10.スーパーバイザーエンジン
*****
それは工藤ロミというらしい。ここ、鏡学園には多かれ少なかれ、あるいは濃淡はあれど武道を重んじる部活動しかないと考えていたのだが、どうやらそうではないらしく、例外的にといったニュアンスを多分に含む「パソコン部」という、なんともざっくりとした目的を冠した集まりがあるらしいのだ。部長の名が工藤ロミなのである。常時、俺が暇そうなツラをかましているからだろう。風間に「会ってみれば?」と言われたのだ。「あんまり退屈そうにしていられると、なんだかやきもち焼いちゃうけど」とも言われた。言いたいことはわかる。他意などないことだろうから、こちらとしてもその旨、他意などないのだが。
特段の用事がない限りは立ち入ることのない校舎五階。その片隅にパソコン部のメンバーは詰めているらしい。サーバールームの隣室だ。どちらかと言うと、自らは「こっち方面」のほうが向いているのではないだろうかと考える。マシンは忠実だ。ヒトに対して決して嘘をつかない。その点、非常に好感が持てる材料なのである。
三方をモニタに囲まれている工藤ロミは高価そうなゲーミングチェアの上でふんぞり返っている、煙草をぷかぷか吹かしながら――。モニタが発する光、それだけの暗い室内。なおも煙草、天井に煙が滞留している。工藤ロミを含めた三人とも俺と同じ二年生らしい。工藤ロミの部下らしいぐるぐる眼鏡の三つ編みの女子生徒がそう教えてくれた。ぐるぐる眼鏡の少女は愛想が良かった。一通り案内してくれたあとはすぐに席へと戻り、速やかにモニタと正対する部分にも得も言われぬ好感が持てた。
俺は工藤ロミの背後に置かれた学校によくある木製の椅子に腰を下ろし、彼女がこちらを向いてくれるのを待つ。そのうち、椅子を回転させ、振り返ってくれた。「工藤ロミだ」などとわかりきっていることを述べる。美しい少女? 女性? だった。シャープなフレームの眼鏡をかけていて、そのブリッジを右手の人差し指で押し上げると長い脚を組んでみせた。細い脚だ、運動不足なのだろう。乳房は運動せずとも育つのだろう。大仰に白衣をまとっているのはなぜなのか。
「高校生が煙草とはいただけないな」
「おやまぁ、つまらないことをのたまうんだな。風間の小娘からは面白い人物だと聞かされたんだが」
「そうなのか?」
「私だってケータイくらいは持っている」
「そのへん、どうだっていいな。で、パソコン部の意義は? モットーとは?」
「便宜上の名だよ。パソコン部と謳ったほうがオタク臭が漂うだろう?」
俺はにわかに眉を寄せ、「オタクでいたいのか?」と訊ねた。
「オタクでありたいねぇ」眼鏡――レンズの奥の目をにぃと細めた、工藤ロミ。「機械は嘘をついたり冗談を言ったりしないからな。尊いだろう?」
それはそのとおりだと強く頷いたのち、俺は右に首をくりっと傾けた。
「男に騙された過去でも?」
「おぉっ」工藤ロミは目を丸くした。「一転、勘がいいじゃないか、少年よ」
「どうなんだ?」
「今、私は部長であり、顧問を務めている。それだけだ」
「要領を得ない答えだが、それはそうと顧問?」
「教師の代わりを兼ねているということだ」
俺はこくこくと頷いたのち、「どうしてなんだ?」と訊いた。
「どうやらご存じないようだから教えてやろう。この学校において殺人事件が起きてね。一年ほど前のことだ」
さすがに少々驚かされた、自らの不勉強を呪いたくなった――とまでは言わないが。
「初老の彼は校内ネットワークの管理者だった。白髪も白髭もじつに美しいものだった。言ってみれば、イケオジの完成形だ」
「外見なんてどうだっていいが、そんなニンゲンが殺人を?」
「彼は業界では有名な、インターネット黎明期の貢献者だ。おまえに言ってもわからんだろうが、じつはこの上なく有名な専門書の共著者でもある」
「そう明かされたところで、特に何もわからないな」
「私だって知らんさ。ロリコンだったとか、そんな節は窺えなかったな」
話が逸れてきたように感じられたので「話を戻そう」と言うと、工藤ロミは目を丸くして――「驚いた。おまえは頭が悪くないようだ」と感心された。俺は俺で、述べる言葉の端々から、彼女は賢いなと思い知らされている。
「じいさんは下っ端に過ぎない国語教師である若い女から求愛されていた」
「それが迷惑、あるいは面倒だったから殺した、と?」
「事象はそうであることを示している。――が、彼はちんけな人物だったのかね。はなはだ疑問だ」
「細君は?」
「いいな。その単語はじつにいい」両手の人差し指を向けてきた工藤ロミである。「ああ、その細君だ、彼女は遠い昔に世事から遠のいている」
二度三度と、俺は頷いた。
「だとしたら、美しい話だ」
「そのとおりだ」工藤ロミは小さく肩をすくめてみせた。「彼の功績を知り、彼の名を知り、彼の居所を知り、そこまで得たうえで彼にたどり着いたのに……と考えると、くだんの女は多少不憫ではないかね」
「そうは思わないな」
「そうか?」
特別な意図はなくとも「ああ、そうだ」とだけ強く答えておいた。「で、どうやって殺し、殺されたんだ?」と疑問を投げかけた。
興味があるのかと問われ、ないこともないと答えた。
「サーバールームにての二人での設定変更作業中、箱形のスイッチからおもむろにモジュールを引っこ抜いたらしくてな、それで執拗に頭をぶん殴ったらしい」
「ほぅ」興味深い手法だと判断しつつ、俺は足を組み替えた。「となると、校内ネットワークにダウンタイムが生じたのか?」
すると工藤ロミ、今度は彼女はあからさまに顔を歪めてみせた。「気持ち悪い男だな。この話にフツウについてこれるのか」と言った。「だが、当然ながら二系の話だよ」と続けた。「それくらいは言うまでもないだろう?」――そのとおりだった。
「アラートは上がりまくったわけだが」と、気を取り直したように、工藤ロミ。「警察が証拠としてログを持ち帰ったくらいのものだった」
「警察もログくらいは読めるのか」俺は言う。「感心だな」
「ログサーバーとTrapレシーバーくらい知っていてあたりまえだ」
「警察にもオタクはいるらしい」
「外注の可能性は拭いきれんがな」
ふんと鼻を鳴らすと工藤ロミは立ち上がり、俺の後方のスチール製の本棚、そのガラス戸を開けた。分厚い一冊を手に戻ってきた。「ほれ」と言って、押しつけるようにして手渡してきた。「TCP/IP~」などと、タイトルには記されている。なるほど、たしかに黎明期だ。
「嘘だか本当だかはわからんが、とにかく私が唸らされた話を披露してやろう」元いた席に戻って、工藤ロミ――。「我が国の先駆者であるM氏が初めてアメリカと接続した折、月の回線使用料は四百万近くにのぼったそうだ」
俺は腕を組み、右手を顎にやり、なかば唸った。
「合点はいく。――というより、そんな『初めて』について、きちんと定義するヒト、企業があったんだな」
「やはりおまえは馬鹿ではないな」工藤ロミはにぃと笑んだ。「脳筋馬鹿ばかりの学校だから、よけいに映えて見えるよ」
「そんなふうに述べる工藤ロミは、なぜ脳筋ばかりの中にいる?」
「見当もつかないか?」
「つかないな」
「だとすると訂正、おまえは馬鹿だ」
俺が「答えは?」と問うと、「決まっている。家から最も近いのが、この高校なんだよ」――。それは考えもしなかったなと、俺は苦笑した。ことのほか脚がか細い理由を知った思いもした。
「風間は? 私に何か言えと言っていなかったか?」
「いや。会ってみろ、面白い、そう勧められただけだ」
「実際、どうだ?」
「愉快な人格だと感じている」
「訂正の訂正だ。おまえはやはり興味深い。気に入った」
今までにはない速さで腰を上げたかと思うと、工藤ロミは俺の両脚を両脚で挟み込むような格好で膝の上にまたがってきた。目の前で笑み、次の瞬間にはもう唇を唇で塞いでくれていた。
唇同士が離れた。
舌のあいだで唾液が糸を引く。
「誰にでも、こんな真似を?」
「抜かせ。気に入ったと言った」
「離れてくれ」
「どうしてだ?」
「煙草の匂いは、好きになれない」
ハハッ!
そう笑った工藤ロミに、また口に口で蓋をされてしまった。
カーテンで閉め切られた部屋には西日の一筋すら差し込まない――。