2.現場に駆り出されるのかもしれない
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あうっ、ひぐっ、えぐっ、ふぐっ。風間と香田にいちいち手首にしっぺをくり返されるたびそんなふうにうめく桐敷である。折、漏らす声はいちいちほんとうにラブリーで、だから俺はやっぱり桐敷のことが嫌いではない。そもそも勝ち気で実際にいろいろと強靭な桐敷がどうしてしっぺを連打されているのかというと、某有名格闘ゲーム(鉄〇8)にて連続的に敗北を喫しているせいだ。当該ゲーム、桐敷が弱いわけではない。風間、それに香田が群を抜いて強いというだけだ。にしたって、桐敷は哀れだと思う。桐敷は決して負けを認めたりしないから、だからこそ、しっぺを食らいまくるのである。そのうち目元に涙を浮かべだした。俺は「もういいだろう」とのたまいつつ、桐敷の代わりにアケコンを前にした。勝てるとは思わない。次にしっぺを食らうのは俺だろう、しかし――。
「ダメ、雅孝。っていうかやめてよ、かばうなんて。ジェラシー、感じちゃうから」
「そうは言ってもだ風間、弱者をいたぶるのはおまえが良しとするところなのか?」
「そうは言わない。だけどべつにいじめって悪くないじゃん」
多大なる問題発言である。しかし風間には悪気なんて皆無で、そこに悪意などあるはずもないのだから、俺はすんなり受け容れてやった。
「桐敷サキさまは幸せだなぁ」
「そうだよ。俺に愛されているから幸せなんだ」
「雅孝、言っていい?」
「言ってみろ」
「やっぱりサキのこと、ぶっ殺してやりたい」
なんとも剣呑な評価を簡単に語ってくれる女――風間である。
しっぺの連続がよほど痛かったのだろう。桐敷はおいおい泣き、全身に悲しみをまとっている。もはや桐敷は何も言わない。しくしくしながらしっぺを食らった手首を愛おしそうに撫でるだけだ。
校舎一階の角部屋――ファイトクラブの部室において、俺を含めた四人がそれぞれがようやく定位置についた。
上座に座っている風間が、「それじゃあ、直近のスケジュールの確認でーす」とノリの良さも露わに切り出した。「今年も団体戦に参加しまーす。前年王者なんだから、腑抜けた結果なんて許されないんだからね」とにっこり続けた。
「おっしゃ。やってやんぜっ!」しっぺ地獄の悪夢から一息で一気に立ち直ったらしい桐敷は左の手のひらに右の拳を勢い良く叩きつけた。「あたいはいつだってあたいだ。どんな野郎が相手でもぶっ殺してやんぜっ!!」
香田は何も反応を寄越さない。良くも悪くも風間のイエスマンだ。それでいいと思う。なかよしこよし。あるいはGL――結構ではないか。昨今しきりに謳われる多様性に則した要素と言えなくもないからだ――くそったれ。
それはそうと――。
「風間、団体戦は何人制なんだ?」
「五人だよ」
「たった三人――すなわち数的不利を抱えた上で勝ちきったのか」
「勝ち星の数、誰が一番だったと思う?」
「おまえじゃないのか?」
「違うぉ、サキちゃんだぉ?」
椅子に座ったまま、腕を組み、これでもかと言わんばかりに「えっへん」と胸を張った桐敷である。
「あたいにかかればあたりまえだっての」
「いや、サキちゃんさ、アンタが先鋒だったからだってだけじゃない。そのくせ、けっこうぽろぽろ勝ち、こぼしてたし」
「うっ、うっせーな! 油断さえしなけりゃあんな奴ら――」
「油断するなって話じゃない。ホント、サキちゃんは無能だなぁ」
「ななっ、なんだとぅっ!?」勢い良く立ち上がった桐敷。「いい度胸だぜ、風間。表ン出ろ。ぶっ殺してやる!!」
呆れたような顔をして、風間は遠ざけるようにしっしと右手を振った。
「またおいおいしくしく泣きながら帰ってくる姿が目に浮かぶよ。サキちゃんはホント、泣き虫なんだから」
「馬鹿にすんのもたいがいにしとけよ。つーか、サキちゃんサキちゃん言うな!!」
「サキちゃんはサキちゃんじゃない」
「テメーはチチがデカいだけのオバケだ! オバケなんだよ、おまえは!!」
「いいね、チチオバケ。で、サキちゃんは今年も先鋒やるのかな? ジャンケンでカタつけない?」
「いやだね、あたいは譲らねーぞ」桐敷はぷいとそっぽを向いた。「今年も馬鹿な男どもを容赦なくぶっ殺してやるんだっ」
「男好きのくせにどうしてそんなにひねくれるの?」
「おおお、男好きだとぅ?! あたいに限ってそんなこと――」
「じつはセックスに興味津々なくせに」
「ぐっ……」
「あっ、否定しないんだ?」
すると桐敷は机に突っ伏し、「やめろぉぉぉ、馬鹿ぁぁぁっ!!」などと叫びながら頭を抱えた。
「まったく、やかましい限りだ」俺は大げさに肩を落としつつ、溜息をついた。「なお、俺は大将でいい。面倒事は極力避けたいんでな」
「あら、意外」
「何がだ、風間」
「あたしたちに戦わせるの、嫌なんじゃないのかなって」
その点については、正直、否定はできないのだが――。
「しかしまぁ、おまえの次が順位があの男だというのではなぁ……」
男――生徒会長、そんな三年生がいる。脆弱極まりない男だが、風間に次ぐ序列二位は奴さんなのである。だから何があっても間違いなど起こらないだろう。現状は序列八位ではあるものの、あるいは桐敷がジャイアントキリングを果たすことだってあるかもしれない。ジャイアントキリング、か。いや、生徒会長、じつはほんとうに弱っちぃ奴ではあるのだが――。
「風間、個人のやりとりはやらないのか?」
「おや、興味がおあり?」
「そうじゃない。形式的な質問だ」
「個人戦は秋だよ。団体戦こそが夏の一大イベントなのだっ」
「おまえはおまえで楽しそうじゃないか」
「サキが全部片づけたっていいの。雰囲気だけで楽しいからね」
向かいの桐敷がばっと顔を上げた。
「言われなくてもあたいがみんな駆逐してやるんだっ」
「駆逐だなんて、桐敷は難しい言葉を知っているんだな」
「あっ、雅孝、おまえ、あたいのこと馬鹿にしやがったな?」
「ああ、馬鹿にした」
「て、テメッ、悪びれもせず、コノ野郎っ」
俺は帰るぞ。
そう言って、立ち上がった。
「じゃあ、みんなで帰ろう」風間も腰を上げた。「雅孝んちでピザしよう」
「は?」唖然となった。「意味がわからないが?」
「お祝いだよ、団体戦優勝の前祝い」
「ピザだっ!」うだうだ言っていた状態から一転、桐敷は大きくばんざいをした。「ヒトの金で食うメシはうまいんだ、ピザだピザだピザなんだっ!!」
わたしもピザ、好き……。
それは知っているぞ、香田。
おまえは今日も小説なんだな、森博嗣か?
「いいぞ。ついてこい。さっさと行くぞ」
俺がそう応えると、背にみなからの意外そうな視線を感じた。
「雅孝、どうしたの? えらくものわかりがいいじゃない」
「明日は土曜日だからな」
それだけの理由で大らかになれる。
俺はなんて単純で素直な男なのだろうか。