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魔法使いの婚約者  作者: 中村朱里
本編:フィリミナ
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お嬢様、と。震える声音で私を呼ぶ乳母の声がどこか遠い。「わたくしは大丈夫」。そう答えるつもりであるのに、何故か声が出ない。いいや、声ばかりではない。身動きどころか指の一本、瞬きの一つすら叶わない。

ああ、そうか。私はショックなのだと遅れて理解する。

あまりにもショックで、ショックすぎて、何もかもを身体が…いいや、精神すらもが、『その事実』を拒絶しているのだと、そう理解した。

そうだ。私は解っていた。解っていたつもりだった。

けれど結局何一つ私は解ってはいなかったのだと。解っているふりをしながら、ただ目を逸らしていただけだったのだと。

崩れ落ちる自分の身体と薄れゆく意識の中、そう思った。





さて、紳士淑女の皆々様。どうかそのお耳を少しばかりお貸しくださいまし。

昔々あるところに、平和な王国がございました。王様は善政をお敷きになり、御后様はお優しく、そのお二人の御息女であらせられるお姫様はそれはそれはお美しくいらっしゃいました。誰もが笑い、ほんの小さな喜びでも分かち合うような、そんな幸せな王国でありました。


ところがある日、そんな王国に暗雲が立ち込めます。なんということでしょう。五百年前に封印されたはずの、古の魔王が復活したのです。

魔王の復活と共に各地に魔物が現れ、暴虐の限りを尽くしました。

もちろんのこと、王様は魔王に軍を差し向けました。けれど結果は言うまでもありません。五百年もの間にかつてよりも更なる力を蓄えた魔王は、その力を惜しげもなく使い、我こそはと立ち上がり魔都へと向かった勇猛なる王国の騎士達を、容易く屠り尽くしたのです。


そうして人々に絶望が広がり始めたころ、王都の城に、天から一条の光が降り注ぎました。

光は、城の宝物庫の最奥に眠る、かつて魔王を封印したと呼ばれる聖剣を指し示しておりました。

王様はそこで悟りました。王国の守護神であらせられる女神様が、この国に希望を指し示してくださったのだと。魔王を倒すには、ふたたびこの聖剣の力が必要なのだと、そう、悟ったのです。


金色に輝く聖剣は、選ばれし者、すなわち勇者にしかその鞘から抜くことは叶いません。

王宮に出入りする若者の誰もが鞘から聖剣を抜こうとしました。けれども聖剣は決して抜けません。

王都に住む若者の誰もが鞘から聖剣を抜こうとしました。けれども決して聖剣は抜けません。

まるで膠で張り付けたかのように、ぴたりと鞘と剣はくっつき、誰の手であろうとも、決してその刀身を鞘から抜くことを許そうとはしないのです。


王様はとうとうお触れをお出しになり、国中から若者が集められました。我こそは勇者に相応しいと、たくさんの若者が聖剣を抜こうと挑み、そして諦めていきました。


最早打つ手なしかと誰もが頭を垂らしたところ、一人の青年が、遅れて聖剣の前に現れました。

青年は貴族でした。貴族といっても、王様に謁見できるような身分ではありません。民と一緒に田畑を耕すような、国の端の端に住む、田舎貴族の若者でありました。

しかし、金の髪に緑の瞳を持つ、それは凛々しく美しい若者でした。その容姿の魅力もさることながら、何より、誰よりも若者は優しく、勇気を持っていました。

そんな青年が現れた時、聖剣は今までにない光を放ちます。青年の手は、輝く刀身を抜き払いました。


高々と掲げられたその聖剣の、なんと美しいことでしょう。聖剣を掲げる青年の、なんと雄々しく立派なことでしょう。

その姿を見た誰もが、彼こそが勇者に相応しいと、口ぐちに言いました。普段は田舎貴族めと青年を嘲るような大貴族すら、その膝を折りました。王様もまた、彼になら王国の行く末を任せられるとお考えになりました。


そうして青年―――――いいえ、勇者は旅立ちになられたのです。

女神のご加護をその御身に受けたお姫様、すなわち巫女姫と。王国一番の魔力を持つ、王宮筆頭魔法使いと。そして、王国一番の剣技を持つ、騎士団団長をお供に連れて。


魔王を倒すため、長い、長い旅へと旅立たれたのです。





…と、此処までが、我が国の現状であったとお分かりいただけただろうか。

語り口調を普段の口調、つまりお貴族のお嬢様風にしてみたら、それこそ御伽噺か物語か英雄譚か、と言ったところである。が、それが現実になってみるともう目も当てられない。

魔王の軍勢に怯える国の政情は不安定になり、性根の腐った貴族は地方に逃げるか買占めに走るかで、そのおかげで物価は上がり、民の不安は増大し、治安は悪くなり…と、もう論うのも面倒になるような事態にも一時期陥りかけた。

だが、そんな切羽詰まった状況にあっても、この国は王が有能であったことが幸いした。

彼の王は出来得る限りの政策を打ち出し、そんな王に心酔する腹心たちが少なくなかったことからこの国は表面上はかろうじて平穏を保っていた。しかしそれも薄氷の上を渡っているようなものだとは、王都に住むしがない一貴族の娘たる私にも解っていた。

だからこそ勇者一行は少数精鋭に絞られたのだろう。先だっての我が国の軍の敗北は、数で攻めても魔王には敵わないことを立証した。聖剣に選ばれた勇者。女神の加護を受けた巫女姫。国一番の魔力を持つ魔法使い。国一番の剣技を持つ騎士団団長。

我が国における最強の布陣は、同時に、被害を最小に止めようとする王を含めた上層部の意思の表れでもあると言えよう。

でなければ、勇者となった“田舎貴族の若者”はともかく、王の大事な一人娘や、王宮筆頭魔法使い、騎士団長を差し向けるはずがない。

彼らを差し向けることで王は、民衆の目に魔法をかけた。最後の希望、という魔法を。

その魔法は見事に成功し、誰もが安堵に息を吐いている。これでもう大丈夫だと。それこそが上層部の狙いであるとも気付かぬまま。

それともこれは私が考えすぎなだけなのだろうか。解らない。解らないが、これはどこからどうみても傍から見れば王道ファンタジーであるということは確かなことだ。


所謂剣と魔法の世界。それがこの世界であり、その中で、今正に、王道ファンタジーが繰り広げられている訳である。

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始まり方が最高です!
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