21.敗北。からの~
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歩をすたすた進め、空手部の道場に向かっている。
「なんでだ? 決勝だってのに、なんで武道館じゃねーんだ?」
桐敷が言いたいことはわかる。
そしてその言い分はもっともだ。
「知らないよ」と風間。「でも、先方のご要望なんだからさ」
「従う必要があんのかよ?」
「受けて立つ必要はある」
「つまるところ、同じじゃねーか」
「違うね。微妙にニュアンスが絶妙に違う」
風間の言うことだってもっともだ。
受けて立つ――要は前回大会優勝チームとして胸を貸すということだ。
「雅孝から聞かされたと思うけど、サキはすっこんでなよ。リリもね」
「香田はともかく、あたいはやれるぞ」と一つ意義を申し立てる桐敷。「一眠りして、完全回復したしな。ばっちこいだ。誰でもまるっと殺してやんよ」
「さっきのリリを見て、思ったんだよ」風間は先頭をずんずん進む。「誰に怪我されるのもヤだ。リリにもサキにも殴られてほしくない」
はあ?
と、桐敷は不機嫌かつ不本意そう。
「風間ぁ、おまえぇ、今までそんなの言ったことないじゃんよぉ」
「このたび、気づいたの。あんたたちは、あたしが守る」
「だからそれは――」
「ダメでーす。もはや決定事項でーす」
俺は「風間」と呼びかけた。
「さてはおまえ、次の相手がヤバいことを知っているな?」
ぽかんとした桐敷が俺から風間に目を移した。「そうなのか?」と訊いた。
「雅孝、覚えてるよね?」
「何をだ? あるいは誰を、だ?」
「目出し帽のデカブツ」
記憶の引き出しから、やがて情報を捻り出すに至った。
「メビウスか?」
「そう」と、風間。「連中、きちんと決勝まで残ったんだよ」
奴らが相手ならやりがいがあるかもしれないなとわくわくするいっぽうで、なぜだろう、風間の背に悲壮感を見ずにはいられない。原因がわからないから、正直に言おう、胸のうちがもやもやするし、それはあまり気持ちの良い感覚ではない。
「くどいようだが、狭い板の上をあえて指定してきた理由は?」
「きっと自分たちに有利だから、だろうね。詳しいことはわからないけど」
俺はしばし考え、それから「風間」と声をかけた。
「ダメだよ」と風間は即答した。「あんたには回さない。何度も言わせるな」
「不安でも心配でもないんだ。ただ――」
「ただ?」
「……いや」
なんでもない。
俺は呟くようにそう応えた。
風間を引き下がらせる適当な文言が見当たらなかったからだ。
「あたし一人で五人やる。それで優勝、二連覇、ばんざい、以上」
実力に裏付けされた自身ではある。
だが、それでも……。
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漆黒のバイクスーツ――プロテクターに身を包んだ四人がメビウス。左から、目つきの悪い銀髪、下衆な笑みを浮かべる青髪、目出し帽の巨躯、痩躯の黒髪、いずれも男である。言わずもがな、目出し帽には見覚えがある。黒髪にしたって、あの夜の野郎だろうと見当――ないし予測がついた。
連中は何も言わない。駆け引きはない。が、戦闘はもう始まっている。達人同士の実戦は長くは続かない。ごくごく短い時間で終わる。たがいに頭は下げない。銀髪と風間がそれぞれの開始線を前に立った。やはり礼はない。空手部の道場は狭くない。それでも武道館と比べれば規模はずっと小さく、だから観客の入場は制限された。彼らは四辺に陣取り――きっと固唾を飲んでいることだろう。
目つきの悪い銀髪はブルーの皮手袋の内で拳を握ると、それら目線の少し下まで掲げた。ムエタイだろう、そうでなければムエタイか何かだろう。研ぎ澄まされた感がある。間違いなく、良く鍛えられている。
風間は右手でこしらえた鉄砲を相手に向けると「ばぁんっ」と不可視の弾を撃ち、それから大きな鳥が翼を広げるようにして両手をそれぞれ左右に伸ばした、万全で盤石の臨戦態勢。サッと踏み込んだ銀髪は絶妙な距離感で左のミドルキックを放った。右の前腕で受けた風間。身を沈ませて地を這うように回転、水面蹴りを狙う。銀髪は後方に退き、かわした。たちまち素早く跳ね起き、風間は追撃する。珍しい。拳を握るとこれでもかと言わんばかりの大振りのパンチ。銀髪は胸の前で両腕を交差させ、受けた。さらに退く。
火花散る攻防。
決勝戦は、まだ、始まったばかりだ。
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顔つきからして馬鹿な上にきっと内面も醜悪であろう青髪の男と風間とが向かい合った。
「風間サンよぉ、メチャデケーパイオツだなぁ、オイ、俺に殺されろ、身じろぎ一つしないで俺にヤられろ、突っ込まれろ、ケケッ!!」
なんとも下品なことをおくびもなく述べる輩である。ゆえにだろう、風間は取り合うことなく、いつもどおり、構えた。少々、肩で息をしているのが気になるといえば気になる。連戦に次ぐ連戦だ。希代の化物とはいえ、さすがに疲れの色は隠せないか。青髪の男は板の間に張りつくようにして四つん這いになった。特殊なスタイルだ。――動きの速さは蜘蛛のそれのようだった。あっという間に接近し、飛びついた。両腕ごと身体を捕らえられる。青髪は「ケケッ!」とまた笑った。フロントスープレックスの要領で自らの後方に叩きつけた。角度がマズかった。ほとんど頭から落ちた。しかし風間はすぐさま立ち上がる。「効いてないよ」とでも強く言いたげに首を左右に振った。なおも青髪は速く、今度は仰向けに押し倒した。マウントポジションを獲得し、両腕で顔をかばうしかない風間に拳を振り下ろす。まだ心配要らない。奴さんならいつでもブリッジではねのけられるだろう。――が、いつまで経ってもそうしない。桐敷が「おい! ちゃんとやれよ!!」と大きな声を放った。彼女も風間の様子がおかしいことに気づいたようだ。香田に至っては「れな!!」と叫んだくらいだ。青髪には気づくきっかけがあったらしい。そのうち、執拗に右の脇腹ばかりを狙いはじめた。どすどすどすどす殴りつける。
俺はにわかに顔を歪める。
間違いなく、先達ての会長の一撃だ。
あれで、たとえば骨をやったのではないか。
だとすると――。
であれば――。
風間が負けるとは到底思えないが、それでも――。
退け!
そう言ったところで聞かないだろうからと考え、俺は立ち上がった。
歩みを踏んで風間の腹部を殴りつけることに夢中になっている青髪の顔面を蹴飛ばした。もんどりうって倒れた青髪は鼻血ブーで起き上がると、「何しやがんだ、テメー!!」とデカい声を出したが、知ったこっちゃない。
手を貸そうとしたところで、仰向けの風間に睨まれた。出会って以降、これまででいっとう、キツい目だ。自らの戦場を汚されたのだ。怖い顔をするのも当然だろう。
「あんた、なんのつもり?」
「おまえの醜態は、見るに堪えない」
風間は素早く立ち上がると、俺の左の頬を張ってくれた。
ぱぁんっという気持ちのいい乾いた音が、静まり返った空気に響いた。
「あたしはまだやれる。邪魔しないで」
「もう遅い」
まもなく、風間は主審から反則負けを言い渡された。
俺が行動で物申した結果、だ。
今度は右の頬に拳をお見舞いされた。
「あたしのキャリアに泥塗ってくれたね。あんな奴に、あんな奴に負けるわけがないのに」
続いて、我が「ファイトクラブ」の負けを宣言された。
やはり場は水を打ったように静寂のまま。
ふっざけんな!!
そんな大声を出したのは青髪殿だ。
「ふざけんなふざけんな、ふっざけんなよ、おぼっちゃんズがぁっ! 俺様の顔蹴っとばしといて逃げられっと思ってんじゃねーっ!!」
俺の浮かべた笑みはたぶん皮肉に歪んでいる。
「いつでも襲ってくればいい。受けて立とう」
「馬鹿言うんじゃねーよ! 今、ここで、ぶち殺してやる!!」
やはりそうきたかと思う。
予定通りの、重畳の展開ではないか。
「先方は、あんなふうに主張しているが?」
主審の男性にそう問うたところ――どうやら彼は偉いらしい、即座に「続行する」と応えてくれた。融通が利くのがこの学園のいいところかもしれない。
開始線に立つと、すぐに「はじめっ!!」。
例によって、蜘蛛のように這いつくばった青髪は、目をぎらつかせて「殺してやる殺してやる殺してやる」と「殺してやる」を連呼する。俺は右手の人差し指をくいくいと動かし、突っかかってくるよう促した。風間のときと同じだ。芸のない男だ。特に構えることもなく、むしろ突っ立ったまま、俺は右の拳を振るった。青髪の顔面を殴った。ずいぶんとぶっ飛んでくれた。つくづく大げさな奴。せめて受け身ぐらいとっても良さそうなものだが、その心得がないのが奴さんなのだろう。取るに足らないとはこのことだし、浅薄野郎は死んでくれ――。
歩み、やがては馬乗りになる。顔をゆっくりと近づける。今の俺はじつにサディスティックな笑みを浮かべていることだろう、その旨、間違いない。
「よくもウチの部長をド派手になぶってくれたな」
青髪は「やっ、やめ、やめろ」と真っ青な顔をする。
「降参するのが早い。もう少し、ちゃんとした悪役でいてくれないか」
「いいっ、今だけだ! 負けてやるのは今だけだ!!」
「そうだ、その意気だ。ついにようやく、殴り甲斐が出てきた」
がんがんがんがん右の拳を振り下ろす。
いくつか歯が飛んだところで手を止めた。
「わ、悪かった。悪かったよ。だからもう――」
知ったことではないので、また殴りつけてやる、がんがんがんがん。
ぴくりとも動かなくなってもしばらく続け、気が済んだところでやめた。
俺は無表情で立ち上がり、「次」と言いつつ目出し帽のデカブツを見た。
覚悟しろ、おまえら。
おまえらが背負った罪は、おまえらが考えているよりずっと重い。
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デカブツは力任せに両の拳を振るう。それが自らの最強のスタイルであると知っているのだ。重いのは当然で、加えて速い。が、彼にとっては残念なことに、俺には見えている。すべてが、見えている。左の拳に右の拳をぶつけてやり、相手が怯んだところでスッと前に踏み出した。顔面を軽く左で小突く。身を沈めつつ時計回りに回転、裏拳を右の脇腹に叩き込み、存分に力を溜め込んだ左の拳でもろに顎を砕いた。奴さん、退きながらも踏ん張ってみせた。倒れないあたりは大したものだ。買うに等しい個体である。
「タフだな。怪力さ加減にも舌を巻く。だが、それだけだ」俺はまだ構えてやらない。「残念ながら、おまえはもう負けるしかない。それでも続け――」
こちらの発言を遮り、「ぶっ殺す」と野太い声。
やる気満々――でなければ退きたくないらしい。
掲げた右の拳を、斧を振り下ろすように使った。
額の前で受け、みぞおちに前蹴り、深く入った。
まだ膝をつかない。
いつ使うのかと注目していた得物を腰のホルスターから抜いた。振ることで伸長したそれは特殊警棒だ。
「どうしても、負けたいらしいな」
目出し帽から覗く目に暗い色が宿る。
「おお、おでは負けない。負けないんだど。おでに武器を持たせたら、怖いんだど」
「怖くない。その警棒にしろ、前のナイフにしろ、持った以上は使うしかないんだからな」
「ど、どういうことだ、ど?」
「いいから、かかってこい」
そう。
せっかく手にしたモノは、使うしかない。
だからこそ、「それ」にだけ注意を払えばいい。
左の手のひらで警棒の一撃を止める。
「な、なんでだおでは、おでは強いんだど!」
「馬鹿め。俺よりは弱いんだよ」
足払いで尻餅をつかせ、足で胸をついて仰向けにした。
血も涙もない、容赦のない下段突きで勝負を決めた。
おでおでうるさい輩の顔は陥没した。
凹ましてやった。
「次」
親分殿に目をやる。
――彼は笑んでみせた。
強いのか弱いのか、はっきり言って、まだ、測りかねている。