9.目出し帽は逆に目立つ
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ここ、極限まで武闘派で鳴らす鏡学園に単身乗り込んできたのは大したものだ。黒い目出し帽をかぶったいかにも怪しげな、野太い声からして男と思しき人物だった。ひどく長身で、えらくゴツい。「カチコミ」なんてそうはないことながらも――否、だからこそ当校の動きは速かった。怪しいと認めるなり、我先にと襲いかかったのだ、襲いかかったのだが、そう、次々に駆逐されてしまったのだ。殴られ蹴られ、おもちゃみたいにぶっ飛ばされる。それが現在の玄関前のロータリーの様子だった。ロータリーの中央には円形の植え込みがあって高い木があって、そのてっぺんを足場にして瞬く間に風間が飛びかかった。相手の頭を両脚で挟んで鮮やかなヘッドシザースホイップ――が、奴さんときたら綺麗な受け身をとってみせた。やるなぁと思う。体格からして鈍重そうに見えるのにほんとうに良く動く。あっぱれと唸りたくもなった。
放課後。
夕暮れにあれど、帰路につく生徒はまだ少ない。
風間がデカブツと向かい合う。左右に軽くステップを刻んだ。やると踏んだのだろう。できると感じたのだろう。久々の本格的な戦闘を楽しもうというのだ。――が、そうもいかない。見ているばかりではいけないのだ。
俺はデカブツの前に立ち塞がった、風間とのあいだに割って入った格好だ。
「なに、雅孝。イイカンジなのに」
風間が後ろから軽口を叩くように言ったがそれは無視して、俺は自分でもそれとわかるくらいの冷たい目をデカブツに向けた。
「多少戦闘的な生徒が多いが、それでもここは至ってフツウの学校だ。ゆえに困る、ゆえに武器は用いるな。そのハイソなナイフを捨てろと言っている。ヒトをなます切りにでもするつもりか、くそったれめ」
漢気はあるらしい、誠意も。
デカブツはナイフを捨て去ると、腰をぐっと落として身構えたのだった。
俺は半身になり、左手を前に広げ、引き絞った右の拳は腰の位置。
「雅孝っ」
「黙れ、風間。俺がやる」
鋭い一撃だった。
手刀を喉元目掛けて突き出してきた。
――が、もらってやらない。右手の先端が触れてくるより先に腹に右の一撃を見舞い、弾き飛ばしてやった。久々の手応えを感じさせてくれた。分厚いタイヤみたいな身体は殴りがいがあったのだ。
近づき、両膝をついたままのデカブツの前で膝を折った。「誰だ、おまえは」と訊きつつも、目出し帽はそのままに――武士の情けといったところだ。男は何も答えない、目は開いているようだが――。
「大人がここに殴り込みをする理由がない。だからおまえは高校生だ、だからこそ、ナイフなんていう無粋な物は持ち出すなという話だ」
デカブツの目が瞳が左右に泳いだのが見て取れた。「お、おでは、おでは――」などと要領を得ない発声をする。俺は眉を寄せ、それからおもむろに一つ右の頬を張ってやった。気付けのつもりなどと言うつもりはないが。
「誰なんだおまえは、いったい」
「メ、メビウス・ワンなんだな」
なんとも気の抜けてしまう、拙い物の言い方だった。
「コードネームと言ったところか」
「かか、賢いんだな、おまえは」
「やかましい。なんの用なのかと訊ねたつもりなんだが?」
「おではメビウス・ワンなんだな」
「だからそれは」言いかけて、俺はぶんぶんと首を横に振った。「あらためて、だ。ウチになんの用なんだ?」
風間をとりにきたんだな。
メビウス・ワン――やはりデカブツはそう言った。
「とりにきた、殺りにきたということか?」
「そ、そうなんだな。風間を殺せば楽になるんだな」
「何が楽になるんだ?」
団体戦。
デカブツはたしかにそう一言。
「団体戦は知っている。おまえも、あるいはおまえたちもそれに出場する、と?」
「そ、そうなんだな。満を持してなんだな。絶対にぶっ殺してやるんだな」
「それは無理だ」
「どど、どうしてなんだな?」
「馬鹿め。俺がいるからだよ」
自分でもそれとわかる大きな右手で顔面を鷲掴みにし、後頭部をコンクリートにぶつけてやった。気絶したくらいだから死んでしまったかもしれないが、そんなの知ったこっちゃない。
気を取り直し、俺が「救急車を呼んでやったほうがいいか?」と訊くと、風間は「いいよ。そのうち、誰かが手配するでしょ」と答えた。
「聞いていたか? メビウスというらしいぞ」
「知らないことはない、かな?」
俺は「ほぅ」と口をすぼめた。
「いったい、どこのどいつなんだ?」
「キタコーにね、そんな組織があるって。文字通り、メビウス」
キタコー?
俺は風間のほうに向き直りながら、首をかしげた。
「くだんの高校は腑抜けの集まりだとの認識なんだが?」
「そうでもないんでしょ。こんなのもいるんだから」膝を折って屈み、右手の人差し指でデカブツの頭をツンツンつつく風間。「だけど、過激なカチコミは困るといえば困るなぁ。あたしたちが居合わせなかったら、結構な数の怪我人が出てたと思う」
「それは間違いないだろうな」腕を組んで、俺は一つ吐息をついた。「これから向かって、会えるだろうか」
「ボスに?」
「そう言っている」
風間はぴょんと跳ねるようにして立ち上がると、のっしのっしと前を行き始めた。
「訪ねてみよう。会えるまで強行突破。オーライ?」
俺は後に続き、「ああ。ご一緒させてもらおう」と応えた。
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キタコーは緑のブレザーなのだが、比較的真面目そうな眼鏡の少年に案内された先――四階の生徒会室には黒服の男らがいた。その中にあって一人、真っ白なダブルのスーツ姿の男が目を引く。椅子の背もたれを前にして座っている。小柄だ。ぜんぜん若い。黒髪は七三分け。尖った顎に小さな唇。ヒトをおちょくったような目つきも興味深い。ただ者ではないことは確かだ。
「おにいさんはヤクザだったね」敢然と風間。「あたしのこと、覚えてる?」
「あたりまえやろぉ」小柄な白スーツは言った。「美人のことは忘れんもんや。たとえそれがガキやろうとな」
「上下スウェットに目出し帽、すなわち黒ずくめの男に襲われたんだけど?」
「ああん?」
「心当たりはないのかって訊いてるの」
そりゃ、あるわいさ。
それが白スーツの男――ヤクザの親分である宝来一郎の言葉だった。
「腑抜けが多いとはいえ、ウチのガッコにもポジティブでアグレッシブな連中はおってやな、その筆頭が連中――メビウスや」
「ふぅん。やっぱりかぁ」
「ご存じかぁ?」
「まぁねぇ」
「大仰な名前やろ?」宝来は皮肉るように顔をゆがめた。「せやけど、腕は達者や。信奉するは剛力のみ。それを地で行く連中でもある」
また「ふぅん」。
つまらなそうに口をすぼめた風間である。
「どうや、ねえちゃん。興味、湧かんかぁ?」
「湧かないね」
「ありゃりゃ、そうなんか」
「うん。ウチにはもう手を出さないって返事が聞けたらそれでいい」
「そいつは俺が決めることやない」
「メビウスが決める?」
「そういうこっちゃ」
宝来が大儀そうに「よっこらせ」と椅子から立ち上がった。「ほんじゃ、わしはもう行くわ。今夜は会食なんや」などと言う。
「誰と?」
「決まってる。べっぴんさんとや」
宝来の部下であろう黒服が戸を開け、そこから宝来は出ていった。
溜息まじりに腕を組んだ風間。
「案内、してもらえなかったね」
「気が変わった」
「ん? なんの話かな、雅孝クン?」
「ウチの団体戦には出るんだろう? だったらそこで叩き潰してやればいい」
「積極性に欠けるなぁ」
「いけないか?」
「ううん。手間が省けるからそれでいい。怪我人でも出たら、話は違ってくるけれど」
それはそのとおりだ。
ガキの喧嘩――それ以上でも以下でもない怪我人が出るのは気が咎める。
釘は刺しておこうかな。
そう言うと、風間は黒板に向かった。ピンク色のチョークを使って、「風間紅、颯爽登場!!」と豪快に記したのだった。かわいげのあるその行動に、俺の頬は、つい緩んだ。