二度目の始まり
「行ってきますー」
「行ってらっしゃいー。可愛くなっておいでー」
今日は雪猫が髪を切りに行く。どんな髪型にするのかは聞いていないのでとても楽しみだ。雪猫が居ない時間は微妙につまらないのでオタ活を勤しむ。
「ふう、遅いなー。結構凝った髪型にする気なのか?」
プルルル
呑気な考えとは裏腹に気持ちを急かすように携帯電話が震えている。
「はい。もしもし」
「あ、蓮さん?その、ゆき、ゆきねが」
え___
何も聞こえない車の音も水たまりを踏み潰した音も。ただ走った。目頭と鼻がすごく痛む。
俺は泣いているのか?焦っているのか、分からない。ただ急がないと。口の中が鉄の味で満たせれていく。苦い苦い苦い。今、今___
「はあっはあ」
「あ、蓮さん」
「遅くなりました。その、ゆきちゃんは」
「急いで手術をしてもらって、今は眠っている所みたい。病室で会えるらしいわよ」
ガラッ
「ゆき、ちゃん」
苦い苦い苦い。今この現実が苦い。とてつもなく苦い。
「何があったんですか」
「〇〇交差点の所で大きな事故があったらしくって、それに巻き込まれた、みたい」
雪猫は苦しんでるようにも楽そうにもみえるいつものように可愛い顔で眠っていた。顔半分は包帯で隠れていても分かるこの可愛さ。髪は前より短くなっていて腰辺りまでだったのが鎖骨辺りまでになっていた。
膝から崩れ落ちた。理由がわからなかった。泣くことも何もできなかった。
「蓮さん、今日はまず帰って休んで。今日中に目が覚めることはないだろう。って先生も言っていたから。雪猫は私達が見るから」
「でも…」
ここで無理したら、自分を大切にしろって。叱られるかな。それに、きっとお母さん達のほうが今は雪猫のそばに居たいはず。
「蓮さん、いつでも来ていらして構わないから今日は休んでください」
「分かりました。帰って頭を整理します」
「ええ、そうしたほうがいいわ」
「すまないね、蓮くん。今日は私達に娘は任してくれ」
「はい、ありがとうございます。宜しくお願いします」
帰ろう。二人の家に。君が居ない家に。
ガチャ
「ただいま」「おかえり」
確かに頭の奥で雪猫の声が聞こえる。奥で顔を覗かせている雪猫の姿が。
「は、はあ、ああ、ああああ、ああ」
家に入った瞬間雪猫がいない現実を突きつけられたように苦しくなった。声も姿も気配もしない。微かに俺の好きな雪猫の匂いが部屋を漂っている。
「あああ、ああ、うう、あああ」
上手く声が出せない。えづいてしまう。
ここはどこだ?ここは現実か?布団にもセンスのない服が詰まったクローゼットの中にもキッチンにも風呂場にもリビングにも、どこにも居ない。まるで俺の世界から居なくなったみたいに。
それから何時間だろう。家を飛び出したときはまだ明るかった空もすっかり星で満ちていた。
どうしてもご飯を食べる気にも何をする気にもなれない。
「ご飯、食べれないな。でも食べなかったら叱られるな」
叱って、くれるかな。
それからも布団に入ったが眠りにつけなかった。いつお母さん達から連絡があるか分からない。急変するかもしれない、痛くて苦しんでるかもしれない。一人で、俺の知らない所で苦しんでほしくない。いつだって手の届く場所に居たい。
ベッド横の時計には4時と示されていた。微かに、視界が霞んでゆく。
「ゆき、ゆき、ちゃん」
目を覚ましたのはすでに昼過ぎだった。急いで体を起こして携帯を確認する。
「連絡は、なし」
「おはよう」
雪猫へ送ったが既読はつかなかった。
それから急いで風呂を済ませ軽くお腹に入れたら家を出た。
病院へ着いたらお母さん達が昨夜は付きっきりで居てくれたらしく今から丁度帰るところだったらしい。
「まだ雪猫は起きてないみたい。耳は聞こえているかもしれないから話をしてやっても良いかもしれないって」
「そうなんですね。ありがとうございます」
「あまり、無理しないようにね」
「はい」
病室には昨日と変わらずに眠っている雪猫がいた。
目頭が痛い。痛すぎた。
「雪猫、おはよう。相変わらずお寝坊さんだね。」
返事はない。
病室はしっかり冷房がついているはずなのにとても暑い。
「なあ、その超絶可愛いお顔と髪は俺に見せなくていいのか?俺の大好きな声、聞かせてくれないのか?」
何度問いかけようが返事はない。
「はああ、だめだな。俺今全然かっこよくないぜ」
苦しすぎて体調が悪くなってくる。こんな顔は見せたくないと伏せる。
ゴソゴソ
毛布が動いた感覚があり顔を上げると。綺麗な瞳が、温かい瞳が、雪猫の瞳がこちらを確かに捉えていた。
「ゆきっ」
「だれ、ですか」
え___