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白衣の天使と率直騎士

ここから番外編となります。

メリルとジャスパー夫婦の馴れ初め話です。

 相手に薙ぎ払われ、ふわっと体が宙に浮く。

 その瞬間、今までの出来事が断片的に頭に浮かんだ。


 何だこれ、もしかして死ぬんだろうかと空を拝み、地面に体を打ち付ける。


「ジャスパー!しっかりしろ!!」


 剣と魔物がぶつかり合う音、炎や氷、様々な魔法の光が飛び交う中、俺を呼ぶ隊長の声がした。

 最悪だ。折角憧れの第三部隊に所属出来たのに。


「おい馬鹿!そんな所でへばってる場合か!」


 くそ、隊長大好き性悪男の声もする。

 誰のせいでこんな事になってると思ってんだ。


 必死に体に力を入れようとするが全く動かない。

 どんどん意識が薄れていくのが分かる。

 そしてその内何も考えられなくなって、俺はもう眠る事にした。


「あら、起きた」


 次に目を開けると、見た事のない白い天井。そして。


「良かった。なかなか目覚めないから心配だったの。

 あなたが一番最後よ、寝坊助さん」


 白いワンピースに白いエプロンを着た女性が笑みを讃えて立っていた。これってもしや。


「…天国?」

「ぷっ!」


 俺の呟きに彼女が笑う。


「長く眠っていた人はみんなそう言うの。

 ここは何もかも白いから」


 確かに俺の服もベッドのシーツも柵も天井も、そして彼女も、みんな白い。


「大体3日間程眠っていたかしら。

 ここは診療所。大丈夫、あなたは生きてるわよ」


 ここでようやく意識がはっきりしてきて、ベッドがたくさん並んだ大きな部屋にいる事に気付く。

 俺以外にも何人か横になっていたり、治療を受けたりしていた。


「毒がなかったのが幸いね。

 思い切り魔物に引っ掻かれたのよ。覚えてる?」

「…多分」


 俺はあの日、無茶をした。

 最近入ってきた性悪魔道士に負けるのが悔しくて、危険を顧みずに懐に飛び込んだ。

 大きな傷を与える事は出来たが、このザマだ。


「後で先生が来られるわ。それから隊長さんにもあなたが目を覚ました事を知らせてくるわね。

 随分と心配されてたわ」


 カイン隊長。俺の憧れの剣士。

 その人に認められたくて、その人に少しでも近付きたくて、ここまで頑張ってきた。それなのに。


「…あら、泣いてるの?」


 彼女にそう言われ、頬が濡れている事に気付く。

 こんな初対面の異性の前で泣くなんてと思ったが、気持ちに反してそれはどんどん溢れた。


 すると、彼女が俺の額に触れた。

 心地よいぼんやりとした暖かさを感じて、何だか心が落ち着く。


「先生みたいに治癒魔法は使えないけれど、私の手には人をリラックスさせる効果があるの。

 泣く事はいけない事ではないけれど、あまり自分を責めるのは良くないと思うわ」


 そして最後ににこりと微笑むと、踵を返す。


「…あの」


 咄嗟に声に出ていた。

 彼女はぴたりと止まって振り返る。


「メリルよ。これからしばらくよろしくね、寝坊助さん」


 俺は、何度も彼女の言葉を反芻した。


「全く…心配したぞ」

「…すんません」


 呆れる様に言う副隊長のウィリアムさんに小さな声で謝る。


「もうどこも痛い所はないのか?」


 そしてウィリアムさんと一緒にすぐに駆けつけてくれた隊長の優しい声に、また潤みそうな目を必死に堪えながら頷いた。

 “泣くなよ”とウィリアムさんが笑い、俺の頭をわしゃわしゃと撫でながら言う。


「今回の依頼主がここの診療所で良かった。

 お前含め負傷者をすぐに運べたし、快く滞在させてもらっているからな。

 あ、そうだ。レイにも礼を言っとけよ」


 突然の性悪魔道士の名前を聞いて眉間に思わず皺が寄った。


「こら、そんな顔をするな。魔物に対抗しながらお前に簡単な治癒魔法を施したんだぞ。

 その応急処置のおかげだと、ここの先生も驚いていた。

 本当、あいつはすごいよ」


 ぐうの音も出なくて、俺はとうとう頷いてしまった。

 もう素直に認めるしかないのだ。


 レイ・ドラモンド。魔道士界隈で、何百年に一人と言われるほどの逸材。

 そんな人物が討伐隊に所属すると知らされた時は、かなり騒がれた。


 既に隊長クラスとも言われていたのでどこかの役職が降ろされるんじゃないかとか、新たに部隊が作られるんじゃないかとか色んな噂が立った。

 しかし全ての予想は外れて、奴はこの第三部隊の騎士を希望した。


 その謎の行動の理由は、我らがカイン隊長だった。

 あの二人に何があったのか知らないが、確かに奴は隊長の事をめちゃくちゃ尊敬している。というか隊長にだけ。


 そんな訳で奴は隊長以外の人間には興味がなく、無愛想な態度をとるわ、仮にも俺は先輩なのに口答えするわ、何より毎回嫌味なほど大活躍するわでかなり気に食わなかった。


 しかしそんな事を思っているのは俺だけで、隊長を慕う様な人間が集まっている第三部隊はみんな優しい。

 小競り合いする俺達をいつも生暖かい目をしながら宥めるので、それも面白くなかった。

 さらに隊長にまで“確かにあいつは勘違いされ易いかもしれないが、ちゃんと仲間想いの良い奴だぞ”とまで言われる始末。


 だから俺は変な方向に張り切ってしまったのだ。

 俺だって出来るっていう事を、隊長と、そしてあいつに見せつけたかった。


 そして冒頭に至る。

 すっかりしょぼくれた俺を見て、隊長が俺の肩に手をつきながら言う。


「今回の魔物はかなりの大物だった。

 確かにお前の一撃で継戦は逆転した。それがなければもっと負傷者が出ていたかもしれない。

 でもお前が死んでしまっていたら、元も子もない。

 ありがとう、と言いたい気持ちと、大馬鹿者と言いたい気持ちで複雑だ」


 ゆっくりと顔を上げ、隊長の目を見る。


「お前が命を賭してしまわない様、俺がもっと強くならなければと改めて決意した。

 そしてお前もな。帰ったら鍛錬だぞ」


 ついに俺の目から涙が溢れて、何度も何度も頷いた。

 ウィリアムさんもずっと暖かく見守ってくれていて、改めてこの隊に入れた事を心から良かったと思った。


「はい、夕食よ。

 あなたはまだ起きたばかりだから柔らかいものから始めるわね。様子を見て通常食に戻していくから」


 すっかり日も暮れて待ちに待った夕食の時間。メリルさんにまた会えた事はとても嬉しかったが、その手にあったものは全てが粥状になったものだった。

 目が覚めてすっかり暇を持て余していた俺は、食べる事だけを楽しみにしていたので少々がっかりする。


「…あの〜せめて柔らかいパンとか」

「ダメよ。3日も食べてないんだから、いきなり固形物なんて体に悪い」


 ぴしゃりと言われて口を噤む。

 渋々食べ始めた俺に、メリルさんが腰を折って俺の目をじっと見ながら言った。


「食べさせてあげようか?」

「え!ほんとに!?」

「嘘」

「…なっ」

「良かった、元気になったみたいね」


 そう言って彼女はにこりと微笑むと、他の患者にも夕食を配り始めた。

 うーん、やっぱり可愛い。初めて見た時は本当に天使かと思った。何よりあの気さくな感じ。めちゃくちゃタイプで困る。


 別に俺だけに特別ではない事は知っている。

 今も夕食を配りながらあの軽めの口調で話しかけては患者達の調子を伺っていた。

 というかこの診療所の女性達は全体的に気さくだ。

 そこまで分かっているが、どうしても彼女を目で追いかけてしまう。


 翌日も念のため安静にしろと言われて、用を足す以外は一日中横になった。ご飯は夜からやっと普通の物を食べてもいい許可が出て嬉しかったが、もう我慢の限界。

 せめて散歩くらいさせて欲しいと思っていたら、その翌日の朝に許可が出た。早速リハビリがてら診療所内を歩く。


 この診療所は孤児院も併設された二階建ての小さな施設だった。世話をしてくれる女性が数人と、治癒魔法を施してくれる先生が一人。

 今はうちの部隊で賑わっているが、普段は静かに療養したい人が過ごす所の様だ。

 森に囲まれ大変のどかで、初夏の黄緑色の木々がなんとも美しい。久しぶりの自然光に体を伸ばしていると。


「げっ」

「……」


 会いたくない人物ナンバーワンが、裏庭のベンチに腰掛けていた。俺に気付いて読んでいた本を閉じ、無言でこちらを見る。


「よ、よお」


 当たり前に返事はなし。しばしの沈黙。俺は意を決して口を開いた。


「あ」

「………」

「あ…」

「何だよ」

「…り、が…とな…」


 相変わらず無愛想に返してきた事にイラッとはしたが、俺の途切れ途切れの言葉にレイは目を見開いた。

 そしてニヤリと笑う。


「ウィリアムさんに聞いたのか?」

「…そうだよ」

「無茶するからだ」

「…本当、ご尤もで」


 いつもなら言い合いになるのに俺が珍しく受け入れるからか、調子が狂ったのだろう。奴は面白くないとでも言いたげに息を吐き、“お前が死んだら隊長が悲しむ”と言い残しこの場を去っていった。


 隊長大好きなあいつの事だからそれが本音だろう。

 しかし、確かにあいつにも仲間を想う気持ちがあるのかもしれないと、少しだけ思い直す。


「…まだまだ子供(ガキ)だな、俺は」


 思わず呟いた瞬間、何やら騒がしい声が聞こえた。

 それはとても楽しげな子どものもの。

 そういえば孤児院も兼ねているんだったかと声のする方へ向いてみると、何と彼女が子ども達と散歩していた。

 突然心臓が早鐘を打つ。何かもう、手遅れかもしれない。

 そう自嘲しながらその団体に近付いた。


「あら、ジャスパーじゃない。どう?体の調子は」

「お陰様で問題なし。引っかかれたっていう腕も大分動かせる様になってきた」

「お兄ちゃん、もしかして”きしさま”?」


 すぐに彼女が気付いてくれて、声をかけてくれる。

 するといつの間にか俺の近くに寄ってきていた幼子が俺の服の裾を引っ張りながら問うた。

 彼女がその子と目を合わす様にしゃがみ込む。


「そうよ。

 私達の家を守ってくれた人。そういえばまだちゃんとお礼を言えていなかったわ。ありがとう、ジャスパー」

「いや、俺は」

「貴方達が来るまで缶詰状態でとても不安だったの。

 こうしてまたみんなとお散歩出来て嬉しいわ」


 ここは少々ご加護の境界線と近い所にあるが、今まで魔物が現れる事はなかった。

 しかしごくたまにいるというご加護が効かない魔物が入り込み、我々の監視下をくぐってここまで来てしまったのだ。

 うちに通報をして到着するまでの二日間、彼らは必死に身を潜めた。きっと気が気でなかっただろう。


「私もここの孤児院で育ったの。

 壊されるのも、ここを置いて逃げるのも嫌だったから、本当に嬉しい」


 目を細めながら言う姿が、心底そう思ってくれているのが分かる。俺は本当に馬鹿な事をしたが、こうして守れた命があった事を知って気持ちが和らいだ。

 そうだ、だから俺は討伐隊に入ったんだ。


「そういえば明日出発するそうね」

「え!そうなの!?」

「あら、聞いていなかったの?さっき先生がそう言っていたわ。

 最近あなた達のおかげで騒がしかったから、少し寂しくなるわね」


 衝撃を受けて口を開いたまま固まる。

 それはそうだ。もうここに滞在して5日は経っている。さすがの隊長も怪我を負う程の激戦だったのでこれだけ悠長に出来たが、俺もここまで回復したのだ。それに隊の決定に俺が口を挟む権利はない。


「そう…か」


 あからさまにショックを受けた様子が顔に出てしまう。

 すると彼女がくすくすと笑った。


「何?あなたも寂しいの?」

「うん…。

 何でもっと早く目覚めなかったんだろう。君ともっと話したかったのに」

「………」


 彼女の笑い声が止まった。

 俯いていた顔を上げると、驚いた様な表情の彼女と目が合った。


「…あなたって、とっても素直ね」


 それは次第に悲しそうな表情へと変わっていく。


「だけどさよならしなきゃ。

 あなたと私は、別の世界の人間だから」


 彼女はそう言うと、子ども達を連れて施設へと戻って行った。

 彼女が優しく俺を斥けたのが分かった。


 だから自覚したくなかったのだ。

 彼女を気になってしまっても、いつかはここを去らなければいけないし、ここに通う道理もない。

 しかも本人から壁を作られてしまうなんて、正直絶望的だった。

 まだ気になる程度で良かったかもしれない、と思う事にする。


 そう、まだ気になる程度だった。

 彼女の可愛らしさにちょっと惹かれただけなのだ。

 本当、ただそれだけ。ちょっと可愛いな、なんて思っただけ。


「俺、メリルにやんわりとふられたっぽいんですけど、どうしてですかね?」


 なのに俺は、彼女ではない女性が夕食を持ってきた事にショックすぎて、ほぼ反射的にその女性に質問していた。

 何が気になる程度だ。格好つけが。


「…驚いた。いつの間にそんな事になっていたの?」

「いや、別にはっきりとは言ってないですけど、君ともっと話したかったと伝えたら自分と俺は別の世界の人間だからってこう…やんわりと」

「ふうん。だからあの子、私に変代われって言ったのね」

「そうなの!?」


 更なるショッキングな事を聞かされ、両手で顔を覆い天を仰ぐ。完全に避けられているではないか。


「そんなに気を落とさないで。

 ちょっと待っててね。他の人にも配ってくるから」

「…?わかり、ました」


 何故か楽しげなその女性に頭を傾げながら了承する。

 もそもそと食べていたら、すぐに来てくれた。


「お待たせ。

 私もまだやる事があるから、食事中にごめんなさいね」

「い、いえ」

「ええと、やんわりとふられたのよね?メリルに」


 心にぐさりと何かが刺さる。俺はがくりと項垂れた。


「やだ、ごめんなさい」

「…何かやけに楽しそうですね」

「そう?んーまあそうかも?」

「ひどい…」


 ごめんごめん、と全くそうは思ってなさそうな声色で慰められる。

 その女性はアンヌと名乗った。彼女とは幼い頃から一緒に育ってきた幼馴染らしい。


「騎士になる人って、貴族が多いのでしょう?

 家柄っていうある程度の信頼がないと採用されないって聞いたわ。という事はあなたも?」

「最近は大分敷居は低くなりましたよ。

 まあでも、うちもそんな高い位ではないけれど、領地を与えられている身分ではあります」

「やっぱりそうなのね。じゃあ諦めた方がいいわ」

「ええっ」


 もはや涙目になってきた俺に、アンヌさんは真面目な顔をして言った。


「単刀直入に言うわね。

 あの子一度、あなたと同じ様に世話をした騎士と恋仲になったのよ。

 結婚まで話が出ていたのだけど、結局なしになった。

 丁度3年前かしら」

「…な、んで」


 “騎士”、“恋仲”という二つの単語を聞いて危うく思考停止になりそうなのを堪えて問う。

 先を聞かずとも、アンヌさんが諦めろと言った意味を何となく察したかもしれない。


「お相手の親御さんがね、あの子が孤児院出身という事について難色を示したの。

 だからどこかの貴族にあの子を養子として迎え入れてもらってから、結婚しようって言われたんですって。

 私もみんなもぜひそうしろって言ったんだけど、“百年の恋も冷めたってこういう事ね”ってあの子、笑ったの」


 言い終えた後、アンヌさんが悲しげに目を伏せた。

 貴族というものは、どうしたって出自にこだわりを持つ。利益であったり、プライドであったり、誇りであったり。

 確かに大事な事でもあるけれど、それは貴族だけではない。

 どんな人にだって誇りはあるのだ。彼女にとって、ここがそうである様に。


「…彼女は本当にここが大好きで、大切なんですね」


 俺が呟く様にそう言うと、アンヌさんの目が驚いた様に見開いた。


「…あなたはやっぱり違うのね。

 あのね、あなたに期待させたくないから言いたくなかったのだけど」


 アンヌさんは躊躇う様に言葉を止めた。

 俺は“期待”なんていう言葉を聞いたら、それこそ期待せずにはいられない。急かしたい気持ちをなんとか抑えて出てくる言葉を待つ。


「…私達って、本当はあなた達を敬う立場なのにこんな砕けた物言いをするでしょう?

 これは全部先生の教えで、ここに来た人達はみんな家族だから、主従関係なんて存在しないと教えられたの。だから私達もあなた達にそうやって接する。

 それがどうやら新鮮みたいで、好意を持たれてしまうのは珍しくないの。でもどうせそんなのはただの気の迷い。だから私達はそっと受け流す。

 特にメリルはあの件があってからは、必要以上に患者さんとの距離を図る様になった」


 正に自分もそうなのかもしれないと気付く。

 これはただの気の迷いなのだろうか。そう考えながら、俺はアンヌさんの話に耳を傾ける。


「でもね、あなたには違う。そんな気がするの」

「…え」

「中々目覚めないあなたを気にかけていたし、やけに話しかけたり、からかったり。

 あなたみたいなのが好みなのかしら」

「…え!ええっ!!」


 急に方向転換されて、思わず大きな声が出る。アンヌさんは笑いながら「しー」と言った。


「どうしてだろうと思っていたけど、あなたと話してみて分かったわ。あなたは、少し違う」


 思わず自分の体のあちこちに触れて探してみる。

 アンヌさんは「そういう事じゃない」と言ってまた笑った。


「私はもう、あの子が傷付く所を見たくない。

 そしてメリルも、もう傷付きたくないのよ。

 ねえ、あなたのその想いはだだの気の迷いではない?本当にあの子の事を愛してる?

 あの子が欲しいなら、あの子の全てを愛する覚悟を持って欲しいの。中途半端な気持ちであるなら、どうか諦めてね」


 そう言い切ると、満足そうに立ち上がってアンヌさんは去っていった。


 それから俺は何度も自分の心に問うた。

 どうして彼女が気になるのか。彼女とどうなりたいのか。自分にその覚悟はあるのか。

 そしてたどり着いた答えは、俺はまだそんな事を判断出来る段階にすらきていないという事だった。


 彼女と関わったのはたった3日で数える程。

 明日にはもうここを去らなければいけない。だから彼女をもっと知りたかった。

 ここはご加護の境界線からもそう遠くない。合間を縫って会いに来ようか。

 でもそれは許されるのか?彼女はそれを望んでいないのではないか?


「…考えても分からん」


 俺は昔からそうだった。頭で考えるよりも、まず行動派だ。俺は彼女と話す事にした。


 消灯準備をしていた女性に、彼女の居場所を教えてもらう。

 孤児院で寝かしつけをしていると聞き、俺は彼女が出てくるまで裏庭で待った。

 やがて小さな灯りがこちらに来る。俺は立ち上がって迎えた。


「…っ!ジャスパー!?びっくりした…」

「ご、ごめん」


 暗がりから突然俺が出てきたからか、彼女は大変驚いた表情を浮かべた。それからそっと俯く。お互い何を言うこともなく沈黙が流れたが、俺は覚悟を決めて、口を開いた。


「その…アンヌさんから聞いた」


 彼女の顔がハッとする。


「聞いたって…」

「…その、3年前の」


 それだけで彼女は分かったのだろう。

 はあ、とため息を吐いた。


「それで、何?」


 えらく刺々しかった。俺を遠ざけようとしているのが分かる。

 一瞬怯みそうになった己を鼓舞して、はっきりと告げた。


「俺は今、君の事が気になってる」


 彼女がまた息を呑んだのが分かった。


「君の事が知りたい。こんなに短い時間しか過ごしていないのに。自分でも信じられないくらいだ。

 でもアンヌさんから話を聞いて、中途半端な気持ちで君と関わってはだめなんだと知った。

 だから君に許しを得にきた。俺は君を知りたいと思ってもいいだろうか。またここに来てもいいだろうか」

「あなたって…本当に素直ね」


 彼女の瞳が揺れていた。

 きっと彼女も俺と同じ気持ちだ。知りたいのに、その一歩が踏み出せない。


「…怖いの」

「…うん」


 彼女は蝋燭を持っていない方の手で顔を覆った。

 俺は抱きしめたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢した。

 気安く触れてはならない。彼女のためにも、自分のためにも。


「…ごめんなさい、嫌な態度とっちゃって。

 私なんかの為に、あなたが気に病む事はないのよ。

 ここに来たいと思うのなら、来てくれたらいいの。

 私は、ここにいるから」

「分かった。ありがとう」


 俺はそのまま彼女が施設に入って行く様子を見届けた。そして決断した。


「気になっている子がいる」


 無事城に戻った俺は、待ちに待った非番の日に生家に戻り、両親と対面するなり言った。

 父と母は呆けた顔をして俺を見ていた。


「その子は孤児院生まれでその場所を大切にしてて、とても素敵な子なんだ。でもその事で婚約が破断になってしまったトラウマがあって、折角俺の事を気になってくれているのに踏み出せないんだ。俺はもうその子を傷付けたくない。

 父さんと母さんは、もし俺がその子と結婚したいと言ったらどうする?」


 何度も言おう、俺は考えるより行動派だ。

 何をするよりもまず解決しなければいけないのは、ここなのだ。俺は彼女と一生を添い遂げる事が出来るのか否か。


「帰ってくるなり何を言い出すかと思えば…」

「ふふふ…本当に面白い子ねえ」


 父と母は呆れながらも、考える様にしばらく黙った。

 俺はその間をじっと待つ。

 やがて「うーん」と長く唸った後、父はゆっくりと喋り始めた。


「そうだなあ…折角お前がそうやって見つけてきてくれたんだ、ぜひ手放しで許してやりたいんだがなあ…。

 今はこうして順調に領地運営出来ているが、いつ傾くかは分からない。そういう時のために、やはり後ろ盾というのは大事になってくる。

 領主というものは、目先の事もだが後世の事を考えなくてはならないんだ」

「どうか悪く思わないでね、ジャスパー。

 その子の事を否定している訳ではないのよ?」

「…分かっています」


 実際に、父と母は親の言い付けで決まった婚姻だった。奇跡的に二人は相性が良く、とても仲良しだが根本はやはりこの領地を長く守り続ける為に組まれた縁なのだ。


「そもそもお前を討伐隊に入れた事もかなり大きな決断だったんだ。いつ命を落としてもおかしくない所へ一人息子を送り出す。それがどれだけの覚悟だったか。

 実際にこの間も危うかっただろう?」


 そう言われて何も言えなくなる。

 俺は昔泣き虫で、少しでも強くしようと父が剣術を習わせてくれた事がきっかけだった。やがて魔術にも興味が出始め、俺はそのどちらも活かせる騎士になりたいと思った。

 そして魔術を使わずとも若き隊長となったあの人に強い憧れを抱き、自ずと討伐隊の道へ。父と母を猛説得した。


 俺が何かあった時は、従兄弟から養子を貰い受ける事になっている。頼むからそんな事にはなってくれるなよと父は涙声で言い、俺を送り出してくれた。

 俺のやりたい事を尊重してくれたのだ。


「もうあんな事はしません。深く反省しています」

「そうだ。プライドは大事だが、周りが見えなくなってはだめだぞ」


 言い切って、父がため息をついた。

 母が父の肩を優しく触れる。そしていつものゆったりとした口調で言った。


「私は別にいいと思うけど」

「「!?」」


 思わず父と俺が母を凝視した。

 母はクスクスと笑いながら言う。


「二人して凄い顔。

 まあ私が口出し出来る事ではありませんが、あのジャスパーがこんなに慎重になるなんて、私はそれが気になって気になって。

 さぞ素敵な子なのでしょうと、先程から胸がワクワクしているのです。そうなのでしょう?ジャスパー」

「…うん」


 母は大らかで思い切りが良く、父は慎重で心配症だ。

 見事なまでにお互いの欠点を埋め合っているこの夫婦は、こうやって意見が分かれる事もしばしば。

 でも父は結局母に押されがちだ。今回は領地の未来の事も関わるから分からないが。

 そして母は、更なる爆弾を投下する。


「私、お会いしてみたいわ。だめかしら」

「え!?」

「…おい、お前」

「ちょ、ちょっと待って!俺まだ彼女に求婚した訳でも、ましてや恋仲になっている訳でもないのに」

「あらそうなの?何やってるのあなた、意外と奥手ねえ」

「いや、だから」

「私達に相談してきた時点で心に決めているでしょう」


 母の言葉にハッとする。

 俺は珍しく臆病になっていた。でもそれは彼女を傷付けたくなかったから。と同時に、自分も傷付きたくなかったからかもしれない。


「…父さん、あの子は今いる場所をとても大切にしているんだ。

 だからどこかの養子になってもらうとかそういうのは出来なくて」

「うん、分かっているよ。だからこそ、しっかり考えさせてくれ。

 お前がそこまで真剣に考えている相手なんだ。

 私も、ちゃんと向き合おう」


 俺は、本当に人に恵まれている。そう感じた瞬間だった。


「…え?あなた今何て言ったの?」


 境界線の警備を交代した帰り、俺は早速彼女がいる診療所に寄った。

 久しぶりに見る彼女はやっぱり美しくて、何かもう色々考えているのが馬鹿らしくなり父が真剣に自分達の事を考えてくれている事、そして母が彼女に会いたがっている事を早速告げた。


「わ、私あなたに求婚されたっけ…?」

「いや、してないです…」


 彼女は口を開けてぽかんとした表情で俺をしばらく見ていたが、やがて彼女も考えるのが馬鹿らしくなったのか、「…そう」と呟いて近くのベンチにすとんと腰掛けた。

 やはり勇み足すぎたかと、俺も恐る恐る隣に座る。


「まず君との仲を深めるにはそこを解決しなきゃいけないと思って…」

「…うん、分かってる。ありがとう」


 そこでようやく彼女がふわりと笑った。

 思わず心臓が高鳴る。


「ご両親は、驚いてらっしゃった?」

「まあ、そもそも急に気になる人が出来たって言ったらどんな相手でもあのリアクションだったと思うよ」

「…あなたって、もう素直を通り越して…ふふ…」


 彼女がやがてあははと大きな声で笑う。

 やっと最初の頃の彼女が戻ってきた気がして、俺も一緒になって笑った。


 それからも俺は何でもない会話をしに彼女の元へ何度か通い、ついに両親を連れて訪れた。


「まあ、素敵な所!」

「夏なのに涼しいな」


 父と母はちょっとした旅行気分の様で、出発時から妙に楽しげだった。馬車から降りた後は仲良く腕を組み、あちこち指を挿しながら歩く。

 仲が良いのは大変良い事だが、少し恥ずかしい。


 診療所に近づくと、彼女が玄関で待っていた。

 遠くから見ても緊張しているのが分かる。俺は少々にやけながら彼女に手を振った。


「あなたがメリルちゃんね!初めまして」

「息子が世話になりました。本当にありがとう」


 彼女が口を開こうとした瞬間に、先に両親が挨拶をする。一瞬呆けた顔をするも、慌てて彼女も頭を下げた。


「は、初めまして!メリルと申します!

 ジャスパーさんとは仲良くさせて頂いて」

「いいのよ、そんな堅苦しい挨拶は。

 それよりも、あなたのお家を紹介して下さる?」

「…はい」


 母は大らかで思い切りがいい。それに何度も振り回されもしたが、今はそれがとても誇らしく思えた。


 最初は緊張していた彼女だったが、診療所内の案内をしていく内にだんだんとほぐれてきたのが分かった。クスクスと笑いながら楽しげに喋る。

 孤児院の子ども達が、珍しい来客に大勢で取り囲んでカオスな状態になるハプニングもあったが、父と母は大変楽しそうだった。


 すべてを案内し終えた時に、近くの村の往診に行っていた先生が帰ってきた。


「メリルさんのお母上か」

「ご挨拶しなきゃ」


 二人がそう言って先生の元へ向かう。

 俺も一緒に行こうとしたら、彼女が動いていない事に気付く。


「メリル…?ど、どうした!?」


 俺は思わず二度見した。彼女の目から涙が溢れていたのだ。俺の声に気付いた両親も最初驚いた表情を見せたが、やがて柔らかく微笑む。


「一緒にお迎え出来ず誠に申し訳ございませんでした。

 こんな辺鄙な所までお越しいただいて…ってあら?メリルどうしたの?」

「お母様、私達はあちらでお話ししませんか?」

「ジャスパー、メリルさんのそばにいてやりなさい」


 そう言って両親は先生と一緒にその場をそっと離れてくれた。


「メリル…どうしたんだ?」

「…本当に、素敵なご両親ね。どうしてあなたがこんなに私の心を癒やしてくれるのかがよく分かったわ」


 そう言うと、彼女が俺の胸にそっと頭を預けた。


「ここを私の家と言ってくれた。先生を、私の母と言ってくれた。こんな幸せな事ってない。

 私、我儘になってもいいのかな。高望みしてもいいのかな」

「…抱きしめても、いいか?」


 彼女がこくりと頷く。俺はそっと彼女を抱きしめた。


「…私、あなたと家族になりたい。お願い、お願いよ」

「勿論だよ。きっと両親は君を受け入れる為にここに来てくれたんだ」


 何度も懇願する彼女を強く抱きしめる。

 そして再び涙が溢れた彼女の頬を拭った。


「何度も逃げそうになった私を…諦めないでくれてありがとう。出会った時からあなたに惹かれてたの。

 でも怖くて」

「うん」

「こんな私を受け入れてくれるなんて思わなかった。

 もうこの想いは止められない。好きなの。あなたを愛してるの」

「うん。俺も、君を愛してる」


 やがて俺も涙が頬を伝った。

 ずっと傷付いていた彼女の心がようやく解れた事、そしてこの手に彼女を抱きしめる事が出来た喜びに。


 俺達は無事婚約を結び、肌寒くなり始めた冬の始まりに結婚した。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「メリルちゃん!」

「お義母さん!いらっしゃい!」


 夫の仕事の都合で王都に住んでいる私達の屋敷に、大好きな義母はよく遊びに来てくれる。

 未だになれない女主人という立場に悪戦苦闘しながらも、持ち前の気丈さで何とかこなしていた。


 それもこれも、務まるかわからないと弱音を吐いた私に義母が「何言ってるの、そんなのあなた次第よ。それに私に出来てるんだから大丈夫」と言ってくれたおかげ。

 結局出自にコンプレックスを抱いていたのは私なのだ。あんなに大事な所だと言っていたのは口だけだったのだと反省した。それに気付かせてくれたこの家族が私は大好き。


「そうだ、メリルちゃん。

 私ずっとあの子の無事を祈りに教会へ行っていたの。そこでね、神父さんの計らいで騎士を夫に持つ奥さん方が集まってリフレッシュしてるんですって。

 ぜひ行ってみたら?」


 優しい義母の計らいで、私はまたそこで素敵な出会いを果たすのだけど、それはまた別のお話。



 fin

次回はエミリーとレイ夫婦の馴れ初め話の予定です。

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