Ep:34
俺の隣にはニコニコと笑顔を浮かべる少女。そして後ろからは嫉妬と憎悪が入り混じった視線、そしてやや呆れたような視線が刺さる。前者はアヤメとシズクのもので後者はコウのものだ。ゴロウに関してはサヤちゃんの件があるので何とも思っていないのだろう。まあ、そんないつもの面子は一旦置いておくとして問題はその他だ。皇帝を含む皇族、そして脇に並んでいる貴族たちが一様に驚いた顔で固まっている。先程までの地獄の如き雰囲気は俺が第三皇女と話したタイミングで霧散しているので、別の要因で石像もかくやというような状態になっているのだろう。……うん、分かっている。俺が皇女に対して滅茶苦茶優しく接したからだ。
普通であれば謁見中に粗相をすれば例え皇族だろうと激しく叱責され、その立場が揺らいでしまう。しかもやらかした相手が自国の皇帝より上の立場であれば最悪その首でもってお詫びをしなければいけない程なのだ。その前提を踏まえて俺の態度を振り返れば――まあ固まるのも仕方ないとは思う。が、いつまでもこのままでは話が出来ないので一度咳払いしてから口を開く。
「すみません。先程の話の続きをしても宜しいでしょうか?」
「そ、そうだったな。すまない」
すぐに意識を切り替えそう返してくる皇帝。
「今後必要になった場合はあらゆる面で私に力を貸すという提案ですが、有難く受け入れさせてもらいます」
「そうか。こちらの都合で無理やり押し付ける形になって申し訳ないがその言葉を聞けてホッとした」
「いえ、帝国としての面子もあるでしょうし私としても悪い条件では無いので」
「うむ。それならよかった。では最後になるが今後同じ事が起こらない様に貴族の管理を徹底するつもりだ。また、今回の事を踏まえて貴族に厳罰を課せるよう法律を変更するつもりでもいる。――改めて今回はご迷惑をお掛けして申し訳なかった」
再度深々と頭を下げる皇帝。同様に隣にいる皇族、そして脇に居並ぶ貴族達も頭を下げる。
「お互い納得が出来る決着をつけられましたし、今後は良き関係であれればと思います」
「そう言ってもらえると助かる。ではこれ以上ユノ様の貴重なお時間を頂戴する訳にもいかないのでこれで終わりたいと思います」
「はい。では私達はこれで失礼致します」
そう言って踵を返そうとした所で不意に軍服の裾を引っ張られた。後ろを見るとこちらに視線を向けている第三皇女の姿が目に映る。
「どうしたのかな?なにかあった?」
「あの……もう帰られるのですか?」
「そうだね。話し合いも終わったしそのつもりだよ」
「えっと……その……もう少し一緒に居て下さいませんか?」
子供ながらのストレートな物言いに思わず頬が緩んでしまう。大人だと持って回ったような言い方や、打算や陰謀ありきになるが幼い少女からはそういったものは一切感じない。ただただ純粋な思いだけが伝わってくる。
「でも第三――えっとクロエ殿下って呼んでいいかな?」
「クロエと呼んで下さい」
「んっ、じゃあクロエはお父さんやお母さんと一緒に居なくても良いの?」
俺の問いにチラと両親に視線を向けるが中々答えが返ってこない。恐らく頭の中で様々な事を考えているのだろう。暫しの間を置いた後皇帝が返事を返してきた。
「クロエ。無理を言うものではない。ユノ様にも用事があるだろうし急に我儘を言われても困るだろう」
強めの語気で言われてシュンと俯くクロエ。周囲の視線もこいつ何言ってんだ!?というものばかりで、特に肉親からは冷徹なまでの目で睨まれている。ふぅ、流石にこれは見過ごせないよな。
「それじゃあもう少し居ようかな。王城に来るのは初めてだしクロエに案内をお願いしても良いかな?」
「はい!」
この天使のような笑顔には値段は付けられないな!と思ってしまう程可愛らしい微笑みを浮かべている。ついつい見惚れていると後ろから背筋が凍るような圧を感じる。ギギギッと油が切れたような機会さながらに首を回すと笑顔だが目が据わぅているアヤメとシズクの姿が……。
これはマズイ。非常にマズいし下手したら俺の命がこの場で尽きてしまう可能性すらある。頬を伝う冷汗を拭いつつ二人に向き直って小声で呟く。
「謁見で無礼を働いてしまった上にここで俺がお願いを断れば彼女の立場はどん底に落ちる。まだ小さい少女なのに未来をここで閉ざす訳にはいかないだろ。だからここは抑えてくれ」
「そう言う事なら納得するけど、その代わり明日私とアヤメ二人とデートしてくれる?」
「分かった。一日中付き合うし、可能な限り要望も聞くよ」
「本当!?ふふっ、ありがとう。そういう優しい所大好きよ」
「棚から牡丹餅ですが、有難くお受けいたします」
うん、アヤメもシズクもニコニコだし機嫌は直ったとみて良いだろう。二人からの城内見学の了承も取れたしあとは陛下がどう答えるか次第だな。――男性陣の意見は良いのかって?大丈夫、問題無い。
「ユノ様が望むと言うのであれば是非もありません。ですが、娘一人では色々と不都合もあるので近衛から人を出します。また、城内であれば入場制限は一切ありませんのでお好きな場所に入ってもらって構いません」
「有難うございます。私の我儘でご無理をさせてしまいましたね」
「何を仰いますか。寧ろ私の方こそユノ様に城を見て貰えるまたとない機会を頂いたのです。感謝するのはこちらの方ですよ。……クロエ」
「はい、お父様」
「くれぐれも無礼が無いようにしなさい。また、どんな些細な事でも良いので何かあったら同行している近衛にすぐに伝える様に」
「分かりました」
んー、とても親子の会話とは思えないが立場を考えればこんなもんなのかな。なんにしろ許可も下りたし何時までもここに居るわけにもいかないのでさっさと退散しましょうか。
「それでは陛下。改めましてこれで失礼致します」
一礼してからクロエを含む全員で謁見の間を後にした。
another view point
ユノ達が謁見の間から退出した後皇帝を含む皇族、そして宰相が後に続くように退出する。そして重い足取りで特に重要な議題を話し合う為の部屋へと歩いて行く。
暫し歩いた後部屋へと着き、全員が着席したのを見てから最重要かつ喫緊の問題を提示する。
「まずは無事ユノ様との会談が終わって良かった。皆も疲れているだろうがもう少し時間を貰う事になるので頼むぞ。――さて、こうして集まってもらったのは他でもないクロエの失態についてだ。大事な場面で腕輪を落としあわや大惨事になる所だった。当然処罰に関しても極刑とまではいかないが数年の蟄居を命じるつもりでいる」
「お父様、流石にそれは刑罰が重いのでは?」
「何を言うか。もしあの場でユノ様が寛大な対処をしていなかったら私達はこの場に居らず、謁見の間で肉塊に成り果てていたのだぞ。それを鑑みれば蟄居など許されるギリギリの罰と言えるのだ」
第一皇太子の言葉に呆れを含む声色で答え、ようやく本当の意味で事の重大さが分かったのか顔色を青くさせる第一皇太子。
「更には退出しようとしたユノ様に対して我儘を言う始末。こちらはユノ様のご提案により上手く転がってくれたが本当に生きた心地がしなかったぞ」
「私も同じですわ。ですが、これはある意味チャンスなのではないでしょうか?もしクロエがユノ様のご関心を買うことが出来れば帝国は更なる発展を望めますし」
「確かにお前の言う通りだがそれは諸刃の剣ぞ。上手くいけば列強諸国で上位に躍り出る事が可能だし、ユノ様と懇意にしている上位国、そしてトップである和国ともより深い関係を構築できる。が、もし不評を買おうものなら我が国は終わる」
「そうね、貴方の言う通りだわ。そんな事になれば上位国はもとより、妖滅連盟と教会が黙っていないでしょう。特に協会に関してはありとあらゆる手段を用いて帝国を潰しにかかるでしょうね。そのデメリットを加味しても得られるメリットは大きいのではなくて?」
確かに天秤に掛ければ国の消滅と引き換えにしてでも得たい程利益は莫大ではある。それほどユノ様と懇意にしているというのは大きいのだ。何よりも同盟国入りを果たせればSクラス以上の妖魔が出現した場合、戦時協定で戦力を派遣して貰えると言うのが大きい。同盟を結んでいない場合は依頼になり世界情勢によっては放置されるという事も有り得るのだから、強制力のある戦時協定は喉から手が出る程どの国も欲している。その道筋が見えているのだから妻の言う事も納得できると言うものだ。
「うむ。その通り……なんだが、どちらに転ぶかはクロエ次第であり私達に出来る事は何もないと言うのがどうにも歯がゆいな」
「こんな事ならあの子にもっと教育を施せばよかったわ。特にこの世界の裏側、そして歴史とユノ様に関する事柄を重点的に教えていれば多少は安心できたのだけれど」
「今言っても詮無きことよな。ただ、今はクロエが失態を侵さない事を祈るしかない」
そういった後口を紡ぐ。誰しもが暗い表情で思い詰めているが、唯一の解決方法は時間しかないのを知っているしここで下手に動けば悪印象を与える可能性もある。よって沈黙を良しとし遅々として進まない時計の針を見るしかないのだろう。
another view pointEND
悶々とした時間を皇族達が過ごしているとは露知らず、俺はクロエの案内のもと城内を見学している。ちなみに護衛というかお付きの近衛兵は四人で男性二人、女性二人となっている。これはどちらか一方の性別で固めてしまうと何かあった時に対処しずらいからという事だろう。有難い配慮だが、クロエは若干不機嫌そうにしている。
「さて、最初は何処を見て回ろうか?クロエのお勧めの場所とかあるかな?」
「そうですね……では庭園などはどうでしょうか?今の時期ですとサイネリアやスイセンが綺麗に咲いておりますので見応えがあると思います」
「うん、いいね。じゃあ庭園に案内お願いします」
「はい」
ニコッと可愛らしい笑顔で答えてくれる。先程までの不機嫌さなど微塵も感じない表情を見るに多少は機嫌がよくなったと思っていいだろう。小さい子――おそらく十歳前後――は本当に些細な要因で気分が乱高下するから扱いが難しい。俺もサヨちゃんの相手を長年していなければ四苦八苦していただろうな。なんて少し物思いに耽っているとちょんちょんと何かが手に当たっている気がして目線を下げると、小さな手が所在無げに行ったり来たりを繰り返していた。
「クロエさえ良かったら逸れない様に手を繋いでも良いかな?」
「はい、喜んで!」
そっとつないだ小さな手はやや冷たく、微かに震えている。果たして緊張のせいなのか、後ろで目を細めているアヤメとシズクのせいなのかは分からない。
「ふふっ、お兄様の手あったかいです」
「それはよかった。……ところでお兄様というのはもしかして俺の事だよね」
「あ、あのご迷惑でしたか?」
「いや、全然問題無いけどクロエには実兄がいるのに俺を兄と呼ぶと色々とマズいんじゃないかと思ってさ。その辺は大丈夫なんですかね?」
後ろでついて来ている近衛の人に尋ねてみる。皇帝直属なのでそこら辺の事情にも詳しいだろうしな。
「クロエ様とユノ様が了承しているのであれば問題無いかと思います。ただ――」
「遠慮なく言って下さい。種火が燻っているのであれば考えなければいけませんし」
「分かりました。第一皇太子、第二皇太子はあまりいい顔をしないと思います。また、それぞれの派閥に属している貴族もこれ幸いにと権謀を巡らせることは明白かと」
「成程。となればクロエには悪いけど俺の事は名前で呼んでもらうのが一番か」
本人にも様々な思いがあるだろうが、まだ小さい女の子を面倒事に巻き込みたくはない。なので名前呼びを提案してみたのだが、どうにも反応が悪い。
「私にとってユノ様はお兄様なんです。上に二人いる人達はあくまでカテゴリー上の兄であり本当のお兄様はユノ様だけなんです」
目からハイライトが消え、無表情で語る表情はとてもでは無いが少女がしていいものではない。狂気とも狂信とも深愛とも違う狂愛とでもいうべきドロドロとしたものを感じる。そう、俺の身近な人達が宿しているそれだ。
「お兄様がお望みでしたら、呼び方を…………変える事も…………」
「い、いや大丈夫。今のままで問題無いから。ねっ」
あと一歩返事が遅ければ彼女は完全に闇に吞まれていただろう。余りにも暗く、昏い底さえ見えない深い深い闇に落ち、二度と戻ることは出来ない深淵へと至る前になんとか引き留められた。
「フフッ、お兄様はお優しいです。本当に……」
キュッとつないだ手に力が籠められる。思わずクロエの表情を確認するが天使を彷彿とさせる笑顔でこちらを見上げている。果たしてその笑顔は天上に住まう天使のものなのか、深い闇に住まうナニカの微笑みなのか。この時の俺は知る由も無かった。
クロエの知ってはいけない一面を見てしまい少々気まずいまま歩く事暫し。辿り着いた場所は花々が咲きほころ美しい庭園だ。和国とは違う様式、かつお城に造園されているという事もありかなり見応えがありそうだ。でもかなり広大なのでじっくりと見て回れば二、三日はかかるだろうから今回は一部を見るだけで終わるだろう。
「へー、凄く良い場所だね」
「はい。私のお気に入りの場所なんです。嫌な事があった時などによく来るんですよ」
「そうなんだ。確かに静かで気持ちを落ち着かせるにはうってつけだね」
「ですが、今みたいな寒い時期は着込んでいても長い時間居られないのでそこがちょっと大変です」
「夏だと暑いし、冬だと寒いから春とか秋が一番過ごしやすいかな。春は桜、秋は紅葉が楽しめるし」
「サクラですか?それはどんな花なのでしょうか?」
「毎年春の季節に咲く綺麗な桃色の花びらが美しい和国を代表する花なんだよ」
「わぁ~、私も見てみたいです」
「あと二ヶ月もすれば早咲きの桜が見られるし、四月になれば本格的な花見シーズンになるから今から俺も楽しみなんだ」
「うぅ、お兄様と一緒に私もお花見をしたいけど帝国からだと飛行船に乗らないと行けないし……。あっ、お姉様が春頃に和国に行きますよね?その時一緒に私も行けば――」
クロエの言葉を途中で遮る形で後ろに控えていた近衛が口を挟む。
「姫様。それ以上は言ってはなりません。仮にも第三皇女であられるのですから他国へ簡単に行く事は難しいです。それに第二皇女殿下は亡命という形で和国へ行くのですからそこに同行する事は陛下がお許しにはならないかと存じます」
「あなたは私とお兄様の関係を壊そうとしているのですか?もしそうなら……容赦しませんよ」
「うっ…………」
ヤバイ。また深淵を湛えるような表情になっている。それにこのまま放置すればまず間違いなくこの人を亡き者にするだろう事は容易に分かる。それこそ第三皇女の力を存分に使ってね。という訳で俺が少し仲介というか間に入るとしようか。
「確かに近衛の人の言う通りだよ。無理にでも付いて来ようとすれば最悪外交問題になりかねないし、火の粉は俺にも降りかかる可能性が高い。そうなればもうクロエと会えなくなるかもしれないよ?」
「嫌です!そんな事になれば私は生きていけません!」
「それじゃあ今は我慢しよう。もう少しクロエが大きくなれば和国に遊びに行けると思うしそれまでの辛抱だよ」
「お兄様がそう仰るのでしたら我慢します」
ふうっ、一先ずは納得してくれたようで良かった。そう思っていたのも束の間、まだ攻撃の手は止んでいなかったとすぐに思い知らされることとなる。
「お父様には中等学院に通える年齢になったら和国へ行きたいとお願いしてみようかしら?出来ればお兄様からも一言貰えるとお父様も了承してくれると思うのですが……」
うん、まあ俺がお願いすれば二つ返事でOKしてくれるだろうけど、政略も兼ねてそのまま和国の中等学院に転校とかなりそうなんだよな。ここで安請け合いするのは少々危険かな。などと考えを巡らせていると返事が遅い為俺に迷惑を掛けたと思ったのかクロエが上目遣い+目尻に涙を溜めながら言葉を零す。
「あの、お兄様にご迷惑をお掛けするつもりは無くて、あの、その」
うん、これは無理だわ。こんな表情で声を震わせて言われたら例えそこに特大の危険があろうと飛び込まざるを得ない。我ながら子供には甘いという自覚はあるが駄目だねこりゃ。
「迷惑だなんて思ってないよ。うん、それじゃあ俺から皇帝に話してみるよ。その際はクロエも一緒にお願いしてもらう事になるけどいい?」
「もちろんです。ふふっ、お兄様の住む国に行けるかもしれないのですから頑張ります」
ふんすっ!と力こぶを作る仕草は大変可愛らしい。そんな微笑ましい光景を眺めていると後ろから少し棘のある声でシズクから問いかけが投げられた。
「ユノ。また安請け合いして後で仕事に忙殺されるわよ?それにこの事が友好国のお姫様達に知られれば黙っていないだろうし」
「うっ、あれだ。外交や政治に関する事は国同士で話し合ってもらうし、通う学校等も同様だ。だからそっち方面は俺はお手伝いで大丈夫だと思うんだけど彼女達がなぁ……」
「お手伝いで済めば良いのだけれど、多分深くかかわる事になるんじゃないかしら。発端はユノなんだしね。お姫様達は事前に連絡して何かしらの埋め合わせをするしかないわね」
「それじゃあ諸々が決定したら手紙を出すか。埋め合わせはこっちに呼ぶ――のは無理だし俺が行くしかないか。三ヶ国くらいなら三日ずつ滞在したとして移動も含めて二週間もあれば十分だし休暇を取れば問題無いな。よし、その方向で進めていくよ。ありがとなシズク」
「もうっ、私が言わなかったら忘れていたでしょう」
「ごめん」
「脅すような事を言ったけど私も仕事は手伝うし、他の人も同じだろうからそこまで忙殺される事も無いと思うから安心して」
「助かる」
完全に他国の王族・皇族の仲の良い姫様達の事を失念していたよ。ケールカ王国のエイラみたいな穏やかな性格の子ばかりなら良かったんだけど中々に過激な子も居るから大惨事を招きかねん。本当にシズク様様だぜ。
「お兄様。お話は終わりましたか?」
「あぁ、悪い。待たせてごめんね」
「いえ、お気になさらず。それではもう少し庭園をご案内した後に時計塔に行きましょう。帝国で凄く有名な場所なんですよ」
「そういえば街からも見えていたな。近くで見たらさぞ壮観なんだろうな」
「ふふっ、ビックリすると思います」
「今から楽しみだよ」
そうしてクロエの案内のもと城内観光は続いていくのだった。




