元勇者マティアはゆっくりお茶を飲むこともできない
あたしたちは、山の上から吹き降ろす風が少しだけ冷たくなりはじめた秋の昼下がり――あたしたちは湖と塔の街、ルセリアにやってきた。
風が気持ちよくて、空が広くて、街全体が水面に映ってるみたいにキラキラしてる。あたしとユニは宿をマティアたちに任せて、ちょっとだけ街を散歩していた。
中央広場を抜けると、大きな橋が見えた。立派な屋根付きの木造橋で、真ん中には小さな礼拝堂がある。尖った屋根が、とんがり帽子みたいで可愛い。
「リナ、見て! あそこ、すごく可愛い!」
ユニが目を輝かせて指を差す。その声だけで、あたしまで楽しい気持ちになる。
「うん、行ってみようか」
床板がきしむ音。ちょっとした冒険気分で、橋をゆっくり渡る。
けれど――。
「いい天気だなぁ。嬢ちゃんたち。どこへ行くんだ?」
不意にかけられた、低くて太い声。
顔を上げると、そこには――見覚えのある筋骨隆々の大男がいた。自身の筋肉によほどの自信があるのだろう。これみよがしに見事に鍛えられたその両腕を見せつけるような薄い綿の黒いノースリーブに鉄甲をはめているこの男。見覚えがある。
「……アリスタルコ……様?」
ラルヴァンダードの“執事”がどうして……。思わず足が止まる。声が震える。
「巡礼者リナ。それに、ユニ。悪いな。ラルヴァンダートの指示でな。お前らをフルールフェルトに連れ戻しにきた」
にたりと笑うアリスタルコ。その目は冗談なんて通じないって言ってる。あたしたちは反射的に後ずさった。
「ま、待ってください! わたしたち、ただの巡礼で……!」
「次の目的地に向かってるだけで……!」
「どこに行くつもりだったのか……。ま、いい。話はフルールフェルトでじっくり聞かせてもらう」
その瞬間――礼拝堂の影から黒服の男たちがぞろりと現れた。
「……っ!」
背後を塞がれ、手首を掴まれる。もがいても、力が強すぎて振りほどけない。
「これも”秩序”のためだ。”秩序”は乱しちゃいかん」
アリスタルコの声が、石の橋に響いた。
(あたしは、お父様の想いを……知りたいだけなのに)
マティア……シラ……! ――助けて!
・
俺は――マティア。元“勇者”で、今は旅の宿を取る男。
防寒具や登山道具を探すため、街の店を見て回っていた。これからの山越えのための道具を見繕うため、街に出ていた。防寒対策は必要だが、彼女らにそれを用意しろと言っても用意などできないだろう。俺が探してやらねば――。
そう考えてお茶を飲んでると――胡散臭い影が、目の前に座った。
「いやぁ、奇遇ですねぇ。”勇者”さん」
大きなシルクハットに水玉の蝶ネクタイ、そして上下おそろいの柄の服の男が当然のように目の前の席に座る。忘れようにも忘れられない、あの“帽子屋”だ。
「スッキリした顔されてますねぇ。探し物は見つかったようですね。今は……旅の途中ですか? ……山越え?」
こいつが何者か知らないが、本当のことを教えてやる必要はない。それっぽいことを言ってはぐらかすことにする。
「いやぁ。ただの巡礼だよ。シルベルグ峠を越えて、サンフィオーレに向かうんだ」
「サンフィオーレといえば、近くのラコナに未発見の遺跡があるって噂、ご存じです? どうも、国の成り立ちや恩寵に関わる秘密が眠っているとか……。私、そういうロマンのある話が大好物でしてねぇ」
「ふーん。そうなんだ」
(こいつ……。まさか、俺達がラコナに行こうとしていることを知っているのか? ドンピシャで目的を……)
「私、この手のロマンに目がないんですよ。歴史の闇に消えてしまった謎。古代の人々がそこに残した想い。それを読み解こうとする好奇心を持った者たちの物語。心が踊りますね」
「俺はそういうの興味ないからなぁ。ノートガルドの騒動を知ってるだろ? あれで、巡礼先を探していたお嬢さんの案内をしているだけさ」
嘘は言っていない。
「ふむ。なるほど……。あぁ。そうそう。巡礼といえば、先程、黒い髪と金色の髪の若い女性が、大男と黒服を着た男たちに囲まれているのを見ました。あの娘さんたちは何かしたんですかねぇ……」
「大男に黒服の男たち?」
「おや? ”勇者”さんのお連れですか? 礼拝堂の橋のところですよ。目撃者も多かったので、見ている人はいたかもしれません」
「ありがとう! 見に行ってくる!」
リナたちだ。追手に遭遇してしまったのかもしれない。俺はすぐに立ち上がり、走り出した。
・
牢の中。冷たい石と、鉄格子。ユニは泣きそうになっていた。
「どうしよう……。院長先生に逆らったせいで……私、どうなっちゃうの……?」
「大丈夫。最悪でも、修道院に戻されるだけだよ」
「違うの……リナは、院長先生がどんな人か、知らないから……! あの人に逆らったら……全部を、壊される……!」
ユニの声が、震えていた。こんなに怯えるなんて、一体……。何か、胸の奥がざわつく。
その時――。
「リナ! ユニ!」
聞き覚えのある声が響いた。
「マティア!」
マティアは素早く駆け寄る。
「……助けに来た。ヴァッサーフェルンで会った、“発明家”のブラマーさんに聞いた感じだと、こういう鍵穴はこうして、こうすると……よしっ開いた!」
マティアは牢屋の鍵を器用に開けた。こんな時にまであのノートのネタだ。本当にマティアは何でも屋だ。
今のうちに。三人で橋を駆け始めると――そこへ、重い足音をさせた男が一人現れた。
「まさか助けが現れるとは。お前。見たことがあるな。”勇者”だな? まだ”英雄”のつもりか?」
轟くような声とともに、橋の中央にアリスタルコが現れた。
「……俺としては逃がすわけにはいかんのだ!!」
アリスタルコは大地を蹴り、こちらに向かってくる。その腕の一撃は、風を切り、木の柱をえぐる。
「リナ、ユニ、下がれ!」
マティアが剣を抜き、アリスタルコの拳を受け止める。アリスタルコは武器を持っていないが一撃が重い。純粋な力が、剣を通して伝わってくる。
「ふん、さすが”勇者”といったところか。昔取った杵柄、見せてもらおうじゃねえか!」
アリスタルコは豪快に笑いながら、次々と鉄甲をつけた拳を繰り出す。マティアは剣で捌き、あたしも剣で受け、ユニは後方から支援する。三人がかり――だというのに、互角。
「やるな。三人とも。ならばカッコいい俺の本気を見せてやろう!」
アリスタルコが何やら構えをしている。
(なんかやばい!)
アリスタルコは助走をつけ、おそらくは必殺の一撃を繰り出そうと、思いっきり床板を踏み込む――。
「おりゃ!!」
と当時に、足元の床板が派手な音をさせた。
バキィィィッ!
橋の板が砕け、アリスタルコの体は宙を舞っていた。
「え? ぬぉぉぉぉおおっ!? ちょ、ええぇぇ!!」
――そのまま、アリスタルコはルセリア川に落ちていった。
ドボーン!!
「く…‥くそっ! きょ、今日のところはこれくらいにしといてやる! お前たちは必ず連れ戻すからなぁ! ゥがばゥ。ガボォ。ぶくゥ……」
「…………」
あたしたちは唖然とそれを見つめた。
騒ぎに気がついた黒服たちが向こう岸で慌てて飛び込もうとしている。
「アリスタルコ様!? アリスタルコ様!!」
「……よし、行こう」
「うん……」
「う、うん……!」
あたしたちは小走りで、橋を後にした。
――次回「ep24.ロディオラ・ロゼアは雪の下で春を待つ」
2025年08月15日 17時00分公開→https://ncode.syosetu.com/n8261kh/24




