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00 日常の終わり

少しずつ、書き進めていく予定です。


2013/10/09 初稿

2013/10/10 誤字修正

2014/01/03 冒頭の情景描写及び内面描写の追加・修正


 初夏の眩しい日差しの中、風にそよぐ緑豊かな草原を上空から眺める。さざめく緑の海を駆ける野生の馬たちは、さしずめ波に遊ぶイルカの群れか。日常ではまず味わうことのできない絶景だが、蒼穹を斬り裂き飛翔する〈鷲獅子〉(グリフォン)の背にしがみ付いている今のトラクに、それを楽しむ心は一片たりとも存在しなかった。


(寒い……って言うより痛い! くそっ、目が開けられん)


 吹き付ける風が容赦なく体温と視界を奪う中、トラクは必死に眼下の景色を確認する。とてもではないが、ここで地図を使用する余裕は無い。事前に確認しておいた目印となる地形(ランドマーク)を頼りに、グリフォンに指示を出すのが精一杯だ。


 防寒服や風防眼鏡(ゴーグル)があったならば、いや、それらが無くとも速度を緩めれば幾らかはマシになるだろう。しかし仕度もそこそこに、押っ取り刀で〈シブヤ〉を飛び出したトラクにはそれらの装備も時間的余裕も無かった。


(急げ急げ急げ……頼む! 無事で居てくれよ……)


 ただ、ひたすらに先を急ぐ。草原は鬱蒼(うっそう)とした木々の緑と交代していた。視界の左右に連なる山々――凶悪なモンスターの巣窟に近付き過ぎないように注意しつつ飛行を続ける。残りのランドマークは1つ。


 やがてトラクの目が極相の原生林の中、一際大きな樫の梢の向こうで陽光に輝く湖を捉えた。目的地である〈スワの湖畔市〉が近いことを告げる最後のランドマークだ。トラクは、逸る気持ちを抑えながらグリフォンに合図を送り、降下コースに突入した。


     ◇     ◇     ◇


 〈タマ丘陵地帯〉。日本サーバにおける最新のプレイヤー都市である〈シブヤ〉の街の西、現実世界の多摩から町田に位置するフィールドゾーンである。丘陵地に建設された住宅街は広大な草原と森林に覆われ、道路を行き交う車の列に代わって野生の獣の群れが闊歩(かっぽ)している。〈シブヤ〉から徒歩数日という微妙な距離、そしてめぼしい獲物も居ないことから、〈冒険者〉たちからは特に旨みの無い、辺境のゾーンとして認識されていた。

 

 そんな、訪れる冒険者も居ない未開の草原の中にぽつんと佇む廃墟がある。元は何がしかの会社であったその廃墟も、敷地を囲むブロック塀は苔むしてあちらこちらが崩れている。(ツタ)蔓草(つるくさ)が織り成す天然のフェンスも相まって人の住む気配は微塵も感じられないが、それはあくまで外部(フィールド)から見た場合の話である。往時の姿を留める門をくぐると同時にゾーンが切り替わり、視界が暗転する。僅かな読み込み(ロード)時間の後に表示されるのは、3階以上が崩れた建物と鞘に納められたまま地面に突き立つ剣の群れだ。どこぞの弓兵の心象風景を髣髴(ほうふつ)とさせる光景だが、特別なゾーンと言う訳ではない。これらは全て〈鍛冶屋〉のサブ職業を持つトラクの作品であり、詰まるところ、この廃墟は彼のホーム兼工房であった。


「今日もお客さんは無し、っと」


 液晶に表示された、〈エルダー・テイル〉の画面、工房を訪問したユーザの履歴を確認しながら直路ただみちは呟いた。ニッチな商売の上、冒険者の活動のピークにはまだ早い時間帯だ。わざわざ口に出すまでも無く、客が来ないことなど判りきっていた。彼が操作する冒険者「トラク・鳥栖(トス)」も工房で所在無さ気に立ち尽くしている。


 〈エルダー・テイル〉。それが直路がプレイしているオンラインゲームのタイトルである。20年前の発売以降、計11回の大型アップデートや各サーバ独自に実装された数々の要素は、データやゲーム性に他タイトルの追随を許さぬ重厚さを与えており、今なお、世界最大級のプレイ人数を抱えるモンスター・タイトルである。一方で、最高運営であるアタルヴァ社ですらその全貌を把握できていないと言われる程の膨大なデータは、一人のプレイヤーが得られる知識量を遥かに超えてしまっており、wikiが無ければゾーン間の移動も(まま)ならないという問題を抱えている。


 直路も〈エルダー・テイル〉の奥深いゲーム性に魅入られた廃人の一人であり、サービス開始からプレイし続けている長老格の大ベテランである。仲間と共に潜り抜けた大規模戦闘(レイド)冒険(クエスト)の数はそれこそ星の数だ。知恵を絞って謎を解き、クエスト成功に漕ぎ着けた時には妻と二人、祝杯を挙げた。他の冒険者に先んじてレイドボスを打ち倒し、その名をサーバ中に響かせたこともあった。強大なレイドボスの前に全滅を繰り返し、モニターの前で悪態をついたことなど数え切れない。そのどれもが、今も夜空の星の様に輝く大切な思い出たちだ。


 しかし、オンラインゲームにおいて20年という歳月は、悠久とも言える時間に匹敵する。共に戦場を駆け抜けた戦友達は一人、また一人と〈エルダー・テイル〉を去って往った。直路自身も仕事や育児のためログインが不定期となる時期が何度もあり、レイドの先陣争いからは引退して久しい。「気が向いたら戻って来れば良い」、引退を()びる戦友に直路が掛け続けた言葉だったが、フレンド・リストに暗灰色で記された名前は増える一方だった。


 ピコン。軽い電子音と共にメールの着信を知らせるポップアップが、死亡通知(フレンド・リスト)を眺めて物思いに耽っていた直路を現実に引き戻した。メーラーを起動すると、見慣れたアドレスからメールが一通。予想通りの相手から、これまた予想通りの内容のメールに思わず溜息が漏れる。


『件名: おねむ

 どう? かぁいいでしょ?

 会いに来ても良いんだよ?』


 添付されているのは、産着(うぶぎ)を着てベッドで寝ている赤子の写真。先週第一子を出産した直路の娘は日に何度も写真を送ってきていた。お蔭で、生後一週間も経っていないにも関わらず、ハードディスクに存在する孫フォルダには既に50枚以上の写真が保存されている。成人どころか未成年の娘の結婚について思うところが無い訳では無かったが、直路自身、娘の結婚に至るまでの経緯が容易に想像できてしまう身である。むしろ、男として義理の息子に同情する気持ちの方が大きかった。


『件名: Re:おねむ

 昨日見舞いに行ったばかりだ。

 それと、うれしいのはわかるが落ち着け。このペースじゃ、写真の整理もままならん。』


 娘に自重を促して、メーラーを落とす。しかし、間を置かずに表示されたポップアップのお蔭で、再度メーラーを起こす羽目になった。


『件名: Re:Re:おねむ

 どう? かぁいいでしょ? でしょ?

 え? わたし知らないよ?? おのれ旦那、黙ってたな……後で死なす。

 あと、我が子への愛は留まるところを知りませんので悪しからず。』


 今回は、また違うアングルで撮影された孫の写真が添付されていた。どうやら我が娘は、こちらのメールボックスをパンクさせる腹積もりらしい。直路は娘の行動に溜息を吐きつつ、見た目とは裏腹に中身は色々と残念な娘を娶った義理の息子に心の中で合掌した。見舞いに訪れた際、母子共々爆睡中で、義理の父を迎えに出ていた夫が揺すっても目を覚まさなかったのは娘の方であり、直路は初孫の寝顔だけ確認して帰っている。


 娘のメールボム自重を断念した直路は、今日の孫フォルダの中から特に写りの良い数枚をプリントアウトし、仏間に向かった。〈エルダー・テイル〉で出会い、連れ添った妻は二年前に他界している。妻の遺品である数々の美少女フィギュアに彩られた仏壇に孫の写真を供え、妻の遺影に元気すぎる娘の近況を報告すると、直路は逃げる様に仏間を後にした。


     ◇     ◇     ◇


 さて、今日はどうするかねぇ。誰に聞かせるでもない言葉を呟きつつ、直路は公式のホームページを確認する。トップページに踊るのは今日解禁された12番目の拡張パックのタイトル。掲示板も新たに実装されるクエストや解放されるレベルキャップの話題で持ち切りだった。


 本格的に掲示板やwikiを廻る前に、素材の在庫を確認しようとマウスを動かした直路の手が止まる。フレンド・リストに、白く輝く『葉衣:神祇官』の文字を見付けたからだ。


 葉衣ようえ。直路とって古くからの戦友であり、現実(リアル)でも20年近い付き合いの友人のキャラクター名だ。仕事柄(、、、)、この時間にログインすることは珍しい友人に連絡を取るべく、念話を起動させる。


「はい、兄貴。居ますよ」


 唐突にボイスチャットから聞こえるハスキーボイス。スピーカーから聞こえる念話の呼び出し音は途切れていない。視界を動かすと、トラクの背後、死角となる位置で、アップにまとめた黒髪に小袖姿という和装の〈女冒険者〉が手を振っていた。小料理屋の女将然としたその姿は、凛とした空気を纏っており、手を振る仕草も上品なものだった。


「あれ、リュージュか? 今、葉衣でインしてなか……ああ、2PCか」


「ええ、そう言うことです。今、葉衣ちゃんにはお遣いに行って貰ってます」


 念話からボイスチャットに切り替えた直路の問いを、あっさりと肯定するリュージュ。発言と同時に袖で口元を隠している辺り、妙に芸が細かい。リュージュと葉衣は、直路の友人である竜嗣(りゅうじ)が操作する冒険者であり、リュージュがレベル90の〈妖術師〉(ソーサラー)、葉衣が同じくレベル90の〈神祇官〉(カンナギ)である。


 一人のプレイヤーが同時に2人の冒険者を操作している。言葉だけ聞けば、マクロやチートのような違法ツールの存在をイメージする者も多いが、竜嗣が使用している手法、2PCはひどく単純な手法である。2台のパソコンを用いて同時に2つのアカウントにログイン、手動で二人の冒険者を操作している、ただそれだけである。


 なおMMORPGにおいて、複数のアカウントを所持しているプレイヤーは珍しくない。その目的も様々で、アカウント毎に配布されるイベントアイテムの確保や倉庫の確保といった物欲全開の目的から、人数合わせが必要なクエストの補助という微妙に寂しい理由まで多岐に渡る。


 余談ではあるが、エルダー・テイルでは、高位の製作級アイテムを作成するに当たり、自分以外の冒険者の協力を必要とする工程が少なからず存在する。例えば、〈メテオロス・シールド〉の作成には、隕石召喚が可能な魔法攻撃職の協力が不可欠である。また、一部の神刀や巫女装束は、〈神祇官〉が使用するスキルの効果範囲内での作業が要求される。これらはプレイヤー間のコミュニケーションを活発にするために付与された条件であるが、竜嗣の様にログイン時間が限定されるプレイヤーなどは、都合良く協力者が得られないことも多い。こういった事情もあり、2PC自体は(もちろん違法ツールを使用しないという前提の上で)運営側から黙認されているのである。


「で、なんでこんな時間に? そろそろ出勤の時間じゃないのか?」


「連休中は店をお休みにしたんですよ。店のコたち、4月は頑張ってくれましたから」


 頑張ってくれたから、ご褒美にみんなで休暇。大型連休中のこの時期、メインの客層であるサラリーマン、OLは家族サービスに勤しんでおり、歌舞伎町にある店の客足は鈍い。経営者としての判断を、さも良心で決めたかの様に見せ掛ける、所謂「角の立たない」言い回しだった。弟分の成長は嬉しくあるが、おかまバーのママがすっかり板に付いたことに一抹の寂しさも感じるトラク。複雑な兄貴ゴコロであった。


「なるほど。しかし、えらく中途半端な時間にインしてきたな」


「実は、3時間前まで空の上に居たんですよ。店のコたちとハワイです。ふぁ~、まだ時差ボケが直ってませんね」


「いや、そこは大人しく寝ろよ」


「嫌ですよ。折角のアップデートじゃないですか。あ、明日マカダミアンナッツ持って行きますね」


 複雑な内心などおくびにも出さず、いつものやり取りを続ける。ゲーム好きで、昔気質(かたぎ)な堅物のヤクザは居なくなったが、気配り上手で、瀟洒(しょうしゃ)な演技派のおかまが居る。年のせいか感傷的になった自分に肩をすくめると、トラクは在庫の確認を再開した。


「しまったな、〈野牛の革〉が足りない。ちょっと採ってくる」


「野牛の革? 私も付き合います。二人の方が早いでしょう?」


「助かるが、向こうは大丈夫なのか?」


「この娘を起こす前に、〈妖精の輪〉(わっか)の前に移動してます。それに、兄貴の狩りを手伝ったら、戻りますよ」


 2台のパソコンを使用していると言っても、それを操作するプレイヤーは一人だ。ましてや葉衣は現在、どこかのフィールドで素材を狩っている最中である。チャットならともかく、片手間で戦闘は難しかろうとのトラクの質問であったが、問題はないらしい。


 レベル4、50程度のモンスターしか出ない近場の狩り。準備と言っても、武器を装備するだけのお手軽なものだ。僅か1分足らずで準備を終えた二人は、揃って工房を出、〈野生牛〉(ワイルド・オックス)が群れを成す草原に足を向けた。


 ――いつも通りの日常。


 ――ただ、惰性と共に過ぎ行く日々。


 ――そして、『それ』は余りに唐突過ぎた。


 不意に視界が黒く染まり、浮遊感と共に意識が遠のく。

 ノイズ交じりの意識が晴れ、(まぶた)を開けたトラクの目に映ったものはひび割れ、風化したアスファルト。上部が崩れた鉄筋コンクリートの建造物。そして、地面に突き立つ鞘に納められた剣の林――液晶モニタ越しに見慣れた、彼の工房だった。


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