差別の秘蹟
グレアムは、妹クインクレインを庇うように立ち塞がった。キキーモラをつかんでない方の手のひらを、シスターたちに向ける。
「堕天し叛逆し神に成り代わりし祈願に応えよ、ルシファー!」
「ええっ!?」
ついさっき話題にしていた魔王の名に、マリヤはビビる。とはいえ、以前この世界の話を聞くべく呼び出してもらった神ではある。
そのときは、凶悪な印象はなかったのだが。
ドン!
畑を一個潰した魔法陣から、そいつは出現した。
「感謝するぞ、相応しき魔力を振るえる機会に!」
もはや、土地への侵入者と所有者を分かつように屈んでいる巨体は、確かにルシファーだった。
以前洗礼を頼まれた際に、呼べる人がいるというので疑問解消のために召喚してもらった面影がある。
長身で銀髪、黒い翼に光輪と後光を背負う美男子。のはずが、牙と角を生やし、翼は蝙蝠染みたものとなり、体長自体が以前の倍ほどもあるのだった。
「だ、誰ですか」思わず、マリヤの口をついて出た言葉だ。「いえ前にお会いしたルシファーに似てはいますけど、こんなデカかったりいろいろ凶悪そうではなかったはずですが」
「初日に聞きましたでしょう」
後ろで、マリアンヌが緊張を孕んだ声で補足する。
「この世界の神々は祈りの分しか働きませんわ。あの少年たちの普段からの祈願が、とんでもなく強烈ってことですわよ」
「サラガクの民だからな」ルシファーの後ろで少年が吼える。「アリアンヌ、おまえのせいでもあるだろうが!」
「ど、どういうこと」
みな、特に会話の流れに疑問を抱いた様子はない。そんな反応をしたのは、マリヤだけだった。
「サラガクは砂漠と荒野の大国」
戸惑う尼僧を置いて、女神は補足する。
「彼らは太古からそこに住みますの。魔物に侵食された地を彷彿とさせるがゆえに、よその地域から差別されてきた歴史がありますのよね。ですから、他では悪神の印象が強い神々に共感して崇めるようにもなりましたわ。より嫌われる要因にもなってますけれど」
「ゴッデスは、貴様がそう作った世界だからだろう! 創造神、マリアンヌ!」
「えっ!?」
グレアムの発言に驚愕する間もなく、ルシファーが飛び掛かってきた。
「悪いな尼僧」鋭い爪が生え揃った腕を振りかぶり、魔王が吼える。「此度は祈願者の要望、何より荒ぶるのは我が本懐。楽しませてもらう!」
戦いなんて素人なマリヤは驚愕で棒立ちになるしかない。だいいち、一般人ならとても避けられるような速度ではなかった。かなりの距離を一瞬で詰められたのだから。
だが脳裏の時間は異なる。死の瞬間に生涯の思い出が走馬灯として駆け巡るといわれるように。
命の危機に、とっさの祈りを想起する暇だけはあった。
(助けて、神様!)と。
マリヤの身体は横に突き飛ばされた。
背後で修道院が半壊する。も、全壊は免れる。
手刀は振り下ろされきっていなかったからだが、強大な力による余波のためだった。
そして、途中で魔王の腕を止めていたのは
「おのれ、祈願者もなく邪魔立てするか!?」ルシファーは邪魔者に怒鳴る。「創造神マリアンヌ!」
傍らの地べたに横たわる形になったマリヤは、事態を把握しきれず見上げるしかなかった。
魔王の一撃を片腕で受け止め、さっきまで自分のいた箇所に代わって直立するマリアンヌを。
「祈願者?」
彼女は、悠然として言う。
「元世界での全知全能たる唯一神に向けたマリヤの祈る相手。それはこのゴッデスではわたしの役目なのですから、全部わたしへのものになっていますのよ」
マリヤはようやく思い出していた、以前にも神への祈りに応えて自分を救ったもの。あの感覚が、今マリアンヌから放たれているということを。