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魔法使いの婚約者  作者: 中村朱里
おまけ
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        (3)

「……それで、今日は何の御用でしょうか?」

「あら、出会い頭にご挨拶だこと。用が無くては呼んではいけないかしら?」

「私と姫の立場を考えれば、それも当然かと思われますが」


上手く感情を押し殺しているようであるが、他者の感情の機微に敏くあれと育てられてきたクレメンティーネには、目の前の美貌の男が――王宮筆頭魔法使い、エギエディルズ・フォン・ランセントが、酷く機嫌を損ねているらしいことが、手に取るように解った。

内心では自分に対し、さぞ罵詈雑言をぶつけていることに違いないとクレメンティーネは思う。まあ、そうされても仕方のないことをしているだけの自覚はあった。何せ、こうしてエギエディルズを呼び出すのは、これが初めてではないのだから。


初めてエギエディルズとこの東屋で対面して以来、こうして度々この男を呼び出すようになり、今日で何度目になるのだったか、既に数えるのも馬鹿らしくなっている。

王宮内では、クレメンティーネがエギエディルズを個人的な茶会に何度も呼び出しているという噂で持ち切りだというのだから、その頻度は推して知るべしといったところだろう。


さっさと座れ、と言わんばかりに視線で目の前の椅子を示してみせれば、エギエディルズは何を言うでもなく、大人しく椅子に腰を下ろした。

普段は研究室に籠りきりだという男にしては、随分と洗練された動きに、相変わらず隙が無いものだと感心する。その分可愛げも無くなっているのだから素直に褒めるのには抵抗があるが。


この自分の茶会に呼ばれた者は、多かれ少なかれその相好を崩して喜ぶのが常であったのだが、この男の場合は、その常識は通用しないことを、これまでの経験上、クレメンティーネはよくよく理解していた。それがより一層クレメンティーネの興味を惹くのだということを、生憎、エギエディルズ自身は気付いていないようだけれども。


含み笑いをしながらクレメンティーネは紅茶を口に運ぼうとして、あら、とティーカップを見下ろした。気付けば空になっていた。侍女も騎士も下がらせたこの東屋で、このカップに紅茶を注いでくれる存在はいない。それこそ、目の前の男以外には。

わざわざ命じるのも馬鹿らしく思えて、自らティーポットに手を伸ばすが、クレメンティーネがその取っ手を掴むよりも先に、エギエディルズの白い手が取っ手を掴んで、クレメンティーネとエギエディルズのカップに紅茶を注ぐ。

「ありがとう」と一言言いおいてカップを口に運び、クレメンティーネは、早く本題に入れと言わんばかりにこちらを見つめてくる朝焼け色の瞳を見つめ返した。


「研究の邪魔をしていることに関しては、悪いと思っているわ。けれど、こうしてあたくしの相手をすることも、貴方がこの国の民であるというのであれば、それもまた、立派な仕事の一つであると言えるのではなくて?」


暴論を吐いている自覚はあった。右も左も解らない小娘でもあるまいに、なんて我儘を言っているのか。しかも、相手は、誰もが厭い、恐れ、戦く、純黒の魔法使いである。この場を下がらせた侍女や騎士達が聞けば顔を真っ青にするに違いないだろうが、クレメンティーネとしては、そんなことは些末だった。エギエディルズという男が、これくらいの発言で感情を露わにするような男であったのならば、クレメンティーネはとうの昔にエギエディルズに飽いていたに違いないのだから。

エギエディルズは、怒りや苛立ちを見せることもなく、仮面を貼り付けたかのような無表情で、自ら紅茶を注いだティーカップに手を付けようともせずにクレメンティーネをただ見つめている。


これまで、この男のこの表情を、それこそ飽きるほどに見てきた。この東屋に呼び出す度に見せつけられてきたのだからそれも当然だ。

今まではそれでよかった。エギエディルズがどんな表情を浮かべようとも気にせずに、周りがどれだけ焦ろうとも意に介さず、クレメンティーネは好きに話しかけてきた。必要最低限以上にエギエディルズが話さなかろうが、クレメンティーネが飽きるまで茶会は続けられた。

だが、今日はいつもと違う。エギエディルズもそれに気付いていることだろう。今までの茶会であれば必ず側に控えていた侍女も騎士も、この場にはいない。真実二人きりとなって、クレメンティーネとエギエディルズはこの東屋に座している。


「エギエディルズ。貴方、この東屋を周囲から隔離することはできて?」

「……隔離、とは?」

「そのままの意味よ。今からここでする会話を、誰にも聞き咎められないようにしてほしいの。貴方ならばできると思うのだけれど」


無理だとは言わせない、と暗に含ませて笑いかければ、エギエディルズは無言のまま、パチン、とひとたび指を鳴らした。瞬間、周囲からありとあらゆる音が消える。葉擦れの囁き、小鳥の囀り、風のざわめき――耳朶を震わせていた何もかもが消え失せる。

魔法制限体系が組み込まれた結界の中、無詠唱でそれだけのことをしてのけたエギエディルズに内心で舌を巻きつつ、クレメンティーネは彼に笑いかける。


「フィリミナ・ヴィア・アディナだったかしら?」

「っ!」


エギエディルズが息を呑んだのを、クレメンティーネは確かに見た。何故、と言いたげにこちらを凝視してくるエギエディルズに、ふふ、とクレメンティーネは笑いかける。宝石が輝くようだと、或いは花が綻ぶようだと評される、その美しい笑みにも、エギエディルズの心は動かされないようだった。ただ、クレメンティーネが口にしたその名前ばかりに、気を取られている。

この東屋で茶会を開くようになって以来、初めてあからさまな動揺を見せるエギエディルズは対照的に、クレメンティーネはその可憐なかんばせに泰然とした笑みを刷いて続ける。


「貴方のような男の心を掴んで離さない女性は、一体どんな女性?」


今世唯一無二の、純黒の魔法使いの婚約者という立場に立つ存在は、果たしていかなる存在なのか。影に調べさせたのだから、それなりの情報は手にしている。けれどそれはあくまで、紙の上での情報だ。実際の『フィリミナ・ヴィア・アディナ』という女性がどういう存在なのか、クレメンティーネは、エギエディルズの口から直接聞きたかった。

だが、そんなクレメンティーネの意図にはさっぱり気付いていないのか、はたまた気付いていて敢えて無視しているのか、平素の冷静さを取り戻したエギエディルズは、淡々とした声でクレメンティーネの問いに答えた。


「別に、姫が気に掛けるまでもないような、どこにでもいる、普通の女です」

「あら、貴方が言う通りの『どこにでもいる普通の女』が、『貴方』という存在を心から受け入れることができると、本気で思っているの?」


我ながら意地の悪いことを言っているものだと思う。嫌味にしては直球すぎるし、冗談にしては趣味が悪すぎる。それでも、これがクレメンティーネの、紛れもない本音だった。

『どこにでもいる普通の女』が、エギエディルズを――忌まわしき黒持ちと呼び慣らされる存在を、そう簡単に受け入れられるのならば、この男の立場はもっと別のものになっていたに違いない。女神の加護を受けたと称賛されるクレメンティーネに対してですら、人々は一線を引いた態度を取るのだ。純黒の魔法使いに対しての周囲の反応など、火を見るよりも明らかである。

微笑みを絶やさずエギエディルズを見つめるクレメンティーネを見つめ返す朝焼け色の瞳に宿る光は怒りだろうか、それとも別の何かだろうか。表情は人形のように変化が無いというのに、その瞳の光だけは明らかに彼が冷静ではないことを教えてくれていた。

怒りだろうが苛立ちだろうが、何であるにしろ、『フィリミナ・ヴィア・アディナ』という女性は、この男にこんな反応を取らせるだけに値する存在であるらしい。

なるほど、とクレメンティーネは内心で頷く。とりあえずはそれで充分であるということにしておいてやろうではないか。


「いずれ、あたくしも会ってみたいものね」


この男が、唯一無二の得難い宝物のように隠しておきたがる、その存在に。

クレメンティーネの呟きに、エギエディルズの表情がとうとう歪む。冗談ではないとでも言いたげなその表情に、くすくすと声を上げてクレメンティーネは笑い、紅茶を口に運んだ。


「そんな顔をするものではないわ。それとも、貴方の婚約者は、あたくしに会わせることができないほど、不出来な令嬢なのかしら?」

「……断じて、そのようなことはありませんが」

「ならば構わないでしょう。ふふ、楽しみにしておくわ」

「…………」


沈黙を以て抗議の意を伝えてくるエギエディルズのことなど完全に無視をして、にっこりとクレメンティーネは笑った。


「さて、そろそろ本題に入りましょうか」

「――本題?」


訝しげに眉を顰めるエギエディルズを余所に、クレメンティーネは笑みを崩さないまま、ことりと、芝居めいた大仰な仕草で首を傾げてみせる。


「あたくしが今日、何のために侍女や騎士を下がらせて、貴方にわざわざこの場の隔離までさせたと思っていて?」


ただ単にエギエディルズの婚約者について話すためだけに、そこまでのことをさせたのだと思っているのだとしたら、それはまた随分とおめでたい頭をしているものだ。

そう暗に込めて言い放てば、エギエディルズはその白皙の美貌を顰めさせたまま、無言でクレメンティーネの台詞の先を促した。

それをいいことに、クレメンティーネは、凪いだ湖面に小石を一つ静かに落とすかのように、ぽつりと呟く。


「――――ぬばたまの魔王の物語」


その言葉に、朝焼け色の瞳が瞬いた。

ぬばたまの魔王の物語とは、その名の通り、五百年前に封印された魔王に関する物語だ。女神の聖剣に選ばれた勇者が、世界を荒らし回っていた魔王を封印したという英雄譚。幼子に語る寝物語でもあり、あまり信じられてはいないが、れっきとした史実でもある。

それがどうかしたのかと言いたげなエギエディルズに、クレメンティーネは笑みを消して続けた。


「いずれ、かの魔王は復活するわ。もしかして、ではなく、確実に。あたくしがこの世に生を受けたことが、何よりの証拠よ。『貴方』という存在の誕生も、もしかしたらその兆しであったのかもしれないわね」


エギエディルズが静かに息を呑むのを、クレメンティーネは紅茶を口に運びながら見つめていた。

光があれば影があり、影があれば光がある。女神の加護を受けた者の証である白銀の髪を持ってクレメンティーネが生まれたのは、つまりはそういうことだ。女神の加護を受けて産まれた者がいるということ。それはつまり、その必要性があったからということに他ならない。


だからこそ神殿は、クレメンティーネが生まれた際に、その身を神殿に引き渡すよう求めたのだろう。いずれ復活する魔王に対し、女神の愛し子である巫女を保護し、ありとあらゆる手段を講じて、魔王に対抗する手立てを教え込むために。

だが、クレメンティーネの両親である王と王妃はそれを拒んだ。いずれ女王となる者を神殿という狭い世界に押し込めることを良しとせず、また、それ以上に、たった一人の愛しい我が子を手放すことができなかったからだ。


そしてその事実を、クレメンティーネは六歳の誕生日の際に知らされた。

ぬばたまの魔王の物語については既に教えられていたが、まさか自身がその渦中に立つべき存在であるとは思ってもみず、泣いて、喚いて、六歳児の小さな頭で悩みに悩み抜いた。


――あたくしが生まれなければ良かったの?


そう問いかけた時の王と王妃の表情は忘れようにも忘れられない。ただきつくクレメンティーネを抱き締めてくれた。それが答えだった。それで十分だった。

以来クレメンティーネは、それまであれほど嫌がっていた光魔法の修行にも、自ら挑むようになった。どれだけ辛かろうとも、苦しかろうとも、クレメンティーネは決して諦めなかった。ただひたすらに、がむしゃらに、与えられる知識全てを食らい尽くし飲み干した。そうして、今のクレメンティーネがここにいる。


「あたくしはいずれ、聖剣が選んだ勇者と共に、魔都へと送られることになるわ。封印から解き放たれた魔王を、今度こそ倒すために」


淡々と言葉を紡ぐクレメンティーネに対し、エギエディルズは何も言わない。もしかしたら、何も言えないのかもしれない。

いつしか彼の表情は、当初のような、一級品の人形のような無表情に戻っていた。誰もが目を奪われずにはいられないに違いない、その絶世の美貌。

紅茶は既に冷め切っている。それを口に運んで、クレメンティーネは、無言を貫いているエギエディルズに笑いかけた。


「その時はきっと……いいえ、確実に、貴方の世話になることになるでしょうね」


楽しみね、と皮肉げに続けようとも、エギエディルズのその、人形のような無表情は変わらない。なんて可愛げのない男かしら、と思いつつ、その朝焼け色の瞳を見つめると、そこには歪んだ微笑を浮かべた自分の顔が映り込んでいる。酷い顔だこと、と、他人事のようにそう思う。


何はともあれ、これでこの男も共犯だ。今、クレメンティーネが話した事実は、国家機密――否、世界機密に相当する。他者に漏らしたが最後、その首が飛んでもおかしくはない話だ。

何故エギエディルズにこんな話を告白してしまったのか、クレメンティーネ自身もよく解っていない。両親と、神殿の上層部しか知らない、知っていてはならないこの秘密の話を。

ただ、共犯者が欲しかったのか。それは決して間違いではない。けれどそれ以上に、自分は、この男が羨ましかったのだ。ふとクレメンティーネはそう気付く。自分が持ちえない唯一を持つこの男に、少しでも重荷を背負わせてやりたかった。なんて性格の悪い真似だろう。そんな自分に失笑しつつ、クレメンティーネはひらりと片手を振る。


「もういいわ。下がってよくてよ」

「――――御意に」


エギエディルズが椅子から立ち上がり、礼を取ると同時に、周囲の音が一斉に戻ってくる。いっそ騒々しいとすら思える音の中、エギエディルズは文句一つ言わずに去っていった。 その後ろ姿を見送りながら、クレメンティーネは冷たくなった紅茶を飲み干して、誰にともなく笑みを浮かべる。


ああ、本当に楽しみだ。魔王を倒すための旅路に立つその日にこそ、この身の価値は立証されるのだから。

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