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02 非日常の始まり(2)

2013/10/15 初稿

2014/01/03 公式によるスワの湖畔市の解説に合わせ、該当部分を修正

情景描写の追加及び誤字の修正


 『彼』の盟友たる〈冒険者〉は焦っていた。互いに言葉を交わせぬ間柄ではあったが、その焦燥は痛いほど伝わってくる。


 『彼』がその〈冒険者〉と盟約を結んで30年余り。盟友(とも)がここまで感情を顕わにしているところなど、これまで見たことが無かった。声音に僅かばかりの感情の色が乗ることはあっても、その表情や仕草が変わることはない。それが彼の者に対する認識であった。


 ところが、今はどうだ。手綱を握り締める手は白く強張り、表情はひどく険しい。その身に纏う感情の色は、無機質であった以前とは比べ物にならぬ鮮やかさで、『彼』の心を奮い立たせる。


 羽毛を貫き突き刺さる盟友の想いに応えるべく、『彼』も折り曲げた足を胴体に密着させ、首を更に前に突き出す。空気抵抗を減らし、僅かでも速度を上げるためだ。


 現状でも速度としては限界に近い。大気を穿つ嘴は風圧に震え、風を斬る翼は凍て付いている。


 だが、それがどうした。


 一条の矢となった『彼』は空を引き裂き、飛翔する。盟友の想いを一刻も早く届けるために。


     ◇     ◇     ◇


 〈鷲獅子〉(グリフォン)が限界を超えて飛翔していたその頃、リュージュは〈シブヤ〉のマーケットに居た。食料を調達するためである。トラクの言葉通り、肉や一部の野菜、果物はフィールドゾーンで入手することができる。しかし、塩、胡椒といった調味料、穀類や芋に代表される主食などはNPCである〈大地人〉から購入する必要があった。


「塩と胡椒、あとオリーブ油を頂けますか?」


「へいっ、毎度! お姉さん別嬪だから、おまけしといたよ!」


「ふふっ、ありがとうございます」


 威勢の良い声でお決まりのお世辞を口にする〈大地人〉の店主と、さらりと流すような微笑みで返すリュージュ。現実世界の商店街でもよく見掛ける光景である。世界は違えども人の営みはそう大きくは変わらない、その良い証左であった。


 どの辺りがおまけか良く判らない調味料を魔法鞄に詰め、天幕の張られた店先を後にする。中天を外れたとは言え、未だ照りつける日差しは強い。リュージュは手にしていた網代笠(あじろがさ)を被ると、広場へと向かう大通りに足を向けた。視界の端には憔悴し、大通りの道端に座り込む〈冒険者〉たち。


(あれ? 数が少し減っている?)


 リュージュが感じた違和感は気のせいではない。よく見れば、〈冒険者〉の中には、同朋に声を掛け励ます者や、朋友を宥め慰める者の姿があった。


 まだ〈シブヤ〉も捨てたものじゃない。


 〈冒険者〉同士の友情に心温まるリュージュであったが、一方で未だ現実を認められず当り散らす〈冒険者〉が居ることもまた事実であった。そして、その実例はリュージュの目の前に存在していたのである。


「誤魔化すなよ! アンタ、運営の人間なんだろ!」


「やめなさい。彼はただのNPCです」


 NPCの露天商に詰め寄る〈冒険者〉の男。彼は憤っていた。彼の記憶にあるよりも明らかに多いNPC。この中に自分をこんな巫山戯(ふざけ)た状況に巻き込んだヤツが居るに違いない。惚ける心算(つもり)なら――。だが、今にも殴り掛からんとしていた彼の腕は、背後から伸びた別の腕によって押さえられた。


 制止の言葉に振り向いた彼が見たのは、和風の布鎧(ローブ)に網代笠、白脚絆(きゃはん)と言う雲水(うんすい)姿の〈女冒険者〉。リュージュである。一触即発の睨み合いに発展する筈のその空気は、結果から言えば、彼自身の「言葉」により覆されることとなった。


 頭に血が上っていた彼は、リュージュの姿を見るなり「禁句」を口にしてしまったのである。


 平時のリュージュであれば、笑って受け流してしまう「暴言」。


 だが、強制性転換(グッバイ・ジョニー)から、未だ数時間。表面上は取り繕えても、心の傷までは癒えていない今のリュージュにとっては特大の「地雷」。


 それを、彼は勢い良く踏み抜いてしまった。


「なんだよ……って。ちっ、ネカマかよ!」


 その瞬間、空気が凍結した。危険を察した鳥たちが一斉に飛び立つ。


 周囲の大気すら怯えていると錯覚させるほどの殺気(プレッシャー)。呼吸も困難な重圧の中、感情を押し殺した低い声が響く。


「年、でしょうか。よく聞こえませんでした。もう一度、言って貰えますか?」


 地獄の底(コキュートス)を思わせるその声の前に、禁忌を犯した彼に出来ることは唯一つであった。即ち、土下座をしての平謝りである。


「いや、その……すみませんでしたァ! 俺、いや私は状況が解らなくて、イライラしていました!!」


「私に誤ってどうするんですか。店主に謝りなさい」


 〈大地人〉の露天商に頭を下げ謝罪する〈冒険者〉。これぞ一件落着という光景だが、それを見詰めるリュージュの表情は晴れない。


 無礼な〈冒険者〉への断罪の念が未だ燻っている事も無関係ではない。だが、それ以上にトラクが予見した危惧、〈シブヤ〉の治安の悪化に遅ればせながら思い至ったためである。


 そして、その危惧はやがて現実のものとして、リュージュそしてトラクの前に姿を現すこととなる。


 シャン。リュージュが歩く度、手にした錫杖が涼しげな音を立てる。魔を払うと云う(いわ)れを持つその音色は、主の願いを代弁する様に〈シブヤ〉の街に溶けて消えた。


     ◇     ◇     ◇


 〈スワの湖畔市〉。そこは、<スワ大社>から<スワ湖>へと伸びる参道を中心に栄える信仰と行商の街である。石畳の参道の両側には<大地人>の商店が軒を並べ、シナノ地方屈指の賑わいを見せている。しかし、この街の目玉は何と言っても<スワ大社>の仕切りで行われる大規模な「市」であろう。巨大な青空市場とも呼ぶべきその「市」は仕入れに訪れる<大地人>の行商人のみならず、掘り出し物を求める<冒険者>も多数訪れ、正にお祭り騒ぎとなるのである。


 〈スワの湖畔市〉。そこは、シナノ地方でも指折りの歴史を持つ街である。かつての街の中心部であった神代の廃墟は半ば湖に浸食され、"湖畔"市の名の由来となっている。また「緑に飲み込まれた街」〈アキバ〉とは対照的に廃墟は今も無機質な姿を留めており、訪れる者に「湖に飲み込まれた街」という印象を与えてくれる。科学の残り香漂うビルディングの墓標は、14歳くらいの少年少女の心の琴線を強く刺激して止まないが、とある(・・・)理由により、この廃墟を訪れた〈冒険者〉は二度とこの地を踏むことはないと言う。


 〈スワの湖畔市〉。そこは、参道沿いに拓けた"新市街"と湖に飲み込まれた"旧市街"が奇妙な対比を見せる街である。動と静、二つの(かお)を併せ持つこの街は、〈冒険者〉を襲った異変など無かったかのように、今日も多数の〈大地人〉を迎え入れ、そして送り出して行く。ここは〈大地人〉の街、〈冒険者〉の事情を斟酌(しんしゃく)する義理も道理もないのである。


 〈シブヤ〉を出発して2時間余り。〈スワの湖畔市〉を視界に捉えたトラクは、グリフォンを街の郊外に着陸させた。この街の住人たる〈大地人〉に配慮した訳ではない。単純に街中へは着陸出来なかったゲーム時代のクセだ。


 グリフォンから降りたトラクは、ここまで頑張ってくれた旅の相棒に肉を渡して労を(ねぎら)う。葉衣(ようえ)は心配であるが、ここまで頑張ってくれたグリフォンを無碍にはできない、そう思っての行動であった。だが、グリフォンはトラクの手から肉を引っ手繰ると、嘴で彼の背を押し始めたのである。たたらを踏んだトラクが振り仰ぐと、グリフォンはまずトラクに、そして〈スワの湖畔市〉に視線を向ける。


 ――リック、お前……


 ――急いでいるんだろ? なら、早く行け!


 ――すまない!


 両者の間に、そんな遣り取りがあったかは解らない。ただ、トラクは「ありがとう」、そう言い残して駆け出し、背中を見送ったグリフォンは一啼きすると再び空に舞い上がったのであった。


「葉衣ぇ! どこだ!」


 大声で葉衣を呼びつつ、トラクは走る。立ち止まっては周囲を見回すが、それらしき姿は確認できない。〈スワの湖畔市〉到着から、半時間。トラクは未だ葉衣と合流を果たせてはいなかった。


(まさかマップが使えないなんて……誤算だった)


 予想外の状況に歯噛みするトラク。話は彼が〈スワの湖畔市〉に到着した直後に遡る。


 葉衣の位置を確認しようと、視界の片隅を意識したトラクであったが、そこにあるはずのミニマップは影も形も無かった。メニュー画面を確認するが、どうやってもミニマップは表示されない。


 周辺の地図と〈冒険者〉、モンスターにNPC、その全てが表示されるミニマップ。トラクは、マップに表示される〈冒険者〉の位置を頼りに、葉衣を探すつもりであった。いかにトラクがベテランであっても、辺境の街の細かい地理までは知悉していないのだ。


 その後もトラクは、街中を駆け回り、葉衣を呼び続けた。しかし合流を果たせぬまま、既に日は傾き、夕闇が迫りつつある。これだけ探して反応が無いと言うことは、もう――。最悪の予想が頭を(よぎ)り、トラクの足が止まる。そして、歯止めの掛からぬ妄想に取り憑かれ、大通りで立ち尽くしてしまったトラクを現実に引き戻したのは背後から掛けられた声であった。


「先程から大声で叫んでは、走り回っておったが……。どなたか、お探しかの?」


 声の主、〈大地人〉の老人は人の良さそうな笑みを浮かべて問うた。葉衣の特徴を伝え、街で見掛けなかったか尋ねるトラク。正に(わら)にも(すが)る思いであった。


 だがしかし、その老人は溺れた者が掴む「藁」などではなく、時化(しけ)にも揺らがぬ「大船」であった。


「ああ、その娘御なら――」


 トラクが切望していた葉衣の手掛かり。老人への謝辞もそこそこに、トラクは駆け出した。


 老人の言葉に従い、"旧市街"の一角、湖から突き出した廃墟を目指す。正直に言えば、意外だった。"トラウマ製造機"の一件以来、トラクもリュージュも"旧市街"を避けていた。それは葉衣も変わらない。故に、"旧市街"の探索は等閑(なおざり)であったのだ。


 やがて、〈冒険者〉の強化された視力が、廃墟に架かる橋の上、欄干に(もた)れる様にして座り込む千早(ちはや)姿の少女の姿を捉えた。その瞬間、万感の想いを込めたトラクの叫びが廃墟に響き渡った。


「葉衣!」


 ぼんやりと空を見上げていた少女は、己の名を叫ぶ〈冒険者〉に力ない瞳を向けた。


(誰じゃ、妾を呼ぶのは……はて、見覚えのある……ああ、そうか……)


 記憶の中からその〈冒険者〉の名前を拾い上げ、彼がここに居る意味を理解した時には、彼女は駆け出していた。


「トラク! 会いたかったのじゃ、トラク!」


 駆け出した勢いのままトラクに突撃し、その腰に抱き着く。トラクもまた、小柄な弟分の体を抱きとめた。


 感動的な再開のシーン。しかし、トラクは僅かな違和感を感じていた。


 トラク、葉衣は自分をそう呼んだ。行動を共にしておよそ20年、竜嗣(りゅうじ)が自分を「トラク」の名で呼んだのは始めの数ヶ月だけだ。どんなに注意しても、彼は自分を「兄貴」もしくは「二つ名」で呼んでいたのだ。


 ぞわり。トラクの背筋を冷たいものが伝う。気付いた違和感は、何かとてつもなく良くないモノに違いない。自分の背後から、不吉なナニカがひたひたと忍び寄るような感覚と言っても良い。トラクは、知らず固唾を呑んでいた。


 トラクは改めて、自分に縋り泣きじゃくる少女の姿を観た。葉衣だ、間違いない。枯れ草色の髪も、少し垂れた目も、妻が「萌え」を追い求めてデザインした姿そのまま(・・・・)だ。間違えようが無い。


 間違えようが無いのだが、姿にも声にも竜嗣の面影を感じさせない目の前の少女が、まるで見知らぬダレカであるかのように感じられるのだ。


 涙に濡れた瞳に見つめられ高まる鼓動を宥めつつ、トラクは葉衣に声を掛けた。その声は、自分のものとは思えないほど震えている。


「竜嗣じゃ、ないのか……?」


「竜嗣? 何を言っておるのじゃ? 妾は葉衣じゃ!」


 ハンマーで殴られたような衝撃、そして混乱。


 ――竜嗣ではない? ではこの娘の中に居るのは誰だ?


 ――アイツの同居人か?


 ――いや、ありえない。アイツは独り暮らしだ。


 ――それに、葉衣という名前は、観音様の名前から拝借したものだ。人の名前じゃない。


 ――やはり、中身は竜嗣か。では、何故あんなことを言う?


 ――この非常時にロールプレイか?


 ぐるぐると回る思考を抑えつつ、トラクは尋ねた。


「葉衣……お前、一体……」


 どうしたんだ、とは続けられなかった。トラクの言葉よりも早く、葉衣が言葉を引き継いだのだ。そして、表情を怪訝(けげん)から呆れに変えつつ放たれた葉衣の言葉は、トラクを打ちのめすに十分な威力を持っていた。


「トラク、お主の目は節穴か? この耳と尻尾、稲荷神以外の何者に見えると言うのじゃ!」


 稲荷神。伏見稲荷大社に鎮座する神。主祭神の一柱である御饌津神(みけつのかみ)に「三狐神」を当て字したことに由来し、狐を神使、あるいは眷属として扱う。しばしば誤解されるが、稲荷狐は稲荷神の神使であり、稲荷神がキツネの神という訳ではない。


 トラクが内心抱いていた恐怖も、緊張も、全てぶち壊しにする正に『神発言』であった。右手で顔を覆い項垂れるトラク。


 ――恥も外聞も無く泣き喚きたかった。


 ――思いつく限りの罵詈雑言で神を呪った。


 ヤクザからおかまバーのママに転身した弟分は、神を名乗るイタい娘に進化していたのだから。


湖畔市って、「こはんし」ではなく、「こはんいち」だったのですね……

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