ロディオラ・ロゼアは雪の下で春を待つ
アリスタルコがルセリア川に流されていくのを見届けたあたしたちは、息をつく間もなく駆け出していた。
橋の向こうで黒服たちがわたわたしてるのが見えたけど――そんなのに構ってられない!
すぐに宿屋に戻って、シラと合流。説明も省略、有無を言わせず街を飛び出し馬車を走らせた。
「マティア、どこ行くの!?」
「外だ。街に泊まったらすぐ捕まる」
「え、ええぇぇぇ!? 宿、取ったんじゃなかったのぉぉ〜〜〜!」
シラが半泣きで叫ぶけど、あたしも泣きたい気分だった。
ふかふかのベッドにダイブして、あったかいお風呂でほわほわしたかった。けど、今は無理!
湖畔を南に下り、アレンツ村を目指す。街の灯りが遠くなるにつれて、不安の霧が心に広がっていった。
(大丈夫。大丈夫……絶対、なんとかなる)
夜。
どうにか湖畔までたどり着いたあたしたちは、森の中、せり出した岩で隠れられる場所を見つけ、即席の野営地を作った。……といっても、木陰に毛布を敷いただけ。
空には満天の星。だけど秋の夜風が冷たい。枝がきしみ、夜の静けさに鳥肌が立つ。
「マティアぁ……寒い……眠れないぃ……」
文句タラタラなのは、もちろんシラ。
「はぁぁ……あったかい宿あったのに! 温かいごはんと、ふっかふかのお布団と、お風呂まであったのにぃぃぃ!! なんでこんな葉っぱの匂いしかしない場所で野宿ぅぅ……!」
もはや涙目。
……いや、正直あたしもちょっと泣きたい。疲れてるし、寒いし、心細いし。
「ご、ごめんね……巻き込んじゃって」
「リナは悪くないよぉぉ! 全部あのアイツらが悪いんだからぁ! 私がいれば、〈超激爆裂火炎〉で橋ごと焼き払ってたのにぃ!」
両手バタバタ暴れるシラの肩に、マティアが毛布をぽんとかけてやる。
「朝まで我慢して寝ろ。火の番と見張りは俺がやる。明けたらすぐ出発するぞ」
「むぅぅぅ……」
文句を飲み込んで大人しくなるシラ。
……やっぱりマティアって、なんだかんだ頼りになる。
夜空には星が広がっていた。フクロウの声が、遠くから響く。
(……これで、いいんだよね、お父様)
ぎゅっと膝を抱えながら、空を見上げた。
・
夜が明けた。
湖面には朝もやが漂い、まるで別の世界に迷い込んだみたい。
「う〜〜ん……寒い……。で、でも朝ごはん……ある?」
「ない」
「えぇぇぇぇぇ……っ!!!」
シラの絶叫とともに、あたしたちはまた馬車を走らせる。マティアの話では、次の村――峠の入口のアレンツ村まで半日ほど。
「山越えの前に、装備も食料も整えよう。あそこならあったかい物も食える」
その言葉に、ユニとシラの目が輝く。
「ほんと!?」
「やったぁぁぁ!!!」
……あたしたちも、希望がほしかった。湖畔を抜けると、やわらかな緑の牧草地に出た。風に揺れる小さな花。追手はないようだが、安心はできない。
やがて道は山道に変わり、視界の向こうに、小さな村が現れる。
「――アレンツ村だ」
マティアが指を差す。
「着いたんだね……」
「ここは旅人も少ないし、知り合いも多い。怪しい動きがあれば教えてもらえるよう頼んでおく」
あたしはほっと息を吐いた。
村に入ると、温かいパンの香りが漂ってくる。小さな広場には市が立ち、穏やかな声が飛び交っていた。
「おなか、すいた……」
「死にそう……」
「……パンだけ買うぞ」
マティアが手際よくパン屋で丸パンを買って、ひとつずつ配ってくれた。
バターの香りと、ほんのり甘い生地。あったかくて、やさしい味。
「……おいしい……」
「しあわせ……!」
その後、広場の端で見慣れない一団が焚き火を囲んでいた。鮮やかなマントを羽織り、どこか異国風。
「……渡り鳥の民か。峠の情報を聞けるかもしれない」
マティアが声をかけると、あっという間に打ち解けて談笑してる。……あの人のコミュ力、異常じゃない?
「彼らは一団名『ジュピター』。峠越えの途中で仲間が高山病になって、その薬の材料になるロディオラ・ロゼアって花を探してるそうだ。俺たちも薬が欲しいし、探すのを手伝ったら分けてくれるそうだから、一緒に探そう」
渡り鳥の民がグループごとに名乗っている一団名……。懐かしい。あたしとユニをフルールフェルトの修道院まで連れて行ってくれた『マーキュリー』のみんなは、今も元気で旅をしているだろうか……。
「ロディオラ・ロゼアかー。私、ハーブも興味あるんだ。魔法の効果が上がる成分とかあるからさ。寒冷地の高山地帯に生息する多年草で、多肉質のぷにっとした葉っぱが特徴。夏には黄緑色の花を咲かせるけど、今の時期は花はもう終わってて、薬になるのは根っこなんだ。高山病の予防や疲労回復、集中力向上にも効くって言われてる。乾燥させると甘い香りがするんだよね」
シラは植物も詳しいんだ……。本当に魔法に関することだけは何でも知ってるんだな……。こうして、あたしたちも手分けして、ロディオラ・ロゼアを探すことになった。山の空気はひんやりして、日陰では薄氷が張りそうなほど。斜面には落ち葉が積もり、ところどころに霜が白く光っている。
「リナー、このへん違うかも……」
「大丈夫、こっちだと思う」
ユニと手を取り合って、小道を進む。途中、道を間違えたり、霜に滑りそうになったりしたけど――。
「見つけた!」
ユニが叫ぶ。そこには、黄色みを帯びたぷにぷにの葉が、霜をかぶって並んでいた。花は落ちているが、株はまだ元気だ。
渡り鳥の民たちは大喜びで迎えてくれ、すぐに根を薬にしてくれた。
その夜、小さな広場で焚き火を囲み、宴が開かれた。
地元のパンと温かいスープに、あたしたちはようやく笑顔を取り戻す。
「ね、リナ。なんか、旅って感じだね」
ユニがほわっと笑う。あの子が笑うと、あたしまであったかくなる。
でも――。
「へっへっへ……リナぁ……ユニぃ……」
酔っ払ったシラが、地酒のワインを片手にふにゃふにゃしてた。
「そうそう、こないださ〜街を凍らせた時、くまちゃんから久々に連絡きたの〜。私から定期連絡しなかったのがいけないんだけどさ~も〜びっくりだよねぇ〜ぷぷぷ……」
「く、くまちゃん?」
「ぬいぐるみ。しゃべるやつ。昔ずっと一緒にいたの。今は別の子が世話してるんだって〜。でもその子しゃべらないから退屈なんだって〜。あ、くまちゃんの話はみんなには内緒だよ〜? 魔法の真髄は」
――うん。何言ってるのかさっぱりわからない。
誰の話なのか、それは人間なのか、ぬいぐるみなのか、酔ってるせいなのか、夢の話なのか。
後々、くまちゃんが誰なのか、あたしたちは知ることになるのだけど、この時のあたしたちには何の話かわからなかった。
「でね〜、ほんとは私のおうちも……あ、だめ。言っちゃダメって、くまちゃんが……」
そこまで言って、コトン、とテーブルに突っ伏した。
「……寝たね」
「うん……」
「くまちゃんって何?」
「さぁ……」
あたしとユニは顔を見合わせて、小さく笑った。
焚き火の火がパチパチと静かに音を立てていた。
(――この旅は、どこへ向かうんだろう)
ぼんやり空を見上げていたあたしに、マティアがぽつりとつぶやいた。
「大丈夫さ」
まるで、あたしの心を読んだみたいに。
あたしは、そっと笑った。……今は、それで、いい。
そして翌朝――。
あたしたちは、太陽が昇りきる前に荷物をまとめ、シルベルク峠へと出発した。
――次回「ep25.秋が深まる高山でリナは思わぬ人物に出会う」
2025年08月15日 21時00分公開→https://ncode.syosetu.com/n8261kh/25




