32.エルフの呪い、キター
どこまでも広がる肥沃な平原と緩やかに流れる大河、ルーヌ河こそが
ドゥンケルハイト王国:王都シュバーレンの力の源であろう。
豊富な農産物は圧倒的な人口を生み出し、その軍事力は周辺諸国を圧倒していた。
「今年も田舎貴族の子弟が我が物顔で入城してくるな。」
王宮の一室の窓から、隣接している貴族学院に向かう人の波を
見下ろしていた男が顔をしかめた。
「殿下、誰が聞いているかわかりません。お言葉には注意して下さい。」
男の秘書かお付きらしき女が注意する。
「構うものか。あの者たちは80年も前の戦争で、先祖に功があった、
ただそれだけの理由で貴族として待遇され領地を治めているだけだ。」
80年前の戦争で王国はドワーフの国と組んでエルフの国を打ち破った。
その時得た領土と財宝は今日の繁栄を支えていた。
「エルフの呪い、か。」
男、王国の摂政にして第4王子マクシミリアンはそう呟くと窓から離れ
処理しなければならない仕事で溢れている机に戻った。
エルフの呪いとは、一般的には戦勝後に始まった出生性別異常の事である。
多額の国費と多くの人材を費やしているのに原因すらわからない。
「貴族学院も女子が多くなりましたからね。」
書類の束を机に追加しながら秘書が答えた。
貴族学院は1400家以上ある爵位持ちの後継者教育施設である。
不文律で男子校であったのだが、いつの間にか女子も入学するようになった。
女性貴族を認めないと潰れてしまう家が出るせいだ。
「変えなければならない事が多すぎる。」
男は冷めてしまった茶を片付けようとする秘書を手で制し、書類の山を処理し始めた。
そう、何もかも変わってしまったのだ。
かつての貴族たちは口頭の簡単な命令だけあれば自分で判断して
領地経営も戦闘もやってのけた。
数の優位だけでなく、各個の柔軟な作戦で質に勝るエルフ軍を破ったのだ。
彼らはこの様な細かい指示書類を必要としなかった。
冷えてしまった茶を飲みながら男はさらに考える。
この茶も、書類の紙も輸入品だ。
窓の下を通る貴族たちの華麗な衣装に使われる絹、木綿、宝飾品も輸入品だし
晩餐会の食事に使う香辛料や砂糖も輸入している。
この建屋の窓、彼らを見下ろした透明なガラスも輸入品である。
恐ろしい量の金銀が王国から流出しているだろう。
エルフから分捕った賠償金はとっくに無くなってしまったが、
勝利の美酒、贅沢を覚えた者達の消費は増える一方である。
かつて質実剛健だった先祖を誇っているのに
危機感という物はないのだろうか?
濡れ手に粟の稼ぎなんぞもう見込めないというのに。
財政部門からの報告書を見る。
王国内の鉱山は軒並み産出量が落ちている。
労働力を増やしては対処しているが、新しい鉱山が見つからない限りジリ貧だろう。
このままだと行きつく先は、・・・男は首を振った。
エルフの呪い、戦勝はこの王国に何重にも呪いをかけていたのである。
「そういえば、マンチェス辺境伯の娘の嫁ぎ先からも子息が入学してくるとか。」
秘書の女が思い出したように言った。
「マンチェス辺境伯の娘と言うと、あれか?」
「はい、殿下が婚約破棄された方です。」
「顔も名前も憶えていないな。子供の頃に婚約させられた
魔力のない娘の子供か。」
「その通りです。その後田舎の男爵家に嫁いだようです。
どのような子供かお調べしましょうか?」
「必要ない。昔の事だ。今はお互い何の関係もない。」
嘘である。
相手のイリスと言う名前は憶えていた。ごく普通の娘だったように思う。
婚約破棄の本当の理由はマンチェス伯爵が気に食わなかったからだった。
王国第2の規模を誇る港町の領主は王族に匹敵する財力を持っている。
財力のある辺境伯爵と縁を持ちたがる者は多く、伯爵の娘の婚約者だからと
権力から遠い第4王子の所に挨拶に来る者までいた。
不愉快だった。自分は軽んじられていると思った。
あの娘に恨みはないが、婚約破棄したのは単純にそれだけの理由だった。
若気の至り、そう思わない事はない。
しかし、王族と最も富裕な貴族の婚約破棄は混乱を招きはしたが、
世間に王権の強さを印象付ける事が出来たし、
個人的には権力闘争のモチベーションになった。
あれはあれで良かったのだ。
王族の権威は伯爵程度の娘、気分で傷物にしても問題はないのである。
「辺境伯爵家は相変わらず毛織物で随分稼いでいるみたいだな。」
「また献金を命じられますか?」
「必要ない。理由もなく頻繁に献金させて田舎貴族にこれ以上
大きな顔をされてはたまらない。」
マンチェス辺境伯爵は男の父、現国王フェルディナントの腹心である。
実に煙たい存在であったが、高齢の父が政務から遠ざかったのを機に
権力の座から追い落した。
「細かな領地が多すぎる。国としてまともな施策ができない。
全て田舎貴族どものせいだ。」
処理しても処理しても終わらない書類の山を前に男は頭を抱えた。
「対策はジェニ子爵にお命じになったのでしょう?」
またか、と肩をすくめた秘書が空になった茶碗を下げながら言った。
「ああ、動いているようだ。ろくでもない奴だが役には立つ。」
「命令に従う忠義者ではありませんか。」
そういえばこの秘書は子爵が奴隷取引をしている事を知らなかったな。
あの男が忠義者?自分の利益に対して忠義なだけだ。
計画が終われば奴は膨大な利益を得るだろう。
利益の元は多くの犠牲者からだが、気にしてはいけない。
この世は得る者と失う者に分かれるのだ。
王国は改革を必要としている。そうしなければ王族が失う方に回るだろう。
王族の権威を守るための犠牲者。
本人達は不本意かもしれないが、彼らこそが本当の忠義者だろう。
いつの世もそうだ。忠義者の犠牲の上に王国の平安は築かれるのだ。
摂政にして第4王子マクシミリアンに迷いはなかった。




