第12話 下雪当主の思惑は
下雪家当主は報告書を食い入るように読む。
「春彦が久世有里奈と付き合い始めただと!?」
「はい。しばらく前から2人きりで会う機会が増え、先日正式に交際を始めたとの事です。」
確か1年ほど前に春彦が交際を申し込んだ時にはまるで相手にされなかったと聞いていたが、いつの間にそんな事になっていたのか。
「とにかく春彦から一度話を聞こうか。」
秘書に春彦を呼ぶように言うと、深く椅子に腰掛けて思案する。
1年前、春彦を粉雪次期当主である冬香と婚約させようと画策した。粉雪の現当主に話を持ちかけた際にはあちらは乗り気ではなかったが、粉雪と下雪の両家はもちろん本家に対してもメリットが大きい事を説明し、根回しや本家への説明などはこちらが行うことなどこちらがかなり譲歩する事で何とか首を縦に振らせたのだ。
そこには春彦と冬香の年齢が比較的近いことや、春彦自身の努力家で自分を律することができるという性格、何より冬香とはそこまで親密では無いが特に嫌い合っていたわけでもない…などいった背景ももちろんあった。
半年程かけて一族内で根回しを進めて、いざ本家当主に報告と許可を得ようとしたまさにその直前に、冬香が廿日市かのんとかいう何処ぞの小娘と電撃結婚したのだ。
あの時の衝撃は忘れようとしても忘れられない。それが冬香の暴走による勝手な結婚であれば本家に働きかけて無効にさせようものであるが、なんと本家当主が正式に認めた結婚だというのだから驚きだ。加えてその理由が「一族の悲願である回復術習得の標準化を可能とする人材である」とされるのだから異を唱えようが無かった。
だがよくよく調べてみれば回復術を教えるのは、かのんではなくてその友人の久世有里奈という人物であるという。その後は久世有里奈との接触を試みるも上手くいかなかったり、かのんは分家当主の嫁としての振る舞いを卒なくこなしたりと、もはや完全に後手に回っている事を察したため冬香を含めたこの3人に下手なちょっかいは厳禁だと判断した。
そんな中で始まった回復術の指南。対象として「適性は高い筈なのに念術の発動に難がある人物」かつ「出来るだけ分家の強い立場に近い人物」という事で、条件に合致した春彦を指定した。…まあ冬香とかのんが主催する場に敢えて春彦を送り出すという行為にはほんの小さな意趣返しの意図が無かった訳では無い。
蓋を開けてみれば久世有里奈を含めた彼女達の力は本物であった。春彦は無事に回復術を収めて来たし、ついでで送り出した悠木綾音は呪術という回復術とは別の術を覚えて来た。これだけの成果が出ていれば本家の判断は正しかったと認めざるを得ない。だからこそ久世有里奈をなんとか下雪に取り込みたいと思っていたら、そんな自分の思惑とはまるで関係無く春彦が有里奈に交際を申し込みそして断られてしまった。
ここまでが1年前の状況だ。
その後、有里奈の指導は続き春彦はメキメキと力を伸ばした。春にはBランクの魔の物の単独討伐まで成し遂げて、そこまで息子を鍛えてくれた有里奈に対してはもはや取り込むだのを通り越して今後も良き師として末永く指導して貰えれば有難いと思っていたのだ。それがいつの間にか交際し始めたとは…。
下雪当主がそこまで考えたところで春彦が部屋にやって来た。
「当主様、お呼びでしょうか。」
家族とはいえ、よっぽどプライベートな場でなければ当主として接するのが一族のルールだ。だから春彦は当主を父ではなく当主と呼んだ。
ここで考える。春彦と有里奈の関係を訊くにあたって当主として接するべきか、父親として接するべきか。ここは少し距離を縮めつつ話をするべきだろうと結論付けた彼は少しだけ砕けた口調で春彦に話しかける。
「ああ、ちょっと訊きたい事があってね。…座りなさい。」
春彦は促されるまま椅子にかけた。
「単刀直入に聞こう。春彦、お前と久世有里奈さんとの関係についてだ。」
「…報告が行きましたか。」
「残念ながら我々に完全なプライベートは無い。それが下雪を支えるものとしての責務だ。とはいえ春彦は三男だ。あまり五月蠅い事を言うつもりはない。」
そこで一呼吸置くと、少しだけ声を強め続ける。
「だがそれも相手による、という事だ。彼女が白雪一族にとってどれだけ重要な人物か、分かっていない訳ではないだろう?」
春彦は神妙な面持ちで頷く。
「分かっています。」
「本当に分かっているのか?お前達が仲睦まじくしているうちは良いが、仮に酷い別れ方をした場合、彼女が金輪際白雪グループに力を貸してくれなくなる可能性がある。そういったリスクも踏まえた上での行動かと聞いている。」
「それはっ…。」
そこまで考えていなかったのだろう。春彦は清廉な性格だ。これまで特に交際した相手も居なかったので「別れ」について具体的に考えるに至っていないのだろう。これが彼の兄達であればそれなりに女性との交際に慣れているのできちんと相手を選ぶ。要は良くも悪くも影響の大きい相手にはそもそも手を出さないのだ。
例えば、春彦と有里奈の間に子供が出来てしまったら。春彦は「責任を取る」と言うだろうが、具体的にどうするのか。彼女と結婚するのか、シングルマザーにしてしまうものの金銭的な援助をするのか。有里奈はどちらを望むのか、そこに対する障害は何があるか。そういった事を事前にフォローしておくのが下雪家の…というより大人としての最低限の責任の取り方だ。出来ちゃった!どうしよう!俺が働くよ!なんてそこらの猿と変わらない。春彦に責任感がないわけではなく、経験不足により少し想像力が足りていないだけではあるのだが。
だからこそ余計なお節介と言われようと、当主としてこの時点で釘を刺しておく必要があった。
「春彦も久世さんも同い年で21歳だったな…一般人の感覚としては少し早いが、結婚するには早すぎるという事はない。」
「当主様!結婚などとは…彼女とはまだそんな話はしておらず、彼女の気持ちすら分からない段階で勝手に話を進めるわけにはっ…!」
いきなり嫁に迎える話を始める当主に思わず口を挟む春彦。
「それが下雪家の人間としての自覚が足りないと言っているんだ。じゃあ彼女とはお前に正式な婚約者が出来るまでの遊びという事か?」
「自分はそんなつもりではありません!」
「春彦がそう思うのであれば、彼女にも確認した上で…もしもお互いに一緒になる気持ちがあるのであれば、最低限の根回しはしておけ。」
「…承知しました。」
項垂れる春彦に当主は優しく声をかける。
「お前は下雪家の三男として、家督を継げるわけでもなく、かと言って好きに恋愛が出来る立場では無い。不便な立場を押し付けていて申し訳ない。
だが、もし彼女と真剣に将来を考えているのなら出来る限りのサポートをしよう。…打算的な話で気を悪くするだろうが、正直に言って彼女ならお前の嫁として才能も人柄も問題無い。
一度きちんと話をして、彼女が良いと言うのなら挨拶に来なさい。」
「もし、彼女には将来的に自分と一緒になるつもりは無いと言われてしまったら…。」
「お互いに遊びのつもりで付き合い続けるならそれでも良いさ。だけどそれでもお前が一緒になりたいと望んでしまうなら、さっさと別れた方がお互いの為だろうな。
これは父親としての忠告だが、自分と結婚するつもりは無いと明言した女性を振り向かせる事は基本的に出来ないと思った方がいいぞ。付き合っていればいつかは…などといった考えは捨てろ。」
苦笑しながら当主は語った。春彦は父にも昔、母以外の女性と何かあったのだろうかと思ったがそれを聞くことは出来なかった。
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春彦さんと付き合って1ヶ月ほど。お互い忙しいので毎日会うわけにはいかないが、それでもなるべく時間を見つけて会うようにしていた。最近は回復術指南の実践編で、講師と生徒という立場ではあるが顔を合わせる機会が増え、密かにそれを楽しみにしている自分がいる。
とはいえ訓練は訓練。手を抜いても彼の為にならないと思い、今日も容赦なく地面に転がすのだが。だが何度か彼を転がした段階で違和感に気付く。
「春彦さん、今日は訓練に身が入ってないですよ。心ここに在らずというか。…集中出来ないなら今日は終わりにしますか?」
「…さすが有里奈さん、そこまでお見通しか…。今日の訓練が終わったら時間をとって貰えないだろうか。」
深刻な表情で聞いてくる春彦さん。もしかして別れ話かしら。私は彼の要望を了承し、他の参加者に向き合う。生憎私はここで動揺して崩れるほど柔なメンタルでは無いので、春彦さん同様に雫さんや冬香ちゃんといった回復術師の面々と、ついでにかのんも床に転がし続けた。
訓練も終わり、シャワーを浴びて着替えたら春彦さんと合流する。冬香ちゃんは私と春彦さんが付き合ってる事を知っているのでそれとなく2人きりにしてくれた。
「さて、どうしました?」
緊張した面持ちでソファに座る春彦さんの隣に私も腰掛ける。
「あの、有里奈さん…。」
「はい。」
彼はしばらく次の句が出なかったが、グッと決心したように拳を握り私に向き合った。
「僕は、有里奈さんといつか結婚したいと思っています!有里奈さんは、僕との将来について、どう考えていますか!?」
唐突に将来の話をされてしまった。これは一種のプロポーズかしら?別れ話かもと思っていたので真逆の展開は考えてなかったな。流石に少し慌てつつ、言葉を紡ぐ。
「あ、ありがとうございます…。えっと、私もお付き合いしている以上はいつかは一緒に慣れたら嬉しいなとは思ってます…。」
「…っ!ありがとうございます!」
「いえ、こちらこそ…。でもいきなりどうしたんですか?」
私の答えに嬉しそうに笑った春彦さんは、ハッとした表情になり説明してくれた。私と付き合い始めた事で下雪当主…春彦さんのお父様に呼び出されてどういうつもりかと聞かれたらしい。お互い短期間の遊びのつもりなら構わないが、そうでないならきちんと挨拶に来なさいという事であった。
「事情は分かりました。そうですね、春彦さんの家柄を考えたらこちらからご挨拶させて頂きたいと言い出すべきでした。申し訳ないです。」
「いや!僕が気付かないといけなかったんだ。」
「ご挨拶に伺う日ですが、私はいつでも大丈夫ですよ。ご当主様のご都合に合わせます。」
なんなら今日でも、と付け加える。まあ分家の当主様ともなれば基本的に忙しいのでさすがに今日会おうとはならなかったが、二日後に1時間ほど時間をとって貰うことが出来た。
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春彦と話した翌日には、有里奈と共に挨拶をしたいと返事が来た。この拙速さは純粋に評価できる。
予定を調整して二日後に時間を作ったところ、当日彼女は地元の老舗の銘菓詰め合わせを手土産として持参した。おそらくわざわざ買いに出向いたのであろう。こう言った気遣いが出来るところも好感が持てる。
いかんいかん、良きにせよ悪しきにせよ先入観は目を曇らせる。下雪当主はその目で有里奈の人となりを見極めるべく、気合を入れて応接室に入った。
簡単に挨拶を済ませてお互いソファに腰掛ける。
「今日はわざわざ来て頂いて、御足労をかける。」
「いえ、こちらこそお時間作って頂きましてありがとうございます。ご挨拶に伺うのが遅くなりまして…。久世有里奈と申します。春彦さんとは少し前から良いお付き合いをさせて頂いております。」
深々と頭を下げる有里奈を見て、肝が据わっているなと思った。春彦の兄2人の嫁もきちんとした娘であるが、それでも下雪当主との初対面時には固くなっていた。しかし目の前の娘は至って自然に振る舞っている。なるほど、確かな実力に裏打ちされた自信が見て取れる。
その後、春彦を間に挟んで有里奈の大学で学んでいる事柄や卒業後は大学院に進んで研究を進めたいといった話を聞いていく。
「さて…不躾な質問で恐縮だが、有里奈さんは将来的に春彦とどうなりたい?」
いよいよ核心に迫る。すると有里奈は、少し困った顔をして春彦を見た。春彦は頷くと私に向き合って宣言する。
「父さん、僕は有里奈さんが大学院を卒業したら結婚したいと思っている。有里奈さんも同じ気持ちで居てくれているんだ。」
「なるほど…。それは、下雪家に嫁いでくる意思があると受け取っていいのかな?」
「春彦さんはこう言って下さってますが、正直に申しますと下雪に嫁ぐという事に対するハードルの高さがきちんと分かっていないんです。」
有里奈は少しずつ言葉を紡ぐ。
「僭越ながら、私は現時点で白雪様への回復術指南において講師として重用して頂いております。その中で図らずも実力を示して来ていますので…。
この1年間で白雪家の事情に対しては少しばかり勉強させて頂いておりますので、私が春彦さんと一緒になりたいと言ったところで、はいそうですかとは認められないであろう事は察しています。」
そこまで言うと有里奈は一度言葉を区切る。そして少し溜めた後にただ、と続けた。
「もしもご当主様が認めてくださるのであれば、是非とも春彦さんの妻として、下雪に名を連ねさせて頂きたく存じます。」
そう言ってフワリと微笑んだ有里奈を見て、当主は一気に彼女に惚れた。勿論女として抱きたいと言う意味では無く、是非とも春彦の嫁に来て欲しいと言う意味で。
彼女は暗に「嫁に来てやっても良いけれど白雪本家や他の分家とのしがらみはそっちで解決してくれよな?」と匂わせたのだ。本来そんな事を言ったらどれだけ失礼か。現に春彦は有里奈の隣で目を丸くしている。もちろん有里奈もわかった上で言って来ているのだ。これを言っても当主は怒らないと判断した上で。
「フハハハハ!春彦、お前は本当に良い娘を捕まえたな!頼むからくだらない浮気などをして愛想を尽かされんでくれよ。」
当主はそう言って笑うと有里奈に向き直った。
「その豪胆さも気に入った!良いだろう、白雪一族には私が必ず認めさせよう。それまでは正式に婚約者として扱うわけにはいかないが、ひとまず下雪家内では婚約内定といった認識で良いかな?」
春彦と有里奈は再び顔を見合わせると、当主に向かって深く頭を下げる。
「ありがとうございます。よろしくお願い致します。」
これが白雪家会合の前日、夕方の話であった。




