6.曰く放課後のカレー蕎麦
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二人からは「連れてけ連れてけ」としつこく言われ、残りの一人からはそれとなくの視線をなんとなく向けられ――。決して大きいとは言えない、あるいは粗末とも言える年季が入ったテーブル席に四人でついている。俺の左隣には香田がいて、向かいには風間、彼女の右隣には桐敷の姿がある。ここは「蕎麦処綾野」だ。全部漢字だからなんともいかめしく感じられるのだが、古めかしい店構えほどの堅苦しい感はなく、むしろ客を大事にしているようなところがしっかりあって、だから店内の雰囲気は明るい。「らっしゃい!」と響くのは大将の声、女房殿は「いらっしゃいませ!」と声を張り、いっぽうで声などほとんど発しない大男の姿がある、大男――今日もビシッと決まったリーゼントの彼は綾野大龍という。羽崎工業高校――通称「パネコー」の親分だった男だ、番長だった男だ。そう、過去形だ。卒業までまだ半年程度あるわけだが、自ら身を引いたらしい。とはいえ、彼を慕う学生はいまだ少なくないのだとあちこちで耳にしたりするのだが。
綾野大龍が両手に一つずつお盆を持ってやってきた。盆にはそれぞれ二つずつの黒い器。その色に美しく映えるのはカレー蕎麦だ、なみなみとそそがれている。この店の名物であり、俺はもう、そうだな、十度は食っているか。
ばんざいをして、「スゲーっ! スゲーうまそう!!」と歓喜の声を上げたのは桐敷だ。いざとりかからんとおしぼりで仰々しく両手を拭うのは風間。香田に至っては小さな声ながらももう「いただきます」と手を合わせている。俺が目を寄越して肩をすくめてみせると、なおいっそう、というか露骨に嫌な表情を浮かべた大龍。彼は「お嬢さんらは連れてくるなとしつこく言ったつもりなんだが?」と非常に不満げに言ったのだった。
「俺が連れていかないんだったら三人で訪れると言って聞かない」
「どのお嬢さんがだ?」
「三人ともだ」
大龍は舌打ちまでした。
「いいさ。おまえは特別だ。何杯食べようがタダにしてやる。――が、お嬢さんどもは別だ」
「とかなんとか言いながら、奢ってくれるんだろう?」
「馬鹿をほざくな。俺が破産しちまう」
「心配しないでもらいたい」
「ってぇと?」
「俺が全部受け持つということだ」
吐息交じりに「だったらタダでいい」と言ってくれる大龍さんのなんとお優しいことか。
「相変わらず、そっちのお嬢さんが番長サンなのか?」
「そうだよ、大龍」丼から顔を上げ、その大龍に不敵さたっぷりに微笑みかけたのは風間だ。「今後ともよろしくね」
「こちらこそ、だ」
礼儀正しく愛想良く大龍は答えたのだが、それに対する返答なんてする素振りすら見せず、風間ははふはふ息を吹きかけずずずずーっとすする。大龍、再びの舌打ち――気持ちはよくわかる。
「まぁ、いいさ」観念したように、大龍。「だいいち、お嬢さんってのは舐めすぎだな。三人とも、硬そうな背中してやがる」
「おう、オッサン、それって褒め言葉かよ」怖いもの知らずの桐敷が言った。
「ウチのぼんくらどもじゃあ相手にならねーさ」と綾野大龍の笑みは案外優しい。
「たいしたもんだね」
「おう、うめーな!」
「たしかにおいしい」
一つの結論をらしい言葉でそれぞれに述べ、三人ともおかわりをするのだという。
大龍は目線を天井にやり、目が眩んだとでも言わんばかりに顔をふらふら左右に動かした。「マジかよ」と呟き、しかしすぐに器を下げ、戻っていった。黙っていても俺の分まで運ばれてくるのだろう。そういう男だ。
「じゃんけんしよーぜ」勢い良く、桐敷。
「なんのために?」水を飲んだ、風間。
「なに?」と小首をかしげた、香田。
「大龍はあんなふうに言ってくれたけどよ、実際問題、八人分たいらげといてタダってわけにもいかねーだろ?」
「やだ、あたしは一銭たりとも出さない」
「なっ、風間、テメー」
「なんだったら、サキちゃんがカラダで払えば?」
「ばばばっ、馬鹿言ってんじゃねーよ!」
冗談を真に受けて首を横に振る桐敷のなんと愛らしいことか。
「いいよ。ジャンケンしよう」
「わかりゃいいんだよ、わかりゃあ」
「はい、じゃーんけーん――」
「ま、待て、ちょい待ちだ」
「いざというときやめてって言っても、男は絶対にやめてくれないよ?」
「やめろ馬鹿ぁっ、くどいまでの下ネタはやめろぉぉぉっ!!」
真っ赤になった顔を両手で覆ってしまう桐敷のなんとかわいらしいことか。
「あたしはパー出すよ。リリは?」
「わたしもパーを出す。サキは?」
「えっ、えっ、あたいか? えっと、それは、えっと――」
はーい、じゃんけーん!
問答無用で風間がそんなふうに打って出たので、やむなく俺はぱっとパーを選んだ。パー、パー、パー、グー。もちろん、一人負けを買って出てくれたのは桐敷サキそのひとである。裏をかいてのグーなのか、それともただ慌ててのグーなのか、そのへんは不明だが、結果だけ見ると、まあ景気のいい話ではある。
がっくりとうなだれ、泣きそうな顔をしながら、黒いがまぐちの中身を確認する桐敷。三人がなんと言おうが、金は俺が置いていこうと考える。女どもがなんと言おうとだ。この先に至っても、異性に奢られるなんてことは、絶対にない。
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河川敷。
帰りの遊歩道をゆきながら。
「大龍サンって、つくづくさぁ」と、前を行く風間が切り出した。「ホントつくづく、もう令和だっていうのにさ、あんな時代遅れのタイプがいるんだねぇ」
俺には褒め言葉に聞こえた。
「あたいは負けねーけどな」いつも強気な桐敷である。「向かい合ったら泣かしてやるぜ」
「すぐ泣くのはサキちゃんのほうじゃない」
「あたいが負けるってのかよ、風間ぁ」
「雅孝はどう思う?」
俺は「どうでもいい」とテキトーにやりすごした。顔を左に向け、「それにしても、綺麗な夕焼けだ」と続けた。唐突に駆けだした風間の背を、なぜか桐敷がムキになって追う。「この瞬間がずっと続けばいい」と言ったのは香田だ。立ち止まり、俺のほうを振り返り、「違う?」と問いかけてきた。
俺はかぶりを振り、微笑むだけにとどめた。
セーラー服と学ランの日々。
正直言って、尊すぎる。