第10話 カナコの心境変化
カナコは待ち合わせのホテルに入る。最初こそ緊張したが、回数を重ねる毎にそんなものは無くなってきた。慣れとは恐ろしいものだ。
レストランに入るとウェイターが寄って来て、自分の名前を告げると奥の席に案内される。航はまだ来ていなかった。毎回約束の時間に10分ほど遅れて来ていたから、意趣返しされちゃったかしら?なんて考えつつお行儀良く席で待つ。こういう時、あえてスマホは触らない。『誘惑』は強力なスキルだが本気で人を操るのであればスキル以外の部分、表情や仕草といった所作でも自分に惚れされるべきだと言うのがカナコの持論だ。それが土壇場で明暗を分ける事になる時が来ると、なんとなく考えていた。デート中にスマホを気にする女なんて以ての外でしょう?
心の中で誰にともなくそんな風に語りかけつつ航の到着を待つ。しばらくすると航が焦った様子で現れた。
「ごめん、待った?」
「ううん、さっき来たところ。」
「収録が長引いて…ホントごめんな。」
「いつも私がちょっと遅刻しちゃってるから、気にしなくていいよ。」
航が席に着くとウェイターがドリンクメニューを持って来る。航は自分用にワインを、カナコにはノンアルコールワインを頼む。
ほどなくコース料理が運ばれて来る。航は最近の出来事や、新曲のモチーフに悩んでいる事など当たり障り無い話をしてカナコはそれに相槌を打つ。その様子はもはやカップルのそれであった。
ファンミーティングの後に航から連絡を貰って個人的に会う様になり、秘密のディナーもこれで5回目。10日に一度ほどの頻度で航からお誘いが来るのでカナコはそれに応じていた。最初はお互いに固かった言葉遣いも自然と砕けてきた。たっぷり時間をかけてディナーを楽しむと時計の針はだいぶ遅い時間を指していた。
航は意を決したようにカナコに話しかける。
「カナコちゃん、今日はこのホテルに部屋を取ってあるんだけど。」
「…ううん、帰る。」
カナコはこれまで、航に身体を許していない。敢えてお預けにして彼の気を惹くという狙いもあるが、ここで引き留めさせる事で次の会話に持っていく狙いがあったのだ。
初回のデートではあっさり引き下がった航。2回目から4回目のデートではそもそも誘ってこなかった。そして今日、久しぶりに部屋に誘って来たというわけだ。カナコとしてもそろそろ次のステップに進みたいのでここは引き留めて欲しいのだが…。
「俺は、まだ信用してもらえないのかな?」
来た。まあもうちょっと情熱的に誘って欲しかったが、この辺りで及第点だろう。カナコは準備していたセリフを言った。
「そういう事じゃ無いけど。…今こうして一緒に食事出来てるだけでも信じられないくらい幸せなのに、これ以上幸せになったら…それを失った時に立ち直れない気がするのが怖くって。」
「失う事が怖いの?」
「ええ。だって航さん、他に好きな人がいるでしょ?」
「居ないよ!俺はカナコちゃんが…。」
「アリナさん。」
「…っ!?」
「異世界で愛し合っていたんでしょ?」
「あの話を信じているのか?」
「あの動画、見たから。」
「…誰も本気で信じてないし、プロモーションだったってのが巷の噂になってる。」
「私は信じるよ。」
「異世界だぜ?」
「異世界は、あるよ。」
航の目を真っ直ぐに見つめて答える。
「ああ、確かに異世界はあった…。俺はそれを鮮明に覚えているけれど、証明する方法も無いんだ。」
「動画で話していた言葉があるじゃない。「この言葉だけで十分な証明になるわ」。」
カナコは『異世界言語理解』のスキルを使い、航にしか分からないはずの言葉を使った。
「なぜその言葉をっ…!?」
驚愕のあまり目を見開く航に対してカナコは微笑む。
「私もあっちにいた経験、あるから。」
………。
航が予約した部屋。航とカナコは備え付けのローテーブルを挟んで向かい合っていた。
「それで、カナコちゃんが異世界にいたって話だけど…。」
前のめりに聞いて来る航を軽く制して、カナコはルームサービスで頼んだノンアルコールワインを口に含む。
「…先に航さんの話を聞かせて欲しい。」
そうでないと適当に合わせる事が出来ないから。
「ああ、そうだな。少し長くなるけどいいか?」
「うん。ただ、正直に話してね。アリナさんの事も、誤魔化しちゃイヤよ。」
「…わかった。」
航は異世界での出来事をカナコに語る。王国に召喚されて魔王を討伐する様に依頼された事、聖剣に選ばれた勇者と呼ばれた事、魔王討伐とはその実ただの侵略戦争でしかなくその過程で多くの敵を屠った事、有里奈と恋仲になった事、魔王を倒したものの元の世界には帰れずにあちらで命を落とした事。
その過程で航は3人の仲間達についても言及する。
「10年以上も…大変だったんだね。」
「ああ、しかも最後はよく分からないまま…有里奈の術でも治らないタチの悪い風邪を拗らせて、そのまま眠る様に死んだんだと思う。気付いたら召喚されたままの姿に戻って、まさに召喚されたその日に帰って来てたんだ。夢かも知れないと思ったけど、10年の記憶は確かにあるし…何よりあの動画を公開したあと有里奈から連絡があったんだ。」
「そうなの?」
「ああ…自分にはもう新しい彼氏がいるから忘れてくれってさ。」
「そんな!酷くない!?」
「…有里奈は、俺の動画を見るまで異世界の事を忘れていたらしい。だから仕方無かったんだ、彼女は悪くないさ。」
…恐らく「有里奈」は航を振るために嘘をついたのだろう。それどころか動画を見なければそのまま異世界での思い出を無かった事にするつもりだったのではないだろうか。10年以上も付き合っておいて、なんて身勝手な人だろう。カナコは自分も航を利用するために接近している事実を棚に上げて腹を立てた。
「そんな都合の良い記憶喪失があると思う!?絶対嘘ついてるよ!」
「…だとしても、俺が振られた事実に変わりはないからな。むしろ記憶が無かった事にしておいた方が救いがあるだろ。」
「だって!10年以上付き合ってたんでしょ!?」
「まあ倦怠期というか…飽きられてしまったのかもな。」
航の言葉を聞いて、カナコの中で有里奈がどんどん悪女として形成されていく。
「まあ、そんなわけで有里奈に未練が全く無いかと言われれば嘘になるかもな…でもそれはもう一度だけ会ってちゃんと話をしたい、何を思って俺を突き放したのか、異世界ではどんな気持ちで俺と一緒に居たのかって確かめたいって思いが強いし、この状況でもう一度付き合いたいなんて思うほど未練がましいわけじゃ無いよ。
それに…今の俺にはカナコちゃん、君が居る。」
急に真剣な眼でカナコを見つめる航。カナコは思わず紅くなった。
(何照れてるのよ、彼は利用するために近付いているんでしょ!)
心の中で自分を叱咤する。
「航さんの事情は分かった。…けど、有里奈さんへの未練が残ってるけど私が居るなんて、酷い口説き文句ね?」
「確かにそうだな、我ながら酷い。」
お互いに苦笑いをした。航はテーブルの上のワインを飲むと、姿勢を正す。
「さて、俺の異世界での記憶は以上だ。…カナコちゃんの話も聞かせてくれるかな?」
「ええ、そうね。…航さんにとっては少しショックかも知れないけれど…おそらく、私達は異世界では敵同士だったわ。」
カナコは航に異世界での出来事を伝えた。航の言う「魔族国」の王によって、侵略国の勇者達に対抗する戦力としてクラス全員が召喚されてから、国が滅びるまでの経緯を。ただし自分も戦争で命を落としたと結末のみ変えて話し、今でもチートスキルが使える事は当然明かさない。
「なんてこった…俺達がそんな事を…。」
「お互いに知らなかったんだから不可抗力よ。気にして無いわ。それに、私を殺したのは『紅蓮の魔女』よ。」
「いや、かのんだけが悪い訳じゃない。全員同罪だよ。」
「…まあその辺りは航さんと私の気の持ちようだからどっちでもいいけど。それに言うほど恨んでもいないわ。」
実際問題、カナコはかのんに殺されていないので恨むもクソも無いのだが。
「そう言ってもらえると救われる思いだ。」
時間がだいぶ遅くなってしまったので、カナコはそのまま泊まる事にした。だが航は結局カナコに手を出さず、ソファに眠った。カナコとしては別に抱かれても良かったのだが、航は「きちんと俺を信用して貰えるようになってからで構わない」と言って同衾を望まなかった。
(ヘタれと言うよりは、今日のところは紳士的と評価しておいて良いかしら。)
ソファで眠る航を見ながらカナコは考える。彼に近付いたのは異世界で得た力で白雪グループに対抗するための戦力として取り込むためであった。今日話を聞いた限りでは聖剣さえあれば比類なき強さを発揮できると思われる。肝心の聖剣が無いのが致命的ではあったが。
しかし得られた情報は想像以上であった。特にユウキが戦いたがっている紅蓮の魔女の正体がわかった事が大きい。名前さえ分かればあとはどうにでもなるだろう。
逆に想定外だったのは、自分の事を比較的正直に話してしまった事だ。当初は航に合わせて適当な街で数ヶ月過ごしたとでも言うつもりだった。だが彼の自分に対する態度を見て、気が付けば正直に話してしまっていたのだ。危うく自分の狙いまで全て話してしまうところだったと思い返してヒヤヒヤする。
航は良くも悪くも真っ直ぐだ。その感情を正面から受ける事で自分の中に生じている想いにカナコは気付いていた。だが自分にはそれに応える資格は無いとも思う。
だから、これ以上深入りしない方が良いだろう。
(そういう意味でも、頃合いね。)
結論付けたカナコは微睡みに身を任せた。
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翌日、ユウキと合流したカナコは航から聞いた話を共有する。
「聖剣か…。多分なんとかなるぜ?」
そういうとユウキは魔力を集中した。しばらくするとその手には一振りの剣が握られていた。
「これが聖剣?『光魔法』にこんな能力があったの?」
「前に話しただろう。他の奴らのチートスキルを模倣できないか試してみるって。その成果の一つだな。『聖剣創造』と『魔剣創造』ってスキルがあったのは覚えてるか?」
「魔剣創造は上野君のスキルでしょ?聖剣の方は…忘れちゃった。同じようなスキルじゃ無いの?」
「いや、同じような名前で別物なんだ。聖剣創造は文字通りの聖剣を作り出す。剣自体に斬撃を飛ばしたり持ち主を強化するような能力が備わってるんだ。一護の卍解みたいなもんだ。」
「知らないわよ、少年漫画のネタなんて。」
「じゃあいいや。次に上野の魔剣創造は魔力で剣を量産できるんだけど、これで作れる剣はナマクラらしいな。だから上野は剣を作りながら敵に撃ち出すって戦い方を編み出していた。」
「ユウキが作ったその剣はどっちなの?」
「これは聖剣だな。あくまで模倣だから本家の『聖剣創造』で作ったやつほどの能力は無い。とはいえこれがあれば航もそれなりに戦えるようになるだろう。」
「ふーん。」
「だけど俺の補助が無ければ戦えないなら、わざわざ味方に引き入れるほどの才能でも無いな…。白雪グループ全体と戦うには弱い。」
航に対して興味を無くしたと言った様子のユウキ。それを見てカナコは一応聞いてみる。
「ねえ、ユウキ。本当に白雪グループと戦うの?」
「なんだ、今さら怖気付いたのか?」
「…というか、色々やってる間に興味が無くなって来たというか。別に大きな組織に盾突く必要も無いでしょ。」
「だけど俺は戦いたいと思ってるんだよな。」
「あなたが戦いたいのは白雪グループ全体って訳じゃないでしょ?」
「まあそうだけど。」
「私が紅蓮の魔女と心置きなく戦えるように舞台を整えてあげるわよ。」
「ふーん、どうやって?」
ユウキはニヤニヤしながら訊ねてくる。
「それはこれから考える。まだ名前しか分かってないわけだし。」
「まあそれで良いや。それでカナコはどうしたいんだよ。」
「…私は有里奈と航をぶつけるわ。」
カナコの提案にユウキは思わず身を乗り出す。
「おいおい、どういう風の吹き回しだ?」
「別に。それが面白そうって思っただけよ。」
ツンとした表情のカナコを見てユウキは考える。ははあ、さてはコイツ、航に惚れたな?それで航をこっぴどく振った有里奈に逆恨みして航と戦わせようって魂胆か。女は怖いねえ。
「何よ、変な悪い顔して。」
「いやいや、待ったかいがあって楽しくなりそうだなって思っただけだ。」
「…そうね。」
「さて、そうと決まれば修行だな。なんてったって紅蓮の魔女には上野も負けてるんだ。せっかくカナコが航から魔女の情報を仕入れて来てくれたことだし、しっかり対策を練らないとな。
じゃあお膳立ての準備、よろしく。」
よっと身体を起こして軽くストレッチをしたユウキはそのまま部屋を出ていく。一人部屋に残されたカナコはパソコンを開く。
「さて、魔女と有里奈について、どうやって調べようかしらね…。」
カナコが有里奈と航を戦わせようとしている理由、それはユウキが考える逆恨みとも少し違う。端的に言えば身勝手な有里奈に腹を立てているだけではある。しかし航の話を聞いて、もう一度有里奈と話したいという彼の望みを叶えてあげたいとも思ったのだ。だけど素直にセッティングする気にならない程度にはカナコの中で有里奈は悪女であった。航を操って有里奈に後悔させてやる。
これまで恋をしたことの無いカナコは、自身の拗らせた想いが暴走しているという事実に向き合えなかった。




