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魔法使いの婚約者  作者: 中村朱里
補足:エギエディルズ

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13/65

「死ぬのは一人で十分とは―――――随分と殊勝な心がけだことよ」


蠱惑的な声が、エギエディルズの耳朶を打つ。男とも女ともつかぬ美貌の、異形のモノ。中性的な、と言うなればエギエディルズの美貌もまた同様であるが、ソレの美貌は、たっぷりと毒を含んだ、血のにおいを感じさせる美貌だった。長く伸ばされた真黒の髪が、それ自体が意識を持ったように、凍える北の風に逆らって宙に蠢く。それとは逆に、吹き荒ぶ風にその漆黒の髪を乱しながら、エギエディルズは杖を強く握り直した。


まさかこいつが出てくるとは、と。そう内心で苦々しく吐き捨てながら、それでも朝焼け色の瞳で魔族を睨み据える。鋭い刃のようなその視線すら心地よさ気に受け止めている魔族の階級は、魔王に次ぐ。先立って復活した魔王の、側近中の側近。そんな存在が自ら襲撃してくるなど、誰が予想していたということだろう。魔王は思いの他、勇者の存在を危険視していたということか。聖剣に選ばれたといえど所詮はヒトの子、泳がせておいてくれるものだと思っていたのだがそうはいかなかったようだ。

聖剣に選ばれた勇者と、女神の守護を受けた姫、王国騎士団の団長、そして、王宮筆頭魔法使いのこの自分。この四人がかりで戦っても勝てるかどうか…生きていられるかどうか、今の状態では危うい相手。だからこそエギエディルズは、自分以外の三人を転移させることを選んだ。


転移魔法が発動する寸前、怒鳴りつけてきた仲間達の声が耳元で蘇る。そう、仲間。確かに彼らは仲間であるのだと、いつしか思えるようになっていた三人。

いつも笑顔を振りまいていた勇者は、その爽やかな笑顔をかなぐり捨てて。泰然と構えることを良しとする姫君は、その白金の髪を振り乱して。冗談ばかりを言っていた騎士団長は、その拳を振り上げて。三人が三人とも、それぞれ口々に「ふざけるな」と、転移する直前、最後の瞬間まで怒鳴っていた。必死な表情で、自分に訴えかけてきていた。彼らのそんな表情を見れただけで、この選択が間違っていないと思える。


「何を笑うておる? 死を前にして気でも狂うたか」

「いいや。あいつらの顔を思い出していただけだ」


くつくつと喉を鳴らし問いかけてくる存在に笑い返せば、魔族は、きょとりとその首を傾げさせた。人形めいたその仕草と、光の届かぬ深い淵のようなその瞳が、確かにその存在がヒトではないことを知らしめる。そんな存在に興味を持ったような目で見られる日が来るとは思いもよらなかった。同じ人間の畏怖の眼差しとどちらがマシだろうと、冗談にもならないことが頭を過ぎる。


「ほう? 必死な顔をしていたが、その程度で何処が面白いと?」

「あいつらには王都を発って以来、散々苦労ばかりかけさせられていたからな。正直、ざまを見ろといった気分だ」


そうだとも。知っているのは田畑の耕し方ばかりだという勇者に、あたくし様何様女王様な姫君、本気と冗談がいつも紙一重な騎士団長。思い返してみると、本当に、苦労ばかりだった。本当に、揃いも揃って濃い面子ばかりだった。そんな奴らを出し抜いてやったことに胸がすく。ざまを見ろ、ともう一度内心で呟いた。転移させたのはこの北の原生林から最も近い宿場町。最寄と言っても、再び此処まで辿り着くまでには時間を要する。いくら彼らが怒ろうとも、どうすることもできはしない。


「だから殊勝なつもりなどない。あいつらがいると色々不都合だった。それだけだ」

「ふぅむ。お前、なかなか面白いな。人の身に余るその力、我が君に捧げる気は無いかえ?」

「…どういう意味だ」

「そのままの意味よ。その漆黒の髪、ヒトの世ではさぞ生きにくかろ?」


つまりは魔族の軍門に下れと、そう言っているらしい。それはまた随分と今更な提案だと思った。あの暗闇にいる間にこんな風に手を差し伸べられたら、きっと取り縋っていたに違いない。けれど、もう自分はあの暗闇から、とうに脱出している。救い手は、この蒼褪めた手ではない。


「断ったらどうなる?」

「無論、死んでもらおう。ああでもそうよな。お前はヒトにしては良い見目である。我の玩具として遊んでやってもよかろ」

「それはまた、有り難いことだ」


エギエディルズは笑う。その嫣然とした、凄絶な笑み。


「魅力的な申し出だが、遠慮させてもらおう」

「ならば死を」

「それはこちらの台詞だ」


ばちり、と杖の魔宝玉が輝く。途切れ途切れながらも続けていた詠唱の完成は間近。訝しむように魔族がその柳眉を顰めるが、遅い。

杖を握る手を伝い、魔宝玉に魔力が込められていく。身体が焼き切れそうだ。身体の内から溢れ出る魔力と言う魔力に身体を、思考を、こころを、すべて持って行かれそうになる。激痛が全身を苛むが、頭は奇妙に冷静だった。なるほど、これが死んでいくということか。そう他人事のように思った。


脳裏に浮かんだのは、婚約者の―――――フィリミナの、今にも泣き出しそうな顔。


王に謁見したあの夜、考えるよりも先に身体はアディナ邸の彼女の部屋へと向かっていた。夜着の上にガウンを羽織っただけの姿は普段であれば目の毒としか思えなかっただろうが、あの時はそんなことよりも、彼女の表情のほうが余程気にかかった。いつだって穏やかに微笑んでいるばかりなのが彼女であったはずなのに、あの時、彼女はその笑みを消していた。

最初は息を飲み、ぽかんと驚いたような表情を浮かべ、それから、泣き出しそうな顔になった。そんな表情を浮かべていることに、当の本人は気付いていないようであったけれど。それでも確かに、エギエディルズの目には、彼女が泣き出しそうな顔をしているように見えた。それは決して、そうであってほしいというエギエディルズの願望ではなく。


何故こんな時に思い出すのがあの顔なのか不思議になる。けれどすぐにその理由に思い至った。あの時、自分は嬉しかったのだ。


「行かないで」。彼女はあの時、たった一度、そう言った。そう言って、くれた。

明後日出立することを伝え、その場を立ち去ろうとした自分の服の裾を掴んで。か細い声で、たった一度。その一言が、どうしようもなく嬉しかった。それはできないと言う事しかできなかった自分に、解っていると。どうかご無事でと。そう彼女は言って、いつものように微笑んだ。けれどその微笑みが、動揺に歪んでいたのを自分は確かに目にしたのだ。


思えば、彼女が自分に何かを求めてきたことなど、数えるほどにもなかった。茶を煎れてほしいだとか、本を貸してほしいだとか、そんなものは物の数に入らない。

そして自分もまた、彼女に何かを望むことはできなかった。互いに決して口にできなかった。けれど、今この瞬間思う。どうか、どうかと希う。

どうか、しあわせにならないでくれ。頼むから、俺のいない世界で、倖せになんてならないでくれ。

いっそ不幸になってしまえとまで願ってしまうようなこの激情を、きっと彼女は知らない。まだ、伝えてもいない。


ふ、と思わず笑みが零れる。なんだ。結局自分は何も変わってなどいないのだ。幼かったあの日、彼女に消えぬ傷を負わせたあの時から。けれどそれが何だと言う。そんな自分を好きだと彼女は言ったのだ。それが運の尽きだったと諦めてもらうより他は無い。もう自分は、彼女を手放す気など、毛頭ないのだから。


「お前…! 心中するつもりか!?」

「は、それこそ冗談じゃない」


死ぬものか。死んでたまるものか。もしも道連れにするならフィリミナ一人で十分だ。こんな魔族など、彼女と比べるのも烏滸がましい。


「死ぬのは一人で十分だと、そう言ったのは貴様だろう?」


魔宝玉が一際耀く。そして、全てが真白に包まれていく。耳朶を打つのは魔族の悲鳴。己の転移魔法の詠唱すら飲み込む光の本流に飲み込まれながら、それでもエギエディルズは誓った。生きて、帰ると。そして今度こそ伝えよう。魔法学院から帰ってきたあの日から、ずっと言えなかった『ただいま』を。

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