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魔法使いの婚約者  作者: 中村朱里
おまけ

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魔法使いの好敵手(1)

鼻孔を擽る馥郁たる芳香に、クレメンティーネは思わずその琥珀色の瞳を細めた。

ほんのりと甘く感じられる温かな香り。それだけで目の前で煎れられている薬草茶の質が解る。それは結構な話なのだがしかし、この香りの元である薬草茶の茶葉の提供者が誰なのかを考えると、些か面白くないものを感じた。

とは言え、実際にその茶葉を使って薬草茶を煎れてくれているのは、その提供者の妻である存在である。それを思えば、まあ許容範囲内かしら、とクレメンティーネは内心でごちた。


「姫様、お砂糖か蜂蜜、どちらになさいますか? 個人的には蜂蜜をお勧めさせて頂きたいところなのですが……」


立ったまま、ティーカップに薬草茶を注ぎ終えたティーポットをテーブルの上に置きながら、彼女――フィリミナ・フォン・ランセントは、そうクレメンティーネに問いかけた。その穏やかな声音に、ぱちりと一つ瞬きをして、クレメンティーネは小さく笑みを浮かべる。


「そうね、なら蜂蜜でお願いするわ。一匙で結構よ」

「かしこまりました」


クレメンティーネの言葉に、心得たとばかりにフィリミナは微笑んだ。小ぶりの瓶から黄金色の蜂蜜を一匙、薬草茶で満たされたティーカップに入れてくるり、くるりとかき混ぜる。あっという間に、淡い萌黄色の中に黄金色が溶け切ったことを確認し、フィリミナはクレメンティーネの前にティーカップを置いた。


「どうぞお召し上がりくださいまし」

「ありがとう」


勧められるがままに、躊躇うことなくクレメンティーネはティーカップを口へと運んだ。

クレメンティーネの立場、すなわちこの国の姫君であり女神の愛し子たる巫女という立場から考えれば、毒見も無しに他者から提供されたものを安易に口にするなど、決して褒められた行為ではない。そもそもこうして、護衛も侍女も付けずに、赤の他人とたった二人きりで、中庭の東屋で茶会を楽しむなど、許されるべきことでは無いだろう。いくら出自がはっきりしているとはいえ、いざという時には何の役に立ちそうになく、ともすればクレメンティーネの命を狙うかもしれない存在とであれば余計にだ。

だが、クレメンティーネは知っていた。目の前の年上の女性が、自分を害することなど、決して無いということを。それは裏付けされた信頼であり、また、確固たる事実でもあった。クレメンティーネは、フィリミナのことを、年齢も身分も関係なく、確かに一人の友人として認めていたのだから。

口の中に広がる、べたつかず、えぐみも無い爽やかな甘味に、ほう、と小さく吐息を漏らす。文句なしに……そう、本当に、腹が立つくらいに文句なく美味だ。

――ああ、面白くない。

そう内心でクレメンティーネは呟いた。


「いかがでしょう?」


クレメンティーネの僅かな心の機微に敏く気付いたのか、恐る恐ると言った様子でフィリミナが問いかけてくる。ティーカップをソーサーの上に戻し、クレメンティーネは眉尻を下げてこちらを窺っているフィリミナに向かって泰然と微笑んだ。


「美味しいわ。とっても」


『とっても』の部分を強調して言い返せば、フィリミナは安堵したように「それはようございました」と嬉しげに笑った。そして自らもまた椅子に座って、蜂蜜を溶かし入れた薬草茶を口に運び、満足げに笑みを浮かべる。

それを見遣りながら、クレメンティーネは、テーブルの上に並べられた一口大のクッキーを口に放り込んだ。これもまた、薬草茶の茶葉と同様に、フィリミナがこの場に持ち込んだものだ。彼女の手作りだというそれは、クレメンティーネが普段口にしているものとは異なる素朴な味わいであり、薬草茶と相まって更に美味しさを倍増させる。


「このクッキーも美味しいわね。次も持ってきてくれる?」

「勿体ないお言葉です。姫様がそう仰ってくださるなら、是非」

「ふふ。楽しみにしているわ」


もう一つクッキーを口に入れて、紅茶で流し込む。どちらもとても美味しいのは先に述べた通りであるし、双方が双方の良さを引き立てあっているというのもまた同様であるのだが、それがクレメンティーネは些か面白くなかった。別に、フィリミナに文句を付けたい訳では無い。文句の一つや二つを言ってやりたいのは、もっと別の存在だ。


「あの男があたくしに大人しく茶葉を提供してくるなんて思わなかったわ。フィリミナ、貴女、どんな手を使ったの?」


クレメンティーネの言葉に、フィリミナは一つ大きく瞳を瞬かせた。クレメンティーネは、テーブルの上に肘を乗せ、指を絡ませ合い、その上に顎を乗せて、フィリミナを見つめる。自分よりも数歳年上の友人である彼女の瞳を覗き込めば、そこには、好奇心を色濃く映した表情を浮かべている、自身の顔が映り込んでいた。

クレメンティーネとフィリミナの間で出てくる“あの男”なる存在はそうそう居ない。この場合における“あの男”というのは、ただ一人のことを指す。この紅茶の茶葉の提供者であり、先にも述べたフィリミナの夫でもある男だ。

クレメンティーネの問いかけに、フィリミナは意外なことを言われたとばかりにぱちぱちと瞳を瞬かせ、そして不思議そうに首を傾げてみせた。


「どんな手、と仰られましても……。普通にお願いしただけですが」

「そう。『普通に』ね」

「はい。姫様とのお茶会に、と伝えたところ、とっておきのものを出してくれました」


それが何か、と言いたげなフィリミナに、クレメンティーネは軽く頭を振って答え、ティーカップを見下ろした。凪いだ紅茶の水面に、不満げな己の顔が写り込んでいる。そんな自分を飲み込むように、ティーカップを口に運び、飲み込みきれなかった不満を溜息として吐き出した。


「姫様?」

「何でもないのよ。気にしないで」


フィリミナは首を傾げているが、生憎それに答える気にはなれなかった。

フィリミナが“エディ”と呼んだ男こそ、今現在クレメンティーネとフィリミナが舌鼓を打っている紅茶の茶葉の提供者だ。その本名はエギエディルズ・フォン・ランセント。この国の筆頭魔法使いにして、クレメンティーネと同じく、勇者と共に魔王を倒した、救世界の英雄が一人である。


そんな男の妻が、クレメンティーネの目の前にいる。あの男の妻などという物好き……もとい、奇特な立場にある女性、すなわちフィリミナ・ファン・ランセントは、『普通に』頼んだと言うが、それだけであの男が簡単に茶葉を提供してくるだろうか。それも、何かしら不備があれば間違いなく嫌味を言ってくるような相手――すなわち、自分相手に。


――でも、それでも。


ふとクレメンティーネは思う。こんな自分相手だからこそ、あの男は、フィリミナ曰くの『とっておき』を提供してきたのだろうと。実際に提供された茶葉で煎れられた薬草茶は文句のつけようも無く、それがかえってクレメンティーネの癇に障るのだから困ったものだ。

ここで少しくらい渋い茶葉を提供してくるくらいの可愛げがあればいいものを、幸か不幸か、あの男が提供してきた茶葉は完璧だった。実際に薬草茶を煎れたフィリミナの手腕が成せる技も大きいのだろうが、それと同時に、茶葉そのものが上等であるがために、この美味が完成されているに違いない。


こんなところでも、この目の前の友人と、今頃黒蓮宮の研究室で己の研究に没頭しているに違いない男の、目には見えない繋がりを見せつけられているようで、クレメンティーネは何やら複雑にな気分になる。惚気なんて見たくも聞きたくもないというのに、こうしてふとした瞬間に思い知らされるのだから本当にやっていられない。


とは言え、まあそれでも、彼女達のこれまでを思えば、そんな惚気も大目に見て然るべきなのだろう。

けれども、それはあくまで一般論だ。王族であり、民を思いやる巫女姫としてのクレメンティーネではなく、一人の少女としてのクレメンティーネは、こう思ってしまうのだ。

ずるい、と。羨ましい、と。

こんなことは以前は思わなかったと言うのに、目の前の友人という存在を得てからというもの、その思いは日増しに強くなっていくばかりだ。

脳裏に浮かぶ、濡れたように艶めく漆黒の髪に、朝焼けを掬い取ったかのような瞳を持つ、自らの美貌に慣れ親しんだクレメンティーネですら認めるに吝かではない美貌を誇るフィリミナの夫の姿に、無意識に手に力が入る。


「……あの、果報者」

「え?」


きょとんとフィリミナがその瞳を瞬かせる。そこで初めてクレメンティーネは、己が、内心に留めておくつもりだった台詞を、実際に口にしてしまっていたことに気付いた。はた、と固まって、口を押えるがもう遅い。


「姫様?」


フィリミナのその問いかけに対する上手な答えを、クレメンティーネは持ち合わせていなかった。我ながららしくもないと思いつつ、不思議そうにしているフィリミナに、にっこりと深く笑いかける。城下においては、大輪の白百合が綻ぶかのような、と称される、優美と言う言葉をそのまま体現した笑みだ。


「何でもないのよ。気にしないで」

「ですが」

「何でもないのよ。気にしないで」

「……はい」


三度同じ台詞を繰り返してみせれば、フィリミナは何か言いたげにしながらも、大人しく引き下がってくれた。それをいいことに、クレメンティーネはティーカップの中身を飲み干すと、小鳥のように愛らしく、小さく首を傾げた。


「そんなことよりも、フィリミナ。もう大丈夫なのよね?」


それは唐突な問いかけであり、ともすれば『何がだ』と問い返してしまいそうな問いかけではあったが、フィリミナはその問いの意を正確に汲み取った。柔らかく笑みを浮かべ、こくりと頷く。


「はい。恙なく過ごしております」

「そう。ならいいわ」


クレメンティーネの答えに、フィリミナの表情が、苦笑いと照れ笑いが入り混じる、複雑なものへと変わる。何か言いたいことでもあるのかと口にする代わりに、視線で先を促せば、フィリミナは困ったような声音で言葉を紡いだ。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、もう本当に大丈夫なのです。医官の先生にも、もう数週間も前にお墨付きを頂きましたし……そもそも、あれからもう何カ月経ったとお思いですか?」

「貴女の『大丈夫』はあてにならないと、貴女の夫が保証済みなのだけれど?」

「姫様までそんなことを仰るのですか……」

「あら、お友達を心配するのはいけないことかしら?」

「そ、そのようなことはありませんが」

「でしょう?」


駄目押しとばかりににっこりと微笑んでやれば、フィリミナは目を逸らし、誤魔化すように薬草茶を口に運んだ。その頬が赤くなっていることに、クレメンティーネは少しばかり溜飲が下がる。


そうだとも、フィリミナには反省して貰わねば困るのだ。本当に、本当に、心配していたのだから。


もう数か月前の話になるのか。ついこの間のことのような気がするのに、実際には確実に時が流れているのだから不思議なものだ。

この国の大貴族に名を連ねる、ルーナメリィ・エル・バレンティーヌと、セルヴェス・シン・ローネインを主犯とする、フィリミナを狙った呪いと拉致事件。気が付けば数か月前の話になってしまったが、その記憶は未だ新しい。

得難い友と認めた存在が血を流して倒れ伏したあの時、クレメンティーネは全身から血の気が引く思いを味わった。だがそれに浸る間もなく、フィリミナの夫たる男が暴走してくれたおかげでそれどころではなくなったが、もしあの暴走がなかったら、己の方が暴走していたかもしれないと思う。


自分の光魔法と、男の魔法、医官の尽力により、フィリミナが小康状態に持ち直しても、呪いに侵されたフィリミナが目覚めるかは賭けだった。

なんとか彼女が目覚めてくれたと聞いた時、不覚にも泣きそうになってしまったのは、誰にも言えない秘密だ。


すぐにでもベッドに駆けつけたかったが、セルヴェスがルーナメリィの望みを叶えるためにフィリミナを呪ったのだと知らされると、そう簡単に動けなくなった。クレメンティーネにできたのは、フィリミナが眠るベッドの傍から断固として動こうとしないエギエディルズを、王族からの命令であるとして、無理矢理連れ出すことくらいだった。

あの時のエギエディルズの表情は、忘れようにも忘れられない。

いつもの無表情をかなぐり捨てて、それこそクレメンティーネを、その朝焼け色の瞳が放つ鋭い視線だけで貫き殺そうとするかのような表情で睨みつけられた。周りの騎士団員達に緊張が走る中、クレメンティーネは、そんなエギエディルズの視線を、泰然とした態度で受け止めた。それがフィリミナに対してクレメンティーネができる、唯一のことだと信じて。

そして、結果として、ルーナメリィはセルヴェス同様に捕えられ、少女は修道院へ、青年は僻地の神殿へとそれぞれ送られた。


……正直なところ、フィリミナには、縁を切られても仕方がないと思っていた。

いくら元凶まで一網打尽にするためとはいえ、つい数刻前まで生死の境を彷徨い、未だ傷が塞がり切っていない彼女を、囮に使ったのだから。

けれど予想に反して、フィリミナは、見舞いにやってきたクレメンティーネに言ったのだ。穏やかに微笑んで、「ありがとうございました」と。


なんだそれは、と思わずにはいられなかった。

怒ればいいのに、その権利が彼女にはあるのに、フィリミナはそうしなかった。

言葉を失ったクレメンティーネに対して、傍に立っていたエギエディルズはどこか得意げに、「無駄な心配だったな」と言い放ってくれやが……いや、のたまってくれた。

そんな男を無視して、クレメンティーネは、らしくもなく滲みかけた涙を堪えて、フィリミナに、いつものように余裕ぶって笑いかけた。そうすることが、フィリミナが一番喜んでくれると思ったから。


そんな一件から早幾月。フィリミナの言う通り、彼女の身体の傷はもう癒えているのだろう。それは、彼女を担当する医官に何度も確認したことであるし、クレメンティーネ自身、最後の仕上げとばかりに光魔法による治癒魔法をかけて、確認したのだから知っている。巫女としての力を以てすら決して消えないその傷に、思わず痛ましげに眉を顰めたら、フィリミナはなんてことのないことだと笑った。「エディを守れたという、わたくしの誇りです」と。


――敵わないと思った。どんな盛大な惚気だろう。


こんな風に彼女に想われているエギエディルズがずるいと思う。羨ましいと思う。全くやっていられない。脳裏にエギエディルズの秀麗な、自慢げな顔が浮かぶ。


「…………」


降って湧いた苛立ちに、はしたないと解っていながらもクッキーを一気に三枚ほど口に放り込んだ。やはり美味しい。これを日常的にあの男が食べているのかと思うと、余計に一層小憎たらしい。

もっくもっくと大きくクッキーを咀嚼する、そのクレメンティーネのいつにない行動に、フィリミナが、ティーカップに薬草茶を注ぎ足しつつ驚いたような表情を浮かべる。だが、いつもであれば苦言を呈してくる側付きの侍女達もいないのだから、これくらい見逃して貰おう。

内緒、の意味を込めて人差し指を唇に押し当てて片目を瞑ってみせると、フィリミナは一拍おいて苦笑交じりに頷いた。彼女のこういう融通が利くところもまた、クレメンティーネがフィリミナを気に入っている理由の一つだ。


そもそも、何故ここまでクレメンティーネがフィリミナに重きを置くようになったのか。

今でこそフィリミナはエギエディルズの妻、すなわち救世界たる英雄の妻という立場に収まっているが、それらは全て、後付けの理由に過ぎない。元を正せば、フィリミナは、いくら魔導書司官という特殊な職種を担うアディナ家出身であるとはいえ、王族と接見できるような立場ではない。だというのに、今ではこうして二人きり、身分も年齢も越えて、共に茶を楽しむような間柄になっているというのだから、人生と言うものは何が起こるか解らない。


「不思議なものね」

「え?」

「貴女とあたくしが、こうしてお茶をしていることが、よ」

「――そう、ですわね」


こっくりと頷くフィリミナに微笑みかけ、注ぎ足された薬草茶を啜る。それもこれも全て、突き詰めてしまえばあの男――エギエディルズ・フォン・ランセントのおかげなのだから、本当に人生とは解らないものである。

そう思いながら、クレメンティーネは、一気に薬草茶を口に運ぶ。

思い返すのは、フィリミナが呪いに掛けられるよりも前、魔王討伐のために王都を発った日よりも前――今のようにこうして、中庭で紅茶を飲みながら、結婚相手の資料を見ていた時のことだ。

活動報告(http://mypage.syosetu.com/mypageblog/list/userid/285180/)にお知らせがあります。

もしお時間がありましたら、見てくださると嬉しいです。

活動報告へは、上記URLから直接飛んで頂くか、このページの下部・目次ページの下部の“作者マイページ”というリンクをクリックして頂くと見ることができます。

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