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第5話 聖騎士との邂逅

 さて街中で不意に元恋人に出会ってしまった時の正しい対処法とはなんであろうか。もちろんこちらは会いたくなかった前提だ。答えは以前、私の親友が実践して見せてくれた。


 他人のフリ。これに尽きる。


 つまり徹底的に他人の空似を貫くのである。有里奈が航に出会った時の対応、あれが100点満点だ。まあそのあと暴走した航が痛い歌を作ったりアホな動画を晒したりとその後の相手の動き次第で面倒になる事例に繋がったけれど、そんなところまでは責任が持てない。


 という事で私もいつか何処かでうっかり幸に出会ってしまったら有里奈の動きを参考に他人のフリを決め込もうと思ったのだ。


 でもさあ、まさかラーメン屋で相席するとは思わないじゃん?道で出会ったなら知りません分かりません済みませんで良いけど、もう厨房でラーメン作ってるんだよね。このタイミングでのエンカウントは想定してないって。


 という事で初手に盛大にしくじった私はとりあえず軌道修正を試みる事にした。


「…ところでどなたですか?」


「…覚えてないのか?」


 お、いけそうな雰囲気?


「多分、初対面だと思うんですけど…。」


「あ、ああ。すみません、人違いでした。」


 いけた!いけたよ!有里奈メソッドの有用性がここに証明されました!エイドリアーン!頭の中にロッキーのテーマソングが流れる。


 あー、焦った。美味しくラーメンが頂けなくなるところだったよ。安心して隣に座る冬香を見ると、複雑な表情をしていた。


「かのん。私、そういう態度はどうかと思う…。」


 ほぇ!?


「予期せぬ再会であっても、誠実さは必要よ?」


 ほえぇー!?


 混乱する私をよそになんと冬香は自分から幸に声をかける。


「あの、すみません。この子ずっとボケた振りをしてますけど本当は何も忘れてないし、あなたと初対面じゃ無い

…たぶんあなたが想像している「かのん」で間違いないと思います。」


「えっ!?」


 いきなり冬香から援護が来て訳がわからないと言った様子の幸。こっち見るな、私だってこの展開は訳が分からん。


 そうこうしているうちにほとんど同時に私達3人分のラーメンが運ばれてくる。そのまま無言でラーメンを啜る私達。なんか冬香とシェアする空気でも無くなって、黙々とラーメンを食べる。もはや味なんてよく分からなかった。


 冬香はさっさと食べ切ると1000円札を机に置く。


「じゃあ私は先に戻ってるから。かのん、フライトには遅れないでね。」


 そういうとさっさと1人で出て行ってしまった。


 まだラーメンが半分近く残っている私はただ頷いて去って行く背中を見送るしか出来なかった。


 無言で残りのラーメンを啜る。ふと向かいを見ると、幸も複雑な表情でこっちを見ていた。このまま無視して出て行ったら、幸はともかく冬香が納得しないんだろうなあ。


 私は観念する。


「えっと、さっきはすみません…。本当は全部覚えてます、かのんです…。」


「…ああ、久しぶり…。」


 ラーメンを食べつつ間の抜けた挨拶を交わした。


---------------------------


 冬香は1人で札幌の街を歩く。理解のある女を演じて外に出たけれど胸は張り裂けそうな思いでいっぱいだった。


 2人の会話と態度を見た瞬間、この人がかのんの元夫だと確信した。全く予期していない遭遇ではあったが、もしもいつか出会う事があったらきちんと向き合わなければならないとは思っていた。そしてその時はおそらく、かのんが気まずそうに紹介してくるんだろうななんて勝手に想像していた。


 ところが実際にあったかのんは他人のフリというこれ以上ない情け無いやり方でやり過ごそうとした。おそらくかのんも心の準備ができていなかったとか、隣にいる自分に気を遣ったとかあるのだろうけれど。それでもそんな姿は酷く醜く映ったし、かのんが自分の目の前でそんな事をするのは見たくなかった。


 だから、衝動的に彼女の嘘を暴いてしまった。しかしその後が続かない。かのんと元夫は互いにどう声を掛ければいいのか分からないと言った表情で目線を合わせないし、そこに自分がこれ以上入って行く気もしなかった。


 2人きりにしてその場を離れたのは気を利かせたからではなく、居た堪れなくなったからだ。


「浮気されたらどうしよう…。」


 冬香は、嫉妬深い。


 実は有里奈とかのんの仲の良さに嫉妬する事も多い。二人の間に恋慕は無いと確信しているがその代わり友情以上…ある意味家族以上に強い絆で結ばれているのを感じる。30年近く一緒に居たから仕方が無いとはいえ、自分の知らないかのんを有里奈が知っているのが悔しかった。しかしそんな自分の感情を慮って接してくれるからこそ、有里奈の事が嫌いになれない。この感情に折り合いをつけて有里奈と接する事が出来るようになったのは実は比較的最近の話である。


 やっと有里奈との仲に気持ちの整理がついたというのに当のかのんと言えば怜には姉として慕わるわ、他校に潜入調査をすればカワイイ女子生徒と親密になって帰ってくるわで無自覚な女たらしである。鈍感系主人公を同性に対して発揮しまくってるのが性質悪い。


 留学について行く事を決めたのは、かのんに説明した理由の他にも自分の目の届かないところにあの子が一人で行ったらどこで新しい女の子を引っ掛けてくるかわかったものでは無いからという理由が大きい。


 そんな冬香にとって元夫というのは有里奈以上に心穏やかでは居られない相手である。


「なんであんな事しちゃったんだろう…。」


 冷静に思い返せば先程かのんが他人のフリをした時に余計な事をしなければ良かったという事になる。でもそれはそれでやっぱり嫌だったし…。


「我ながら、面倒臭い。」


 つまりかのんには元夫に対してみっともない態度をとってほしく無いけれど少しでも想いが残っていたら嫌だし、元夫にはハッキリとかのんと決別してほしい。でもその場に居合わせて2人が話すのを直視する勇気も無いから二人で完結してほしい。


「なんて勝手なんだろう…自分が嫌になる。」


 一番醜いのは私だ。


 こんな感情をコントロールする方法は知らないし、こんな時に頼れる人は一人しか思いつかない。


 冬香はスマホを取り出した。


---------------------------


 ほとんど味の分からないラーメンを食べ終えた私達は店を出た。


「とりあえずどこかに入って話そうか…?」


「そだね。お腹は一杯だけど適当なお店に入ろうか。」


 目についたカフェに入る。カフェの横にはさっきと別のラーメン店があって、さっきこっちの店にしておけば幸に会うこともなかったんだよなあと後悔が押し寄せる。


 席に通されたので紅茶を頼む。


「相変わらず紅茶が好きなんだな。」


「うん、まあね。」


 そんな私のことを覚えてます的な発言をされても正直困ります。


「全部覚えてるのか?」


「うん。」


「どうしてとぼけたんだ?」


「いやあ、なんか気不味くて…色々と。ごめんなさい。」


「ああ、それは構わない。俺もいきなり声をかけて済まなかった。」


 …暫し沈黙。私の紅茶と幸のコーヒーが運ばれてくる。コーヒーを一口飲んだ幸は、意を決したように口火を切った。


「俺が死んだ後の事、聞いてもいいかな?」


「ああ、そうだね。気になるよね。」


 私は幸が、死んでから私が死ぬまでの20年弱について掻い摘んで話をする。とはいえ彼が居なくなったあとは子育てで忙しかったよって話しか無いんだけど。


「そうか、エリーは無事に嫁に行ったんだな。父親不在で苦労させたんじゃ無いかと不安だったんだ。」


「その代わり母親が二人居たからね。寂しい思いはなるべくさせないようにしたつもりだよ。」


「ありがとう。有里奈にもお礼を言いたいところだけど…そういえばかのんは有里奈や航とは再開したか?」


「有里奈とはだいぶ前に。航とは会ってないけど、私達に向けたメッセージ動画を出したのは知ってる?」


「メッセージ?知らないな。」


 私はスマホに保存しておいた航の痛メッセージを幸に見せる。


「…これをホームページに公開したのか?馬鹿だな。」


「まあ私達以外は何を言っているか分からないと思ったんじゃない?」


「かのんはこの番号に電話したのか?」


「してないよ。もうこの番号も繋がらないし。」


「そうなのか。…有里奈は連絡したのかな?」


「電話して、もうこっちで彼氏が出来たから自分のことは忘れてって言ったらしいよ。」


「そうなのか!?それはなんというか…航が可哀想だな。」


「航からすればあっちで死ぬ瞬間まで有里奈が恋人だったけど、有里奈からすればそのあと10年以上生きたわけだからね。流石にもう一度付き合いたいとは思わなかったんだと思うよ。」


「その後の時間に違いがあるんだよな。…それはかのんも、だろう?」


「………。」


 幸の少し寂しそうな瞳になんと答えれば良いのか返答に迷う。


「言わなくても、10年以上見てきたんだ。もう俺に対して何とも想って無い事もわかるさ。さっき一緒にいた女の子が今の大切な人なんだろう。」


 そこまでわかっちゃうのか。さすがというべきか何というか。


「うん。さっきの子が私の奥さん。」


「奥さん!?ってのことは結婚したのか!?」


「はい、もう人妻です。」


「マジか…それは想定外だ…。」


「なんかごめんね?」


「いや、いいんだ。…今は幸せなんだよな?」

 

「うん。好きな人と一緒だから。」


「なら良かった。」


「…もしかして幸も私の事、探してた?」


「正直言って全く探して無かった。」


「マジかよ。」


「しばらくはみんなどうしてるかなって思ってたんだけどな。こっちで連絡を取る手段も無いし、縁があればいつか再会出来るかもなってぐらいに考える事にした。

 …それに実は、俺にも今は婚約者がいる。」


「え、結婚するの!?私以外の女と!?」


「待て待て、それは流石にブーメランが大き過ぎないか!?」


「ふふ、冗談だよ。」


「ああ、知ってる。」


 思わず顔を見合わせて笑い合う。


「最初はかのんとエリーの事が気になってたんだけどな、しばらくしたらあれは全部夢だったような気もしてきて。まあ酔った勢いで会社の同期にそんな話をしたら笑われてしまって。それがきっかけでよく話すようになって趣味も合うのが分かって…それで付き合うようになったのが今の婚約者だ。

 そんなわけで俺は俺で幸せにやってるから、かのんは俺の事は気にせず幸せになってくれ。」


「うん、ありがとう。お幸せに。」


「…連絡先は交換しない方がいいよな?」


「うん、そだね。元夫の連絡先があったら私の奥さんは嫉妬すると思うし、幸の婚約者さんだって元妻の連絡先があったらいい気分はしないと思うよ。」


「元夫と元妻か。確かに俺たちってそういう関係だな。」


「まあ日本では今が初対面だから、こっちの戸籍にはノーカンだね。」


「違いないな。」


 ハハハと笑い合う私達。


「なあ、かのん。最後にひとつだけ頼みたい事があるんだが。」


「お別れエッチはしないよ?浮気はしない主義だし。」


「違うわっ!…もしも有里奈の連絡先が分かるなら、ここで電話して貰えないか?さっきも言ったけどエリーを育てて貰えたお礼を言いたいんだ。」


「ああ、そういうことか。いいよ。」


 私は有里奈に電話をかける。


「もしもし有里奈、いま電話大丈夫?」


―大丈夫だけど、幸と一緒に居るんじゃないの?


「何で知ってるの?あ、冬香から?」


―そう。凹んでたわよ。


「それはちゃんと話をするよ。それで、幸が有里奈と話したいんだって。」


―何それ?


「とりあえず変わるね。はい、どうぞ。」


 幸に電話を渡す。


「もしもし、有里奈か?幸だ。ああ、かのんに会ったのは偶然だな。いや、詳しくはかのんに聞いてくれ。俺から伝えたいのはエリーを無事に育ててくれたお礼を言いたかっただけなんだ。

 はは、有里奈も相変わらずだな。かのんもすっかり元気になってて安心したよ。…そこは安心してくれ、俺にも今婚約者がいるんだ。今さらかのんとどうなろうとは思ってないし、多分もう二度と会う事は無いと思う。だからこそこの機会に有里奈に礼を言いたかったんだ。…ああ、有里奈も元気でな。」


 幸は言いたい事を伝えると電話を切って私にスマホを返す。


「ありがとうな。有里奈も元気そうで良かったよ。」


「どういたしまして。幸も元気でね。」


「ああ。」


 カフェを出る。


 入った時のどうすればいいのかという思いとは打って変わってスッキリとした気分であった。


 最後にお互い笑顔で手を振って別れる。


 こうして私と元夫との邂逅は、至って平和に終わったのであった。


---------------------------


 札幌駅で冬香と合流する。


「お待たせ。」


「…もういいの?」


「うん。冬香のおかげでちゃんと話が出来たよ。ありがとう。」


「バカ。」


 冬香が抱きついてくる。当然周りの目を引いてしまう。しかしそんな事はお構いなしにぎゅっと力を込めて抱きしめてくる冬香。


「あの、冬香さん?」


「…まだ、もう少し。」


 こんな風に甘えたがるのはいつも私の方なので、冬香がこういう態度を取るのは珍しい。やはり元夫と二人きりという事で気が気でなかったのだろう。私は安心させるように頭をポンポンと叩く。


「大丈夫。私は冬香一筋だよ。」


 冬香は一度私から離れると潤んだ瞳で私を見つめてくる。


「ねえ、かのん。」


「うん?」


「キスしたい。」


 …ここで!?


「ここではちょっと…家まで我慢は、」


「出来ない。」


 流石に往来でキスする度胸は私には無い。どうしよう、この辺りが人目がない場所ってなると…多目的トイレか!?あそこならキスしてイヤらしい気持ちになってもそのまま致せるってお笑い芸人が言ってた気がするし!


 いや、流石に無いわと心の中でセルフツッコミを入れていると冬香は私の手を引いて歩き出す。


 そのままタクシー乗り場まで行くとさっさと乗り込んで「ここまで」と運転手にスマホを見せた。タクシーに揺られる数分間、冬香は私の手を強く握りしめる。降りたのは目の前にいわゆる恋人同士が利用するホテルであった。


 そのまま混乱する私の手を引いて部屋に入る。


「あの、冬香…こういうところに来るのって、」


「初めてに決まってるじゃない。言わせないでよ。」


 そういうと私をベッドに押し倒し、強引に口付けをしてくる。たっぷり数分間はキスをしてやっと冬香が唇を離す頃には、私もしっかりスイッチが入る。


「冬香、愛してる。」


「うん、私も。」


 私達は帰りの飛行機の時間なんてすっかり忘れてお互いを求め合った。


 その後やっと冷静になったのは飛行機の便の変更が出来る時間ギリギリだった。慌てて夜の便に変更して急いで空港へ移動、なんだかんだその日の内に家に帰ることは出来たものの時刻は午前様ギリギリ。「遊ぶなとは言わないが節度を保つように」とお義父様に怒られてしまったのであった。

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