黒騎士――ブラック(企業に仕える)ナイト――
廊下にてスマホを片手に話している男がいる。
川鳩である。
「……はい、わかりました」
川鳩は通話を終えると、スマホをポケットにしまった。
川鳩がオフィスに戻って来た。
「川鳩君、先程の電話、何だった?」
「河骨さんから。来月いっぱいで、解約だって」
「解約? 何でまた?」
「エヌデストウルから、プログラミングスキルが足りないから俺を解約する、と言ってきたそうです」
「スキルが足りない? 俺はそう思わないけどな。とりあえず、石窓さんに聞いてみよう」
「はい」
重坂と川鳩は、席から立ち上がり、石窓の席に向かう。
「石窓さん。川鳩の解約について、お聞きしたい事があります」
重坂は石窓に尋ねた。
「はい」
「川鳩のプログラミングスキルが足りない、との事ですけど、私はそう思いません。前回のプロジェクトで、だいたいどれくらいのレベルか、石窓さんもご存知でしょう。詳しい理由を教えていただけませんか?」
「その事か。川鳩を解約するようにと、ディスクリミネーションソフトさんから名指しで言われた」
「ディスクリミネーションソフトから?」
重坂と川鳩は同時に声を上げた。
「直接、私に話したのは菊軽部長なんだけど、菊軽部長の意思ではなく、格樹さんの意向のようだ。菊軽部長としては不本意のようだけど、あのバグについて、格樹さんが相当怒っていたみたいで、だから川鳩君を解約しようという話になったらしい」
あのバグとは、ストーンゴーレムが蛸踊りする件である。
ウォミ通編集部の菱棚が見ている最中に発生したため、立ち会っていた格樹は怒った。
だから、格樹は菊軽に川鳩を来月末で解約するよう伝えた。
ミスは犯したものの、これまでの仕事ぶりを見ると、川鳩は決して無能ではない。
途中から参加した前回のプロジェクトでは、きちんと仕事をこなしていた。
菊軽としては、今回のプロジェクトが終了するまで、川鳩を解約する事は考えていなかった。
だが、格樹に歯向かう事ができない菊軽は、渋々と、罪悪感を感じながらも了承した。
ところで、川鳩はT社からN社に派遣されている者であり、D社の菊軽や格樹にとっては、請負ではあるが、D社に派遣されている者ではない。
指揮命令者はN社の石窓、派遣先責任者はN社の鍋見であり、D社の菊軽や格樹は、そのいずれでもない。
――納得できない。
「石窓さん。こんな事、あっていいのでしょうか? 確かに、川鳩に落ち度はあります。けれども、それは挽回できるものであり、致命的なものとは思えません。それに、我々は菊軽部長達から見たら、請負ですよ? そして、我々の派遣先はディスクリミネーションソフトではなく、エヌデストウルです。菊軽部長や格樹さんに、そんな権利あるんですか?」
「気持ちはわかるけど、ディスクリミネーションソフトさんを怒らせて、取引停止という事には、したくないんだ。すまん」
石窓は重坂達に頭を下げた。
「重坂さん、もういいですよ。来月で解約という事で。はっきり言って、今の仕事、きつすぎですし。次は、もっとマシな所に決まる事を祈ってますよ」
「……わかった。少しだけ、河骨さんと話してくる」
重坂は廊下に出ていく。
話が聞こえていたのか、菊軽は申し訳なさそうに目を伏せている。
廊下に出た重坂は、スマホを使って、T社内にいる河骨に電話をかけた。
『はい、テキヤシースの河骨です』
「重坂です。あの、川鳩君の事ですけど、彼の解約は、エヌデストウルの意向ではなく、ディスクリミネーションソフトの意向みたいですね。それも、社長の息子である椎尾格樹さんの意向であって、菊軽部長にとっては不本意のようです」
『知っている』
「知っているって……ディスクリミネーションソフトの方が、エヌデストウルに派遣されている人の解約を決めるなんて事して、よろしいのでしょうか?」
『……本当はよくない。だが、日頃お世話になっているエヌデストウルさんに、逆らうわけにはいかないのだよ。川鳩君については、悪いようにはしないから、君は自分の業務に集中しなさい』
「……わかりました。それでは失礼しました」
重坂は電話を切った。
「……知ってたのか、河骨さん」
七月に入り、企画開発部オフィス内の人間が、更に増えた。
新しく入ってきた彼らは、D社への派遣、D社の下請け、N社の社員、N社への派遣のいずれでもない。
朝礼の時、彼らは千弥島技研(C社)のスタッフであると紹介された。
C社は電気電子関係やソフトウェア関係の業務を請け負う会社である。
他社の業務を請け負っていたスタッフ達がプロジェクトを終えた事と、募集していた人材が集まった事もあり、今月からN社依頼の業務を請け負う事になった。
N社依頼の業務とは、ここに常駐して、新作ゲームソフトの開発に携わる事である。
企画開発部オフィス内の席は既に満杯なので、彼らはキャスター付きの移動用机にノートパソコンを載せたり、営業部や総務部の空いている席を借りる等して、作業を進める事になった。
現在、プロジェクトにかかわっているスタッフは、シナリオライター等の著名人を除くと、五十名程である。
口の周りに長い髭を生やした五十代くらいの男性が、川鳩の席近くにいて、何かを教わっている。
男性の名は、黒伏畳三。朝礼の時、C社スタッフとして紹介された者の一人である。
その中では最年長だが、彼はC社スタッフのリーダーではない。
リーダーは日没寺有伸という眼鏡を掛けた小柄な男性で、黒伏よりもずっと若い。二十代後半くらいである。
川鳩は今月いっぱいで、ここからいなくなる。
石窓は新しく来たスタッフの中から、川鳩の業務を引き継がせる者を選ばなければならない。
黒伏は日没寺よりもずっと年上なので、日没寺は黒伏に対して扱いづらい印象を抱いている。
そこで、日没寺は石窓と相談して、黒伏に業務を引き継がせる事にした。
日没寺は他のメンバーと共に、他の業務を担当する事にした。
ところで、C社はN社の下請けである。本来であれば、窓口となる者が業務を引き受けて、C社指揮命令者の元で作業するものである。
ここで言う窓口や指揮命令者にあたる人物は、リーダーの日没寺である。
リーダーではない黒伏が、T社からN社に派遣されている川鳩からの引き継ぎをしている時点で、既に請負といえるかどうか怪しくなってきている。
コーヒーを飲んで一息つくために、重坂が休憩所に行くと、そこには既に先客がいた。
黒伏である。彼は自動販売機で缶コーヒーを買うと、近くにあるソファーに腰掛けて飲み始めた。
重坂も同様に缶コーヒーを買い、黒伏の隣に腰掛けて飲み始める。
「黒伏さんでしたっけ」
「はい」
黒伏が答えた。しわがれ気味の低い声だ。
「常駐として、千弥島技研さんから、ここに来ていると伺いましたけど、もしかして、千弥島技研さんの正社員ではなく、派遣さんですか?」
「はい、そうです。ケケナカンという派遣会社に登録しています。先月、ケケナカンから千弥島技研の仕事があると聞きましたので、応募したら採用されました」
「……そうですか。それって、相当搾取されませんか? ディスクリミネーションソフトの下請けが、エヌデストウルで、エヌデストウルの下請けが、千弥島技研。黒伏さんは、二次下請けに派遣されているわけですから、結構抜かれるんじゃないかと思うのですが……」
「福島の六重派遣と比べたら大した事ありませんよ」
福島第一原子力発電所事故が原因で汚染された町。そこの除染事業に、労働者を違法に派遣した事件である。
人材不足により日本全国から作業者を集めるためにできあがった多重下請け構造。これにより、中抜きが横行。
中抜きにより、作業者の収入は、かなり少なくなっていた。
労働者派遣法違反や職業安定法違反の疑いで、下請け業者が何人も逮捕された。
法律で禁止されているにもかかわらず、建設業務に派遣したり、多重派遣したりしていたからだ。もちろん、多重派遣による中抜きで利益を得る事も、違法である。
このような多重派遣は、IT業界でも横行していると言われている。
かつて、叙勲による紋章を使用できず、盾を黒く塗りつぶしていた非正規の騎士達がいた。
彼らは正式な主従関係を持たず、傭兵として活動していた。
このような騎士達は、黒騎士と呼ばれる。
本来の所属を黒塗りにされて働かされる黒伏や重坂達は、産業界の黒騎士といえるかもしれない。
「ところで黒伏さん、失礼かもしれませんが、最初から派遣の仕事をされていたというわけではありませんよね?」
失礼な質問かもしれない、怒らせるかもしれない、と重坂は思ったが、あえて質問してみた。
「もちろん。最初はSIerに勤務していたんですけど、ほとんどプログラマーの仕事しかやる機会がなくて、四十五の時にクビになりました」
「クビですか?」
「SIerと名乗っているんですけど、やっている事は派遣とあまり変わらないです。それで、年と共に仕事が少なくなってきて……という事ですね。若手がどんどん辞めていっていたんですけど、今思えば、より良い会社にステップアップしていったのかなあと。薄々気付いてはいました。けれども僕の方は、なかなか踏ん切りがつかなくて。クビになってから、僕もそうすればよかったかな、と後悔しています」
黒伏の給料は、決して高くなかったが、それでも、贅沢をしない彼は、暮らしに大きな不満を持つ事は無かった。
そのため、ずるずると居座ってしまった。
「それで、今は派遣をやっている、という事ですか?」
「そうです。クビになった後、就職活動していたんですけど、なかなか上手くいかなくて。結局、派遣に登録しました」
黒伏の話を聞いた重坂は、俺もどこかのタイミングで、良い所に転職しなければ、と思った。
――そのためにはスキルアップしなければ。
「そろそろ戻りましょうか、黒伏さん」
――あまり長い事休んでいると鞭岡に怒られそうだ。
「そうですね」
重坂と黒伏は、空き缶をゴミ箱に捨て、オフィスに戻った。




