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そして、最年少首席合格を果たした魔法学院。その魔法と魔力に特化した機関の中であっても、エギエディルズの存在は浮いていた。国の史書を紐解いても、エギエディルズほど見事な漆黒の髪を持つ魔法使いなど片手の数にも満たない。だからこそ生家では『封印』という形を取られたのだろう。
それに加え、フィリミナと共に魔導書を読み漁って取ってきた杵柄か、その魔力の扱いや、魔法使いの歴史や研究についての成績も、エギエディルズは非常に優秀であった。そしてその事実を、他ならぬエギエディルズ自身が理解していた。
そうなれば当然、嫉妬ややっかみが発生する、ということは自明の理だった。そこに付随する陰口やいじめを苦しいとは思わなかったが、煩わしいとは心底思わされた。どいつもこいつも暇なのかと思ったことなど一度や二度ではない。
魔法で黙らせることなど簡単だった。けれど院内での私闘は禁じられていたし、何より、人を魔法で傷つけることの恐ろしさを自分はフィリミナとの一件で誰よりもよく知っていた。
魔法で応戦してこないと知るや否や助長していく仕打ちの数々に対し、エギエディルズの舌はどんどん達者になっていった。ランセント邸で過ごしていた頃はあまり開かなかった口が、気付けば鋭利な刃と化していた。その容赦のない毒舌が、自らの身を護る武器となった。
もともと出来のいい頭だ、呼吸するようにこの口は相手の弱点を切り裂き、或いは貫いた。自分の見目に誤魔化されて寄ってくる女子に対しても同じような対応をするものだから、文字通り泣かせた女は数知れず。それがますます事態を悪化させていくのだと解っていながら、それでも敢えてそのままにしておいた。友人など必要なかった。ただ一刻も早く卒業して、帰ることが最優先事項だった。
そんな風に過ごしていた学院生活で、致命的な事が起こった。入学当初から自分の存在を面白く思っていなかった一派が、フィリミナからの手紙を奪ったのだ。
卒業するまで帰らないと、それまで逢わないと、そう決めていた代わりに、入学してから欠かさずやり取りしていた手紙だった。彼女からの手紙は、出席した茶会のことや、面白かった図書のことなど、ほんの些細な事ばかりだったけれど、それがどうしようもなく嬉しかった。時に「貴方は放っておくと季節の移り変わりにも気付かないでしょうから」と、気遣いなのかからかいなのか解らない一言と共に、季節の押し花や落ち葉が挟まれていた。「上手くできたから」と彼女が自ら手縫いした刺繍のハンカチを送りつけてきたこともある。そのハンカチは、大切に自室の机の引き出しに仕舞った。使うのが勿体無いなんて、らしくもないことを思いながら。
そんな手紙を奪われた。それもわざわざ、彼女の素性を調べ上げた上で。
「お前のような化け物の妻になる女は、精霊に呪われた傷物か。流石、お似合いだな」
思い返すだに腹立たしい。いいや、腹立たしい、なんて一言では表現しきれない。ただその台詞は深く、強く、この胸に刻み込まれた。
あの後のことははっきりとは覚えてはいない。ただ気付いた時には、自分の目の前で、泣きじゃくりながら「許してくれ」と懺悔するその男が居た。周囲の機材や建造物は魔力によって破壊され、暴言を吐いた男の取り巻き達が呻きながら倒れ伏していた。それを見ても何も思わなかった。同情などする訳がない。かと言って、当然だと思った訳でもない。ただ、まだいきているのか、と奇妙なまでに冷静に思った。片付けなくては。そう思った。片付けて、そして、手紙を取り戻さなくては。その一念だけが自分を支配していた。あそこで学院の教師達の手で止められなかったら、本当に“片付けて”しまっていたかもしれない。
その後の顛末は大したものではない。自分はその日から一週間の停学を食らった。それだけだ。相手側に非があったため、とは説明がなされたが、それ以上に、漆黒を持つ自分を退学にして野放しにすることなど学院側としてはできなかったのだろう。
そうして気付けば自分の周囲には誰もいなくなっていた。けれどそれで良かった。学院ですべきことは誰かと慣れ合うことではなく、魔法を修めることだ。自分の大切なものなどもう決まっていた。
そうやって七年を過ごした。入学時と同じく首席の成績で卒業し、ようやく帰ってきた日のことは忘れもしない。
ランセント邸に一度帰還し、その足で養父と共に向かったアディナ邸。扉の前で、家族と共に自分を出迎えてくれたフィリミナ。彼女が着ていたのは、淡い色の、年頃の娘が着るにしては地味目なドレスではあったが、それが不思議と落ち着きを持って彼女によく似合っていた。七年前にはまだ彼女の方が高かった身長が、自分の方が高くなっていた。間近で見下ろした彼女は、七年前の記憶から想定していたものとは違っていた。
正直、美化していたのだ。もっとずっと美しくなっていると思っていた。記憶ばかりが美しいとはよく言ったものだ。彼女は想定よりも、何というか、普通、だった。平凡だった。単純に美しいだとか綺麗だとか言うならば、魔法学院で自分のことがすきだとかなんとか抜かした女達のほうが余程だった。だから、拍子抜けした。
けれど彼女が何処か照れたように浮かべた笑顔は、あの日、「はい、もちろん」と答えてくれた彼女の笑みそのままで。自分が恋をしたままの笑顔で。ああやはり彼女なのだと、そう思った。その笑顔にどうしようもなく安堵して、その笑顔がどうしようもなく嬉しくて。それなのに。
「―――――残念なほどに変わらないな、お前は」
…我ながら、失敗だったと、思う。七年もの間に染み付いてしまった毒舌は、他ならぬ彼女を前にしてもなりを潜めてはくれず、つい口走ってしまった。後で養父には、「エギエディルズ、照れ隠しにしては変化球すぎたね」と苦言を呈された。返す言葉も無かった。そんな自分の言葉の刃すら、彼女は笑って受け流すものだから、自覚のある毒舌は矯正する機会を失ってしまって。結局、王宮勤めが始まった後ですら、そのままになってしまった。
 




