14.ボディブロー
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見事だった。立ち技最強を謳い、またそうであるかもしれないムエタイ部の面々を相手に、桐敷はついには一人で押し通したのである。最後を抜いてこちらに戻ってくる折には途中で片膝をつき、こちらに戻ってきてからも両膝から崩れ落ちた桐敷だったが、やったことについては立派だとしか評価のしようがない。やるじゃないか、桐敷、ほんとうにおまえは、ごまかしのきかない敵を向こうに回しても存分によく戦ってみせた――との思いが強いものだから、俺はつい、らしくもなく、こちらに戻ってきた彼女に向け盛大な拍手を送ってしまった。見るからに強烈な、周りが引くくらいに盛大な、ムエタイ部主将の派手なボディブローをもらった瞬間はひやりとしたが、そのへん、桐敷はきちっと鍛えている。どぼんと鈍重な音をかかげた腹部への一撃がほんとうにサマになっていたことはほんとうに間違いがなく、だからこそ――。
「いてー、いてーよ、ゲロっちまいそうだ」
桐敷がそんなふうに吐いても風間も香田も気にもしない。俺だって気にしなくたっていいのだが、なにせ桐敷はがんばったのだ。話し相手くらいには、いくらでもなってやる。
「相手のボディブローは綺麗なものだった。もらっても、しょうがない」
「だから、もらうつもりなんてなかったんだよ」げほげほと咳込む、桐敷。「ただよ、雅孝、あいつは鋭かったろ?」
「違いない。もうどうでもいい。もう休め」
「やだよ、やだっつーに決まってんだろうが」
「一つ、出番をもらおうと考えている」と、俺は静かに言った。
すると桐敷は「出番だぁ?」と、きっと疑問に顔をゆがめて。
「次はボクシング部なんだろう?」
「ああ、そうさ。弱くない奴らさ。だからこそ、興味が湧くんだよ」
「俺に任せてもらえないか? と、言っている」
「はあ?」
「俺がやる。俺がドジッたら、俺以外のみなは被害に遭う次第だが」
「だから、はあ?」
俺は「目が覚めた」と言った。
俺は「おまえたちは立派だ」とあらためて謳った。
「なに言ってんだよ。やっぱテメーはあたいらを舐めてんのか?」
「そんなわけがないだろう?」
「まあ、そりゃそうだけど……」
俺は俺として、おまえたちの指針となる現実を残したい――などとはじつに大仰でしょうもない言い分だが、とにかく俺は桐敷に少なくとも、自分のことをしっかりと、じっと見つめてもらいたいなと考えたわけである。
「知ってっかよ、雅孝。ホント、ボクシングのスピードってヒトの反射神経をメチャ超えてみせんだぜ? 奴らは奴らで、最強なんだぜ?」
「そう言われると弱い。俺が使うのはたかが空手だからな」
「空手を軽んじるつもりはねーよ、だけど――」
「俺もそんなふうに考えている。だったら黙って待っていろという話だよ」
桐敷は頬をかあぁっと赤らめ――。
赤らめ、あぐらをかいた。
「知ってっかよ、なあオイ、雅孝」
「ああ、俺はそうだが、雅孝雅孝しつこいな、それがどうかしたか?」
「自覚的なんだな、テメーはよ」
「そうだとしたら、それがなにか?」
俺がなかば微笑みかけると、桐敷は「くそっ」と気圧されたように身を引いた。このへんがかわいいのだ。桐敷はほんとうに愛らしい。
俺はすぐ左隣にいる風間に向けて、「次は全部俺がやる。いいな?」と訊ねた。
「お断り」
「ほぅ、なぜだ?」
「冗談だよ。あたしがダメだって言っても、あんたはやるんでしょ?」
「そのとおりだ」俺はクックと喉を鳴らし、笑った。「この学校のニンゲンは健全極まりないが、だからこそそのいっぽうで、しっかりと感じていないことがある。風間、なんだかわかるか?」
「知らないよ、そんなこと。知らなくたっていい」
「だが教えてやろう、それは恐怖だ」
またもや畳間での一戦――軽い調子で誰より前に立ったのは俺ではなく風間だった。当の本人から「あんたは切り札だから」などと言われたのだ。俺は思った――切り札なんて必要ない――。それでも風間は「あたしがやるよ」と言って聞かず、ゆえに仕方がないから任せることにした。
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開始早々、多少ビビらされた。桐敷の際のデジャヴ――ボクシング部の彼の左のボディブローをもろに右脇腹にもらったからだ。イイカンジでめり込んだ、ガチな音がした。エグく鈍くレバーに轟くような……そんな重低音だ。だが、それだけだった、それだけのことでしかなかった。おどけるように左右にステップを踏んだのちのモンゴリアンチョップ、それから顎先に右の掌底を決め、すぐさま背後に回り込んで腹に両手を回してクラッチ、美少女風間はその男子の身体をバックドロップの要領でふわりと持ち上げ、ふわりと持ち上げたのち、身を反転させながら左手で一気に畳へと叩きつけた――キャノンボールバスター。俺としてはプロレスがボクシングに勝っている点は一つ二つしかないと考えているのだが――どうあれ、風間は勝利して帰ってきた。マゾいなと思う。格闘技をやるニンゲンというのは少なからずそうに違いないのだ。
「なに? あたしが負けるとでも思った?」
そう訊かれ、しかし「そんなこと、あるはずがない」と答え――。
「だが、敵を作る勝ち方だ」
「へぇ。どういうこと?」
「圧倒的すぎるということだ」
「最大限の褒め言葉」きゃはっと楽しげに風間は笑い。あたしたちが勝つふうに、世のシステムはできてる。ねぇ、雅孝、それって悪いこと?」
そんなふうには思わない。
だって、彼女たちにはいつも勝者でいてもらいたいから。
するとどこか覚えのある声、「おーいこら、待て待て待てぇ」などと聞こえてきた。坊主頭の彼――あるいはなんらか反省して坊主頭になったのかもしれない軽薄極まりない彼は、確か、そうだ、ボクシング部の長である。そんな身分でありながらどうして現場を後輩に任せていたのかという話ではあるが、紆余曲折あったかもしれない背景、事情はともかく、ここに赴いたことについては評価したい。実戦的なボクシングの使い手を自負する担い手が弱いわけがないのだから楽しみでもある。
「おいおいおい、テメー、テメーだ、転校生、転校初日に俺をのしてくれちゃってよ、きちんと覚えてんだろーな?」
「いや、ほとんど忘れている」
「んんん、んだと、テメーっ!!」
「手を打とう。ほとんど反則なウチを相手にボクシング部は健闘した。それで良しとしないか?」
大袈裟に顎を持ち上げ、大仰に顔をしかめたボクシング部の長。
「馬鹿言ってんじゃねーよ。負けるつもりはねーよ。女だからって手加減しなけりゃ、俺は絶対に、そっちにだって勝てる」
良い返答である。
「だったら、かかってこい」俺はすっと立ち上がり、すっすと歩み出て、左肩を相手に向けて半身になり、「来い」と顎をしゃくってやってから、左手を前に広げて右の拳は腰の位置――。「覚悟を怠るな。俺は負けてやらないぞ」
どうやら臆するところはないらしい。二、三としっかり踏み込んで、得意なのだろう、サウスポースタイルから連続的に右のボディを狙ってくる。さすがボクシング部。一発一発がとても重い。こうでなくちゃなと考える。そうだ、こうでなくちゃ、戦闘というものは殺伐としていて然るべきなのである。
左にいくつもボディブローをもらった。だが、効かない。俺を敵に回した以上はそういうものだと相場は決まっている。
「いい練習になった」
「なな、なんだって?」
「だからだ、ボクシング部の長殿。俺は優れた運動になったと言ったんだ」
すると鋭く重く、またボディブロー。
――が、やっぱり響かないわけだ。
「恥だぜ、これは」苦笑じみた表情を浮かべ、彼は舌打ちした。「マジで俺は恥をかかされちまった。ゆるせねーなぁ」
「気に病むことはない。必然だからだ」
「だからよ、テメー」
「サヨナラ、だ」
俺は突き上げた左の拳を部長殿の顎に決め、彼のことを宙に飛ばした。決定的な手応えがあった。だからすぐさま現場に背を向ける。この分だとこの先も余裕だろう――とは考えない。ここ、鏡学園とは「そういうもの」であるはずなのだから。