7.白きお嬢様に茶と茶菓子を奢ってもらうとか
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その日の放課後、一人での帰路。昨今にあっては珍しい話だ。風間、桐敷、香田、いずれかの女子に捕まっていたからだ。この解放感、大人であれば一服つけてビールで一杯、となるのだろうか。よくわからない。俺は大人ではないのだから。
ハイソなところでコーヒーを――などと目論んだ。代官山など知らないが、五反田ではこうはいかないであろうオシャレなカフェを前にした。高校の制服姿の男子が一人で入っていいような場所には思えない――が、来てしまったのだから仕方がない。わざわざネットで調べてのそれなりの遠出だ。パケットの通信量も電車賃も無駄にしたくない。しかし学ランはさすがに目立つ。上着くらいは脱いで入店しようか――とか考えだしたときだった。
店内から乾いた発砲音――そう、明らかに銃声がしたのだ。その瞬間、周囲を歩いていたニンゲンは性も年齢も問わず「ひっ」と短い悲鳴を上げた。なおも鳴り響く。マシンガンというものはこういうものではあるいまいか。
そのうち、黒い着衣に白いエプロンをつけた若い女性店員を盾にすうような格好で中年とおぼしきひげづらの太っちょが出てきたのだった。思いのほか銃は大きくない。サブマシンガンだなと思う、その道には明るくないが――。
ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃんなにやらわけのわからないことを主張する太っちょは「どけどけ! 殺すぞ!!」などとものたまった。いきなり銃殺されてはたまったものではないが、話くらいは聞いてやろうではないか。何かの間違いで女性店員が亡き者とされた日にはさぞかし寝覚めが悪くなってしまうに間違いないから。
「おっ、おっ、が、ガキがなんだぁ?!」太っちょはえらく吃った。
「たしかにガキだが、まあ待て」俺は右手を前に広げた。
「ががっ、ガキのくせに命令すんのか?」
「だから、そうじゃない。そうじゃないんだが?」
「だ、だったらなんだよ?」
「悪い。どう対応すべきか、今、考えている」
はあああぁ?!
太っちょが目を見開き怒りを露わにしたくなるのも、まあわかる。
だけど俺は極端に性格が悪いものだから、ついつい「死ぬなら一人で死んだらいい」と言い放ってしまった。「はあああぁ?!」とまた言い、しかし太っちょは臆したところを見せた。銃を握り、人質までとっている。絶対的優位の立場にありながら強気に出られたことに驚いているのだろう。その隙を突くようにして、女性店員が銃を持つ男の右の手首に噛みつき逃れてきた、なんとまあ勇ましい。ソッコーで俺の背に隠れた。あまり頼りにされても困るのだが、されないよりずっとマシだ。サブマシンガンがこちらを向く。撃たれるより先に、「撃ったらおまえは死ぬぞ!」と大きな声を出した。虚を突かれたように「えっ」と発し、太っちょは目を丸くした。女性店員にもっと下がるように言って、俺は左手を前にかざし、右の拳を腰の位置に引き絞った。準備万端、真っ向勝負。なんてことはない、弾丸の一発や二発、避けられんでは男の子ではない。
――が、そんな決意はすぐになんというかこう、弾き飛ばされた。というか、世の現象として物理的に弾き飛ばされたのは太っちょだ。自らの左方から迫ってきた黒塗りの――リンカーンだろう――に撥ねられたのである。といっても、そこまで強烈なぶつかり方ではなかった。最低限の力で突き飛ばしたといった感じに見えた。それでもじゅうぶん鮮やかにやらかしたあたりにはドライバーの思いきりの良さを感じるしかなかった。
マシンガンを放りだして倒れ込んだ太っちょは身体を起こすなり目を白黒させる。なんの意味があるのか不明だが、リンカーンに向けて右手で指差す。「おおぉ、おまっ、おまおまおまっ――!」と謎の発声。――やがて車の後部座席から真っ白なニンゲンが現れた、女性だ。すらりと背が高く、ヘアスタイルは金色のおかっぱ。肌は白い。着衣も白い――レースがふんだんにあしらわれていてひらひらだ。スカートの丈が極端に短く、いかにも目の毒と言える。
女性というより少女だ、顔立ちや肌の鮮やかさからそう断言できる。顎のあたりに右手の甲を持ってくると、ステレオタイプのお嬢様然とした「おーっほっほ!!」などという笑い声を飛ばした。俺が唖然としたくらいだから、周囲のニンゲンはもっとそうなったに違いない。素早く記憶を検索する。――ああ、そうだ。このお嬢様には一度拝謁したことがある。たしかシズナイ・アオイ、「静内碧」だったはずだ。風間をライバル視している近所の女子高の生徒、ペネ女といったか。初見で強いのは知れている。ここにやってきたのは偶然だと見て間違いないだろうが、にしたっていきなりヒトを撥ねさせるだろうか。命令されたのは執事の佐藤氏だろう、アオイちゃん――碧ちゃんは、彼をセバスチャンと呼んでいたようだが。
「お太りですから轢かれてしまったのですわ」とんでもない理由を述べた、碧ちゃん。「銃まで持って。心まで貧しいとか、誠に遺憾ですわ」と出来が悪く空気まで読めない三流の政治家みたいなことも言った。
尻餅をついたまま、いよいよ慌てた様子で退き、男はサブマシンガンを手にし、それを前に向けた――が、碧ちゃんは銃口の先におらず、人間ばなれした跳躍力で男の背後に回り込んだ。大きく右足を上げて、脳天に踵落とし、見事、一撃で意識を刈り取ってみせた。あまりに勢い良く上下に開脚したものだから白い下着が見えたとか見えなかったとか――。
「セバスチャン、速やかに警察に連絡なさい。お茶菓子を持って我が静内家を訪れるようにとも。マカロンがよろしいのですわ」
「心得ております、お嬢様」佐藤氏ではなく設定としてセバスチャンらしい白髪の老人はスマホを取り出し操作、まもなく耳に当てた。
ここでようやく碧ちゃんは俺のことに気づいたらしい。目をぱちくりさせながら、首をかしげてみせた。「どこかで見たことがある」といったカンジのアクションだ。ぶりっこのようなあざとさで歩んできて、俺の前に立つと今度は反対に首を倒した。少々、見上げてくる格好。俺のほうが少し背が高い。
思い出したとでも言わんばかりに、碧ちゃんは目を大きくした。二度三度と頷き、それから右手で顔を指差してきた。
「そうですわ、そうですわ。あなたは風間さんとご一緒だった男性ですわ」
正解だ。
「きっと風間さんの恋人なのですわね」
その推理は不正解。
「こんなところで、いったい何をなさっているの?」
その問いはそのまま返したいところだが――。
「お茶だ」迷ったものの、タメ口を聞いた。
「お連れは? いらっしゃらないの?」不思議そうな、碧ちゃん。
「一人だよ、悪いか?」
「悪くはありませんは。ただ、寂しい話だとは思いますわ」
ぐうの音も出ないとはこのことである。
「わかりましたわ。わたくしがご一緒してさしあげましょう」
「は?」
碧ちゃんは悪戯っぽく「ふふふ」と笑んだ。そこにある意図と意味ははかりかねるが、近いせいもあり、甘い香水の匂いがますます強くなった。
「あなた、少々、イケメンですわ。わたくしの奴隷にしてさしあげてもよろしくてよ?」
奴隷はまっぴらごめんだが――。にしても、こんなお嬢様でも「イケメン」などという俗っぽい単語を用いるのかと、変に感心させられた。
「しかしだ、碧ちゃん」
「誰が砕けた表現を許しました?」
「じゃあ、静内様」
「あなたは極端ですわね。碧ちゃんで手を打ちましょう」
「では、あらためて碧ちゃん、この状況で店が開けると?」
「開けるかどうかは重要ではありません。開かせるのですから。ここのダージリンは美味でしてよ」
おーっほっほ!
おーっほっほ!!
嘘みたいに馬鹿みたいにべらぼうに朗らかに笑う碧ちゃんは、堂々と店へと向かう――最中、「あなたには学ランよりブレザーのほうが似合いますわよ」と言った。そのへん、自覚しているとも言えなくはない。ほんとうに茶を振る舞ってもらえるのだろうか。やれやれとの思いを抱きながら、優雅に歩む碧ちゃんの後に続いた、ほんとうにやれやれだ。
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ケーキまで奢ってもらった。赤いフルーツタルトだ。ブルーベリーにラズベリー。程良く酸味があって、好みと言えた。にしても、本当に営業を継続させてしまうとは。碧ちゃんのバイタリティ? オラオラ感? そのへんは相当なものである。言動に有無を言わせぬ勢いがある。碧ちゃんは二つ目の甘味――ティラミスを小さな口へと運ぶ。そのへんの女性が相手なら「太るぞ」くらいの憎まれ口は叩いたのかもしれない。碧ちゃんはその限りではない。すらりと背が高く、殊の外細い腰部を維持しているあたり、トレーニングはしっかりしているのだろう、それとも代謝がいいだけか? ――どちらでもいい。
「神取雅孝」と、切り出された。「そういうお名前でしたわね?」
「そうだが、それがどうかした?」茶を口へ、たしかにうまいダージリンだ。
「神取さんとお呼びすればいいかしら?」
「なんでもかまわない」
「では、雅孝さんにしましょう。ああ、でも、雅孝さんとは語感的に響きが面倒ですわ。ということで、あなたは雅孝ですわ」
……ホント、どうだっていい。
「風間さんはお元気?」
「彼女が身体を壊すくらいなら、そのとき、とっくにこの星は滅亡している」
「高くお買いなのですわね」優雅に「ふふ」と笑んだ碧ちゃん。「雅孝、あなたから見て、いかがなのかしら?」
「というと?」
「もちろん、わたくしと風間さんを見比べての話ですわ」
俺は顎に右手をやり、真剣に考えを巡らせた。風間が負けるとは思えない――が、碧ちゃんの、言ってみれば武力にもこれ以上ない説得力がある。ガチンコでぶつかれば、どちらもいい線、いくのではないか?
その旨を伝えたところ――あるいは碧ちゃんは不機嫌な表情を浮かべるかとも思ったのだがそんなことはなく、むしろ「冷静な目をお持ちのようですわね」と言われた。「ひいき目がないことは良いことですわ」ということらしい。
「ところで、碧ちゃん」
「なんでしょう? 雅孝」
なんてことはないと思っていたのだが、碧ちゃんに下の名前を呼び捨てにされるとなんともむずがゆい感じがする。稀有な体験だ。
「碧ちゃんはひょっとして、暇なのか?」
怒るかとも考えた。
碧ちゃんは顎を持ち上げ、「否定はできませんわね」と素直に答えた。
「碧ちゃんは強い。センスもずば抜けている。だったら誰が練習相手なのかという話だ」
「雅孝は馬鹿ですわね。わたくしは生まれたときから唯一無二なのですから、練習相手など不要なのですわ」
ああ、なるほど、そういうことか、そういうことだ。桐敷は怪しかったりするが、香田はそうだろうし、風間に至ってはもっとそうだ。ほんとうに強いニンゲンは組手すら必要としないのだろう。シンプルに強者なのだ。
「雅孝」
「次はなんだ?」
「今度、貴校にて『夏の団体戦』が開催されるでしょう?」
「それがどうかしたか?」
「わたくしも参加いたしますの」
にこりと笑った、碧ちゃん。
妙な発言に思え、俺はにわかに眉を寄せた。
「他校からでも飛び入りみたいなことが可能なのか?」
「ご存じないの?」
「知らないが、碧ちゃんが言うならそうなんだろう。メンバーは? 集まるのか?」
「五人までなら、いようがいまいが自由ですのよ」
「一人でやる、と?」
「やれるのですわ」
おーっほっほ!!
ひときわ大きな笑い声を放った碧ちゃんである。
「何校も来るのか?」
「来ませんわよ。鏡学園の武勇は世に知れ渡っていますから」
合点がいく話ではある。
「去年も出場した?」
「いたしましたわ」
「結果は?」
「秘密です」
碧ちゃんは悪戯っぽく右手の人差し指を唇に当てた。
碧ちゃんの左隣に立っているセバスチャンこと佐藤氏が「お嬢様、そろそろ」と声をかけた。彼曰く、なんでも「会食に間に合わなくなってしまいます」ということらしい。その雰囲気からして大事な場なのだろうと判断できた。にしても、ケーキを二つもたいらげておきながら。まあ、食が細いニンゲンよりは、見ていて気持ちがいいというものだが。
「まだ余裕があるわ」と応え、それから「雅孝」とまた呼んでくれた。「ん?」とだけ返事をした。
「わたくしはモナコ暮らしが長かったのです」
「ほぅ。フランス語がペラペラだと?」
「それとこれとは話が別ですわ」
「だったら何が言いたい?」
「自分のことを知ってもらいたい。ときにはそういう感情も、あるようです」
「何かのフラグか?」
「そうかもしれませんわね」
碧ちゃんは今日一番の蠱惑的な笑みを見せつけるようにして席を立ったのだった。ピンと整った背筋は、それはもう美しかった。