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16.寝床に帰ったら――。

*****


 なんのことはない、桐敷との遅い時間の「おやつ」を終えたのち、アパートに戻ったのである。施錠されていた、鍵をあけて入った、いつもどおりの帰宅であるはずだった、なのにリビングにぽつりと置かれたまあるいちゃぶ台の前には黒のジャケットスタイルの父の姿があった。泥棒風情であれば即座にぶち殺してやったことだろうなにせ父だからそうもいかない。学ランの上をお気に入りのポールハンガーにかけて、それから父の正面の位置についた。やけににこにこ笑っているがゆえに気持ちが悪い父である。「にんにくの匂いがキツいな」と、父。それはそうだ。それを食べてきたばかりなのだから。


「そういうストロングな食べ物は、おまえは好かないと思っていた」

「好きじゃない。入れられたんだ、どんどんどんどん際限なく」

「女か?」

「ああ、女性だ」

「なあ、息子よ、おまえの場合、区別は弱さを助長するんだ」

「それでもいいんだよ、父さん」


 そう。

 改めてになるが、やはりこのゴツい中年は問答無用で父なのだ。


「父さんはどうしてここにいる? そもそも部屋の鍵はどうやってあけた?」

「ほうぼう手を尽くしたんだよ」

「大げさな話に聞こえる」

「未成年の息子のことなんざ、父さんからすればいかようにでもなるんだよ」

「文句を言うつもりはない。なんの用かと訊いている」


 鏡学園というのが我が校の名称であるわけだが、そのOBである父は今日、毎年の名物である「対抗戦」を見物に来たのだという。俺はその姿を認めることはできなかったわけだが、はしこいところがあるのが父さんだ、それもやむを得ないことだと考える。かつて学園において絶対的な存在として「番長」を名乗っていた男、この俺の父親。「母さんは?」と訊ねると、「お友だちとディナーだ」と返ってきた。おたがいに好きなことを優先する。夫婦を長続きさせる秘訣なのかもしれない、息子である俺よりディナーを取られてしまったことには少々の悲しみを感じざるを得ないが――。


「桐敷サキさん、だったな。より戦闘的で実戦的なテコンドーを操る女のコだ。父さんは彼女のファンになったぞ。不器用で、泥臭いところが特にいい。ああいう女性は、きっといい嫁さんになる。でも――」

「でも?」

「いや、ほかの二人も非常に魅力的だからな。おまえはどのコと一緒になるんだ?」

「は?」

「どのコと結婚するのかと訊いたんだ」


 父の阿保さ加減にはしばしば目眩を覚える。

 あいにく俺は、そこまで即物的ではない。


 父がおもむろに右手でちゃぶ台の上にシェイカーを置いた。巨大と言って差し支えないサイズだ。黄色というか茶色というか、妙な色をしている。「プロテインのバーボン割りだ。まあ飲め」、いや、絶対に要らない。


「最後通牒的な質問だ。改めて、だ。父さんは何がしたくてここに来た?」


 父は太い腕を組むと身体を若干前傾させ、俺の顔を覗き込むようにして見てきた。


「俺が知る限り、息子よ、おまえは人類史上における、へたをすれば自ら最強を名乗ってもいいのかもしれない」


 その言い分に、俺は眉をひそめた。単純に怪訝に思ったのだ。父であろうと、ヒトから悪戯に褒め言葉を贈られて気持ちがいいわけがない。


「だがな、こっちが上だ」

「今度はなんの話だ?」

「父さんのほうが最強だという話だ」


 それは認める。

 父の背中は巨大な壁でしかないのだから。


「だけど、番長という言葉は、死んでしまったなあ」

「時代とともに言葉も変わる。やむを得ない。ただ、素敵な称号だとは思う」

「おっ、さすがだ。わかってくれるか」

「俺は父さんの息子だから、俺だって昭和のニンゲンなんだろう」


 もし俺が至極普通の会社員になったとしたら、部や課の飲み会については幹事を担当することだろうし、上司や先輩には酌をするだろう。そのへん、根っからの体育会系なのかもしれない。ごくあたりまえのヒトとの関わり合いだとも思うが。


「おまえは強いニンゲンだ」


 そう言われて悪い気はしないものの――。


「おまえにとっては桐敷さんや香田さん、それに風間さんがそうなのかもしれないが」


 ああ、そうだよ、父さん、そのとおりだ。


「ユニコーンが三つもいると目移りしてしょうがないだろう?」父が笑った、朗らかに。「ただ、女性としては母さんが一枚上手だ」

「またまたなんの話だ?」

「そういう話だ。明日は母さんも来るぞ」

「恥ずかしい限りだ」と、俺は苦笑した。「くれぐれも目立たないようにしてもらいたい」


 父がおもむろに右手を伸ばし、俺の頭を少々乱暴にがしがしと撫で、それからにかっと明るい笑みをみせた。


「生まれたときから、おまえは俺と母さんの最高傑作だ。だからこそ、負けは許されないんだぞ」


 負けたことはないし、負けることなんて大嫌いに決まっているから、俺はふんと鼻を鳴らして、そっぽを向いてやった。俺に、神取雅孝に負けをもたらすニンゲンがいるというのなら、お目にかかってみたい。あるいは話が弾むかもしれない――というのは淡い期待。


「今夜は? 泊まっていくのか?」

「いや。帰らないと、母さんが泣く」


 父と母の関係を見ていると、意外と愛とは重いモノなのかもしれないと疑いたくなる。おたがいに程良く束縛するからこそイイカンジなのかもしれないが。


 最寄りの駅まで、父と駆けた。

 父が走ろうと言ったからだった――。


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