20.生徒会長、最後の意地
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生徒会長――もはや名は忘れた――は、中央武道館のまさに中央に陣取ると、それから顎を持ち上げ両手を左右に広げた。声援を送ってくれと言いたいらしいが、そこはさすが、馬鹿と間抜けを地で行く生徒会長、むしろブーイングを浴びるのである。
桐敷はおねむなので、こちらは俺を含めて三名しかいない。対して、向こうはきちっと五人いる。何が問題なのかというと、相手方に見知らぬニンゲンがいる点だ。会長を除いた他四名にはまるで見覚えがないのである。立ち姿からして只者でないことくらいは把握できるのだが、MMA部の面々ではないように映る。会長、おまえは何がしたくて、何を起こしたくてここにいる?
会長はうっとうしいまでに長い前髪を掻き上げつつ、こちらを向いた。「決着をつけよう」ということらしい。「風間くん、いい加減、俺は成し遂げなければならない。来年には卒業なのだから。負けっぱなしは、良いこととはとは言えない」ということらしい。風間は嫌な顔一つせず「いいよ。かかってきなよ」と言い、「本気の男は大歓迎」と傲岸に言い放った。
「で、会長」俺は言う。「あなた以外には見覚えがないんだが、そっちの彼らはここの生徒ではないだろう?」
「本校のニンゲンでなくてもオッケーだと規約にはある」
「そうじゃない。紹介してくれと言っただけだ」
会長は駒みたいに一回転してから彼らのほうに手を向け、「全員、プロのリングに上がっている」と自慢げにのたまってくれた。俺たちと比べても、年格好にそこまでの違いはないように見える。ただ、場慣れしているのだろう、みな、精悍な顔立ちで、そこには油断、慢心のかけらすら見当たらない。やるのだろう。やれるのだろう。簡単に下せるとは思えない。
「香田」
彼女に顔を向けると、「だいじょうぶ」と返ってきた。しかし、心配だ。「代わろう」と提案した。風間にがしっと肩を抱かれた。「言ったでしょ? あんたには回さない、って」――。
「だが――」
「リリのことが信じられないの?」
そう来られると、弱い。
そこまで言われると、引き下がらざるを得ない。
開始線を前にしても、香田は頭一つ下げようとしない。褐色の肌に坊主頭、小柄な敵方はきっちり礼をした。身体だけではない。心の鍛錬まで積んでいるようだ。強い。物腰がそんなふうに謳い、そう物語っている。
右足を少し引き、腰も少し落とし、奥に左手、手前に右手の構え――いつもの香田だ。こちらからは背を見る格好になるが、極限まで研ぎ澄まされた冷徹な目をしていることだろう。
前に出たのは坊主頭、牽制のワンツーを放つとサッと態勢を低くし、タックルを仕掛けた。それを「切った」香田。両足を素早く後方に放り出し、相手を押し潰すようにうつ伏せにすると、脳天目掛けて右の膝。決まってもおかしくないような角度、威力に見えたのだが、おかまいなしにしつこく足を狙ってくる――ついには取られた。
仰向けにされても抵抗したものの、そのうち馬乗りになられ――その右の拳が体躯に見合わず巨大であることに今さら気づかされた。
「待て!!」
俺がたまらずそう発したのと鉄槌が振り下ろされたのは、ほぼ同時だった。
ブラボー!!
快哉を叫んだ会長には狂気を感じた。
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気を失った香田はこの日に合わせて設けられた「野戦病院」に直行、以降は風間が引き継いだ。いつになく真剣な顔で、彼女は戦闘に臨んだ。苦戦という苦戦はなかったが、ほんの少し手こずっているようには見えた。それでも香田にはない底無しの腕力でもって力任せに仕留めつづけた。連戦ではあるものの、闘いが終わればすぐに息が整う。無尽蔵のスタミナの持ち主でもある。ハンパないとはこのことだ。
いよいよ、会長の出番である。他の四人より強いのだろうか。香田がやられてイラついている風間からすれば、そのくらいでないと物足りないことだろう。それこそ、それなりの贄を欲しているはずだ。
「やってくれたね、会長。ああ、やってくれた、やってくれた」
「風間くん、きみは知らないかもしれないが、彼らはいずれもニッポンのトップランカーだ。それを下すあたり、やはり――」
「きみは大したものだ、って? うるさいよ」風間はほんとうに苛立っているようだ。「女の顔にゲンコツ振り下ろすなんて、男として恥ずかしくないの?」
「おや? ここに来て女を武器にするのかね」
「言ってみただけだよ、馬鹿」
私にも意地がある。会長はそう言うと、手にしていたメリケンサックを両手に握り込んだ。たしかに武器の使用は認められているが、そこまでやるか。
「組みつかれると厄介だ。よって私はアウトボクシングに徹することにする」
「男だったら押し倒してみなよ」
「それは不可能だと言っている」
はじめの合図と同時に踏み込んできた、左のジャブ、鋭い。間一髪のところで風間はかわした。会長は彼女を中心に円を描くようなステップを踏む。軽やかだ。会長、まともにやれば雰囲気がある。強者の空気を漂わせている。風間の達者さからすれば打撃で応戦することも可能なはずだ。掴みに行こうとするあたりはレスラーの誇りゆえか。タックル、突っ込む――が、それはフェイントでサッと身を引くと同時に風間は会長の左の脛を蹴飛ばした。怯んでいいタイミング。ところが前に出た。むしろチャンスと睨んだらしい。メリケンサックの左をもろにボディに突き刺した。風間だって怯んだところは見せない。それどころかびくともしていないようだった。とうとう掴まえた。抱きついたような態勢。風間は会長の左の頬にキスをすると、あっという間にバックを取り、高角度の高速ジャーマンスープレックスで叩きつけた。決まった。明らかに気を失ったと見える会長。なのに風間は顔面にエルボードロップ。香田の件、相当、頭にきているらしい。ピクピクと痙攣している会長を背に、風間は左の拳を突き上げた。わっと湧き上がった会場。絶対王者の面目躍如――。
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ファイトクラブの部室、畳の上。左の頬を派手に腫らした香田がいて、そんな彼女を見て激しく憤る桐敷がいて。風間はどこかに行ってしまった。腹が減ったと言っていたので買い食いではないのか。大したものだ。シビアな立場にあるというのに空腹を感じる余裕があるのだから。闘いの最中に物を食うのはいかがなものかとも考えるが――。
「でも、決勝だもんな。次で最後だもんな」桐敷が言う。「問題ねーよ。あたいらはやれる。やれるんだ」
自分に言い聞かせるように言うあたり、桐敷は桐敷で不安なのかもしれない。
「で、雅孝、決勝の相手はどこのどいつなんだよ」
「知らない」
「知らないって、おま――」
「抜かせ。おまえだって知らないだろうが」
「そうだけどよ……」
ここまで来たら、向こうは関係ないだろう?
俺はそう言った。
「んなこた、わかってんよ。でもよ、なんてーか、こう……なんつーかよ」
「弱気の虫はおまえらしくないぞ、桐敷」
「う、うるせーな。生意気ゆーな、雅孝のくせに」
桐敷は腕を組み、ぷいっとそっぽを向いた。
「今年は勝手が違うらしいな」俺も腕を組んだ。「それはそうだ、当然だ。なんだかんだ言っても一年生の女子でしかないおまえたちに、去年は後れを取ったわけだからな。先輩方はムキにもなる」
「それでも勝たなきゃだろうがよ」
「それはそうだと言った。次は風間と俺でやる」
「はぁ?」心外だとばかりに目を大きくした桐敷。「なんで、そうなんだよ? この期に及んでナメてくれんのか? 香田のことだって――」
俺は「黙れ」と言った。厳しい目を桐敷に向け、すると彼女は怯んだように顎を引いた。ああ、なるほど、俺は相当怖い顔をしているらしい。
「だ、だったらよ、風間だって引かせろよ。じゃないと不公平だ」
「やるなと言っても、あいつはやる」
「だから、それはあたいらだって――」
俺は――殊更――キツい目をした。桐敷は「だから、こ、怖い顔すんなよな……」と情けない表情を浮かべた。それが泣きそうな顔だったものだから、つい、俺は彼女の頭に右手をのせてしまう。左手は香田の肩に伸ばした。両方の手をぽんぽんと動かす。桐敷はにわかに頬を赤らめ、香田は唇を噛んで俯いた。
「おまえたちは何も悪くない。これは俺のわがままだ。だから、本来であれば聞かなくていいところだが、今回は任せてくれないか? マックとラーメンくらいなら奢ってやる」
畳の上のスマホを手にして画面を確認――時間だ。
どうあれ風間は負けないだろうなと思う。
誰が相手だろうが、負けてやらないだろうなと考える。
「あたいらって、弱いんだな……」
「けっして違う。言ったろう? 俺のわがままだと」
そうだ。桐敷は弱くない。香田にしたって多少の隙を見せてしまったというだけだ。もう一度やれば負けやしないだろう。二人とも、ここまで精一杯、ほんとうに良く闘ってくれた。あとは外野から応援してくれればいい。祈るような色を含んでいれば幸いだ。それはきっと力になることだろうから。




