43歳、独身。貯金なし、借金まみれ。原因は全てギャンブル。この先お先真っ暗な人生といっても、もう折り返し地点の世間一般的には良い年代だ。
誰にも相手にされず、友達もいなく4年前には完全に家族にも捨てられた。
生涯孤独と向き合って毎日毎日同じようなルーティーン。
日雇い給料を全額ギャンブルに突っ込み、勝てば好きなものを食べ、負ければ小銭で食べれる食材を確保し食べる。酷い日は水道水だけで数日過ごすこともある。
そんな繰り返しを、もう何十年も続けている。
普通の人の感覚が俺にはない。
いや、そもそも普通の人の感覚って何だ?何が普通なんだ?
そのレベルだ。
ただ、本当に懲りない。そんな性格だ。
昔からこんな性格だったけな~と、ふと思う事はある。
色々思い出す。。。
小学生の頃は、割と活発でよく友達と近くの山林に学校が終わったら真っ直ぐ自転車を走らせ、虫取り籠を片手にもってクワガタを取りに行っていた。
今考えると、よくあんな危険な山林に子供だけで入っていけたな~と思う。
何人もスズメバチに刺されたり、不審者に追いかけられたり、救急車が来たりそんな場所へ行っていた。
懲りない性格はこの時点で覚醒しているやん。
もう、本能としか言いようない。
中学生の頃は、小学高学年で田舎町に転向して環境が変わり友達もガラッと変わっていた。
正直、周りには変な奴だと思われていて友達は少なかった。
当時仲良くなれたのは、少しだけ大人を気取ってカッコつけてタバコに興味を持ったりロックに興味をもった人とは将来の夢を語り合った。
そう、この時は音楽への目覚めで高校になんて行かないで東京に上京してバンドで食っていくんだ!という強い意気込みと大きな夢をもった瞬間だったな。
高校生の頃は、結局中卒での状況は親に止められ高校だけは卒業して夢を追うという約束のもと一応高校へ入学し3年間過ごし無事卒業できた。
高校時代はトータルすればバンド一色な人生だったが、俺がはじめてギャンブルを習得したのもこの時代だった。
バンドとギャンブル習得には自分なりに大人になった思考回路が開封された瞬間だった。
それは何かというと利益だ。
高校生の頃、バンド活動は思っていた以上に周囲から反響があり、わりと高校生にしては人気のバンドとして活動していた。
その為、ライブをする時は勿論ライブハウスの箱代としてお金がかかるのだが売れたチケットが多ければその金額は軽くペイできるし、良い時は収入としていくらか自分にバックが入る。
ただ勿論、毎回バックが出るわけではないしバンド活動の為にアルバイトもしていた。
はじめて自分で稼ぐお金の動きと流れるお金の動きというものを実戦を通して学んだ時期だった。
しかしバンドマンというものは、お金がかかる。
機材もそうだし、周りとの付き合い、それに人前に立つことで少しでもカッコよく見られたいと思い見た目を意識して買い物も増えていく。
到底普通の高校生でのやりくりは厳しく、みんなそんな中でもできる限りの限界で自分たちを表現していた。
そんな中、ある日同じ高校友達が高校生にも関わらずグッチやルイヴィトンやシャネルという高価なブランドの財布やベルトを身に着けていて驚いた。
その時に友達がスロットで稼いだお金で買ったと言った。
今月だけでもう50万くらいはスロットで稼いでいると言っていた。
その時は、へ~そうなんだ?くらいにしか思っていなかったし、正直スロットなんかに興味はなかった。
ただ、やったことの無い境地へ一度は体験してみようとは思った。
だけどバンドにお金がかかってしまうような日々に到底ギャンブルをする余裕もなく、そこにお金を使う事はもったいないとしか最初は思っていなかった。
ある日、皮膚科の帰り親にもらった皮膚科代、お釣りはお小遣いにしていいという事で皮膚科が終わり3千円程度のお金で何か古着でも買って帰ろうかと思っていたがフラフラ歩いていたらたまたまギラギラ光ったパチンコ屋の横を通り過ぎた。
その時にふと思った、このお釣りの小遣いは最初はなかったものだし3000円のうち1000円は試しに俺もスロットとというものを体験してみるのありだなと。
そうしてパチンコ屋に入る決意を固めた。
初めて入ったパチンコ店に緊張しながら辺りを見渡し、とりあえず何が何だかわからないけどスロットコーナーへ行き、良くわからないけど適当に空いている人のいない所に座った。
周りの見様見真似で1000円札を機械に通したらジャラジャラとメダルが流れてきた。
ゲームセンターでスロットはやったことがあったからベットのかけ方はなんとなく理解していた。
出てきたメダルをメダル投入口にとりあえず全部入れてマックスベットでレバーを下へ叩いた。
一回、一回ゆっくりと図柄を狙って揃えようとしていた。
この時は確定目とかも知らないし、当たりが確定していないものを狙っても揃わないという事は知らずに。
ただ、揃ってしまったのだ当たり図柄が。
しかも、たったのわずか4~5回転くらいで。
そしてキラキラと台が光、派手なBGMが流れてレバーを叩きボタンを順番に押すを繰り返すだけでジャラジャラと台の下からメダルが出てきたのだ。
訳も分からず下皿がメダルで一杯になり光とBGMが止みボーナスが終了したのは分かった。
そのあともゲームセンターのメダルゲームで遊ぶ感覚で下皿のメダルを投入してプレイを継続した。
同じように訳も分からず図柄を狙ってゆっくりと打ち続けると数回転でまた揃った!
そしてまた台が光、さっきと同じBGMが流れてボーナスゲームに突入した事がわかった。
下皿にメダルが収まらなくなった時、台の上にプラスチックの箱が2つあった。
周りを見渡すと、どうやら下皿にメダルが収まらなくなったらみんなこの箱にメダルを入れて台の上に積むんだと確信して見様見真似でメダルを台の上に積んで下皿のメダルでまたプレイを継続した。
そのあとも50回転も回さないうちに図柄が揃うをしばらくの間繰り返して気づいたら上の2つあった箱と下皿がメダルでいっぱいになっていた。
それは、初めてパチンコ屋に入ってからほんの30分程度の出来事であった。
スロットってこんなに簡単なの?と思って周りの打っている人が下手くそな奴ばかりだと思い込んでいた。
当時高校生であった自分は、そのまま周囲の殺気にも気づきあまり長居はできないなと野生の感が働き、そのあとは100回転くらい回しても図柄が揃わずメダルも少し減ったので打ち止めた。
丁度やめた時に、同じように打ち止めてドル箱を片手に歩いている人がいたので見様見真似でその人の後に続いて自分もドル箱をもって前の人と同じように大きな機械にメダルを流して出てきたレシートを手にした。
そのあとその人はレシートを持って別のフロアに行った。
ついて行くとレシートをカードに変えてもらえるフロアがあった。
そしてそのカードを受取って更に地下のフロアへ行き何故かパチンコ屋の外のドアへ向かった。
そこには初めて見る謎の空間があった。
そう、それが換金所だった。
丸い穴のあいたところにレシートと交換して手に入れたカードを入れたら中でぐるっと回りカードを回収された。
顔や姿は見えないが向こうには部屋があって中には人がいるらしい。
まるでドラマで見る刑務所の面会所のような異様な壁がそこにあり、向こう側でカードを回収されてからガシャンガシャンと音がなり目の前にあったデジタルパネルに28500円と表示されて下の穴がまたぐるっと回って28500円が現金でお釣りを渡されるかのように出てきた!
高校生の自分にとっては衝撃的な光景だった。
たった1000円が、たった30分で、28倍以上になったのだから。
当時の28500円という金額は学校終わって2~3時間のアルバイトを1か月頑張っても得れるかどうかわからないくらいの金額。
それがたった30分で得れたのだから恐ろしく心も体も脳も震え上がった。
友達が言っていた50万もたしかに稼げてもおかしくないなと思えた瞬間だった。
これが自分にとってギャンブルに支配されたきっかけとなった。
これはギャンブル依存症の人にほぼ共通する通過点のビギナーズラックというものを体験したのだった。
ビギナーズラックは年齢にかかわらず若くして経験することもあれば、社会人になってから経験する人もいるという。
たしかに人間はもともと欲望の塊で、それぞれの許容範囲で制御して生きている生き物だ。
それが覚醒すること爆発することは別におかしなことではない。
ちょっとしたシステムエラーが起きたんだ。
ただ、のちにこのちょっとしたシステムエラーが原発事故のように戦争のように命にかかわるほど制御も修復もできないものに変わりゆく事をこの時はまだ気づく術もなかった。。。
それからは、学校に行くと同じスロットに興味を持ち始めた友達と仲良くなりアルバイトの給料が入るたびに学校が休みの日にパチンコ店に行くようになった。
当時、簡単にお金が増えると思っていたが、勝つ日もあれば負ける日もありギャンブルの性質や難しさを理解しながらも勝った時の祝福と幸福感が何倍も脳裏に焼き付き、どんなに失費しても辞めるという選択肢は無かった。
それと同時に勝てばいい、また給料が入った時に行って勝てば今までの負けはチャラだという単細胞的な考え方が自分の中にしっかりと埋め込まれた。
だんだんギャンブルに対しての思いがエスカレートしていき、周りの友達も同じような考えを持つ人たちで固まってきた。
高校生はなんせお金がない。
だけど欲しいものはたくさんあり、当時は誕生日の早い人はバイクや車の免許証を取得し、中には親や兄から中古で購入した車体を所持して学校までバイクや車で来ている友達もいた。
高価なものを持ち、ガソリン代がかかる中、その友達はアルバイト代をギャンブルに使って勝った時は所持するもののカスタム費用などにもあてていた。
でも、それは環境の違いもあった。
友達はアルバイト代の他にもたくさん親に支援してもらってお小遣いももらっていたからできた事だった。
そして友達の場合はそのお金でやりくりをしていた。
バイクや車にかかるお金は完全に親のカードで賄い、そのローンはきっと社会人になり働いてから返していくみたいな感じだったんだと思った。
そしてアルバイト代はアルバイト代で好きに使えて、更にお小遣いをもらい友達はアルバイト代には一切手を付けず、親からパチンコに行く時だけ軍資金としてお小遣いをもらっていたのだ。
そんな状況の中、自分は違った。
アルバイト代で自分の所持する携帯電話代を支払い、バンドでかかる娯楽費も払い、余ったお金が小遣い。
月でどんなにアルバイトを頑張ったとしても基本は学生。
夏休みや大型連休がない限りは月3万円~4万円程度の給料しかなかった。
その中から、携帯代が毎月1万円前後、バンド費用が月2万円程度かかりお小遣いとして残る金額は数千円としれていた。
この時から、ギャンブルをしても数千円は一瞬でなくなる事に気づき、もっとお金があれば絶対当たりを引けて勝てたのにとか勝った時の妄想と想像を自分なりの世界観の中だけでずっと広げ続けていた。
何かを削ればギャンブルができる。
そして勝つだろうという思考が最優先し、遂に本来かかる失費の数々のものを滞納という形で後回しにすることを覚えた。
最初は携帯電話代だった。
携帯電話は支払いをしばらくしていなくても直ぐに使えなくなるわけではなく、最終的には当時は親名義だったこともあり親のカードから引き落としがかかり親に怒られるだけで済んだ。
勿論、なんで引き落としされる前に口座からお金を引き出したか問い詰められたりはした。
でも、親にはギャンブルをしているなんて言ったこともなく、嘘を考えてはそれを理由に自分なりに親を説得させようと必死だった。
当時はバンドにお金がかかる事を理由にしてその場を回避し、友達と遊んだ時に立て替えたとか言っていたような気がする。
しかし携帯代だけでは止まらなかった。
バンドの練習でスタジオを借りる際やライブ費用も払えなくなっていき、当時はバンドメンバー全員にカンパしてもらってその場をなんとか凌いでギャンブルで勝った時に、その一部を返し当時は正月になると幸いにもお年玉がもらえたから、そこからツケを返していた。あとはたまにおばあちゃんをよく頼ってお願いして親に内緒でお金をもらったりもした。
それでもギャンブルを辞めることはなくエスカレートしている自分の行動にも気づくこともないまま、どんどん酷くなっていった。
当時、学校に通う為に定期券を3か月に一回購入していた。
勿論そのお金は親からもらってJRの切符売り場で朝、定期の継続手続きを行い支払っていた。
その3か月に一回の日に3万円渡された時は既にギャンブル脳に支配されていた。
定期を購入しなくては絶対ダメだと分かっていたし、定期がなければ通学ができなくなることも分かっていた。
そして当時高校生の自分にとって3万円というお金の大金はアルバイトを1か月頑張ってようやく得ることのできる金額という金額のでかさもしっていた。
でも、初めてパチンコ屋に行った時に1000円が28500円になった事が忘れることもできず、このお金でまたあの時の勝ちを得ることができれば定期も買えるし自分の所持金も確保できる。
そうやって勝った時のイメージだけがどんどん膨らんでいき、定期を購入せず切符を購入し3万円のお釣りを財布に入れた。
親には定期を買っていつも通りにその金額のお釣りを渡せば不自然ではないと思い帰った後の計画もしていた。
財布の中で2万5千円と4千円と数百円を分けて入れて親には4千円と数百円からお釣りの金額を渡そうと心に決めていた。
しばらくは定期代を使い学校帰りはウハウハだった。
そして週末まで切符で通学し学校が休みの日に2万5千円以上もってパチンコ屋へ行く事ができた。
勿論、勝つイメージしか持っていなかった。
気持ち的にもいつもより余裕があり、正直負ける気なんて全くなかく意味不明にも自信に満ち溢れていた。
そして友達と一緒に朝から気合を入れてパチンコ屋に行った。
友達とは隣通しで座り、最悪どっちかが出ていればメダルを分け合いながら二人して勝つタイミングを見計らっていた。
前半は互いに結構好調なスタートをきった。
当時は1回BIGを当てれば1撃で500枚以上獲得できる機種もあり、その台で3回~5回くらい浅いところで連チャンしたらわずか数十分で4万円~5万円になることもあった。
そこで、二人で2回~3回の連チャン狙いで取り分を半々にするという作戦で勝負にでた。
最初は数千円の投資でBIGを引き当て、その時点ではもちろんかなりプラスであった。
しかしそんな直ぐに止めるはずはなかった。
頭の中では5万円くらい勝つイメージができていたから引き当てたメダルで更なる当たりを目指してぶん回した。
そしてそのメダルが無くなりお金を追加投資し、また引き当てと繰り返しながら時には当てたメダル内で次の当たりも引いたりを繰り返していた。
恐らく、1番良い時は二人合わせれば2000枚近くのメダルを所有している時間もあったと思われた。
結果、夕方まで粘り友達がスロットそろそろ止めて飯食ってカラオケ行こうと言い出したので止めて二人で獲得したメダルを換金してお金を分配した。
結果的には一人4千円くらいプラスで終わった。
全然いい結果だったと思う。
そして、友達とプラスになったお金で外食をしカラオケに行き夜帰宅した。
家に帰り改めてスロットでプラスになったお金で豪遊して帰ってきて良い気分になり、また明日も打ちに行こうと心に決めていた。
そして、今日は二人だったから勝ち分も半分だったけど、明日は一人で行って勝った分は全て自分の儲けにすればデカい勝ちの時は、もっと好きな事にお金を使えると思っていた。
そして次の日に一人でパチンコ屋に行った。
前日と同じ機種を打ち気づいたら、あっという間に当たりも引けずに1万円が無くなった。
でも大丈夫。まだ1万5千円は財布にある、もう1万円以内で当たれば直ぐに1万円分くらいは取り返せる。
そう思い追加で5千円投資し5千円が一瞬で無くなった。
少し焦っていた。あと1万円あるが、これを失ったら学校への切符も買えないしヤバイなと思った。でも昨日は1万円も使っていないのにすぐ当たって今日はあっさりと1万円どころか1万5千円が無くなった。しかも1回も当たりを引かずに。
あと1万円使ったところで当たりが来なかったらどうしようと不安が急に襲い掛かってきた。
正直、泣きそうになった。
親に内緒で定期のお金をギャンブルで使って、しかも無くなったとか最悪じゃん。
自分は一体何をやっているんだ。
勝ったお金を好きなことに使うというのは買い物でもバンド活動でもなく、ただのギャンブルに使っているだけじゃないか。
どうしよう。。。
そんな時に吹っ切れた。
いいや、1万円無くなったら親に定期落としたって言えば学校に行けなくなるから絶対新しい定期買ってくれるじゃん。
だったらこの1万円で勝負するしかないな。と思った瞬間、一気に不安が消えむしろ何故か意味不明に余裕になり精神状態も安定した。
そして1万円を追加で投資した瞬間、次の1千円入れたとこでやっと当たりを引けた。
残金9千円で500枚以上のメダルを獲得したことにより、現金換算したらパチンコ屋に来た時の状態からマイナス2~3千円程度じゃん。
あと1回当たり引いたらプラスじゃん。やっぱスロットは凄いなと勝手に関心して獲得したメダルで遊戯を続行した。