千年生きたあなたに終わりを与えるならどんな結末が良いでしょうか。
白い大理石でできた螺旋階段には、赤いカーペットがしつらえられていた。
さらに上へと昇ると色とりどりのガラスの埋め込まれた、ステンドガラスが見えてくる。
そこから出た光が、重苦しい白と黒の世界に色を与えていた。
そのさらに奥へと向かうと、そこには金色の扉があった。
宮廷の王宮の間。
そこでは勇者がワイングラスを片手に、ソファで寝そべっていた。
彼の頭に十年前は少し生えていた髪が、今では一本も残っていない。
簡単に言えば、たった十年でかなり老いている。
この勇者がこの国に攻めてきた五十年前は、老人ではなく普通の青年だったそうだ。
この髪を見るたびに人間の時間の進みは私達魔族よりも早いということを実感する。
(・・・・・・終わりが来るのが早いというのは本当に羨ましい。)
何年も終わりの来ないことを嘆いていた人を知っているからか、こういった感想が出てくる。
「勇者様、今日の分の仕事を終えました。報酬をいただきたく思います。」
「あぁ。ご苦労だったな。報酬はそこの棚の上に置いてある。取れ。」
「ありがとうございます。」私は棚の上に置いてある革袋を取った。
(……また減ってる。)袋の中には小さな銅貨が三枚、入っていた。
最初にこの仕事を始めたときは、月に銀貨が一枚もらえていた。
それでも普通の仕事の半分の給料だというのに、今では百分の一にまで減らされている。
だが、私は文句を言える立場ではない。
私は勇者様に雇われている立場で、簡単に言えば「奴隷」なのだから。
「では、失礼いたします。」
そして私は、今日の最後の仕事へ向かった。
私は先ほどの螺旋階段を今度は下に降りる。
幾何学的な壁の模様が、線と線で繋がっていた。
無情にも、終わりの来ない永遠の世界を表しているように見えた。
私は廊下を渡り、さらに下へと向かう。すると、鎖で厳重に封じられた扉が見えた。
城の下にある地下牢獄。
私はその扉を押して、中に入る。
中には一人の男が鎖で繋がれていた。
彼はこちらを向いた。赤い目が細く開かれる。
「おはよう。フィオラ。」
「おはようございます。魔王様。」
「今日は何から始める?」
彼の声は夜の静寂に紛れて静かに響いていた。
「今日は……首元の神経を切断してみます。」
私はゆっくりと言った。
「そうか……頼んだよ。」
私は袖の中から仕事用のナイフを取り出して鞘から抜いた。
そして、彼の首元を持ち上げ、そこからゆっくりとナイフを差し込んだ。
血しぶきが飛んだ。
仕事用に着た白いドレスが赤く染まった。
部屋には二人の他に誰もいない。そして、二人とも声一つ出さずにいた。
それはいつも通りの、何も変わらない日常の光景だったから。
私はナイフをさらに下まで差し込む。肩の骨が皮膚を突き出て、刃物が心臓まで届いた。
新鮮な血液が赤いカーペットをさらに深い朱色に染めた。
皮膚が抉れ、中の臓器が飛び出てくる。
二人とも、いつの間にか慣れてしまった。
片方は殺すことに。もう片方は殺されることに。
「どうだいフィオラ?」彼が聞いた。
「今回も無理みたいですね。……すぐに修復してしまうでしょう。」
そういっている間にも、彼の胸にできた大きな傷は、回復しつつあった。
壊れかけた臓器は修復し、流れた血液は体内に戻っていく。
「次は毒を試してみようかと。」
「なるほど。今日はどんな毒?」
私は懐から小さな箱を取り出す。仕事用に新しく仕入れたものだ。
「こちらです。傷口に塗れば傷口が回復するのを防ぎ、血液が永遠に流出します。」
私は彼の手首なでた。そしてそこに刃物で傷をつけ、毒を塗った。
「この毒が聞くまで何時間ぐらいかかる?」彼は聞いた。
「おそらく……一時間ほどかと。」
「そうか……。じゃあそれまで、何か話を聞かせてくれ。」
「かしこまりました。今日は何の話が聞きたいのですか?」
「なんでもいい。君が今までに知ったことや思ったこと。全部。」
「分かりました……。では——」
私は彼に、昨日読んだ本の話を始めた。
また、いつもの一日が始まる。
そう思っていた。
この国は五十年前、勇者と名乗る者たちにより滅ぼされた。
彼らはこの国の人々から居場所を奪い、食料を奪い、金品を奪い、命を奪った。
それに耐えかねた皇帝陛下、つまり勇者の言う「魔王」は言った。
自分の命と引き換えに領民だけは助けてほしい、と。
勇者はその提案に乗った。そして、彼の首に剣を差し込んだ。
だが、彼は死ななかった。正確に言えば、死ねなかったという方が正しいだろう。
剣は折れ、その破片は地面に無残に転がった。
勇者は彼を殺すのを諦め、彼を永遠に太陽を見ることのない城の地下室に幽閉した。
その日から、四十年が経過した。この国は一時、平和になったように見えた。
だがある時、勇者は言った。
魔王がいなくならない限り、この世界には平和が訪れないと。
さらに勇者は言った。
彼のような魔族にも一つだけ弱点がある。歴史書にそう記されていたと。
そして勇者は城に百人の殺し屋を招いた。
そして、彼らに魔王の首をとるように言った。
だが、一人として彼を殺すことはできなかった。
剣を使うと刃が折れ、首を締めると紐が切れるのだ。
だれもが諦めて帰って行った。
……私以外は。
私の刃は魔王の首元に小さく突き刺さったのだ。
今までどのような一流の殺し屋でも刺すことができなかった肌に、私のみが傷をつくることができた。
なぜなのかは私にも分からなかった。
それから私は、毎晩城を訪れて魔王様を様々な方法で殺さなければならなくなった。
彼は驚くほど回復速度が速かった。
同じ魔族である私でもひと月はかかる傷を一秒もせずに治してしまう。
だから、私と彼の時間は永遠に続いた。
永遠に続いてしまったのだ。
そして、今夜で私がこの城を訪れるのは十年目になった。
彼も、私も十年間姿は変わっていない。
それは、魔族の特徴だ。私達、魔族は時間の流れが人間よりも遅い。
さらに魔王様は魔族の血が濃いため、私よりさらに時の流れが遅い。
今年で千年を迎えるのだそうだ。
十年間もともに過ごしてきて、一つ気づいたことがある。
彼はずいぶんと変わっている。
昔、私は彼に何か面白い話をするように頼まれた。
そして、何も思いつかなかった私は、子供の頃に母に聞いたありふれた童話を話した。
しかし、彼はその話を面白そうに聞くのだ。
まるで子供のように、楽しそうに。
彼は本当に不思議な人だった。
私はゆっくりと昔のことを思い出す。
すると、隣から声が聞こえてきた。
「フィオラ……?」
「……どうしたのですか? 魔王様。」
「早く続きを話してくれ。」
「……どこまで話したでしょうか。」
「主人公の飼っていた鳥が主人公を助けるために隣町まで飛んでいくところ。」
あぁ。そういえばそんな話をしていた気がする。
私はやっと思い出した。
ちなみに、というよりもちろん、ただの作り話だ。
だが、彼はそんな適当な作り話も楽しそうに聞いている。
やっぱり、彼は変わっている。
そろそろ続きを考えるのが面倒になってきた所だ。
私はうまくこの場を離れることにした。
「魔王様、もうすぐで夜が明けます。そろそろお暇させていただいても構いませんか?」
「もちろん構わないよ。すまないね。フィオラ。」
「いえ、大丈夫です。」
私は部屋の扉に手をかけた。
「行く前に、一つ質問を聞いてくれないかい?」
「……はい。なんでしょう?」
「今日でちょうど十年目の夜だけれど、まだ君に聞いていなかったと思ってね。君はなんでこの仕事を始めたんだい?」
彼は静かに私の方を見ていた。
「……その質問に答える前に、私からも一つ質問をさせてください。」
「もちろん。なにを聞いてくれて構わないよ。」
「あなたはなんで、こんなことをしているんですか?」
私は本当にその理由が分からなかったのだ。
「どういう意味だい?」彼は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どういう意味も何も。こんなことをするのはなぜですか?……わざわざこんな痛みに耐えてまで、この領地の人々を救おうとする理由がわかりません。」
私は十年間、ずっと彼を殺してきた。
彼はいくらナイフで刺しても、毒を使っても声一つ上げない。
最初は、痛みを感じない種族なのかと思っていた。
だが、それは私に配慮しているだけだ。
昔、私が部屋を出た後に痛みにうめいている声を聞いてしまった。
そんなこと気づきたくなかったし、気づかない方が楽だった。
それなのに、あの日のことがずっと頭から離れないのだ。
あんな痛みに耐えてまでこの国を守ろうとするのがなぜだか分からない。
領地なんて捨ててしまった方が楽なのに、とすら思う。
ずっとこの質問がしたかった。
ずっと疑問に思っていたのだ。
でも、なんとなくなんて答えるのかは分かる。
恐らく、国を守るためとか、この国が大事だから、とでも言うのだろう。
だが、返ってきた答えは私が想像していたものと全く別のものだった。
「そうだね。自分でもなんでこんなことをしているのか、と思うことがある。でも、ここには君がいるから、無駄だと思ったことはない。」
「えっ?」私は振り返って、彼を見つめた。
「君がこの国で平和に過ごすためには、私が死ぬ必要がある。そうでもしない限り、五十年たっても未だに続いている魔族への差別はなくならない。……君には平穏に暮らしてほしい。そのためには私が生贄となり、魔族への人間の価値観を変えなければならない。」
「自分を殺そうとしている殺し屋を助けるために、自分が殺されるのですか? やっぱり、あなたは馬鹿ですね。」
私は目を逸らした。目を合わせたくなかった。
「それで、もう一度聞くけど、君はなんでこの仕事を始めたんだい?」
「理由なんてありません。……お金が欲しかったからです。私の行動原理なんてそんなものです。」
違う。本当は少し期待していたのだ。
この仕事をすることで、誰かに必要としてもらえるのではないかって。
結局、何も変わらなかったけれど。
私は扉に手をかけた。
すると、後ろから声が聞こえてきた。
「ありがとう。」
「えっ?」
私はその言葉の意味を理解できなかった。
私は十年間、ずっと魔王様を殺し続けているのだ。
仕事だから、と理由をつけて。
恨まれこそすれ、感謝されるわけがない。
「……どういうことですか?」
私は聞いた。本当に意味が分からなかった。
「君がいなかったら、私は絶対に終わりを迎えられず、私はこの世界に絶望して壊れてしまっていた。……君がいてくれて本当に良かった。」
「……それって、魔王様は私を必要としてくれているってことですか?」
「何を言ってる? 当たり前だろう。」
「魔王様は、死ぬことを怖いと思ったことはないのですか?」
「ない。……けれど、死ぬ前にやっておきたかったことはある。」
「なんですか?」
「一度でいいから、外の世界を見てみたかった。やりたいことを好きにやってみたかった。……空を見てみたかった。もう叶わない夢だけれど。」
それを聞いて、なぜか私の口から言葉が出ていた。
「それなら、私と一緒に外に出てみますか?」
なぜ、そんな言葉が出たのか分からない。でも、いつの間にか私はそんなことを言ってしまっていた。
「えっ?」彼は呆然とした顔で私を見た。
彼がそんな顔をしているのを初めて見た。
「今夜だけ、特別ですから。」
私は魔王様の腕についている鎖をナイフで落とし、彼の心臓に突き刺さった杭を外した。
私は魔王様の手を引いて、扉を開き、階段を駆け上がった。
「本気かい? そんなことをすれば彼らが黙っていない。最悪の場合、反逆罪で処刑されるかもしれない。」
彼らというのは勇者たちのことだろう。
「ですから、言ったでしょう。今夜だけです。すぐに戻れば、警備員に気づかれることもありません。」
赤いカーペットの引かれた螺旋階段を勢いよく駆け上がる。
扉を開けて、門を開く。
外に出たらもう真夜中になっていた。
夜風が気持ち良かった。
「それでは、いきましょうか。」
私は彼と一緒に外に出た。
冬だからか外はすごく寒く、私は白くなった息を指先に吹きかけて温めた。
その手を魔王様がゆっくりと包み込んだ。
手が、温かかった。
私は魔王様と一緒に自分の家に帰った。
家というよりは集合住宅のような場所で、私は昇り降りが大変だという理由で安く貸し出されていた最上階の部屋に住んでいる。
「汚いところですみません。ここが私の部屋なのですけれど。」
「いや、急に家に押しかけてしまってすまない。」
私の部屋は仕事場に近いため借りている一部屋のワンルームだ。ずいぶんと狭い。魔王様を通すところではないだろう。
ここで私は重大なミスに気づいてしまった。
部屋が一部屋しかない。と、言うことはベッドも一つしかない。
早めに気づいてよかった。危うく、気を遣わせてしまうところだった。
「魔王様は、こちらの布団でお休みください。私は外で護衛をしていますから。」
「護衛? この時間に? 寒くないのか?」
「はい。大丈夫です。……寒さに耐える訓練は受けていますから。」
正確には、受けさせられたという方が正しいだろう。
私は五十年前、勇者様に奴隷として雇われて以来、様々な訓練をやらされた。
別に一晩外にいるぐらいなら全く寒くない。
「……嫌だ。」
「えっ?」
「一人で寝たくない。」
「……まるで子供みたいですね。」
「子供だ。千年もたったが肉体的にはまだ未成年だ。子供みたいなことを言って何が悪い?」
「二人もその布団に乗れませんよ。いい加減諦めてください。」
「……あきらめたくない。」
そんなことを言われてしまうと呆れる他ない。
「今夜は特別なのだろう?」
「はぁ。仕方がないですね。」
「今夜だけですからね。」
「あぁ。……分かっている。」
私は布団に入った。
魔王様が手を握ってくる。
私はその手を小さく握り返した。
「一つ、何か話をしてくれないか?」いつものように魔王様は言った。
「本当にお話が好きですね。」私は呆れたように言った。
「だめか?」彼は小さく目を伏せた。
「いえ、いいですよ。魔王様。」
「ベルギアだ。」
「えっ?」
「私の名前。」
そういえば、十年も会っていたのにまだ名前を知らなかったことを思い出した。
「そうなんですか。では、どんなお話がいいですか? ベルギア様。」
「いつも言っているだろう? なんでもいい。」
そんなことを言われても困る。急に話を考えたりするのは苦手なのだ。
「そうですね。」
私は何か話を考えるために、辺りを見回した。すると、窓の外に見える星空が視界に飛び込んできた。
昔、母に星空の話を聞いたことがある気がする。
私は空に大きく光る赤い星を指さした。
「知ってますか? ベルギア様。あの星は今から十万年後に消えてなくなってしまうそうです。」
「消える? 星が?」
「はい。素敵ですよね。どんなものでもこの世のものはすべて消えてしまう運命なんですよ。きれいだと思いません? でも、消えてしまうからって無意味ではないんですよ。こうやってきれいに光っているものは誰かの目に留まって、誰かに美しいって思ってもらえるんですよ。」
「ああ。十万年後か。そのころには私たちも塵になっているだろうな。」
「ふふ。分かりませんよ。ベルギア様なら十万年後も生きているかもしれませんよ。」
「それはさすがにないだろう。」
「分かりませんよ。未来のことなんて。」
「未来か……。」
「ベルギア様は、いつかやってみたいこととか、夢とかはありますか?」
「……考えたこともなかったな。」
「先のことを考えているときに、人は一番自由になれるんです。夢がない人生は楽しくないですよ。」
「夢というより望みなら、一つだけある。……すでに諦めているが。」
「あきらめちゃだめですよ。あなたはこれから何百年も生きるかもしれないんですよ。」
「……ファルラには夢はあるのか?」
「私の夢ですか? それは難しいですね。強いて言うなら、実家にいる妹と弟に満足な暮らしをさせてあげることでしょうか。……私の親は、五十年前に勇者達が攻めてきたときの魔族狩りで亡くなりました。私は両親の分も、たくさん働いてたくさん稼がないといけないんですよ。」
「だから、この仕事を始めたのか?」
「はい。この仕事は汚れ仕事ですが、それなりに給料はもらえますから。……お金がもらえるからと言って、人を殺す理由にはならないかもしれないですけれど。」
彼は黙って、私に手を差し伸べた。
そして私の目を静かに見つめていた。
その赤い目はすごくきれいに見えた。
私は彼の手をしっかりと繋いで眠りについた。
私は久しぶりに入る温かい布団の中で、彼女と最初に出会った日のことを思い出していた。
あの日、勇者は私を殺すために百人の殺し屋を城に招いた。
誰も彼もが私を殺すことができなかった。あの時、私はすでに世界に希望を感じることを諦めていた。
何度殺されても痛みを感じなかったし、辛さを感じなかった。自分がすでに空虚な人間になっていることを気づき始めていた。
そんな時、彼女に出会った。彼女の目はすでに光を失っているようにも見えたのに、どこか美しかった。
千年生きていても、人にこんな感情を抱くのは初めてだった。
そして、あの時彼女はナイフを取り出して、私の首元に小さく傷をつけた。
私の体に傷がついたのは千年間で初めてのことだった。
今だから分かる。
私に一つ弱点があるとするのならば、それは誰かを愛してしまうことだ。
彼女のことを大切に思うたびに、私の体は弱くなっていっている。
今まではなかった痛覚がなくなり、痛みを感じるようにもなってきた。
このままいけば、私は近いうちに死を迎えるだろう。
愛することが、こんなに痛くて辛いことだとは思わなかった。
「ずっと一緒にいたかった。」
私は言った。それ以外に望みなど存在しなかった。
私は懐から革袋を取り出した。それは、母と父にもしものことがあった時のためにと渡されていたお金だ。国が滅びた時も、地下に閉じ込められた時も、肌身離さず持っていたものだ。
それを、ファルラの手に握らせた。
これだけあれば、彼女は奴隷や殺し屋として働く必要もない。
きっと、兄弟で幸せに暮らせるだろう。
最後に、私は彼女の手に小さく口付けをした。
恐らく、もう会えないだろうから。
次の夜、私はよく眠れずまだ部屋が暗いうちに目覚めてしまった。
すると、布団の中に魔王様がいないことに気が付いた。
「ベルギア様?」
すると、手の中に何かが握られていることに気が付いた。
中身を見ると、大量の金貨が詰まっていた。そして手紙も入っていた。
そこには、『君と君の家族が幸せに暮らせますように』
と書かれていた。
それを読んで私はすべてを察した。
彼は城に戻ったのだろう。また地獄のような日々を繰り返すために。
彼は私に幸せに暮らしてほしいと言っていた。
私はベルギア様の置いて行ったお金を持ち、外に出た。
電車に乗り、山道を歩いた。
私の実家に辿りついた。そこに行けば幸せを見つけられる気がしたから。
着くころには夕方になっていた。
「お姉ちゃん⁉」
妹と弟が私を出迎えた。
「これ、生活費。」私はお金を弟に渡す。
弟はいつの間にか自分と同じぐらいに背が高くなっていた。子供の成長というのは早いものである。
彼は袋の中身を開いて驚愕した。
「こんなに⁉ どうしたの?」
「これは私の大事な人にもらったお金。大事に使ってね。」
弟は私を呆然とした顔で見ていた。
「お姉ちゃん。」下の妹が言った。
「何?」私は聞いた。
「いつもありがとう。でも、私達のことはもう大丈夫だから。」
「えっ?」
「いつもお姉ちゃんにいろいろ背負わせちゃってごめんって思ってたの。もう大丈夫だよ。」
「えっ? でも。」
「お前はいつもいろいろ背負いすぎだっつってんの。……ちょっとは自分のために生きたらどうだ?」
弟が妹に賛同するように言った。
「お前だってやりたいことぐらいあるだろ?」
やりたいこと……。そういえば、ベルギア様も何か望みがあると言っていた。
一体何だったのだろう。
彼はすべてを諦めたような顔をしていた。
彼の望みを叶えてあげたい、そう思った。
「一つだけ、やりたいことがあったかも。」
「おう。じゃあ行ってこい。」
「うん‼」
私はそうして城に戻った。もう一度、ベルギア様に会うために。
向こうにつくころにはもう真夜中だった。
二人で一緒に寝た時からすでに一日が経過していることに驚いた。
寒い。
私は白くなった息を指先に吹きかけて温めた。
その手を包みこんでくれる人は誰もいなかった。
手が、寒くてしょうがなかった。
私は城のすぐそばの中央広場へ行く。
すると、何か四角いな石のようなものにぶつかった。
「何? これ。」
少なくても昨日まではこんなところに大きな石などおいていなかった。
私は目を凝らして暗闇にあるものが何なのかを調べた。
「お墓?」
一体誰のものだろう。
何か文字が書いてある。私は指でなぞって文字を読む。
「えっ?」
そこには『魔王ベルギアがここに眠る』と書いてあった。
墓? 何で? 魔王様が死ぬはずがない。十年間何度も殺してきたけれど彼は死ななかった。
嘘に決まっている。そんなはずがない。
私は震える腕を握りしめながら、よろよろと歩いた。いつの間にか城に向かっていた。
私は階段を下りる。そして、魔王様の部屋に行く。
いつも彼はそこにいた。十年間、いつもずっとそこにいた。
いないはずがない。
彼が死ぬはずがない。
そう思っていた。
私は扉を開いた。
彼は、どこにもいなかった。
私は勇者様の所へ行った。私の雇い主だ。きっと何かを知っている。そう思い、階段を上がった。
「こんばんは。勇者様。」
私は金色の扉を開いて中へ入る。
「久しぶりだな。フィオラ。」
勇者はこちらを見る。
「昨夜、どこへ行っていたんだ? まあ気になるが、もうどうでもよい。今日からは仕事に来なくても構わない。」
「えっ?」
「昨夜、魔王を処刑とした。よって、お前はもう必要ない。」
「魔王様が、処刑となったのですか?」
「ああ。」
「魔王様は、どのようにして亡くなったのですか?」
「ナイフで刺して、土の中に埋めた。最後まで何も言わなかったぞ。つまらない処刑で皆すぐに興味をなくしていたな。」
魔王様がナイフで刺されたぐらいで死ぬはずがない。
(……生き埋め。)
そんな言葉が私の頭の中に響いた。
魔王様でも酸素のない場所に永遠に放置されたら生きれないだろう。
魔王様が、亡くなった。この世界にはもういない。
そんなこと、私には信じられなかった。
でも、もしかしたらこれが魔王様の望みだったのかもしれない。彼は、この国を救うためにも自分は死ぬ必要があると言っていた。
……ベルギア様はこれを望んでいたのかもしれない。
「勇者さま」
「なんだ?」彼は興味のなさそうな顔で私を睨んだ。
「私、魔王様のことを尊敬しています。自分を犠牲にこの国の魔族の皆さんを救ったのです。本当に誇りに思っています。」
誰にも気づかれないだろうが、いつの間にか私の目には涙が溜まっていた。
「何を言っている? 魔王が死んだからと言って魔族を救うつもりなどないぞ。」
「えっ?」
どういうことだろう。魔王様は魔族への差別をなくすために生贄となったのではなかったのか。
私はそう、勇者に言った。すると、彼は軽蔑するような目で私を見た。
「五十年も前の約束をわざわざ信じているわけがないだろう。何を今更言い出すんだ?」
「え……?」
しばらく、意味が分からなかった。
数十秒たち、私はようやく意味を理解した。
そして、何も考えられなくなった。
彼は、魔族を永遠に救う気がない。
……では、魔王様は何のために死を選んだのだろう?
「勇者様、それでは魔王様の死は無駄だったということですか?」
「フン! 魔族への見せしめになったのだ。十分な効果はあっただろう。」
「……。」私は何も言えなくなった。
そして、しばらくして言った。
「勇者様、魔王様をどのように殺したと言っていましたか?」
「ん? だからナイフで胸を……」
彼はすべてを言う前に声を止めた。
血塊が音を立てて床に落ち、少しして飛沫が白いカーペットを赤く染めた。
私のナイフは勇者の胸に付き刺さっていた。
「ゴフッ」勇者の口から血が垂れ、地面にその雫が落ちた。
「な…何をする…つもりだ。魔族の…分際で……」
私は彼を見下ろした。
彼は私を見て、怯えたように息を吐いた。
「じ……地獄にお…ち…」その声はもう聞こえなくなった。
彼の手が地面に落ちる。
それと同時に、警備兵が部屋になだれ込んできた。
「刃物を置け!動くな!」
彼らの手には拳銃があった。
私はその銃口をナイフで切り落とす。
彼らは震えたように銃を落とす。そして、肩を落として座り込んだ。
私は振り向かずに外に出る。
門の外へ向かう。
中央公園にはベルギア様の墓があった。
私はそのすぐ側に座った。
「ベルギア様? 聞こえていますか?」
彼が死ぬはずがない。今もこの下で生きている。生きているに決まっている。
……返事は返ってこなかった。
「今日は星がきれいですよ。」
やっぱり、返事は返ってこなかった。
「いつか、一緒に星を見ましょう。」
私はナイフを取り出して、自分の手首に傷をつけた。
そして、その上に毒を塗った。
血液が永遠に流出する毒を。
手首からドクドクと血が流れた。
その血は地面に流れて染みていく。
あの時の彼も、こんな痛みを感じていたのだろうか?
「ずっと、一緒ですから。」
私は目をつぶり、横になった。
そして、彼と同じ、永遠の世界へと向かった。
瞼の裏に、赤い星が見えたような気がした。