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えきたい

作者: 朝しょく

この物語は完全なるフィクションです。

特定の会社、団体、個人を侮辱するつもりはありません。医学的な根拠もありません。

不妊や不衛生な行為、人によっては不快に感じる描写があります。


「マサミ、走ったら危ない」

 背後から女性の声が聞こえて顔を上げる。黒いロングシャツに黒のジーンズを着た大人の女性が、子供を追いかけているところだった。子供は黒いズボンに真っ黒でもこもこした上着を着ていた。

 子供と女性は手を繋いで一緒に公園に入ってきたので、吸っていたタバコを消した。灰皿が置いてあるので禁煙ではないはずだが、子供の前でタバコは厳禁だ。

 遊具は滑り台とブランコと鉄棒だけで、他にはトイレと薄汚いベンチしかないのにやけに広い公園で、私と女性と子供の三人だけがいた。子供は滑り台で遊んでいて、女性がそのサポートをしていた。私は入り口から一番離れた場所にあるベンチに座って、二人を薄ぼんやりと見ていた。

 ポケットに入っている携帯が震えた。確認すると母からで『そろそろ戻ってきなさい』というメッセージだった。

 母はいつも連絡が早い。きっとタバコを三本吸ってから戻っても間に合うだろう。でも今日はそうせずに戻ることにした。

 公園の出入り口へ向かう途中でもう一度親子を横目で見た。二人とも、ずいぶんと暗い格好をしている。まるで喪服みたいだと思った。自分が今まさに喪服を着て、先ほどまで喪服を着た人間に囲まれていて、これからまた喪服を着た人間の中に紛れるから、自然と連想してしまったのだろう。

 けれどもしかすると、彼女らも参列者の付き添いかもしれない。子供に葬儀は退屈だろうから、近くの公園に来た。

 なんて考えを巡らせても正解はわからない。


 親しかった叔父が亡くなった。叔父は医者で、田舎で小さなクリニックをやっていた。葬式には人が大勢来て、豪華な花もたくさん届いていた。

「これからどうしよう」

 叔母が呟いたのを聞いた。叔父と叔母に子供はいない。病院は閉めることになる。

「できる限り協力するよ」

 叔母の妹である私の母が言った。そう言ったせいで、私は叔父の家にある倉庫を掃除することになった。

 決して叔父や叔母が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。昔から優しくて会うたびにお菓子をくれた。夏休みには家へ泊まりにも行った。叔父と叔母には子供がいないからなのか、二人ともとにかく私に優しかった。

 だが、それと掃除は別問題である。私は掃除が苦手だ。恐らく叔父もそうだった。

 叔父は多趣味で、倉庫には物が溢れていた。いや倉庫に限らず叔父の部屋にもいろんな物がたくさんおいてあった。

 少しずつ少しずつ片付けていき、掃除を始めて二日経った頃、キャンプで使う飯盒の中に手紙が入っているのを見つけた。

 危ない。そのまま捨ててしまうところだった。患者さんからの手紙はスチール缶にまとめて入っていたのに一通だけ別で保管してあるなんて、もしかしてとても大事な手紙なんだろうか。

 差出人を見ても何も書いていなかった。そもそも宛名が『先生』のみ。よく見ると切手も、消印の跡もない。

 直接先生に渡したんだろうか。それとも直接病院か、家に?

 少し考えてから中身を見た。


『先生はこういった話を聞いたことがありませんか?

 ホテルの客室清掃員の女性が、客室のゴミ箱に捨ててあった使用済みコンドームを自身の膣に流し込み、妊娠したという話。これはフェイクニュースで、まるっきりの嘘なのですが、ある有名人は使用済みコンドームを使用されないようにするため、中にタバスコを入れて精子を殺そうとするそうです。どちらの話も、男性は大富豪で、玉の輿に乗るために女性が奮闘する話なので、一般的な年収程度の私には関係のない話です。そんな心配もない話です。

 ですが、質問です。先生。事後、コンドームの中に残った精子で妊娠することは可能なのでしょうか?』


 これはプライベートのことが書いてある手紙だ。読んではいけない手紙かもしれない。と思っても、私は好奇心を抑えることができなかった。


『結婚して二年、なかなか妻との子供が出来ませんでした。まだ二年目、とは思いますが妻とは五年間付き合っていて、二、三年目辺りで何か結婚のきっかけがあればと内心授かり婚を望んでいました。そしてようやく子供ができて結婚することになったのですが、残念ながら子供は生まれてきてはくれませんでした。それと一緒に、結婚の話も保留になり、きちんと籍を入れたのはそれから一年半後です。

 それからさらに二年後、そろそろ本格的に妊活の治療を始めようかと話している頃、私はある罪を犯してしまいました。


 私はホテル清掃をメインとした派遣会社で働いています。少しだけややこしいのでちゃんと説明したことはありませんでしたが、私自身は派遣会社の正社員で、派遣先のホテルの清掃員をまとめたりアメニティや備品等の在庫管理をしています。

 妻はパートで働いていて、工場で検品作業をしているそうです。私一人の稼ぎだけで生活するにはこころもとない不甲斐なさはありましたが、妻自身は外に働きに出たいらしく、お互いこの生活に満足していました。


 私の普段の仕事内容を、先生には話したことはあまりせんでしたね。

 簡単に説明すると初めに十数人いるパートさんを二人一組ずつのチームに分け、ホテルのエリア毎にチームの振り分けをして掃除をしてもらいます。その後同じ派遣会社の社員やバイトと共に客室のゴミ回収とベッドシーツを回収し、次の部屋へ行きます。

 それをメインに繰り返しますが、部屋で問題(例えば電球が切れている等)があればパートさんから連絡が入り対応にあたります。回収が終わればゴミの分別、シーツの仕分け、明日のためにアメニティとシーツの準備をします。隙間時間にシフト表を作成、倉庫で在庫の計算や発注をし、ホテル内で会議があればそれにも出席します。

 仕事が終わればフロントに連絡をして、たまにお客様の荷物運びも手伝います。


 仕事以外の家では、昔話していた通り、朝は妻の作った料理を食べ、妻の方が先に家を出るので見送った後に皿洗いと洗濯物を干してから家を出ます。

 仕事をして帰ってきたら風呂に入り、ご飯を食べて、妻の好きなドラマや映画を見ながら明日の仕事のチーム分けを考える……。

 毎日仕事で小さな問題の処理をしているので、毎日同じ日はないですが、人生が変わるような大きな問題も起こらないため似た日々を過ごしている、という、そんな日々を送っています。代わり映えのない毎日です。先生と違って他人の人生に深く関わるようなことはありませんでした。


 その日は朝から少し嫌なことが続いていました。

 妻が寝坊をしてしまい、私はいつも通りに起きたところ、妻に起こして欲しかったと怒られてしまいました。いつも私の方が遅く起きるのだからそんなこと出来ないだろ、と言葉が出掛かりましたが妻と言い争いをしたくなくて素直に謝りました(本当はただ面倒だったからなのかもしれません)。

 確かこの話は先生に話したと思いますが、コンビニで会ったホテルの従業員から清掃のパートが休憩室を占領してしまっている問題を相談された日のことです。お酒を飲んでいたので覚えていないかもしれませんね。

 他のホテルにはあまりないらしいのですが、うちには昼休憩が30分だけ設けられています。一応、休憩室が混雑しないようにチーム毎に時間をズラして休憩に入ってもらっていますが、それでも6、8人程の人間が一気に休憩室に入ることになるため、狭い休憩室では休憩しようにも人が多くて休憩できない、と言っているホテルの従業員がいるとのことでした。

 その相談に対して私が「それなら客室で食べてもらうことにしますか」と話したら、その日の会議で休憩室の件が議題に上がり、コンビニで会った従業員が私の言ったことを解決策として提案してそれが通ってしまったと言う話です。

 ここからは話していませんでしたが、それを私はパートさんたちに伝えなければいけません。

「申し訳ありませんが」と朝の会議であったことをまとめて伝えるとやはりブーイングが出ました。

 昔は休憩室でご飯を食べるのは休憩している人に申し訳ないからと、食堂で昼ごはんを食べていたのですが、派遣会社のパートが食堂を利用するなと注意を受けて、休憩室でご飯を食べることになった話まで飛び出しました。

 前日に泊まったお客様の香水の匂いを私たちは必死で消しているのに、どうして匂いが発生するご飯を客室で食べなければならないのか、等の愚痴や文句を言い合っているのを、同じ派遣会社の社員が宥めていました。しかし誰も聞く耳を持ちません。この社員は私より年上ですが最近入ったばかりの新人で、結婚歴もなく実家で両親と暮らしている彼のことを、パートの人たちは下に見ているように感じます。

 仕方なく私が強引に理念の唱和を始めました。毎朝仕事を始める前にしていることです。そうすると全員がお喋りをやめて唱和を始めるので不思議です。休憩室の問題をなあなあで片付けました。


 そもそも日常において、仕事をする上で、小さなストレスは後を絶ちませんよね。派遣会社への当たりの強さや、パートの方達の小言。些細なことですが私にとってはストレスだったのでしょう。

 それに、お客様という人種は本当にたくさんの種類が存在します。ベッドを血だらけにして黙って帰る人、コップを割って黙って帰る人、自分の家にゴミ箱がないのかゴミ箱の中身は空っぽなのに部屋中をゴミだらけにして帰る人。アメニティを持って帰るだけにとどまらずトイレットペーパーやシャンプー、リンスまで根こそぎ持っていく人。

 毎日思います。どうして他人の汚物である経血ついたナプキンの掃除をしなければならないのか。どうして禁煙室でタバコを吸うのか。どうしてゴミを撒き散らして帰るのか。他人が掃除をしてくれるからなんでもしていいと思っている人は、一体どんな家庭で育ったのか? 私は客のママでも、父親でもないのに。

 あるとき好奇心で私は、宿泊者たちの名前をSNSで調べてみたことがあります。彼らの住んでいる都道府県も分かるので、名前や県名で検索すると、意外にもすぐに本人らしい人間がヒットしました。

 何故本人らしいと分かるのかというと、SNS上に『今どこへ旅行に来ているのか』ということを写真付きで載せているからです。具体的な地名が書かれていなくても地元民ならその写真がどこなのか分かってしまいます。

 ホテル周辺の観光地で遊んでいること、遊んでいたこと、ホテルの夕飯等を載せて文句を書いていること、部屋が汚い、部屋が綺麗、値段相応、等を写真付きで、本名で登録したSNSに掲載している。ホテルにとっては良い宣伝にはなりますが、上手く使わないととても危険なものですね。


 ホテルとは部屋を売っている場所であり、お客様とは部屋を買っているのだから好きにしても構わない。部屋が汚れているのは仕方ないと理解しています。それを掃除することが私の仕事であると理解しています。でも、それでも、不快に思うことまではどうやっても止められません。作業だと割り切っていても酷いものは酷いと思わざるを得ません。

 私は今までこう言った愚痴は口に出したことはありません。家でも話していません。先生と飲んでいるときも話したことはありませんよね?

 人としてあり得ない。不快である。と思っていても思うだけに留めています。出来る限り無心で作業をしています。

 なので、こうして書いてしまったことをどうか許してください。手紙の内容は全てここだけの秘密にしてください。

 先生のおかげで私はこんな日頃のストレスを解消することができていたと改めて思います。本当に感謝してます。


 話が脱線してしまいました。

 私の何かが変わってしまったのは、その日、ベッドの上のゴミを拾ったことがきっかけでした。

 掛け布団を剥がした時、ティッシュを拾いました。後で捨てようとポケットに入れました。汚いと思うかもしれませんが、もはやそういったことは気にしていられません。手早く作業しないとパートの人たちがベッドメイクをしに来てしまうのです。時間に追われている私は、ゴミ一つ捨てに行く時間すら勿体なく感じていました。

 昼休憩が終わるとやはりパートさんから連絡が来ました。部屋に弁当のにおいが残っている気がすると言うのです。なので清掃が全て終わった後に、私はパートさんが昼食を食べた部屋のにおいを確認することになりましたが、においは何もしませんでした。その確認作業が終わってフロントに連絡すると、数十分清掃が遅れましたねと言われました。

 それでもなんとか仕事は終わり、帰宅後いつも通り洗面台で手を洗う前にズボンのポケットを確認しました。ゴミを洗濯してしまっては大変なので毎日行っている作業です。

 当然ゴミの存在に気がつきました。いつもなら何も考えずに捨ててしまうティッシュのゴミを、何故かその日は広げてしまいました。

 使用済みのコンドームでした。それを見た時、私は何か怒りに似た感情が湧き上がってきたのを覚えています。今思うとそれは嫉妬でした。私には子供が出来ません。なのにこの人は避妊をしている。

 私は疲れていたのかもしれません。その頃はどうにか妻を妊娠させなければいけないと焦っていた時期だったと思います。


 先生には一切話していませんでしたが、妻は流産した数ヶ月後に自殺未遂を起こしていました。家にあった鎮痛剤や市販されている風邪薬や飲み残した病院で処方された薬を全て飲んでしまったのです。一番危ないと言われたのは処方されて飲まずにいた××××でした。おそらくこれが原因で妻は幻覚を見ていました。ずっと謝っていました。子供が出来ないのは自分のせいだと言っていました。

 産婦人科では流産の原因は特になく、受精卵が上手く成長が出来なかったため排出してしまったのだと説明をされていました。成長出来なければ排出される、生き物として当然の行為であると丁寧に説明を受けましたが、それを妻は、医者はそう言うしかないだろうと、患者を責め立てることを言わないだろうと、思っていたようでした。

 流産後の妻はなんでもないように見えていましたが、よくよく思い返すと、流産してからは毎月「もしかしたら妊娠したのかもしれない」と言っていました。それは全て勘違いでしたが、ずっと子供が出来ないことに悩んでいたのだと思います。私はそれに気づけませんでした。

 自殺未遂をした後、妻はますます落ち込んで突然泣き出すようになり、さらに寝つきが悪くなったようでした。精神科にかかりましたが、医者からは生活する上で困っていないのだから気持ちの問題だと言われて、睡眠薬しか貰えていませんでした。確かに産婦人科医の言うことを妻は歪曲して捉えていたので、そういうものなのかと思いました。

 それから一年ほど経って、籍を入れてからは何も知らない親戚から、パートさんから、結婚の次は子供だと言われていました。私ですらあんなに言われたのだから、妻は私以上に言われたことは想像に易いでしょう。

 子供のせいで妻は死のうとしたのに、周りは当然のように子供を求めるのです。でもそれは妻も同じです。妻も子供を求めていました。


 その日の晩、妻と寝た時にゴムの中身を潤滑剤として使いました。今考えるととても恐ろしいことです。避妊をするのは子供を作らない以外にも理由があるのです。感染症などにかかったらどうするんだと自分でも思います。

 明らかに冷静ではありませんでしたが、そのときの私はそれが正しいと思っていました。私は三十歳を超えていて、妻はまだ二十代でした。三十歳を超えると精子の量が減ると聞いたことがあるので、他人の精子でもいいから妊娠してくれないか、他人の子供でもいいからどうにか妻に子供ができないだろうか、妻が子供を産んでくれないだろうか。そうしたら私も妻も正常であると証明できるのに、と思っていました。


 妻に子供が出来て性病検査した結果、運良く何にも感染していませんでした。私も当然検査しましたが何もありませんでした。本当に運が良かったと思います。一度だけではありませんでしたから。

 妊娠が発覚してからはつわりがつらそうでしたが、つわりがあると言うことは子供がいると言う証拠なので妻は安心しているようでした。むしろ安定期に入って少しの時期だけつわりが軽くなると不安そうにしていました。


 私がとんでもないことをしたのだと自覚をしたのは、妻の妊娠が臨月が近づいてきた頃のことです。

 人手不足で本社から上司が手伝いにきたことがありました。

 久しぶりに会った上司は、話していないのにもうすぐに父親になるらしいねと、私に話しかけてきました。私は愛想笑いを返したのか不安を吐露したしたのか覚えてはいません。

 上司は上記に書いた、パートさんから舐められている新人の彼に対して「君は結婚していたんだっけ?」と聞きました。です。彼は「していません」とただ一言だけ言えばよかったのに「実は」と婚約していた彼女に浮気されて、自分の子供ではない子供を育てさせられそうになった話をしました。

 その話を聞きながら、私は血の気が引いていくのを感じていました。


 妻のお腹の中の子は本当に俺の子なのか?

 そんなことあるわけがないと思います。でも、万が一を考えてしまいます。

 先生には、子供の名前について私の名前から一文字取ったと言いましたね。でも本当は、この子は正真正銘自分の子供だと信じて「真美」とつけました。

 それから子供が無事に産まれて、少し緊張が解けました。妻も子供も無事に産まれてくれて、産んでくれて嬉しかった。

 でもこの子は自分の子じゃないのかもしれないと疑いながら生活することになりました。

 DNA検査をしようかと悩みましたが、そんなこと妻に提案したら浮気を疑っていると思われてしまいます。もし一致しなかったら妻には一切心当たりがないのに知らない男の子供を産んだことになってしまいます。妻が浮気をしていてくれればと、最低なことが頭をよぎったこともあります。

 正直に話そうかと思いましたが、自分のしたことの悍ましさを受け入れてくれるわけがありません。ようやく産まれてきてくれた子供なのに、私のせいで不安にさせたくありません。

 毎日そのことについて黙り続ける日々。秘密にし続ける日々。話してしまえば楽にはなりますが、この生活は終わってしまいます。


 先生、こんなこと先生にしか聞けません。他人に話せるわけがない。バカげたことをしたと、そんなことあるわけがないといつものように笑ってください。

 使用済みのゴムから妊娠することは』



「マミ」

 振り返ると母が立っていた。

「なに、掃除全然進んでないね?」

「あ……進んでるよ。この辺キャンプ用品が多くて……未開封の、新品のものが多いから売れないかなって、思ってるんだけど……」

「そう? 後でおばちゃんに聞いてみようか。今からみんなで昼ご飯食べるから、台所に来てね」

「うん、わかった」

 歩いていく母を見送った後、視線を手紙を戻した。

 手紙を持つ手が震える。この手紙は、いつのものなのだろう? 手紙が入っていた封筒を確認しても、やはりただ『先生』とだけ書かれている。手紙の最後を読み切っても差出人である彼の名前も書いていない。

 手紙に書いてあるのはただ筆者の娘の名前だけだった。

 この手紙は、誰にも見られてはいけないものだ。

 私は手紙をビリビリに破いて、燃えるゴミの袋の、できるだけ奥の方に入れた。

「マミ、ご飯だよ」

 と母屋の方から母の呼ぶ声がした。

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