上がりを見せる"ゲート"前広場。勿論、この場に居る〈冒険者〉たち全てが心に折り合いを付けている訳ではない。だが、そんな内心は兎も角、お祭り好きのゲーマーの血が目の前のイベントを見逃す道理も無く。


 斯くして、絵に描いたようなラヴ・ロマンスのクライマックスシーンが演出されたのである。


 胸を張り、堂々と人垣を割るトラクの後方、彼に手を引かれる格好となったリュージュは羞恥に頬を染めていた。その表情からは、先程までの広場を凍り付かせた殺気も、噴火直前の火山を思わせる静かな怒りも感じ取ることはできない。


 そもそもリュージュの怒り自体、非常事態に姿を晦ましたトラクへの不満、大事な何かを思い出せない焦燥感、そして自分だけ蚊帳の外に置かれているような疎外感がほど良くミックスされ、寝不足というスパイスを効かせた産物である。突然のトラクの奇行を前に根の浅い感情は霧散し、その脳裏では困惑と疑念、僅かばかりの羞恥が高速回転を始めていたのである。


 ――あ、兄貴が壊れた!? 姐さん、私はどうすれば?


 ――も……もしかして、私、喰われちゃう展開!? 皆も囃し立てないで、タスケテー


 ――いやいや、何を馬鹿な……男同士、そんなことある訳ないじゃないですか


 ――落ち着け、私。冷静になりなさい。まず、何故工房に? 〈アキバ〉に向かうはずでは?


 ――兄貴は何かを掴んだのでしょうか?


 ――いや、それならあの場で十分の筈です。人目を(はばか)るにしても、宿という手もありますし……


 勿論、リュージュが深読みし過ぎているだけであり、実状は弟分(リュージュ)を言い包める上手い言葉を思い付かなかった兄貴(トラク)が勢いだけで押し切ろうとしているだけである。しかし、兄の真意など知る由もない弟は無言のまま思考の袋小路に陥り、その沈黙はグリフォンの背にあっても継続されたのであった。


 一方のトラクは、思案顔で付いて来るリュージュの姿に胸を撫で下ろしていた。1つ目の「助言」は達成したものの、2つ目の「助言」は手掛かりすら掴めていない状態だ。葉衣の件を説明する台詞を持たないトラクにとって、黙考するリュージュの姿は非常に都合の良いものだった。工房までの移動時間で葉衣のことを匂わせる上手い言い回しを考えれば良い、そう考えていたのだ。


 だが、そうそう都合良く思い付く様であれば、〈教授〉も一言一句に至るまで詰めようとするはずもない。工房を視界に捉えた今尚、トラクは状況を説明する言葉を見付けられないでいた。正直に、お前の分身は稲荷神を名乗る少女になっていたなどと告げようものなら正気を疑われかねない。


(取り敢えず、グリフォンに肉をやって、ブラシを掛けないと)


 グリフォンの労を(ねぎら)うという名目で姑息な時間稼ぎをしようとしたトラクであったが、その目論見は鞍を外すなり勢い良く飛び立ったグリフォンによって阻止された。青空に緩やかな弧を描いて飛ぶ姿は、浅はかなトラクを嘲笑う様でもあり、煮え切らない彼に発破をかける様でもあった。


 ――盟友(とも)よ、往生際が悪いぞ


 ――リック、貴様ぁ……裏切る気か!?


 ――埒もなし。今更、時間稼ぎなどしてどうなると言うのだ?


 ――くっ……


 ――せいぜい覚悟を決めることだ


 悠々と飛び去るグリフォンを恨めしそうに睨んでいたトラクであったが、諦めの溜息を漏らすと先行するリュージュの背を追った。せめて葉衣を保護したこと位は伝えておくべきであろう。そう考えての行動であったが、トラクの判断は余りに遅すぎた。


 工房に足を踏み入れたトラクを出迎えたのは、見慣れた後ろ姿だった。背後のトラクにも気付かず、ただ前方を凝視している。その視線はテーブルに突っ伏して寝息を立てている葉衣の姿から動かない。


「リュージュ?」


 弟分の異変を察したトラクが声を掛けるが、反応は無い。茫洋とした目を葉衣に向けたままである。


(早まった、まだ会わせるべきじゃなかったんだ!)


 己の失策を悟り、対策を立てるべくトラクは論考のピッチを上げる。だが、歯車は空回りするばかりで対策の欠片も浮かんではこない。


 ますます焦るトラク。完全に空転している頭脳は明後日の方向へと失踪し始め、某クロトワ参謀の名台詞がエンドレスで再生される始末である。


 涎を垂らして熟睡中の葉衣。


 感情の色もなく子狐を見詰めるリュージュ。


 弟分の変貌に成す術もなく右往左往するトラク。


 工房内に出来上がった絶妙な均衡。停滞する状況を覆したのは、眠りから覚めた一人の少女であった。


 ピクッ。キツネ耳が動き――。


 んにゅ。奇妙なうめき声と共に目を擦り――。


 ガバッ。視界に捉えた対象を理解すると同時に跳ね起き――。


 トテテ。目標めがけて駆け出し――。


 ボフッ。その腰に抱きついた。


 彷徨した脳髄が蒼き衣を纏い金色の野に降り立っていたトラクが我に返り、葉衣を引き離そうとするが時既に遅し。反応が無いリュージュを見上げつつ、葉衣が問い掛ける。


「姉さま! 妾じゃ。葉衣じゃ!」


「よう……え……?」


 変化は静かなものだった。リュージュの瞳から溢れ出した光はそのまま頬を伝い、雫となって流れ落ちる。


「本当に葉衣ちゃんなの? 夢じゃないのですね。もうダメかと……」


 荒れ狂う感情のままに葉衣を抱き締め、泣き崩れた。


「兄貴、ありがとうございます」


「あ、ああ」


 感涙に咽ぶリュージュの謝辞に、曖昧な答えを返すことしかできないトラク。


(どう見ても、元の竜嗣だよな? さっきのアレは一体……)


 その胸中には、分裂した弟分への疑惑が渦巻いていたのであった。

しっくりこない箇所のために2ヵ月半……実に難産でした。

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