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4.香田リリは少し悩む

*****


 窓のカーテンの隙間から漏れる淡いオレンジ色の明かりはささやかだが、じゅうぶんに夜に映える立派な邸宅だ。あたりの闇にふわりと照らし出されていて、そこには家族団欒の温かみがたしかに見て取れる。


 香田の前にはママのレイラがいる。俺のまえにはパパの何某。ボルシチを振る舞ってもらうのは二度目か。パパはにこにこしたかと思ったら他の出席者の顔色を窺うように慌てたように場を取り繕うとする。もっと気まずそうなのは香田だ。「あのっ」と声を発したのだが、すぐに恐々といった感じで口をつぐんだ。彼らのリアクションの意味と意義はわかる。が、どうあれ俺は何もネガティブなことはしていないわけだ。だからゆっくりゆったりボルシチを味わう。うまい。本場の味だ、本場になど赴いたためしはないが――。


「相変わらず大物ね、雅孝くんは」

「恐れ入ります」

「ふふ。礼儀も正しいときてる」

「親の教育の賜物です」

「だとすると、私はあなたのご両親にお会いしたいわ」


 喧嘩にはならないだろう。

 互いを敬い、おいしい酒が飲めることだろう。


「疑問があります。ボストンの件は?」

「一旦は行ったのよ。だけどそれだけ。うまく回ってそうだったから」

「なら、よかったです」

「どういうこと?」

「素敵な女性と、またこうして食事をともにできている」


 香田母――レイラは朗らかに笑った。


「女殺しのきらいがある。よくないわね。娘が阿呆を見るかもしれない」

「裏切りませんよ。俺は香田のことが好きですから」

「大好きじゃないの?」

「大好きですよ」


 俺のほうを見て、香田は呆気にとられたような顔でぱくぱく口を動かした。


「何人はべらせれば気が済むの?」

「それはわかりませんが、俺は誰も不幸にしたくない」

「嘘」

「嘘ですよ」今度は俺が笑った。「べつに誰が不幸せを被ろうが、それは俺には関係ないんですけどね」


 品の良いスプーンを使って、ボルシチをすする。

 その様子を、レイラはテーブルに頬杖をつき、ずっと眺めてくれた。



*****


 香田がバイクで送ってくれるという。

 彼女は中型のいいのに乗っている。


「進み出てくれるのはありがたいが、それだと二度手間になってしまう」

「二度手間?」

「おまえのことが心配だから、俺がおまえを家まで送り届けることになる」

「……馬鹿」


 香田にぐいぐい右手を引かれ、促されるままにバイクの後ろに跨った。これまた促され、気味が悪いくらい細いその腰に両腕を回した。なにせ無駄な肉がないものだから、背中の感触もごつごつしている。


「掴まってて、しっかり」

「セクハラにならないかと危惧している」

「……馬鹿っ」


 黒塗りのバイクがうぉんうぉんと唸りを上げる――。



*****


 麦茶くらい出そう。

 そう言って、香田を連れ込んだ。

 連れ込んだ――は言い方が過激だ。

 あくまでもやんわりと誘っただけだ。


 香田はぼーっとした顔で後についてきた。

 もう取り乱したようなところはなく、普段着の姿を取り戻している。


 ポットからそそいだ麦茶――そのグラスを香田の前に置いた。俺もちゃぶ台につく。俺が飲んでから、香田も口を付けた。後発だったあたり毒見でもさせたつもりなのだろうか。そうあってもおかしくない。なにせ香田は殺し屋の家系らしいのだから。


「おいしい……」麦茶をもう一口すすった香田。

「スーパーで一番安いパックだ」俺は言う。「だが、手順通りに淹れると、案外きちんとうまいんだ」

「食事にはお金をかけないの?」

「いいプロテインを飲んでいる。トレンディな身体を作る上では必要だ」

「トレンディな身体?」

「冗談だよ。武士の情け程度に世話になってやっているだけだ」


 俺は右を顔の隣まで持ち上げた。

 おどけるようにして、それをひらひらと振ってみせた。


「雅孝はイイカラダしてる」

「イヤラシイ意味か?」

「そんなんじゃないっ」


 香田がいきなり顔を上げ、勢い良く言ったものだから少々驚かされた。「そんなんじゃない……」と続けた。なんだか言いにくそうに顔を俯けてしまった。


 何か言うより、何かしたほうが話が早そうだと考えた。


 俺は右手を伸ばして、香田の小さな頭――艶やかな金色の髪を、くしゃくしゃ撫でてやった。いかにもきょとんとなった香田。見る者をぞっとさせるくらいの碧眼をしきりに瞼で覆い、愛らしく首をかしげみせた。


「雅孝……?」

「恐らくだが、今の俺はとことん博愛的で、その対象には無論、おまえも含まれる。必ずこれからも誠意を持って接すると誓う。どうか信じてもらえないだろうか?」


 きょとんの顔を続けたのち、香田はそんな表情のまま、「いいけど……」と呟くように言ったのだった。


 テレビをつけた。ニュース番組ののっけ。アメリカの大統領選のケリがついたらしい。今回も女性候補は敗れたようだ。「ガラスの天井」などという有体ながらも弱気すぎる言い訳をするなと言ったら、たぶん、大いに顰蹙を買うのだろう。望むところだ――という話ではある。本気で男女平等を謳うつもりなら、性別を問わずリスクを覚悟する必要くらいはある。


「雅孝、麦茶、おかわり」

「ああ、望むところだ」


 ――香田はかわいい。


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