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私の後悔を置き去りにして、あの子は…あの男は、どんどんどんどん突き抜けていった。色んな意味で。
最初に驚いたのは、あの男が、ちっとも魔法学院から帰ってくる気配がないことだった。手紙のやり取りの中、いつ帰ってくるのかと何度問いかけても、その疑問に対する答えはいつだって「今回は帰らない」ばかりだった。その答えに、いつしか私もその問いをかけることを止めていた。
それから、七年。そう、七年だ。確かに「まっていてくれるか」と言われたものの、まさか七年待たされることになるとは思いもせず、母から指摘されて初めて、「もう七年も経つのか」と驚かされた。
七年といえば、貴族の令嬢として私が結婚適齢期を迎える頃合いである。
そんな時になって、ようやく、あの男は帰ってきた。入学時と同じく、魔法学院最年少での首席合格という、華々しい経歴を携えて。
魔法学院は所謂魔法、魔術といったある種の才能がある人々が集まる場所であり、ある意味では騎士団よりも実力主義の場所であるという。
そんな中に放り込まれ、見事首席合格を果たして入学したあの男。その学院生活は、本人からはあまり直接聞けず、伝聞ばかりによるものだが、どうにもあまり平和なものではなかったようだ。
魔力の底知れなさを表す漆黒の髪、その美貌、幼い身で首席を取るというその才能。どれもがあの男に対するやっかみになって十分なものだったのだろう。そう話してくれたランセントのおじ様は、「私にも覚えがあるよ」と苦笑していた。
そんな中で九歳から暮らし始め、思春期をも過ごしたあの男は、非常に口が達者になっており、私をむかつかせ…ゴホン、失礼、驚かせた。
七年前までは、付き合いの長い私相手にすらあまり口を開かなかったというのに、積極的に口を開くようになって帰ってきた。
それだけを言えば、『社交的になって帰ってきてよかったではないか』と言われるかもしれない。ああそうとも。単に社交的という言葉で片付けられるような口であったら、どれだけ良かったか。あの男の口はそんなかわいいものではない。
出迎えにわざわざ向かった私が目にしたあの男の姿は、それは立派で、綺麗だった。美しかった。
小さい頃がどれだけ可愛くても、成長すれば残念になる人間などごまんと居る。だがしかし、あの男は、その区切りには当てはまらなかった。むしろ小さい頃はまだ幼さが先に立ち、完成されていなかった美貌が、十六歳という年頃になることでより一層美しくなっていた。
エンジェルかフェアリーかと評した可愛らしさは、いつしか中性的なうつくしさに成長していた。
そんなあの男が私に向かって、何を言ったか。七年ぶりの再会の第一声。今でもはっきりと表情と、その声音を思い出せる。
「―――――残念なほどに変わらないな、お前は」
これである。
別に「綺麗になったな」なんて言う台詞を求めていた訳では無い。無いのだがしかし、だがしかしだ。
憐れむように朝焼け色の瞳を眇めて言い放たれたあの台詞は、花も盛りの年頃の婚約者、七年ぶりに再会する幼馴染に向かって言う台詞ではないのではないか。
残念ってなんだ残念って。七年ぶりの帰還のあいさつも無しに残念ってなんだ残念って。悪かったな残念で。
あの時は、腹が立つよりも先に、驚きが先に立った。まさかあの子はそんなことを言うなんて、と思わずにはいられなかった。いやまあ、あの子が普段どんな時に子供らしい笑みを見せるかを考えれば、解っていたことではあったのだけれども。だが、それでもあの美貌でそんな発言をかまされるだなんて信じたくなかったのだ。とんだ先制パンチもいいとこである。
その後もこれでもかこれでもか皮肉の入り混じった台詞を投げかけられ続けてもなお、笑みを保ち続けた私は偉いと思う。
…まぁ、久々に会えた婚約者の存在に、浮かれていたからという理由も、あったのだけれど。
魔法学院を卒業したあの男はそのまま王宮勤めになり、「落ち着くまでは」と結婚は先延ばしにされた。
おいこら私もう適齢期入っちゃってんですが、と言いたかったが言えなかった。少なくとも、私からあの男にそれを求めることなど、決してできやしなかった。
愛憎渦巻く(らしい)王宮勤めの中、年を経るごとにあの男は更に美しくなっていった。そして同時に、更に更に、口が達者に…もとい、口が悪く、なっていった。
もともとすんばらしく出来の良い頭から繰り出される皮肉や嫌味は、鋭く、時には鈍く、その刃を閃かせた。
口ばかりが先立つ男で、ただの能無しであればまだ可愛げがあったものを、生憎のことに、あの男は有能だった。誰よりも、それこそ、ランセントのおじ様よりも。その魔力も、魔法技術も、何もかも。
当初の話題性を超える勢いでその能力はあっという間に広まって、麗しの若き漆黒の魔法使いの噂はいつしか国中を駆け巡った。
あの男の周りはどんどんどんどん見えない壁で覆われていくかのようだった。
そうやって、また、あっという間に年月が過ぎ去り、気付けばあの男は、王宮筆頭魔法使いの名をほしいままにし、この国でエギエディルズの名を知らないものは誰もいないのではないかと謡われるようになった。
私はそれを、横で見ていることしかできなかった。
ただ時折、人目を忍ぶかのようにアディナ邸にやってくるあの男を、笑顔で向かえ入れることしかできなかった。
「フィリミナ」
「なんでしょう?」
「茶が渋い。俺が自分で煎れた方がまだマシだ」
「まあ、申し訳ありません。ならばエディ、早速ですが、御馳走になりますね。茶葉は新しいものを用意させますわ」
「…待て、誰が俺が煎れると言った」
「あら、美味しいお手本を示してくだされば、次はわたくしだって失敗しませんもの」
そうやってにっこりと微笑みかければ、あの男はいつだって舌打ちせんばかりにその御尊顔を歪め、朝焼け色の瞳をばっと逸らす。別に仲が悪い訳では無く、こんなやり取りを交わすことがいつしか平常運転になっていた。
ちなみにあの男が煎れてくれるお茶はどれも美味しく、それも私の数少ない楽しみの一つであった。魔法使いは薬草にも精通しており、あの男が時折持ってくるオリジナルブレンドの香草茶は正に私好みで非常に美味しい…と、それはさておいて。
改めて王宮筆頭魔法使いが手ずから煎れたお茶を楽しみつつ、ふいに思い出したことがあった。
「エディ」
「なんだ」
「そういえば先日、姫様の茶会に招かれたと伺いましたが」
「…それを誰に聞いた?」
「王宮はその噂で持ちきりだと父が」
流石エギエディルズだな、と普段浮かべている笑みを殊更深めつつそう言っていた。なんというか、こちらの反応を窺うようなにやつき具合だった気もしたが気のせいだろう。
そんな私の答えにあの男は何やら苦虫を噛み潰したような顔をした。
そんな表情を浮かべても、それでも美しいものは美しいのだから不思議なものである。美形は三日で飽きるというが、実際は、見慣れはしても飽きることはないなと思いつつ、重ねて問いかけた。
「姫様はどのような御方でしたか?」
「気になるのか」
「ええ。姫様の美しさは我が国の自慢の一つと謡われるくらいですもの」
うつくし姫。うるわし姫。生まれた時より女神の加護を受けた、波打つ白銀の髪に蜂蜜を溶かしたような琥珀色の瞳を持つ、国民から圧倒的な人気を誇る姫君だ。
実を言うと私もファンであり、去年の誕生祭の際に発売された絵姿の小さいものを購入してしまっているくらいである。絵姿だけでも、あの男と並んでも遜色ない美貌を持つことが解った。
あの男が夜ならば、姫様は朝だ。天真爛漫な笑みの似合う、誰もが好かずにはいられない、そんなお姫様。それは決して、あの男とて例外ではなくて。
「変わった、御方だった」
どこか遠くをみるように…アディナ家から少々距離のある、王城へ思いを馳せるかのように、朝焼け色の瞳を細め、あの男はそう言った。
珍しい、とその時思った。
あの男が行う対人評価は私への評価も含め非常に辛口なものが大半で、褒めることなど滅多にないのが私の中での通説であったが、貶すでも褒めるでもないというのはあれが初めてであったように思う。
後から考えれば、これがフラグの第一端であったと、気付くべきであったのだ。