13.いざっ。
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しょっぱなの相手はプロレス研究会だった、略して「レス研」――。その数の多さから広大な陣地を誇る空手部の道場にての初戦というわけだ――畳の上での一戦である。アメリカン、あるいはメキシカンを問わず、問わないからこそ当該ジャンルが好きな生徒、部員がたくさんいて、ゆえにレス研は大所帯だ、ゆえに選ばれた五人もなかなか屈強そうだ。乱暴極まりないのがプロレスラーなのだが男ばかりの彼らは礼儀すら重んじているらしい、横並びに五人、綺麗に正座をし、目を閉じ、凛と静かに時を待っている。素敵だなと俺は思った。すべての雑念を捨て去った上で、彼らは率直に、自らの欲望に忠実であろうとしている。そんな様を美しいとしないで、何を美しいとする?
相手は五人だが、こちらは一人、足りない。足りなくていい。数合わせをしようなどとは誰も考えなかった。俺たちは四人でやる。それぞれがそれぞれを敬うことができる、最低限でありながら最大数である四人で。
俺を含めた四人はだぼっとした迷彩柄の長ズボンをはいている。上半身にはタイトな黒のタンクトップ。風間いわく「戦闘服だよ」とのこと。そうあっていいと考える。なんだか自然と気合いが入った。
「円陣組むよ」と風間が言った。
「やだよ、みっともねー」とは桐敷の言葉。
「組むの」と珍しく強く吐いたのは香田である。
やむなくといった感じではあったが、結局、桐敷も応じた。四人で肩を組み、頭を下げ、風間が桐敷に「はい、サキ、一言!」と大きな声を発した。桐敷はもう四の五のとは言わず、「あたいらはチャンピオンだ。それは今までの話だ。でも、あたいらはプロヴィデンスなんだ。勝つぞ、絶対」――プロヴィデンスの意味がわからなかったので調べてみたかった次第だが、あいにくスマホは部室に置いてきた。肉体同士のぶつかり合いに野暮なデバイスなどまるで必要がない。
「声出せ、声出せ声出せ!!」急かすように、捲し立てるように風間。
「いくぞ、オラァッ!!」とは桐敷。
「はい! 最後に雅孝!!」風間からそんなふうに振っていただいた。
三人の女子生徒が、俺に何かを求めている。
俺の力強く誇り高い一言を、待っている。
俺は目を閉じ、小さな声で、しかし良く通る声で言い切った。「おまえたちはユニコーンだよ」と断言した。
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先鋒は桐敷サキ、次鋒が香田リリ。
中堅を飛ばして副将が風間紅で大将が俺。
嫌でも俺には回したくないらしい。
はじめっ!!
主審を務める大人からそう促されるや否や、桐敷はその場を蹴って、鮮やかに身体を横回転させ、高々と足を上げて左の踵落としを見舞おうとした――が、見舞おうとしただけで――驚かされた、レス研の先鋒――どちらかと言うと小柄な彼は器用に左方に避けると、すぐさま桐敷の背後に回った、両手をクラッチ、勢い良くジャーマンスープレックスを放ったのである。あまりに鮮やかに決まったからか、当の本人が一番驚いたようだった。ぴょんぴょん跳ねて喜んでみせた。にしても、畳の上で躊躇なくジャーマンとは、しかも少々危険な角度のヤツだった。普段からこの上なく鍛えている桐敷が失神、すぐには立てなかったくらいだ。そのうちキツそうに身体を縦にした。まだ自らが負けたとは信じられないらしい。主審に「誤審だ、誤審!!」などと言い、詰め寄る。そのうち状況を悟ったらしい。自らが敗れたと認めるしかなかったのだ。
桐敷は右の前腕で涙を拭いながら――「うえぇ、うえぇ」などとなんとも情けない涙声を発しながら戻ってきた。たしかに無様である。全部が全部を自らが片づける――そんなふうに大見得を切って出ていったの結果なのだから。
「うえぇ、情けねーよぉ、うえぇぇぇ……」
俺からすれば、正直言って、予想の範疇を出ない結果である。桐敷が弱いというのではない。慢心と油断の結果だ。桐敷にはそんなところがあって、だから不要かつ余計なところで遅れを取ったりする。桐敷が帰ってくる途中、風間はずっと腹を抱えて笑っていたのだった。
ジャイアントキリングとまでは言わないものの、メチャクチャ喜んでいいしメチャクチャ喜んでいるレス研の先鋒を始末するにあたって「俺がやってもいい」と申し出た。すると右隣の風間が何か答えるよりも速く、左隣の香田が口を利いた。
「必要ない。順番通り、わたしがやる」
「先鋒である先方は、弱くないように映る」
「わたしが負けると思う?」
俺は目線を上方――宙にやり、「思わない」と答えた。
すっくと立ち上がった、香田。彼女にはファンが多いらしい、特に女性ファンが。生徒だけでなく、外部からも見物客がいるようで、そういったニンゲンらが静かにざわついたのがわかった。すらりとした香田の肢体は見栄えがする。優れた暗殺者を思わせる空気感、立ち姿だけでも只者ではない、魅力的だ。今しがた勝ったばかりのレス研の先鋒クンも早速気圧されたような表情を浮かべている。主審の指示に従い深々と美しい礼をし、それから最低限半身になり、最低限の構えを取った香田は、「戦いというものを教えてあげる」と呟くように言った。やはり彼女は彼女で、最高神の最高傑作なのだろう。
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まだ戦いは続くからという理由で、四名とも昼食はウィダーである。腹が減っている俺の身体はおもむろに「焼きそばパン」なる反ストイックな食べ物を求めたのだが、三人の生真面目さに倣うことにした。「べつにおなかいっぱい食べたって、どうあっても負けないんだけどね」と口にしたのは風間だ。余裕綽々であることについては反論しようがないのだが、それでも念には念を。本人だってそれがわかっているから、エネルギーの補充のみを優先するのだろう。
中庭の草の上で四人して円を成し――そんな中にあって、俺は「しかし、前年の優勝チームだというのに、シード権はないんだな」と言った。すると風間から「そんなのあったらつまんないじゃん」と返ってきた。「みんながみんな、あたしたちの首を取りたいんだよ? だったらその機会は多く差し上げないと」ということらしい。そのとおりだと考えるから「そのとおりだな」と答えた。「ちなみに、各カードの決定を一任されているのはロミさんだよ」とのこと。
「そうなのか?」
「うん。彼女、メチャクチャ運動音痴なんだけど格闘技自体はメチャクチャ好きなんだ。見る目もあるんだよ」
「そうかもしれないな。絶対的であるはずなのに先鋒が負けたんだ。結果からして慧眼だと言える」
「ちょ、ま、待てよ、その先鋒ってのはあたいのことか?」
「それ以外に誰がいるの?」
「なっ、か、風間、テメェ」
いいんだよ、チームとして勝てば。
――と述べ、俺は二人の言い争いを諫めた。
「桐敷の信者も少なくなかったな」
「な、なんだよ、急に」
「おまえはおまえで人気があるようじゃないか」
「そりゃあそうさ」腕を組むと、桐敷は顎を持ち上げ偉そうにした。「あたいは強いからな、カッコいいかんな」
「が、負けた」
「だ、だからそれはもう忘れろよ」
「忘れるさ。俺まで回ってこないことを、切に願っている」
にしてもさ。
そんなふうに切り出すと、風間が俺の左肩を撫でてきた。
「いいね、これ。大きくてガッチガチでゾクゾクしちゃう」
「おお、おっきくてがちがちとか?!」
「なに、サキ。あたし、何かマズいこと言った?」
「いいいっ、言ったぞ! おまえは今、卑猥なことを言ったんだぞ!!」
「知らんがなー」
「テメッ、真面目に聞きやがれっ」
「知らんがな~」
それはそうと、と風間。
「どんな相手が来ようと、リリなら全部、片しちゃいそうだね」
「だかられな、わたしで止める。わたしが全部、やる」
「へんだっ、香田、おまえの出番すらねーんだよ。なんてったって、あたいがいるんだからなっ」
「あれまあ、サキちゃんは早速負けたじゃない」
「ぐっ、だから、風間、テメッ、それは――」
「リリとあたしがいる限り、雅孝までは回らないよ。絶対に、ね」
そうあってもらいたいものだと、俺は思った。
そんなこんなで迎えた二回戦――その先鋒戦において、桐敷が提唱する「ネオ・テコンドー」が火を吹いた。左のジャブから右のストレート、踏み込んでごりごりと左右のボディブローで攻め、心意六合拳部の細身の彼が距離を取ったところで右足をまっすぐに突き出しての前蹴りを腹部にきっちりどかんと決めた。相手を容赦なくぶっ飛ばした、じゅうぶんすぎるとどめだ。身軽にぴょんと真上に跳ね、「やったぜ!」と快哉を叫んだ奴さんのかわいいことかわいいこと。両手でメガホンをこしらえて「いいぞ、桐敷!」と声をかけてやると、どもりかげんで「うっ、うっさい、黙れ!」と返してきた。いーっと白い歯を見せた桐敷はうっすら頬を赤らめていた。




