12.朝にかけて
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日付が変わって、すっかり深夜だ。べつにすぐに団体戦が控えているとかそういうことに根差した理由だとは考えないのだが、どうあれ眠れず、だから近所の河川敷――遊歩道をジョギングコースに選んだ。がさがさ鳴り、わしゃわしゃ述べるナイロンパーカーのフードをかぶり、一定の息遣いをもって、道中を行っている。俺は体力があって頑丈なほうなので一時間以上走らないと身体は疲れてくれない。十分な運動をこなした上で湯にでも浸かれば寝れるだろう。睡眠時間は削られてしまうが、それはまあ、やむを得ない。だらだらと額から流れる汗を感じながら、前を行く次第だ。
――と、十メートルほど先の人影に気づいた。こちらと同じく黒ずくめ。目深のフードまで似たような感じだ。俺は足を止め、ふっふと速く息を継ぎながら、ぴょんぴょんと軽い調子で真上に跳ねた。「神取雅孝だな?」と問われた。おやまぁ、知らないうちに有名人になったものだなと思う。ファッションだけでなく、年格好も自らと似通っているように感じられる。高校生にしては背が高いということだ。やけに細身でもある――鍛え抜かれた肢体であることは簡単に見て取れた。
次の瞬間、驚いたわけだ。その若い男は右手にサプレッサー付きの拳銃を持ち、左手にはサバイバルナイフ――それらを顎の前で構えたものだから。少なくとも俺は初めてお目にかかった。銃を手にする若者など見たことがない。が、俺はまだ構えない。まだ会話、あるいは対話の余地があると考えたからだ。
「確かに俺は神取雅孝だが、銃を向けられるような人格でも人種でもないぞ」
「重要かどうかは私が決める」
「横柄な態度だな」
最低限の動きで、一発、放ってきた。容赦なく左の頬を掠め、弾丸は後方へと飛び去った。まったくもって剣呑な話だ。ほんとうにやるつもりらしい。そんなふうに判断――解釈するなかで、一つ、気づいたことがあった。
「威嚇など必要がない」
「安く見るな。私は決して、甘くない」
「だったらどうして今の一撃で始末しなかった? 答えは簡単だ。楽しみたいんだろう、戦いを。根本的にそうなんだ。そういうことなら受けて立ってやるぞ。存分にな」
月明かりだけがある暗闇のなかにあって、男が苦虫を噛み潰したような顔をしてみせたのがたしかにわかった。
「おまえを仕留めることができれば、話が早いだろうと考えた」
「だから、具体的に目的は? なんの話だ?」
「明日、あるいは明後日か、仕組みやスケジューリングはよくわからないが、どうあれ会うことになるだろう」
「明日? 明後日? ということは――」
「どのような場にあっても殺しが合法化されるとは考えていない」
俺は眉をひそめた。
なんとも重苦しいセリフを吐いてくれる男である。
「俺は殺されたい。俺を超えるニンゲンに殺されてみたい」
「それが俺だと?」
「いや、そんなことはなさそうだ。おまえは腑抜けにしか見えない」
「言ってくれるな」苦笑が漏れた。「だったらケリをつけたい、早急にだ。この場でやり合おうじゃないか」
「今はそのときではないと言っている」
男は右手の拳銃と左手のナイフをそれぞれ腰のホルスターに収納した。
「おまえにとっては最後の夜になるかもしれない。堪能したほうがいい」
「その心配は不要だ。武器に頼る男に負けるつもりはないからな」
「泣かしてやる」
「泣かしてみろ」
男は振り返るとすたすた歩き、向こうへと立ち去った。
気づけば俺は、手のひらに汗を握っていた。
なんとも情けない話ではないか。
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翌朝は事務的で無愛想なケータイの着信音で目が覚めた。「まさくん、おはよーっ」――快活な声は母のものだった。嫌いというわけではない、決してそんなことはないのだが、朝っぱらから耳にする母の声は多少ならず騒音に聞こえ――なくもない。元気すぎるのだ、彼女の場合。たぶん――いやきっと、お天道様の化身なのだろう。
「まさくん、今日は大事な日だって聞いたよ? お母さん、見に行きたいの」
なんの話かはわかる。
が、勘弁してほしい。
その旨、俺はきちっと伝えた。
「まあ、まあ、まさくんまでお母さんを仲間外れにするのね。悲しいわ、ええ、悲しいわ」
まさくんまで?
その点だけ少し気になったので、「どういうことだ?」と訊いてみた。
「お父さんがね? 浮気をしたの」
「えっ!」驚きのあまり大きな声が出た、まさかと思った。「嘘だろう、それは」
「ううん、ううん、ほんとうよ?」母さん、しくしく泣きだしてしまった。「だってお父さん、お母さんの誕生日に遅刻したんですもの」
誕生日に遅刻?
それはたしかに問題だ。
「あっ、まさくん、お母さんは忘れないんですからね? まさくんはお母さんの誕生日にメールを一通、くれただけなんですからね?」
反省を促してくるようななんとも強い問い詰め口調だった。
まあ、メール一通で済まそうとしたのはそのとおりだが……。
「どうせホテルの最上階とか、だったんだろう?」
「そうよ。一緒にディナーして、そのままベッドインする予定だったんですから」
「ベッドインうんぬんはともかく、父さんが遅刻したなんて信じられないな」
「でも事実なの。お父さんはお母さんを軽んじて、果ては見捨てたの」
えーんえんえんと泣く母。
どのような理由があれ、「見捨てた」は言いすぎではないのか。
「お父さんは酷いんです」
また、しくしく泣く母。
「まあいい」良くはないのかもしれないが。「で、そのお父さんとやらは今、どうしているんだ?」
すると母は「うふふ」と笑い。「隣でぐっすりよ」とうふふと笑い。
「はぁ?」
「もう激しくて激しくて。まさくんにはずいぶんと年下のきょうだいができるかもしれないわね」
「……切るぞ」
「ああもう、お母さんは幸せだわ、幸せ者だわ」
いよいよ乱暴に通話を断った。
遅刻したのはたまたま仕事が立て込んだとか、そんな理由だろう。
つまるところ、俺は両親のラブラブさ加減を見せつけられただけだ。
あと五分寝てやろうと考えたのだが、布団にもぐったところで眠れそうもなかったので起きることにした。
熱いシャワーを浴びても、いまいち目が覚めなかった。
今日も俺の今日が始まる。




