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15.ノーマル・カラテ

*****


 まさに夕方、明り取りからまさに夕日がかおを覗かせる時間帯。本日最後の一戦を厳か極まりない道場で迎えた、相手は空手部。なんだかんだでいまや我が校の最大勢力を誇る団体だ。ちなみに「彼ら」の次は柔道部。歴史ある武道はそうだというだけで人気も説得力もあるというわけだ。確かに、いずれも強い。裾野の広さは問答無用で強靭さに繋がる。


 桐敷が「次もあたいが先鋒だぜっ」と語尾跳ねで言って聞かなかったので――特に俺は結構心配だったものの風間も香田も何も言わなかったし、なにより本人の意志がことのほかしゃんとしたものだったから、つい席を譲ってしまった。


 先鋒、次鋒と抜き、中堅との試合が進むにつれ、明らかに旗色が怪しく悪くなった。疲労もあるのだろうが、この劣勢、恐らくだがしかし高確率で先方殿は様子を見るようにして手を抜いていて、それがわかっているから桐敷はムキになって攻め込む。上位ランカーではないのか。彼は拳も蹴りも相手は腕を用いて上手に捌く。桐敷の切羽詰まった表情を眺めながら、あるいは場にそぐわない感、感心すら抱きたくなる。


 二人が距離を取った。左足が前、右足が後ろ、広げた手を前に差し出してのオーソドックスなスタイル――やっぱりくだんの使い手は弱くない。体幹がしっかりしているからこそ、身体の軸が微動だにしない。分が悪い。その旨、強く察しているからだ。風間が大きな声で「サキちゃん、代ろうかあ?」と訊いた。そしたら無論「馬鹿言ってんじゃねーよ!!」と怒鳴った当のサキちゃんである。


「でもあんた、負けそうじゃん」

「これからだ! これからだっつの!!」


 空手部中堅が進み出る、ザッと踏み込んで腹部に正拳、まったくもって美しいモーション。もろに食らった桐敷は、馬鹿だな――後方にぶっ飛ばされてしまったほうがむしろ力の逃げどころがあって良いというのに、彼女はその場で踏ん張り踏みとどまってしまった。ゆえにだ、足に来て、がくりと膝をついた。問答無用で顔面を蹴飛ばすことも可能だったわけだが空手部中堅はそれをせず、くるりと身を翻し、開始線の位置まで戻るとこちらに転じ、正座した。なおも左手で腹を押さえ、ごほごほと咳込みながらも立ち上がるのは桐敷。風間がいくら止まることを促しても聞く耳を持たないようだったので、やむなく俺も口を挟んだ。俺の言うことなら聞いてもらえるだろうと思ったわけではない。相手に対して桐敷が劣っているなどと考えたわけでもない。ただ、戦闘には流れや紛れがある以上、負ける展開もどうしたってある。喜んで茶々を入れるのではない。桐敷には人一倍大きな意地があるのだから。それがわかるからこそ、安易に「任せろ」とも言い難くて――。


 すっくと立ち上がったのは香田だった。香田は俺のほうに流し目をくれると、「次の出番はわたし。雅孝もれなも、待ってていい」と冷たく言った――いや、冷たくはない、香田のデフォルトだというだけだ。次に香田が珍しく「サキ!」と声を張った。聞いたことがない、彼女らしからぬ大きな声だった。桐敷がびくりと肩を跳ねさせたのがわかった。恐る恐るといった感じで振り返り、その瞬間には香田はすでに桐敷のすぐ背後にいて――。


 二言三言の会話のあと、渋々といった表情で、唇を噛みながら桐敷が戻ってきた。俺はちらと風間を見た。腕を組み、あぐらをかいた姿勢は崩さず、やれやれと肩をすくめてみせた。桐敷は俺のすぐ左隣に腰を下ろした。強気に顎を持ち上げるが、そっと背をさすってやると激しくごほごほと咳込んだ。「くそっ、くそっ、くそっ!!」と叫ぶように吐くと、両手の拳を畳へと叩きつけた。


「あたいはまだやれたぞ! やれたんだ!!」

「そうは思えないな」

「なっ! 雅孝、テメェッ!!」

「しつこいことを言わせるな。むしろ奇跡的だと言っている。今日、ここまでおまえはほとんど一人で戦ってきた。ほんとうに驚異的なスタミナだよ」


 かっと目を見開いたままの桐敷だったが、そのうち目を伏せ、俯いた。おいおいと盛大に泣きはじめたと思うと、やはり右の前腕で涙を拭う。


「素晴らしい戦いぶりだった。感心した。感銘を受けた。おまえはすばらしいよ、桐敷」

「雅孝はあたいに好かれたいのかよ」

「そうなのであれば、もっと工夫をする」

「……だな」

「そういうことだ」


 桐敷と俺は二人して香田を見やる。小さくゆっくりとした呼吸、それに歩調を合わせるように静かに上下する肩。空手部中堅がぐっと腰を落とし、「せいっ!!」という掛け声とともに腹部への正拳を狙った。スピーディとはこのことだが、残念、それはすでに一度見ている。香田はそれを左の脇に抱えると、相手を巻き込むようなかたちで後転した。流れるような動きですかさず腕十字に取る。空手部中堅が臆病だったわけではない。咄嗟に悟ったのだ。もはや勝ち目はないと。折られかねないと。だからすぐに降参、タップした。立ち上がった香田。「リリ!」とその名を呼んだ風間が彼女に向けてサムズアップ。香田は顎の前で控えめに右のVサインを作ると、開始線に戻った。


 ちょっと底が見えないな。この三人の女性の戦闘力たるや異常すぎて、目下のところ、俺に出番が回ってくることは想像できない。副将も大将も香田がなんなく退けてしまった。忙しなく息をつぐというところもなく帰ってきた香田に身体をぶつけるようにして抱きついたのは風間。「やっぱりリリはあたしの恋人だわ」などと言って労った。二人に近づいた桐敷。てっきり何か文句の一つも垂れるのかと考えたのだが、素直な「あんがとよ」。目を丸くした香田は小さく首を振って、「いいの。仲間なんだから」と応えた。


「雅孝はどう思う?」

「風間、それはなんの話だ?」

「あたしたちって、いいパーティーなんじゃないかってこと」

「かもしれないが、俺はまだ、何もしていないからな」

「それでいいんだよ。あんたにまで回さないのがあたしたちの役割。そう考えることが、いいモチベーションにもなってる」


 俺は「それはよかった」と他愛のない返事をした。「つまらない返答」と呆れられた。タンクトップをがばっと脱いで、右手でそれをぐるぐる回しながら去りゆく風間。スポーティーな白い下着をつけているのだが、なんともまあ、目の毒だ。香田が後を追う。俺は桐敷と前へと進む。


「貴重な体験ができた一日だった」

「そうなのか?」

「ああ。これまでの人生のなかで最も充実だった一日だったかもしれない」


 すると桐敷はハッハと笑い。「おまえっていつも大げさだよな」となおも笑い。


「まあ、それはそうそうだな」

「だろ?」

「ああ。だからこそ、明日は俺に出番を譲ってもらいたい」

「あたいはぁ、なんだ、まあそれでももういいやって感じだけど、風間の奴は聞かないぜ? てかおまえ、自分がやったら全部片づくって思ってっだろ?」

「悪いか?」

「悪くねーよ」桐敷は穏やかに笑んだ。「ちゃんとおまえは強いってこと、あたいは知ってっからな」


 俺はおどけるようにして、小さく肩をすくめた。


「つーかよ、どうあれ明日の朝一の試合に限っては、あたいらの出番はねーのさ」


 俺は首をかしげ、「どういうことだ?」と訊ねた。


「いや、あたいが相手してやってもいいんだけどよ」

「だから、どういうことだ?」

「アオイちゃんだよ」

「アオイちゃん?」


 ややあってから、あっと気づいた。

 アオイちゃん、静内碧のことか。


「外部の参加も可能と聞いた。そういうことなんだな?」

「ああ。何組か来てるみてーだけど、たった一人で出張ってきてるのは奴さんだけだって話だ、ってか、いや、奴さんしかありえねーよ。悔しいけど、あいつは風間並だ」

「おまえはそこに割って入りたい?」

「ったりめーだ。二人とも、あたいがぶっ殺してやるんだ」


 物騒ながらも桐敷の威勢のいい言葉を聞くと安心する。


「ななっ、なあ、雅孝」

「いきなり激しくどもって、なんだ? 桐敷」

「い、いや、このあと暇だったらハンバーガーでもと思ってよ」

「うーん」

「だ、ダメか?」

「いや、いい。今日のおまえはがんばった。奢ってやろう」


 やったーっ! 桐敷は大げさにジャンプしたのである。「ポテトはLだかんな」ともう一度飛び跳ねたのである。



 そのときだった。先達て香田に敗れた空手部主将が前に回り込んできたのである。何の用かと眉をひそめると、そのうち平伏、土下座してみせたのだった。丸刈りの彼の言い分はこうである。「香田さんに負けたことには納得できます。だけど、それは不本意なことでもあります」――。矛盾したことを抜かす男だ。俺はとりあえず「立ってもらいたい」と伝えた。「敬語も要らない」とも告げた。俺は二年生で、相手は上級生だからだ。


「立ち合って、もらえませんか?」主将は敬うことをやめてくれない。「空手という道において、今の自分がどの位置にいるのか、確認したいんです」


 大袈裟な話だ。しかし、「一生をかけて空手に身を捧げるつもりだから、現状確認は大切なんです」などと心に響くことを訴えられてしまっては聞かないわけにもいかない。当該の男が俺の何を知っているのかという話だが、結局「立て」と偉そうに強く促した。厳かな様子で主将は立ち上がった。握った左手を多少前に出し、右の拳は顎の下、極めてオーソドックスなスタイル、ゆえに隙がない。俺は空気に波風一つ立たせることなく静謐に半身に、左足が前、右足が後ろ、左の手のひらを前に掲げ、腰の位置に右の拳を引き絞った。一度目を閉じ、ゆっくりと開け、あごをしゃくって「来い」と告げた。途端のことだった。主将の額からだらだらだらだらと汗が流れだしたのだ。理由は、わかるような気がした。そのじつそれが正解で、やがて主将は崩れ落ちるようにして両膝を畳についた。涙ながらに、「俺の、負けです……っ」と絞りだした。


 立ち合う前から負けを認めるのはどうかとも思うのだが、彼が現状とやらを認識できたのであれば良しとできる。諦めないでほしい。ヒトはどこで化けるかわからないからだ。成長という無限の可能性がある限り、何に打ち込むにしても、何をがんばるにしても価値がある。


 部室への帰路、てかてか光る板張りの校舎の廊下、進んでいると、「おまえ、やっぱすげーな」と桐敷に言われた。「やっぱあたいの目に狂いはねーよ」とまた言われた。「今日はいい夢が見れそうだぜ」との発言に至った根拠は不明だが、桐敷の快活な微笑みは愛らしいを通り越して愛おしい。


「ハンバーガーでいいのか?」

「いや、シュリ軒にしようぜ」


 シュリ軒。

 近所の名店、中華料理屋。


「チャーシューメンと唐揚げとチャーハンをたいらげてやるんだっ」


 さんざんボディを食らったくせに。

 しかも家に帰ったらすぐに夕飯だろうに。

 桐敷、おまえはほんとうに逞しく頼もしい女性だよ。


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