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魔法使いの婚約者  作者: 中村朱里
本編:フィリミナ
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かくしてある意味栄光の、言い換えればこの上なく虚しい日々を送っていたその中で、私があの男に出逢ったのは、『私』を思い出してから四年が経過した頃、すなわち七歳の誕生日を迎えたばかりの頃である。


エギエディルズ・フォン・ランセント。

舌を噛みそうな名前を持つあの男は、我が国の筆頭魔法使いにして我が幼馴染、そして、婚約者である。


そう、筆頭魔法使い。国一番の魔力を持つと謡われる、例の我が国最後の希望(笑)の勇者一行の一人である。

そんな馬鹿なと言われるかもしれない。というか私が言いたい。そんな馬鹿なと。だが生憎と、それが事実なのである。


現在のあの男はそれはそれは美しい。

我が国の生ける宝石と謡われる姫君と並んでも何ら遜色なきあの美貌。

香油を使わずとも艶めく漆黒の髪に、朝焼けを掬い取ったかのような橙と紫が入り混じり揺れる不可思議な瞳。通った鼻筋に薄く色付く花弁のような唇。陽に焼けることなど忘れたような白い肌。

そんなものを併せ持つずば抜けた美貌は酷く中性的で、ともすれば寝物語の夜の妖精か、と言ったところだろう。

そのくせそのローブの下に隠された身体は細くも整った筋肉を持つ、らしい。これは侍女情報で私が実際に目にしたから知っている訳では無いとアディナ家第一息女の名誉にかけて言っておく。


それにしても、なんだかこうも論うと、段々腹が立ってくるものである。

何故あの男は何もせずともあんなに肌がきめ細かいのか。何故ああも髪が艶やかなのか。ニキビや切れ毛などという言葉など絶対知らないに違いない。

私がどれだけ苦労していると…ってそれはいい。いやよくは無いがこの際おいておこう。

これまでも何度も繰り返してきた問いであるし、何が悲しくて己の婚約者を吟遊詩人さながらに褒め称えねばならんのかという葛藤もあるが仕方がないことにこれが事実。

言っても詮無いことだといい加減理解もしている。


問題は、そんなあの男が何故私の婚約者などというものに収まっているのか、という点であろう。

そこにはあまり…というか、相当よろしくない事情がある。これは、話せばそれなりに長くなる、面白くもない話だ。


我が父たるアディナ家当主が魔導書司官であるならば、あの男の父上であらせられるランセント家当主殿は王宮魔法使いの一人であり、浅からぬ親交を持つ仲であった。そんな両家は私が産まれる前より親しくあり、互いの館を頻繁に行き来していたのだという。


黒の混じる灰銀の柔らかな髪に青い瞳を持つ、決して派手でも美形でもない、穏やかな笑みが似合うランセント家当主殿…いや、ランセントのおじ様は、それはもう当時から私のタイプであった。ドツボであった。ドストライクであった。

正直な話、それなりに美形と言われている父よりも中身含めてよっぽど好みであったため、彼が来る度に私はここぞとばかりに幼女の特権を生かして彼に飛び付いたものである。その度に父に嘆かれたものだが、父よ、女とは所詮こんなものであると知れ。あのおっとり純情派な母が全てであると思うな。

ランセントのおじ様の奥方は残念なことに当時既に亡くなられていたが、女だてらに騎士団副団長を務めるそれは御立派な御仁であらせられたという。

ランセントのおじ様が選ばれた御方だ、さぞ素敵な方であったに違いないと思うと、お会いできなかったのが残念でならない。


そんな彼が、ある日突然連れてきたのが、あの男、エキエディルズであった。


聴けば、その魔力の高さ故に一族から敬遠され封印の憂き目に遭っていたところをランセントのおじ様が助け出したとか何とかということであるが、詳しい事情は解らない。子供に聞かせられるような内容ではなかったということなのだろう。


出会った当時のあの男…いいや、敢えてあの子と呼ぼう。あの日、おじ様に伴われてやってきたあの子は、同い年であると言うのに私よりも随分と小さく、稚く見えた。

後から考えてみれば、それは碌に食べ物を与えられていなかったが故の栄養失調による痩せであったのだと気付いたけれども、当時の私はそんなことも気付かずにただその美しさにらしくもなく見惚れてしまった。

どれだけ痩せぎすで貧相で無表情で可愛げの欠片も見えなくても、否、だからこそ目立つその艶やかな黒髪と、大きな朝焼け色の瞳に、私はこの目を奪われた。思わず「綺麗ね」と口走ってしまったくらいである。

あの子は確かに痩せ過ぎのきらいがあったが、そんな感想を軽く凌駕するだけの美しさに満ち溢れていた。可愛い、というよりも、綺麗、だった。言うなればエンジェルだった。フェアリーだった。

そして同時に、決して他人に懐こうとしない獣でもあった。あの子が気を許すのは義父たるランセントのおじ様だけで、その外は全て敵であると信じ切っているようであった。


ああこれは私の範疇外だな。そう私が早々に諦めたのも無理はないと悟って頂きたい。

どれだけ可愛かろうが美しかろうが、とりつく島も無いのである。話し掛けても無しの礫、無理矢理手を繋いでみたら驚いた顔をされた挙げ句振り払われた。


決して近付いてこようとしないあの子とそのまま中庭で二人きりにさせられた時はどうしようかと心底思った。

それでどうなったかと言えば、まあ案の定互いに無言。かわいいはずの弟は早々に逃げ出し母の腕の中でお休み中であったし、あの子本人は何をするでもなくぼうっと中庭に突っ立っていた。

あの居心地の悪さと言ったらない。光合成でもしているのかと思うくらいにあの子は微動だにしなかった。その幼いながらの美貌に貼り付けた無表情はまっっっっったく変化が見られない。唯一その表情が動いたのは無理矢理手を繋いだ時だけで、その後はひたすら無表情。

いくらこちらの中身が三十路過ぎで相手がエンジェルでフェアリーな七歳児だろうが限界があるのだ限界が。保母の経験があるわけでもないこの私が、トラウマ持ちの幼児の相手などできる訳もない。


と言う訳で、そこで私が何をしたかと言えば、答えは簡単、諦めた、である。


若年者向きの魔導書程度であれば読めるようになっていた私は、それを片手に中庭のベンチに陣取ることにした。

例え読めたとしてもそれを実際に行使できるかと言えば別問題であるのだが、いずれどこぞの貴族に嫁ぐことになるくらいしか無いのであろうとも、アディナ家の息女として最低限の知識を得ておいて少しでも婚家の選択肢を増やしておこうという我ながら小賢しい…もとい殊勝な真似に当時から勤しんでいたのである。


本人が光合成をしていたいなら存分にするがいい。そのまま栄養を自家生産してその痩せっぷりが改善されれば御の字ではないか。そう当時の私が思っていたかどうかはさておいて、ぽかぽかと降り注ぐ陽光の下、私は存分に客人たるあの子を放って、自らの趣味に没頭することに決めたのである。

大人げないとか言われようが何だろうか既に時効だ。聞く耳などとうに腐り果てた。何やら時折視線を感じた気もしたが、それよりも目の前の魔導書の内容に熱中してしまっていた。


そんな中で、その本の上に、ふいに人の影が落ちたのである。弟がいつものように絵本を読んでくれと寄ってきたのだろうか。そう思って顔を上げて、息を飲んだ。朝焼け色に揺らめく瞳が、真っ直ぐに私を見下ろしていた。

いつの間に目の前に立っていたのだろう。驚き固まる私をただ無表情に見下ろしていたあの子は、私の手の中の本をじっと見つめ、そしてまた私から離れていこうとした。


折しもその時私が読んでいた頁は、『魔力と容姿について』という項目。

曰く、髪の黒は魔力の証。髪が黒に近いほど、その者の魔力は強いという。つまり漆黒の髪を持つあの子の魔力はそれだけ底知れないものであった訳だ。

だがしかし、その時の私にとっては、かつての世界にはありふれていた、この世界では滅多に見られない…いいや、それどころか、あの子以外には持ち得なかったその黒髪に、恐怖や畏怖よりも先に、何とも言えない懐かしさの方が勝っていた。それだけに過ぎなかった。

けれどだからこそ私は自然と、あの子に声をかけられたのだろう。気まぐれのように寄ってきた手負いの獣に手を差し伸べることなど、そうでもなければできなかったに違いない。


「あの、エギエディルズ様? 最初から、一緒にお読みになる?」

「…!」


七歳児には少しばかり発音の難しいその名前を呼ぶと、酷く驚いた顔で振り向かれた。ともすればそれは、泣き出しそうな顔だとも呼べたのかもしれないのだけれど、今となっては解らない。ただ私の横にあの子が沈黙のまま腰を降ろしたという事実が答えだった。


あの子はある程度の文字は読めるものの、魔法言語にはまだ疎く、それらを私が補佐しながら魔導書を読み合った。それが恐らくは、今に至るまでの始まりであったのだと思う。


あの頃私は、人に懐かない獣が少しずつ人に馴れていくその様子を、横でつぶさに見ていた。

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