プロローグ
品川ユウキと池袋カナコの行動原理は「楽しく生きたい」だった。異世界で彼らが戦争を生き延びた理由は、その原則に従って決して無理をしなかったからだ。
召喚された直後、彼らはクラスメイト達に己のチートスキルの効果を過小に伝えた。真価を伝えれば最前線に投入され、危険に晒されると判断したからだ。狙い通り後方でのサポート部隊に割り振られた。
ここまでは他のクラスメイトの中にも同じことを考える者は居た。ユウキとカナコが他の者より一歩強かだったのは「最弱役はそれはそれで危険である」と判断して完全な無能を演じなかった事である。
スキルの強さによって自然と生まれたクラス内のヒエラルキーの中間層に位置する事で前線にも後方にも、その時々でより安全な方を選ぶ事が出来る。こうして比較的安全に戦争を乗り切って居たユウキとカナコ。お互いが同じ事を考えているのはすぐに分かったが、あえて彼らは協力しなかった。チートスキルの違いにより立ち位置を確保する手段が異なった事もあるが、お互い単独の方がやり易いと考えて居たからだ。
だから今、こうして日本で一緒に行動しているがこれは2人にとって初めての事であった。ユウキがカナコに声をかけた理由は「その方が楽しくなりそうだった」に尽きる。そしてカナコもそれが分かったから迷わず彼の手を取った。
「とはいえ、日本で逃亡生活を続けるのは楽ではないわよね。素直に白雪グループに囲われた方が良かったんじゃないかしら?」
「そうは思わなかったからここにいるんだろ。俺は別に強制はして居ない。」
ユウキが雪守の動きに気付けたのは運が良かったからだが、その幸運は彼の行動によりもたらされた事を考えればある意味では必然だった。
チートスキル持ちの新宿ユキヒロが行方不明、上野レイジと恵比寿ハツネが学校を休んだ。これを偶然と捉えなかった彼は残りのスキル持ちを監視する事にした。そして大久保コウメイに雪守渚が接触する場に立ち会う事が出来たのだ。
渚の隣にかのんがいれば気配察知や魔力察知によりユウキの存在に気が付けたが、生憎その場にいたのは雪守の人間のみであったためユウキが光の屈折を利用して姿を隠している事に気が付く者は居なかった。その時点でユウキのチートスキルを知らなかった渚を迂闊と呼ぶのは流石に酷だろう。
そんな経緯で雪守の存在とその理念、そして自分達に首輪をつけようとしている事を知ったユウキは考えた。このままチートスキルを封じられて一般人として生きていくのか、自分のスキルで天下の白雪グループと真っ向から対立するのか。悩むまでもなく後者だった。退屈だが平穏な日々は異世界で十二分に満喫した。せっかく手に入れた第2の人生をあくまでアディショナルタイム程度に捉えていたユウキは、むしろこの好敵手達の登場に心を躍らせたのである。
「それでユウキ…どうやって白雪グループと戦うの?」
「せっかくだから仲間を増やしたいと思ってる。上野や恵比寿まで負けたとなれば俺とカナコだけじゃ戦力的に物足りない。」
これまでは互いに異世界の記憶を持つクラスメイトでしかなかったため「品川君」、「池袋」と呼び合っていた2人だが共犯者となった事で距離が変わった。無意識に名前で呼び合うようになったのはそんな心境の変化によるものだ。
「彼らが負けるほどの相手なんてそれこそそこら辺の一般人をどれだけ集めても無意味だと思うけど。…どこかの国の軍隊でも乗っ取っちゃう?」
カナコの『誘惑』は対象を味方につける事が出来るスキルだ。その気になればいくらでも仲間は増やせるが、しかし有象無象を仲間にしても意味がない。軍隊ならばと言ってはみたが戦闘機で白雪本社ビルを攻撃する光景を想像してもあまり楽しそうだとは思えなかった。
「仲間にするのは同じ異世界への召喚を経験した人物だな。」
「7人以外のクラスメイトね?多分雪守がマークしてるから接触するのはリスクが高いわね。…誰を引き込むの?」
リスクが高いといいつつカナコは既にやるつもりだ。多少のリスクはスパイスだし、それを乗り越えていくのは戦闘機で攻めるより随分楽しそうだからだ。しかしユウキの答えはカナコの予想を裏切るものだった。
「クラスメイトは却下だな。全員記憶もチートスキルも失っているし、そもそも紅蓮の魔女に負けた連中を引き込んでも仕方がない。」
「それはそうだけど、じゃあ他に誰がいるっていうのよ?」
ユウキはスマホを操作して保存した動画をカナコに見せる。そこにはテレビで見たことのあるどこかのバンドマンが映っていた。
― みんな、この動画を見ているって事は無事に帰って来れたんだと思う。あんなに帰りたいって思ってたのに、いざ帰ってきたら心にポッカリと穴が空いたような虚しさを感じているよ。
― わけも分からず死んじまって、みんなに迷惑をかけた事を謝りたい。いや、それ以上に、みんなにもう一度会いたいんだ!みんなで会って、あの世界であった事は夢じゃない、そう確信しないと、俺は次の一歩を踏み出せないのかも知れない。そんな風に思うんだ。
― この動画を見たら俺に連絡して来てほしい。電話番号は XXX-XXXX-XXXX だ。
― 最後に、一緒になるって約束していたのに1人にしてごめん。アリナ、愛してる。
そう、例の勇者が仲間達に向けてホームページで公開した動画だ。オリジナルは既に削除されているがその前にユウキは自分のスマホに動画を保存しておいたのだ。
「これは…異世界語?」
「ああ。俺たちみたいに『異世界言語理解』を通していないナマの異世界語だな。」
「私達以外にも異世界に召喚されたやつがいたのね。…ああ、そういえば紅蓮の魔女もそうなんじゃないなって新宿君が言ってたかしら。」
「だからコイツはその紅蓮の魔女の仲間だったんじゃないかって思ってる。勘だけどな。」
「ここでいってる「アリナ」が紅蓮の魔女かしら?」
「どうだろうな。だけどこんな動画を公開するって事はあっちはまだ接触してないんじゃないか?」
「元の動画は消されたんでしょ、つまり既に接触済で用が済んだから動画を消したとも考えられるわよ。」
「だけどやってみるのも悪くない、だろ?」
ユウキはニヤリと笑う。
「そうね。じゃあとりあえず彼に接触する方法を考えないと。」
「ちょっと近づいてパッと誘惑は出来ないのか?」
「誘惑は直接接触しないと出来ないのよ。そしてより深く誘惑しようとするならある程度長い時間触れる必要があるの。相手が有名人だから無理に触りに行ったら周りの人間に取り押さえられてしまうわ。」
「なるほど。」
「某アイドルグループみたいに握手会をやってくれていれば楽なんだけど。…ちょっと彼へのアプローチは考えてみるわ。」
そう言って悩むカナコの顔は、新しいオモチャを与えられた子供のそれだった。
「よろしく。別に急いでないから、一番楽しくなりそうな方法で頼む。」
「勿論よ。…ユウキはどうするの?」
「俺はちょっとチートスキルを鍛えてみようと思ってるんだ。」
「『光魔法』を?今でも十分強いじゃない?」
「単純な火力というより、他のクラスメイト達のチートスキルを再現出来ないかなと思ってる。」
「そんなこと出来るの?」
「だからそれを鍛えてみるんだって。光属性っぽいやつならいくつか行けそうなのはあると思うんだけど、出来たら戦術の幅が広がるだろ?まあダメ元ってやつだよ。」
「なるほどね。あんまり期待はしないでおくわ。」
カナコはパソコンを立ち上げる。動画の男はDragon’s Gateというバンドのボーカルらしいので、彼らのホームページを開いて接触できる機会を探る。
「ああ、まあ精々楽しもうぜ。」
ユウキはカナコを抱きしめる。
「今はもうそういう気分じゃ無いわ。もっと楽しくなりそうな事が見つかっちゃったもの。」
その手を払い除けながらカナコはパソコンと睨めっこだ。
「残念。もう一発やってから話をすれば良かったな。」
ユウキはシニカルに呟いてひとりシャワールームへ向かった。




