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魔法使いの婚約者  作者: 中村朱里
おまけ

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44/65

【SS】花は黙して語るもの

時系列は『魔法使いの婚約者』本編であるフィリミナ編から少し経った頃です。

テオ・カースは王都のとある花屋に勤める青年だ。

テオの勤める花屋は、その商品である花の品揃えがよく、生き生きと長持ちすると評判であり、テオはそんな花屋に勤めていることを誇らしく思っている。今日も今日とて店に立ち寄る客の要望に合わせて花を選びブーケを作る中、テオはその浮き立つ心を抑えられずにいた。


――今日は、“彼女”が来る日だ。


そう内心で呟くと同時に、テオの口元がだらしなく緩んだ。店主である父が訝しげに自分の方を見て、深々と溜息を吐いてくれたが、そんなことは知ったことではない。

テオの脳裏に浮かぶのは、とある年頃の女性の姿だ。淡い色の髪をシニヨンに編み、シンプルながらも品のいいドレスに身を包んでいる彼女は、恐らくはとある貴族の令嬢なのだろうとテオは見当を付けている。

週に一度、自宅である屋敷に飾るための花を自ら買いに来る“彼女”のことを、テオは何も知らない。名前も、家も、素性も、すらも。ただ“彼女”の穏やかで柔らかな微笑みに、気付けば目を奪われるようになり、いつしか“彼女”が店に訪れるのを心待ちにするようになった。


――僕は彼女に、恋をしているんだ。


そう気付いたのはいつのことだったか。顔しか知らない、一週間に一度しか会えない、それも貴族階級であるに違いない女性に恋をするなんて、今までの自分からは考えられもしないことだった。

自分で言うのも何だが、テオはそれなり以上には女性から人気であるということを自覚している。無骨な印象を見る者に抱かせる父ではなく、たおやかな母に似たことを何度感謝したことか。

『好青年』と言う言葉が自分ほど相応しい男もそういないだろうとテオは思っている。花屋の看板息子であるテオ目当てに店に足を運ぶ女性は後を絶たない。それは平民ばかりではなく、貴族の女性にも当てはまることなのだから、テオが自身のことを『好青年』と評するのもあながち自意識過剰なものとばかりは言えない。

そんなテオのことを羨み、同年代の若者達はテオを『優男』だの『女タラシ』だの『遊び人』だと好き勝手に言ってくれるが、テオは気にしていない。

そう思わせてくれたのは、テオの想い人である“彼女”だった。今でこそテオは花屋の跡継ぎである自分を誇らしく思っているが、最初は決してそうではなかった。テオが花屋の店頭に立つようになったばかりのころ、「男が花屋なんて」とふてくされた思いが、テオの中には確かにあった。

だが、そんな思いを抱えながら、機械的な、当たり障りのない対応でその場限りの接客をするテオに、“彼女”は言ってくれたのだ。


――あなたの作ってくれる花束は、お花自身が喜び、自ら輝いているようですね。


あの時テオは、一瞬、何を言われたのか解らなかった。戸惑うばかりのテオに、“彼女”はくすくすと淑やかに笑った。

取り立てて美しいだとか綺麗だとかかわいらしいとか、そういう風に賛美されるような容貌ではなく、せいぜい十人中六人が「まあ肌は綺麗…だよね?」くらいにしか称えられないのではないか、というレベルの容貌の彼女のその笑顔に、何故だかテオはその時目を奪われた。魅入られたように目が離せなかった。

テオは確かに、花束を作る腕は確かだ。それは父にも母にも認められているし、平民ばかりではなく貴族からの依頼の多さもまたそれを証明している。けれどそんなことは何の自慢にもならないと思っていた。別に大したことではないだろうと思っていた。けれど“彼女”の言葉を聞いた時から、この手が何かとても素晴らしいものであるような気になれたのだ。この手を誰かに特別だと思ってもらえているということが誇らしく思えた。

だからこそ、その時からだったのだろう。誰が作っても同じだろうと思っていた花束が、テオにとって自分にしか作れない特別なものになったのは。そして、“彼女”に惹かれるようになったのは。

そうして植え付けられた恋心の種は日に日に育ち、気付けば芽が出て、そして花開いた。

貴族と平民という身分差のことを考えなかった訳ではない。けれど“彼女”は、テオが平民であろうとも、身分の貴賤など関係なく、テオの手を取ってくれるのではないかと思わせてくれるような人だった。

今日はそんな“彼女”が花屋にやってくる日である。テオは、今日こそこの想いを“彼女”に伝えようと決めていた。

何せ先日、ようやく魔王が倒されたのだ。勇者様一行の凱旋パレードには、テオが勤める花屋も店中をひっくり返す勢いで商品である花を提供し、王都中を飾り付けるのに一役買った。

勇者様一行が旅に出ている間も、“彼女”は店に訪れてくれてはいたが、その笑顔にはいつだって翳りがあった。穏やかで柔らかく、そして優しい笑顔には、気付けば寂しさと焦燥が入り混じるようになっていた。

いくら王都に住んでいるからとはいえ、“彼女”も不安だったのだろう。当たり前だ。だからこそ“彼女”のその不安を自分が拭い去ってあげられたらと、何度思ったことか。

けれど一週間に一度店先で顔を合わせるだけの自分にできることなど、数えるほどにもない。“彼女”が買い求めていく花束に、そっと一輪の花をおまけで添えるのが精一杯だった。


だが、それも今日で終わりだ。


今日こそテオは“彼女”に思いを告げるのだ。そのためのとっておきの花束だって用意した。

これからは無言で花一輪を捧げるばかりではなく、彼女の隣に立ってその涙を拭い、手を取り合い、一番近くでその笑顔を見ることができたら。そんなことが実現したら、自分はいったいどれだけ幸せになれるのだろうとテオは夢想する。

ああ、早く“彼女”が来てくれないだろうか――――……


「こんにちは」

「っ!」


穏やかなその声に、テオは思い切り身体をびくつかせてしまった。慌てて背後を振り向けば、そこには予想通り“彼女”の姿がある。それはいい。それはいいのだが、しかし。


「こ、こんにち、は?」


テオの声が妙にひっくり返ってしまったものになってしまったのは、本人にとっても無意識のものだった。

だが、そうテオがそうなってしまったのも、無理らしからぬことだったのだろう。

テオの視線の先で、“彼女”は穏やかに微笑んでいる。けれどその笑顔は、今までテオが見てきたような、柔らかで優しいばかりのものではなく、ましてや寂しさや焦燥が入り混じるばかりのものでもない。彼女の笑顔には、一目でそうと解るほどに、幸福と喜びが滲み出ている、それは輝かしいものだった。

その笑顔に目を奪われてテオが硬直していると、“彼女”は困ったように小首を傾げる。さらりと流れる淡い色の髪は、今日は結われておらず背に流され香油で艶めき、身に纏うドレスはいつものような品はいいものの、年頃の娘が着るには少々シンプルすぎて大人しい――はっきり言ってしまえば『地味』の一言に尽きるようなものではなく、優しくも華やかなラベンダー色が目を惹く、流行のデザインのドレスだった。


「綺麗、です、ね」

「え?」


思わずぽつりとテオがそう漏らせば、“彼女”の瞳が驚いたようにぱちぱちと何度も瞬く。不思議そうにこちらを見つめてくる“彼女”の視線を受けて、ようやく自らの失言に気付いたテオは、慌ててぶんぶんとかぶりを振った。そしてここぞとばかりに、『好青年』と名高い自慢の爽やかな笑顔を浮かべてみせる。


「いえ、あの、いつもと雰囲気が違うから。そのドレス、とてもよくお似合いですね」

「まあ、ありがとうございます。ふふ、今日は少々特別でして」


その白い頬を薄紅に染めて、くすくすといつかと同じように“彼女”は、気恥ずかしげに笑ってくれた。その笑顔にまたしても目を奪われてしまう自分を感じながら、テオは自身の身体が歓喜に打ち震えるのを感じていた。

ああ、そうか。そうなのか。これはもしかしてもしかしなくても、“彼女”もまた、今日というこの日に、この自分――テオ・カースに、『何か』を伝えに来てくれたのか。

その『何か』を、“彼女”のその『言葉』を、心の底から聞きたいと思ったけれど、いやいやいや、そうはいかない、それはいけない、とテオは思い直した。女性から言わせるなんて男の恥だ。ここはやはり、自分から言わなくては。

そう決心するが早いか、テオは店先に隠しておいた、とっておきの花束を抱え、“彼女”の前に差し出した。“彼女”の目がまんまるになるのを、テオは満足げに見つめる。

何せこの花束は、温室で育てた、季節を問わない薔薇や百合をふんだんに惜しげもなく使った、本当にとっておきの、大層豪華な花束なのだ。これを差し出されて喜ばない女性なんていないに違いない。きっと“彼女”だって、この花束でテオの想いを解ってくれるはずである。


「これ、受け取ってもらえませんか」

「え、あ、でも……」

「これが僕の気持ちなんです! どうか受け取ってください!」


押し付けるようにぐいぐいと花束を押し遣れば、戸惑いの表情を浮かべていた“彼女”のその表情が、花の芳しい香りにあてられてか、ふわりと緩む。

その柔らかな表情に、テオは自身の想いが“彼女”に届こうとしているのだと頬を緩ませ――そして、テオの表情は、そのまま凍り付いた。



「フィリミナ」

「まあ、エディ」



“彼女”の向こうから聞こえてきた、いっそ空恐ろしくなるほどに聞き心地の良い美声に、テオは完全に思考が停止した。

そんなテオと、テオの持つ大きな花束を置き去りに、“彼女”は背後を振り返って、小走りになり、そこに外套のフードを深く被って立つ長身の人物の元に小走りで駆け寄っていく。自身の前からあっという間に遠退いていってしまう“彼女”を、テオはただ見送ることしかできなかった。


「本屋さんはもうよろしかったのですか?」

「ああ。お前の集めている作家の新作も出ていたからついでに買っておいたぞ」

「まあ嬉しいこと。ありがとうございます」


“彼女”と親しげに話す、とんでもない美声の持ち主が男であることくらい、誰だって解る。

あれは誰だ。何故“彼女”とあんなにも親しくしているのだ。会話から察するに、“彼女”の連れであるようだが、何も今このタイミングで現れなくてもいいだろうに。

そう理不尽にも内心で苛立つテオの視線は、自然と険しいものとなり、“彼女”の隣に立つ男へと向けられる。その視線に気付いたのだろうか。男はコツコツと固い踵を鳴らしながら花屋の店先まで歩み寄ってきた。

近くで見ると余計にその男の長身が際立ち、テオは否が応にも彼を見上げなくてはならなくなる。それでも負けじとキッと彼を睨むテオの視線など一切気付いていないように、男は店先を一瞥する。そしてその外套から覗く白い手が、店先の花瓶に飾られていた雛菊を一本抜き取った。


「フィリミナ」

「はい?」

「来い」

「あら、何でしょうか」


不思議そうに首を傾げながら、“彼女”は再び店先でテオの正面……つまりは男の隣に立つ。そんな彼女の顎をくいっと固定して、男は手に持っていた雛菊を、“彼女”のこめかみの部分の髪に挿した。ぱちり、と“彼女”が大きく瞬きし、テオは自身の目がこれ以上なく見開かれていくをの感じた。

淡い色の髪に映える白く可憐な花は、テオが先程“彼女”に捧げようとしたどんな豪華な花よりも、彼女に相応しく、似合っているように、テオの目には見えた。

自分が何をされたのか遅れて理解したらしい“彼女”の顔色が赤くなり、落ち着かなさげにその視線が足元へと落ちる。いつも穏やかで淑やかだった彼女は、そんな顔ができたのか。そんな仕草ができたのか。そしてそれを“彼女”にさせているのは自分ではなく、あの男なのだ。

どさっと思わず手に持っていたとっておきの花束を取り落とすテオの方へと、男がちらりと視線を向けてくる。その表情は窺い知れないが、何故なのか、その朝焼け色の瞳だけがやけに煌々と輝いてテオの全身を射抜いた。


「代金だ。釣りは取っておけ」


硬直するテオに向かって、男が何かをピンッと指先で弾いて投げてくる。反射的にそれを両手で受け取ったテオは、手のひらの上にずしりと乗るそれを見て目を向いた。雛菊一輪に対する代金にしてはあまりにも高価すぎる、きらきらと輝く大きな金貨だった。


「ちょ……っ!?」


テオの月収にも匹敵する金貨を無造作に投げて寄越してきた男に、思わずテオは声を上げるが、時は既に遅く、気付けばその男は店先から離れていてしまっていた。その隣の“彼女”と指を絡ませ合う形で手を繋ぎながら。


「~~~~っ!!」


この瞬間、テオは自分が負けたことを理解した。いいや違う。きっと最初から、テオは負けていたのだ。何故ならあの男の隣で微笑む“彼女”の姿は、テオが今まで見てきたどんな“彼女”よりも美しかったのだから。

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