地図を広げた者たちは世界の広さを知る
これからあたしは、“親友”のユニと、かつてお父様を討った男――元“勇者”マティアと共に旅をする。
旅の目的は、「お父様カーネルの想い」を探すこと。これから、あたしは新しい一歩を踏み出すんだ。
あたしたちは、研究都市トリシアを目指して出発しようとしていた。
出発前、宿の中庭では乾いた風が吹いていた。昼食を終えた私は、ユニと一緒に石畳に腰を下ろし、ゆったりとした空気の中で話していた。
「……でさ、トリシアって、このあたりなんだよね? でも地図見ても全然よくわかんなくてさ」
「うーん、どれくらい時間がかかるのか、あんまりイメージ湧かないよね」
あたしたちがそんなふうに話していると、近くのテーブルで昼間から地元のビールを飲んでいたマティアが、陶器のジョッキをテーブルに持って、立ち上がった。
「しょうがないなあ。まったく……」
彼は半ば呆れたように笑っていた。
「え? なに急に?」
「ふふん、地理ってやつはちょっとは知っておいたほうがいい」
そう言ってマティアは懐から、古びた地図を取り出して広げた。角が擦り切れ、何度も折りたたまれたその地図は、彼が長年旅をしてきた証そのもののようだった。
ユニがからかうように言う。
「先生、これは授業ってことでよろしいんですか?」
「もちろん。授業料は……そうだな、晩飯のときにうまいワインをつけてもらえればいい」
こうして、マティアによる地理の授業が始まった。しかしそれは単なる地図の説明ではなかった。地形だけでなく、地域ごとの気候や産業、文化、民衆の気質、さらには彼が勇者として歩いた道の記憶まで含まれていた。
「今いる場所はここ。クロイツフェルト。これは交差点という意味で、南に行けば聖都レギオナ、さらに進めばホーエンマルク高原があって、その先に、フルールフェルトっていうデカい街がある」
「あ、私たち、フルールフェルトから来たんだよ!」、
「おお、あそこは〈塩の街〉だな。ホクホクのジャガイモにバターと、あそこの塩を合わせると最高なんだ」
「ホーエンザルツ! 知ってる! あれ美味しいよね!」
さらにマティアは説明を続ける。
「でも、その塩を運ぶルートは教団が押さえている。ルヴェル・アーン川を管理してる教団が、航行に通行料をかけるようになってね。特にラルヴァンダードが“大司教”になってから、教団への献金名目で金を集めてるんだ」
「そんなの、修道院では教わらなかったよね……」
「そういう情報は『“秩序”のため』ってことで教団の内部で管理されてるからな」
話はさらに続いた。
「ホーエンマルクは風が強く乾燥しているが、その分ブドウがよく育つ。だから酒が美味い。授業料はホーエンマルクのワインがいいな」
「はいはい。あとで教会に行って聞いてみるよ」
「北には要塞都市ノートガルドがある。ここは君たちがもともと巡礼の目的地にしていた場所だな」
「でも“大司教”の一言で街全体が封鎖されちゃったよね。そんなことできるの?」
「今のノートガルドは、宗教だけではなく、政治、自治も“大司教”ホルミスダスが握ってる。領主のヴィルヘルムは北方警備で手一杯だから、放置されてるんだよ」
「へえ……」
「東に行けばズナーメン王冠領。資源が豊富で、〈姫様〉が絶大な信頼を受けている。ここはちょっと特殊でね。昔色々あってね。今は神王国の一部なんだが、ここの領主は王様なんだ。なので、『王冠領』。その色々あって、のお陰で、今でも教団や神王国が手を出しにくいんだ。ちなみにこのビールもズナーメン産」
とマティアがジョッキを掲げて見せる。
「西は聖都マイン。教団の中心で“三大司教”のひとりカスパールが治めている。さらに南西には、これから向かう研究都市トリシアがある。こっちは同じく“三大司教”メルキオールが治めていて、学問と技術の集積地だ。とりあえず、こんなところを頭に入れておくと良い」
そこまで聞いて、ユニが口を開いた。
「今いるクロイツフェルトって、ほんとにいろんなものが交差する場所なんだね」
「まさにその通り。『交差する野原』という地名そのものだよ」
「じゃあ、私とリナが出会った“魔王城”はどこ?」
「魔王城っていうのは俗称で、正しくベルグシュタット。テルミンタール自由伯領の鉱山都市で、セントリオン川の上流、山岳地帯のふもとにある」
「でも地図には載ってないよね?」
「教団が“魔王”という存在を神格化させたくないから、公表していないんだ。『“秩序”を守る』という名目でね」
マティアは少し言葉を詰まらせ、表情を曇らせた。
「ただ、そのおかげで観光地化もされなかったから、今でも静かで平穏らしい。街の人たちの多くは、カーネルさんを良い領主だと語っていたよ」
「お父様……」
「……すまない」
「……ううん」
マティアが父を殺したことは、変えられない事実だ。
それでも、彼が与えられた“役割”と向き合い、悔い、真実を探していることを、あたしは知ってしまった。単なる憎しみでは、もう割り切れなくなっていた。
「トリシアへ向かうには峠越えがある。途中の宿場町で準備を整えよう」
マティアの声は軽やかだったが、どこか背中に哀愁を漂わせていた。あたしはその後ろ姿を見つめながら、広げられた地図に指を置いた。
世界は広い。知らないことがたくさんある。
だからこそ、もっと知りたいと、そう思った。
この旅の終わりに、あたしがリナとしての自分自身の“役割”を見つけられるなら……その『答え』を、誰かと一緒に探していけるなら――。
あたしは、少しだけ勇気を持てる気がした。この旅が、そんな時間になるといいと、心の底から願っていた。
――次回「ep13.勇者はならずものに出逢っても何もせず宿屋で寝息を立てる」
2025年08月11日 21時00分公開→https://ncode.syosetu.com/n8261kh/13




