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洗礼の秘蹟

 幸い、この時の市民団の願いは洗礼であった。


 マリヤの知っているものは洗礼者ヨハネ由来の、頭に少量の水をそそいだり身体に水を振りかけるキリスト教式のものだが、もちろんゴッデスにそんな宗教はない。ものの、それでもいいらしい。

 本来は幼子への入神の意味合いがあるが、ここでは種類問わず神々との最初の契約を意味するという。日常生活に欠かせない魔法を使うたびに彼らは神々と接するので、幼い時に必要な習慣だそうだ。


 どの神由来の儀式か知らなくとも、マリアンヌが許した以上意味があるとのことだった。

 誰もが神を介して魔法を使え、その都度、実際神が出現するゴッデスにはいわゆる特定の宗教や宗派がないという。

 なにせ、他宗教の神は間違ってると言ったところで全ての神が実際に現れる。神本人が語れもするので、「神はこう言っている」だのと代弁者となる人の間で意見が分かれることもない。


「……羨ましいですね」


 そんな説明を聖堂でキキに用意してもらった道具での洗礼の合間に聞きながら、マリヤは本心から思った。


「わたしがゴッデスに訪れる前にいた世界は、信仰を巡る戦争が頻発していましたから」と。


 とはいえ、疑念がわく知識も得た。

 なにせ、この世界での神々は盗賊たちが使役したのがそうだったように元世界と同じものだった。なのに源泉は全然違って、イメージと名前が一致するだけで他は独自の神話に根ざしているという。


 なにより、アブラハムの宗教の神だけはなぜか存在が抜け落ちていた。アブラハムの宗教とは、キリスト教を含む、ユダヤ教、イスラム教などの信仰である。

 この神だけが、ゴッデス神話に登場しないのだ。周辺の天使や悪魔は独自の神ということで存在するというのにである。


「――神様ですか? わたしが神、ミカエルですが」

 気になって、洗礼後にお礼をしたいというある市民に頼んで問題の神と同一宗教の大天使たるミカエルを呼んでもらったのだが。尋ねて最初に返ってきた答えからしてこれだった。


「いえ、だからあなたの使える神ですよ」

 マリヤが追求するも、背部には後光を頭上には光輪を有し純白の翼に西洋甲冑を着込んだ黄金長髪で欧米風の美男子といった容貌のミカエルは、首を捻る。

「天使は天使という種の神として座しています、わたしはその一柱ですが」

「だから天に仕えるってことでしょ、何に仕えてるんですか?」

「天さんでしょうかね」

「て、天さん。何それ」

「天さんは天さんでしょ。空の上の方ですよ」

「いあやまそうでしょうけど」


 いくら質してもこの調子だった。

 ミカエルといえば四大天使でも最もメジャーなレベルで、神に次ぐくらいの実力があるはずの天使なのにである。


 翻って、ルシファーを呼べるという市民もいたのでそちらにも頼んでみた。

「――神に成り代わる? 我は元より神だが」


 ルシファーは悪魔の首領ともされる天使で、こちらはミカエル以上の神に次ぐ実力であったといわれる。ためにあるとき神に成り代わろうとして叛逆し失敗、地獄の王になったとされる。

 なのに、そんなことを言う。


「いやだから」マリヤは指摘する。「元天使とかじゃなかったんですか。外見からしてミカエル様と似てらっしゃるし、翼とか光輪の色はどうして?」


 ミカエルと酷似した容貌ながら銀髪で、彼とは違って黒い翼に光輪と後光のルシファーも、首を捻る。

「我と奴は双子だからな。ミカエルは人にとっての善神としての要素を多く持ち、我は悪神としての要素を多く持って生まれたのみ。互いに初めから、そういう神であったというだけのこと」


「じゃあどこから生まれたというんですか」

「そりゃどこからかだろう、おまえはどうだというのだ?」

「それはお母さんからですよ」

「母か、我にはない概念だな。いい母だったか、おまえが美しさを継いでいるのは明白だが」

「え、ええ? ――って話そらさないでください!」


 とはいえこちらも、いくら会話してもこの調子であった。


 そもそも元世界で彼らが属していた宗教は一神教。神は唯一神ただ一柱だけで、天使は天使、悪魔は悪魔でしかない。各々が神を自称している時点でありえないのだ。


 そんなわけでさすがにうんざりし、以後マリヤはこの件での追及は諦めることにした。

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